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第三部

革命と反革命

二十年後

一九七六年、著者は新しいイタリア版の『革命と反革命』に序文を書くよう依頼されました。しかし、本論の初版出版からすでに二十年も経過していたので、その代わり、その間にあった革命過程の発達を分析することにして、第三部を付け加え、それを一九七七年に発表しました。鉄のカーテンが陥落した一九九二年、著者は現在の版に見られる分析を付け加えました。  編集者

一章

革命は絶え間ない変質過程

「革命と反革命」初版を出版して以来、数々の出来事に彩られた長い期間が経過しているので、本論で取り扱った諸問題に関して、何か付け加えることがないのだろうかと当然考えてみたくなります。

その答えは、読者もすぐにお分かりのように、しかりです。

1 革命、反革命、伝統・家庭・私有財産権擁護協会の二十年にわたる行動と戦い

深刻な心理的変貌によって文学への好みが一変してからもう長くなりますが、アレキサンドル・デュマの小説「二十年経って」は、かつてブラジル青少年の愛読書でした。ここに書こうとする事柄は著者にこの小説を連想させるのです。

一九七九年が終わろうとするこのときに、著者は一九五九年を思い起こしています。つまり、私たちは本書出版の二十周年記念に近づきつつあります。そうです。あれから二十年経ちました…。

その間、本書は版を重ねたものです。

著者は「革命と反革命」を単にアカデミックな論文にしておくつもりはなく、当時直面していた問題と義務にかんがみて、約百人のブラジル青年たちが自分たちの座右の書とすることを念頭に置いていました。当初のあのわずかの人数、つまり伝統・家庭・私有財産権擁護協会(TFP)の種子とでも言うべきグループはすぐに、一つの大陸とも言えるほどのブラジル全土に広がりました。運のいい出来事は重なるもので、南米全土に類似グループが自発的に形成され、発展し始めました。同様に、その後は合衆国、カナダ、スペイン、フランスにもこの運動は広まりました。さらに最近のことになりますが、知的な近さと将来が楽しみな親しい関係がこれら諸団体を、その他ヨーロッパ諸国の人々や団体と結びつけ始めました。フランスでは、一九七三年創立の伝統・家庭・私有財産権擁護協会(Bureau Tradition, Famille, Proprié té が私たちと緊密な連携関係に入りました。

この二十年は拡張期でしたが、同時に、激しい反革命闘争の年月でもありました。

このような連携関係のおかげで、ある程度の成果を上げることもできました。ここでそれらを列挙できませんが、伝統・家庭・私有財産権擁護協会もしくは類似の団体が存在するところでは、絶えず反革命、つまり宗教的領域ではいわゆるカトリック左派、現世的領域では共産主義に対する闘争を繰り広げました。共産主義に対する闘争には共産主義の準備段階、もしくは幼虫状態でしかないあらゆる形態の社会主義が含まれました。この闘争は本書第二部にある原則、目的、規範に従ってなされました。

このようにして収穫を見た果実は、本書中が主張する革命と反革命の間にある不可分の関係がどれほど正確であるかを示すものです。

1 絶え間なくかつ急速に変化する世界にあって、革命とか反革命は今でも存在するのだろうか? 答えはしかり

「革命と反革命」が六つの大陸で版を重ね、その実りをもたらしている間に、四世紀に渡って革命過程によって駆り立てられてきた世界は、急速かつ深刻な変貌を遂げました。そのために、この新版を準備するに当たって、前述したように一九五九年に著者が書いたことに関して訂正とか追加の必要がないか検討する必要に迫られました。

「革命と反革命」は時としては理論的分野に、また時としては限りなく理論的分野に近い理論・実践的分野に属します。ですから、もし著者がどのような出来事も研究の内容を変更しないと判断しても驚くに足りません。

確かに、一九五九年に結成されつつあったブラジルの伝統・家庭・私有財産権擁護協会とその姉妹団体が使用した行動様式とスタイルの多くは、新しい情況に応じて変更されたり、適応されたりしました。また、その他に新しいやり方も導入されました。しかし、これらの方法やスタイルは、それが効果的で実践的な下位の分野に属するので「革命と反革命」自体が変更を迫られるわけではありません。故に、本文の書き換えは不必要でした。

それにもかかわらず、歴史が開きつつある新しい地平線に「革命と反革命」を適応させようとすれば、かなりの追加をする必要はあります。しかし、それは単なる補遺に収まるような性質のものではありません。しかし、過去二十年に渡った革命がしてきたことのまとめ、革命によって変革された世界情況の展望があれば、読者は容易かつ便利に現代の現実に本論の内容を照らし合わせることができるでしょう。第三部の意図はそこにあります。

1 二回にわたる「カトリシズモ」誌による最初の出版外に、単行本になった「革命と反革命」はポルトガル語で二版、イタリア語で三版(トゥリンで一版、ピアチェンツァで二版)、スペイン語で六版(バルセローナで一版、ビルバオで一版、チリ・サンチアゴで一版、コロンビアで一版、ブエノスアイレスで一版)、フランス語で二版(ブラジルとカナダでそれぞれ一版)、英語で二版(カリフォルニア州フラートンとニューヨークのニューロシェル)です。また、マドリッドの雑誌 ¿ Que Pasa? とチリ、サンチアゴの Fiduciaにも掲載されました。合計すると九万部に達します。— 編集者

2 現在その正式の名は Association Franç aise pour la Dé fense de la Tradition, de la Famille et de la Proprié té

3 六つの大陸と二十二の国における伝統・家庭・私有財産権擁護諸協会に関する、豊かな資料を含むUm Homem, uma obra, uoma gesta Homenagem das TFP a Plinio Corrê a  de Oliveira (Sã o Paolo: Ediç ô es de Amanhä 、一九八九年)

4 もっと最近の形の社会主義に対する闘争については、一九八二年、合計三千三百万部の出版部数を誇る、西側の新聞雑誌に広く掲載されたプリニオ・コヘイア・デ・オリヴェイラ教授のWhat Does Self-Managing Socialism Mean for Communism: A Barrier? Or  a Bridgehead? は必読。この論文に対してノーベル経済学賞受賞者のフリードリッヒ・A・ハイエックが賞賛の手紙を送りました。また興味深いのはスペインの伝統・家庭・私有財産権擁護協会がそれぞれ一九八八年と一九九一年に出版した Españ a,   anestesiada sin percibirlo, amordazada sin saberlo, extraviada sin querelo: la obra del    PSOEAd perpetuam rei memoriamも重要。— 編集者

5 「革命と反革命」はオーストラリア、南アフリカ、フィリピンでも多くの読者を獲得しています。— 編集者

二章

第三革命の極点と危機

1 第三革命の最高調

すでに見たように、三つの大革命が、教会とキリスト教文明を漸進的に破壊する過程の主な段階を形成してきました。十六世紀のヒューマニズム、ルネッサンス、プロテスタンティズムが第一革命でした。十八世紀のフランス革命が第二革命です。今世紀の二十年代に起きた共産主義が第三革命に当たります

これら三つの革命は、それぞれ革命全体の一部をなすものとしてのみ理解できます。

革命は過程であるので、第三革命は一九一七年から現在に至るまでその走るべき道のりを突っ走ってきていることは明らかです。現在時点でそれは最高調に達していると見なすことができます。

共産主義政権に属する領土と人口を考察するとき、歴史的にも前例を見ないほど、第三革命は世界規模の帝国の上に権勢を誇っています。この帝国は強力な非共産主義諸国の間に不安定と分裂の原因であり続けます。それだけではありません。第三革命の指導者たちは、非共産主義世界の公然たる共産党だけでなく、隠れ共産主義者、準共産主義者、非共産主義政党、社会党、その他の政党に留まらず、教会、職業団体とか文化団体、銀行、新聞、テレビ、ラジオ、映画産業、等々の中にさえ潜入している都合のいい愚か者たちの巨大なネットワークを動かすひもをコントロールしているのです。そしてこれだけでも不十分であると言わんばかりに、第三革命は、後ほど詳述することになりますが、恐ろしいほど効果的に心理的征服という戦術を適用します。このような戦術でもって、共産主義は非共産主義の西欧世論の大部分を馬鹿馬鹿しい無気力に追いやることに成功しています。この分野に限って言えば、第三革命はこのような戦術でさらに輝かしい成功を納めることができます。第三革命の外側にあって情勢を分析する観察者にとって、こういうことは悩みの種です。

解説

第三革命内の危機

マルクス主義理想郷にとって不可避の果実

第三革命の極点の国際的次元は、本文が指摘しているように、既知の事実でした。時の経過と共に、共産主義による地政学的、人口学的拡張、共産主義の世界的プロパガンダ攻勢、西欧社会における共産党の占める重みのせいか、各国文化に見られるようになった共産主義的傾向のせいかは明らかでないにしても、この極点の全体像はさらに明白になりました。

ソ連の攻撃的姿勢は、世界の大陸に向けて核兵器の恐怖戦術さえ使用するものでした。それによって高められたこれらの要因は、世界的に見てモスクワに対する弱腰と降伏ではないかと見まがう各国の政策に反映されています。近い将来に共産主義の勝利が不可避であるとこれほど多くの富裕階級の人々に考えさせるようになったドイツとヴァティカンの東方政策、無条件の平和一辺主義、政治スローガンと政治信条などがその例です。

私たちは皆、この左翼の楽観主義による心理的圧力の下に生きてこなかったでしょうか? それはまるで無気力な穏健派にとってはスフィンクスのように謎めいたものでありましたが、各国の伝統・家庭・私有財産権擁護協会とか「革命と反革命」の支持者たちにとっては、悪の象徴であるレビアタンのように不吉なものでありました。著者はそれが行き着く先である「黙示録」つまり終局を識別していたつもりです。

しかし、それがマルクス主義者の理想郷の不可避的果実であるとして、このレビアタンが克服できない、迫りつつあった危機によって苦しめられていたことに気づいていた人が何と少なかったことでしょう。

この危機はレビアタンを崩壊させたように見えます。しかし、後に見るように、この崩壊は世界中にもっと危険な危機的環境を広げています。

明白で大規模な協力ではないにしても、これほど多くの「民主的」国家の政府と、すでにこれほど強力になっている共産主義に対する、狡猾な西側私企業に見られるこの無気力は世界的規模の恐るべきパノラマと言えましょう。

このような条件の下で、革命過程がそれ以前のペースで歩み続けるなら、第三革命の全面的勝利が終局的には世界中を覆い尽くしてしまうことは避けられません。ではそのためにはどのぐらい期間がかかるのでしょうか? ただ一つの仮定として著者が二十年と言えば、多くの読者は驚くはずです。彼らにとって二十年はいかにも短過ぎるのです。しかし現実には、これが十年、五年もしくはもっと近い将来に起きないとだれが保証できるでしょうか?

この全面的破局の近さ、実にその最終的緊迫は、一九五九年と一九七九年の地平線を比較すれば、疑いの余地なく、世界的危機の大変化を示す徴候の一つです。

A 最高調にいたる道で第三革命はひたすら全面的かつ無用な冒険を避けた

第三革命の指導者たちは自分たちが好むときに一連の戦争、政治的打撃、経済危機、流血革命によって世界の完全征服を試みる能力があるにもかかわらず、その冒険には明らかにかなりの危険が伴います。第三革命の指導者たちは、自分たちにとってこの危険が不可避であると判断したときにのみ、危険を冒すのです。

実に、もし古典的方法が継続的に使用されて、注意深く避け、計算されなかった危険に革命過程を晒すことなしに、共産主義がその力の頂点に達することがで 

きるとすれば、世界革命を指導する者たちが、どのような冒険にも付き物の修復不可能な破局の危険に自分たちの事業を晒すことなく、世界征服を達成しようとするでしょう。

B この革命の次の段階での冒険とは?

第三革命の通常のやり方の成功は、過去二十年に渡って非常に強調されるようになった不都合な心理的環境の到来によって危うくなっています。

このような情況は共産主義に、今後、冒険を強いるのでしょうか?

解説

ペレストロイカとグラスノスチは第三革命の中止か?  それとも共産主義の変容か?

一九八九年末において、国際共産主義の最高指導者グループは共産主義最大の政治操作を始める瞬間が到来したと判断しました。

この操作は鉄のカーテンとベルリンの壁を打ち砕くことにありました。その諸結果は、一九八五年のグラスノスチと一九八六年のペレストロイカによる「自由化」と時を同じくするのです。そうすればソ連世界で第三革命の見せかけの解体を促進することになります。

この解体の代償が何かと言えば、それはその推進者であり執行者であったミハイル・ゴルバチョフが、西欧世界諸政府と私企業から著しい同情と無制限の信頼を勝ち得ることでした。

このようにして、クレムリンはその空の金庫を満たすために巨額の経済援助の流入を期待できようというものです。

この期待が十分に満たされたことで、ゴルバチョフとその仲間たちは、かじを握ったまま悲惨、怠惰、無気力の海の上に浮かび続けることが可能になりました。このようにして、つい最近まで完全な国家資本主義の奴隷であったロシア人民は、はた目にも気になる受け身の姿で悲惨、怠惰、無気力に直面し続けるのです。この受け身の姿は、道徳的無気力、混乱状態、そしておそらく内乱とか世界大戦に発展し得る国内争乱による危機の発生が頻発するためにも好都合なのです。

以上が、一九九一年八月、ゴルバチョフ・エリツィン、その他が主役を務めたあの話題性に富みながらも、難解な出来事が発生したころの状況でした。このようにしてソ連は解体されて緩やかな諸国連合に変貌し、後にそれさえも消えてしまいました。

キューバでは近い将来フィデル・カストロ政権の崩壊とか、東欧とマグレブから押し寄せる難民の群による西ヨーロッパ乗っ取りの可能性の話もあります。貧しいアルバニア人たちが何度かイタリアに密入国しようとしましたが、これなども新たな「蛮族襲来」の前触れなのかもしれません。

ヨーロッパの他地区と同じく、イベリア半島ではこのような過程を、それまでヨーロッパ各所で簡単に入国を許可された無数の回教徒の存在とか、またさらに多くの回教徒がヨーロッパに来やすくなるために架けられる、ジブラルタル海峡大橋と結びつけて考える人たちもいます。

ベルリンの壁の崩壊と、この海峡大橋建設の効果には驚くほど類似性があります。両者ともヨーロッパ大陸の門を、カール大帝が勝利の中に退けた東からの野蛮人もしくは半野蛮人の大群と、ヨーロッパ以南の地域から来る回教徒の大群に開くことになるからです。

これは、あたかも中世期前の状況が再現されることになる、とでも言いたくなります。

しかし、そこには何かが欠けています。同時並行するこれらの侵入をはね返すあの若さ溢れる信仰に基づく力が、カトリック教徒の間に見られなくなっています。特に言えるのは、カール大帝のような人物がどこにも見あたらないということでしょう。

著者のこの全体像が、諸種の知的サークルの専門家とか客観的メディアによって予見されているすべての結末を取り込んでいないとしても、西側世界におけるこれらの過程の発展を想像してみれば、発生する諸結果の大きさと劇的効果には驚くほかないでしょう。

例えば、消費国と貧しい国々、つまり、豊かな工業国家と原材料を生産するだけの貧しい国々の間には対立点が増えています。

この対立は二つのイデオロギーが世界規模で衝突することを予想させます。前者は無制限に富裕になることを求め、後者は無制限の消費拡大に反撥する困窮者の立場をとるでしょう。

この最終的衝突は不可避的に、マルクスが言うところの階級闘争を想起させます。

故に、著者は問います。この闘争はマルクスが第一義的には諸国で起こる社会経済的現象として予言した世界規模での闘争、それぞれの特徴に応じてすべての国を巻き込む闘争になるのでしょうか?

もしそうなれば、第一世界と第三世界の間の闘争は、それによって破局的社会経済的失敗に懲りて変貌したマルキシズムが、新たな成功の可能性に賭けて、医師ではないにしても少なくともペレストロイカの吟遊詩人であり、奇術師であるゴルバチョフがそれまでにどうしても達成できなかった、最後の勝利を目指すための闘争となるのでしょうか?

そうです。疑いもなく、著者自身がそのおひろめのために書いた書物「ペレストロイカ・わが祖国と世界のための新思考法」は、洗練された共産主義であるペレストロイカについて以下を主張します。

「この改革のねらいは…命令に頼る極端に中央集権主義的統制体系から、民主主義的中央集権主義と自己統制の組み合わせに基づく民主的体系への移行を確保することです」。

そして、もしそれが「ソ連の至高目的」でなければ、この自己統制は一体何であると言うのでしょうか? それは以前のソ連憲法の前文にちゃんと書かれてあります。

2 第三革命が古典的方法を使用するときに遭遇する思いもかけない障壁

A 説得力の減退

共産主義に冒険の道を選択させるかもしれない情況はどのようなものでしょうか?

まず、それは共産主義者が改宗者を獲得するに当たって説得力を失ったときです。

国際共産主義の主な党員獲得法が、明確かつ無条件の思想教育であった時期もありました。

余りにも多過ぎて列挙が困難である理由のために、西側世界のほぼ全体と世論の大部分で、このような教化活動は困難になっています。共産主義の弁証法とその公開の教義プロパガンダは目に見えて説得力を失っています。

そのために、現代共産主義の宣伝はますます仮面の下で穏健な、漸進的方法で行われます。

その仮装はマルクス主義原則を社会主義的文書に薄く、かつヴェールを懸けることによって、また体制側自体の文化の中に、後で実を結ぶ種子のように一定の原則を埋め込んでおき、中道の人たちに共産主義の教義全体を思いがけず、また徐々に受け入れさせることによって達成されます。

B 指導力の減退

間接的、かつ緩慢で苦労の多い方法が示すように、大衆に対する共産主義信条の直接的説得力の減退は、共産主義の指導力が相関的に減退したことに伴います。

どのようにこれらの相関的現象が観察されるようになったか、またその結果がどのようなものであるかを調べてみましょう。

— 憎悪、階級闘争、革命

本質的に、共産主義運動は階級間にある憎悪から生まれた革命であり、広くそう見なされてもいます。暴力がそれに付随するもっとも一貫した方法です。これこそ共産主義の指導者たちが最小のリスクを伴い、可能な限り最短時間で最大効果を期待できた直接的かつ威嚇的方法でした。

この方法は共産党に指導力があることを前提とします。過去において、この能力は人々の間に不満を生ぜしめ、それを憎悪に変貌させ、この憎悪を巨大な陰謀に具体化させ、この憎悪の衝動から来る「原子爆弾のような」力で現体制を破壊し、各地に共産主義を植え付けることに成功しました。

— 憎悪と暴力使用の指導の減少

しかし、憎悪に方向性を持たせる能力も、共産主義者たちの手から失われつつあります。

この事実の複雑な原因を説明するには紙面が足りません。過去二十年を見ると、共産主義者たちにとって、暴力がもたらす利点がますます少なくなったことを指摘するだけに留めておきます。この点を証明するために、ラテン・アメリカに広がったゲリラ戦とテロリズムが必ず失敗に終わったことを思い起こすだけで十分です。

アフリカのほぼ全土が、暴力によって共産化を強制されたことも事実ではあります。しかし、この傾向は世界の他の地域で同じであったことを意味しません。アフリカのほぼ全土に見られる原始状態は彼らの状態を特別で、決定的なものにします。かの地で暴力が増加したのはイデオロギー的動機ではなく、それがむしろ反植民地主義に根ざす憎悪に基づいていたからでした。それを共産主義のプロパガンダはその常とするずるさでもって利用しただけです。

— この衰退の実りと証拠・第三革命は微笑の革命に変貌

過去二十年もしくは三十年にわたって、第三革命が革命的憎悪を作り出し、それを指導する能力を失いつつある証拠は、共産主義が自らに課した変貌にほかなりません。

スターリン後の西側に対する雪解けの間、第三革命は微笑というマスクを付け、論争を対話に換え、その考え方と態度を変え、暴力で滅ぼそうとしていた敵とすべてにおいて協力を歓迎するふりをしていました。

このように、国際分野でも革命は成功裏に冷戦から平和共存へ、その後「イデオロギー的障壁を捨てて」資本主義諸国と「東方政策」とか「緊張緩和」などと呼ばれる宣伝文句を駆使して、協力関係へと移行しました。

西側諸国の国内分野では、スターリン時代には少数のカトリック左派を欺くためのトリックであった手を差し伸べる外交は、共産主義者と資本主義賛同者間の本物の緊張緩和になりました。それは正に共産主義者にとって、宗教的であろうと世俗的であろうと、自分たちの敵に対して暖かい関係と欺瞞的接近を始めるには理想的方法でした。

そこから、一連の「友好的」戦術が生まれました。例えば、同伴者、モスクワに対しては友好的ではあっても用心深い法律的「ユーロ・コミュニズム」とか「歴史的妥協」等がそれに当たります。

既述したとおり、これらの戦術は今日の第三革命に利点をもたらします。しかし、それらが実を結ぶのは緩慢、漸進的であり、かつ無数の変数に影響を受けます。

その力の絶頂点にあって、第三革命は脅迫したり、攻撃したりする代わりに、微笑し始め、お願いし始めました。それはゆっくり、かつ慎重に進むために、軍靴を踏み鳴らす軍隊的歩調を止めました。最短距離を行く直線的行動を止めて、不確かそうに見えるジグザグの道を進むようになりました。

二十年の間に何という変貌を遂げたものでしょう! 

C 反論 — イタリアとフランスにおける共産主義者の成功

しかし、イタリアとフランスでそのような戦術が成功しても、自由世界で共産主義が後退しつつあるるとか、微笑する現代共産主義がレーニンとかスターリン時代のいかめしい共産主義と比較してもっと緩慢に発展していることにはならないと言って、反対する人がいるでしょう。

まず彼らに対する答えとしてスウェーデン、西ドイツ、フィンランドの総選挙、大英帝国の労働党政府に見られる不安定は、社会主義の「楽園」とか、共産主義の暴力、等々に対する国民の嫌悪感を示していると言わなければなりません。これら諸国の例が、すでに西ヨーロッパにある二大カトリック・ラテン諸国で反響を及ぼして、共産主義の進出を阻止しつつある顕著な印がいろいろ見られるのです。

しかし、著者の意見では、特にイタリア共産党もしくはフランス社会党が獲得しつつある票数の増加が、どの程度本物の共産党支持票であるかは疑問です。(フランス社会党をここに挙げたのはフランス共産党の凋落ぶりのためです。)両者とも自分たちの票田だけでこれほど票数を伸ばしたとは言い難いのです。確かに、かなりのカトリック票がイタリア共産党に関しては全く例外的虚像、弱さ、無気力、複雑さの原因となりました。その本当の意義はいつか歴史が明白にすることでしょう。これらショッキングで人為的情況の選挙予想は、その多くが共産党員以外で共産党に投票する人たちの増加を大体説明できます。さらに忘れてならないのは、投票時に財閥の直接もしくは間接的影響があったということです。共産主義に対する彼らのあっけらかんとした協力は、第三革命が明らかな利益を被る選挙操作を可能にします。類似の観察はフランス社会党に関してもなされ得ます。

3 変貌した憎悪と暴力は全面的革命心理戦を生み出す

共産主義パノラマの大変化の範囲をもっと明白に把握するために、共産主義の大きな今日的希望つまり革命心理戦を分析する必要があります。

既述したとおり、憎悪から生まれ、それ自身の内的論理からして戦争、革命、暗殺などの手段で行使される暴力使用に走っていた国際共産主義は、大きく、深い世論の変化のためにその悪意を隠し、これらの手段を断念する振りをせざるを得ませんでした。

さて、もしこのような断念が真摯なものであれば、国際共産主義は自分を破滅に追い込むほどに自分自身を否定したことになるはずです。

しかし、それはとんでもない誤解です。共産主義は征服と戦争の武器として微笑を利用しているだけです。それは暴力を排除するのでなく、それを物理的で目に見える分野から、目に見えない心理的作用に切り替えているに過ぎません。周辺事情のために劇的かつ可視的手段を含む古典的方法で獲得できなかった魂の深部における勝利を、漸進的かつ不可視的に手中にするのが彼らの目的です。

もちろん、これは霊的領域で時折、いくつかの作戦を実施するというようなものではありません。その反対にそれは正に征服のための戦いです。世界中のすべての人間を目標にする心理的ではあっても全面的勝利こそ彼らのねらいです。

著者は全面的革命心理戦が存在すると主張します。

実に、心理戦は人間の全精神を標的にします。つまりそれは魂の種々の能力とその考え方の隅々にまで働きかけます。

その目標は全人類です。第三革命の同志またはシンパ、中立派、反対派、すべての人が標的です。

そして革命は使用する手段は選びません。その各段階で、どれほど少しずつでも、また目に見えなくても、ある社会集団または個人を共産主義に近づけるために必要かつ入手可能な方法があればそれを手に入れなければなりません。宗教、政治、社会、経済的確信、文化的態度、芸術的好み、家庭、職場、社会での行動様式など、どのような領域にあってもこれは真実です。

解説

革命心理戦・文化革命と傾向の革命

一九六八年五月のソルボンヌ大学生の反乱では、多くの社会主義者とマルキシストの著者が、日常生活、習慣、考え方、あり方、感じ方、生活の仕方に影響を与えることで、政治経済的変化の道を整えるために一定の革命の必要性を認めるようになりました。革命心理戦のこのあり方は文化革命として知られます。

これらの著者によれば、この圧倒的に心理的かつ偏向的革命だけが人類平等主義的理想郷を実現させる点まで、公衆の考え方を変革させることができます。この心理的変化無しに機構的変化は永続しません。

この文化革命の概念は、一九五九年版の「革命と反革命」が「傾向の革命」と呼んだものを包含します。

A  革命心理戦争の二大目的

第三革命が現在直面するイデオロギーに基づく同志獲得の困難性をかんがみて、そのもっとも有益な活動は同志とシンパにでなく、中立派と敵対派に向けられています。

a  中立派をだまして漸進的に眠らせてしまいます。

b  その敵対派を折ある毎に分裂、解体、孤立させ、脅迫し、評判を落とさせ、邪魔することです。

著者の考えによれば、これらは革命心理戦の二大目的です。

このように、第三革命は党員増加がなくても、敵対派を破滅に追い込むことで勝利が可能になります。

明らかに、このような戦争を続けるために、共産主義は第三革命攻勢で獲得した頂点の結果として西側諸国に所有するようになった全活動手段を動員します。

B  全面的革命心理戦争・第三革命の頂点の結果と現代における諸問題

全面的革命心理戦は、それ故に、既述した二つの相矛盾する要因の組み合わせに起因します。それらは、一方では西側社会そのものであるすばらしい仕組みのほとんどすべての要所に対して共産主義が保持するもっとも徹底した影響力であり、他方では西側世論の深層を説得誘導する能力の衰退です。

4 教会内に見られる第三革命の心理的攻勢

西側の魂そのものとでも言うべきキリスト教、さらに詳しく言えばキリスト教の充満であり、ただ一つ正統であるカトリックの宗教の魂そのものの中での発展を注意深く調べることなく、この心理戦の全貌を明らかにすることはできません。

A 第二ヴァティカン公会議

「革命と反革命」の展望内では、微笑するポスト・スターリン共産党が獲得した最大の成功は、不思議なことに、また信じられない思いですが、第二ヴァティカン公会議が共産主義に関して黙示録的・悲劇的沈黙を保ったことでした。

この公会議が教義的でなく司牧的なものであったことはよく知られています。確かにこの公会議に教義的視野はありませんでした。しかし、共産主義に関する省略はこの会議を永久に非司牧的公会議として記憶させるものになるのかもしれません。

どのような意味で著者がこう主張するのかを以下に説明しましょう。

荒れ果てた、不毛の土地で、四方八方からはちとかあぶとか猛禽類とかに襲われている羊の群を想像してみてください。羊飼いは畑に溝を掘って灌漑作業をしながら、片手間ではちやあぶの群とはげたかを追い払おうとします。この活動を司牧的と呼べるでしょうか? 理論的にはそうかもしれません。

しかし、同時に腹をすかせた狼、しかもその中のかなりの数は羊の皮をかぶって、羊の群に襲いかかっていたとします。ところで羊飼いたちは狼の化けの皮をはぐとか、追っ払うとかせずに、はちとかあぶとかはげたか退治に一生懸命です。さて、彼らの仕事は良い、忠実な羊飼いの名にふさわしいものでしょうか?

つまり、弱い敵は追い払いたかったけど、もっと強い敵には自由勝手に振る舞わせた第二ヴァティカン公会議の教父たちは、よい牧者だったのでしょうか?

理論的はまあ我慢できたとしても、実践的には破滅的な「アジョルナメント」戦術で、第二ヴァティカン公会議ははち・あぶ、はげたかを追っ払おうとはしました。しかし、共産主義に関する沈黙のおかげで、狼どもは全く自由に振る舞うことができました。この公会議の成し遂げたことは歴史の書にも生命の書にも、効果的に司牧的であったと書き込まれることはありません。

こんなことを言うのはつらいのです。しかし、この意味で、その証拠から判断すると、第二ヴァティカン公会議は、最悪ではなかったとしても、最悪の公会議の一つとして数えられます。公会議以来、驚くほど大量の「悪魔の煙」が教会の中に忍び込みました。そしてこの煙は日毎に濃くなっています。数え切れないほど多くの魂をつまずかせながら、キリストの神秘体はあたかも自己破壊の不吉な過程に突入したのです。

解説

教会の公会議後の段階における驚くべき災難

一九七二年六月二十九日、教皇パウロ六世の教話" Resistite fortes in fide" (信仰に強く留まれ)における歴史的宣言は、教会の公会議後の段階における驚くべき災難を理解するには欠かせません。以下に引用するのは" Poliglotta Vaticana" です。

今日の教会の状態に言及して、教皇は自分には「どこかにある割れ目から悪魔の煙が教会の中に入り込んでいる」感じがすると言われました。確かに、疑い、不確かさ、複雑さ、落ち着きのなさ、不満、対立が見られます。人々はもはや教会に信頼しません。彼らが信頼して、追っかけ回し、真の生命のためのおまじないをせがむのは、新聞とか社会運動でまず目にするこの世的予言者です。私たちはすでにその答えを持っているのに、それに気が付かないのです。光に向かって開いているはずの窓から疑いが忍び込んでいます…。このような不確かさが教会の中でも幅を利かせています。公会議を終えた教会の歴史は太陽に照らされるはずでした。しかし、その代わりに、曇った、嵐が荒れ狂う、暗い、懐疑心に満ちた、不確かな日々になりました。私たちは教会一致を説くのですが、私たち自身はどうかと言えば、互いにますます離れつつあるのが真実です。私たちは深淵を埋めるどころか、それを掘ってもっと深くしようとしています。

どうしてこんなことになったのでしょうか? 教皇は自分の意見を漏らされました。反対する力が介入している、聖ペトロがその書簡の中で匂わせているあの神秘的存在が…。

一九六八年十二月七日、同教皇は教皇庁立ロンバルド神学校で神学生たちに以下のように語られました。

教会は不穏な、自己批判の時に入っています。自己破壊の時とさえ言って良いのかもしれません。それはまるで思いもかけず勃発した複雑な内乱のようなものです。公会議が終わったときにはだれもこんなことを予想していませんでした。公会議の成熟した概念が花開くように、教会は落ち着いて発展するものだとだれもが思っていました。教会には、今でもこのように花開くような側面があるにはあります。しかし " bonum ex integra causa, malum ex quocumque defectu" 悲しい側面だけがもっとも顕著になっています。教会は自分の内部にいる人たちからも傷つけられています。

教皇ヨハネ・パウロ二世も教会の情勢に関しては暗い見方をなさっています。

私たちは現実的に、悲しみをもって、現代キリスト者の過半数が迷い、混乱して、困惑して、幻滅さえも感じていることを認めなければなりません。啓示されて、変わることのない真理に反する観念が幅を利かせています。教義神学上、倫理神学上の明白な異端でさえも広まっています。典礼でさえも勝手に変えられています。知的、道徳的「相対主義」に浸りきって、それが理由で何でも黙認されたキリスト信者たちは無神論、不可知論、何となく道徳めいた啓蒙主義、明確な神学も客観的倫理もない社会学的キリスト教に誘惑されています。10

同じく、教理省のラッツィンガー枢機卿も後に以下を述べておられます。

公会議後の結果は、残酷にも、ヨハネ二十三世、パウロ六世を初めとするすべての人たちの期待とは反対であるように見えます…。教皇たちと公会議教父たちは新しいカトリックの一致を期待していました。しかし、その代わりに、教皇パウロ六世の言葉を借りると、自己批判から自己破壊に進んだように見える不一致に遭遇しました。新しい熱意が期待されていました。しかし、その代わりに、余りにもしばしば、退屈と失意があるのみでした。新しい跳躍が期待されたものですが、その代わりに目にするのは進行する退廃です…。疑うべくもなく否定的結果に導いた間違いの道を思い切りよく引き返すことが、教会の真の改革の前提であることを、私たちは明白に宣言しなければばなりません。11

歴史の示す所によると、教会が存在し始めて以来二十世紀の間に、教会は数多くのドラマに悩まされてきました。教会の外に生まれた反対勢力はその外から教会を抹殺しようとしました。教会の内側に生じた悪性腫瘍は破門された後、今度は外から凶暴に教会を滅ぼそうとしました。

しかし、現今のような教会の破壊を歴史はかつて見たことがあるでしょうか? それは敵による破壊ではなく、世界的にも反響を呼んだ最高レベルからの宣言によると「自己破壊」と呼ばれました。12

ここから、教会とキリスト教文明に未だに残されていた財産の総崩れが始まりました。例えば、ヴァチカンの東方政策、共産主義のカトリック世界への潜入などは、この大災難の結果にほかなりません。これらは教会に反して第三革命が挑んでいる心理戦のさらなる成功なのです。

 

解説

ヴァチカンの東方政策

東方政策に関する本文を読んだ読者はロシア内に起きたあの大変革は教会上層による巧みな操作によるものではないかと思いたくなるかもしれません。

最上質の情報に基づいて判断したヴァチカンは、内的危機によって腐敗しきった共産主義が自己破壊を始めるであろうことを予見していたのでしょう。そして物質主義の世界総本部の自己破壊を促すために、観念的スペクトルの反対側に位置するカトリック教会が自分も危機に瀕しているという偽りの信号を送り、おそらくそれが共産主義による教会迫害の手を顕著に緩めさせることになった、と言う人もいます。両方とも死にかかっているのならこのような考えも分からないではありません。つまり、私たちは教会の柔軟性に共産世界の柔軟性の条件を帰することができます。

このような考え方に対して、もしヴァチカンの指導者たちが窮乏と荒廃が共産主義を自己破壊に追い込むことを知っていたら、彼らはその悲惨な状態を世に訴えて、共産主義が実際に崩壊したその時点で、ロシアと世界を再び立ち上がらせるために道を準備するよう西側の人々に呼びかけたはずではありませんか?

彼らは黙って、そのような現象がカトリックの影響と富裕な西側が救援の協力をすることなく見過ごしてはいけないはずでした。この警告的宣言だけがソ連が現在のような悲惨と混乱の袋小路に入り込むことを防止できたからです。

ともかく、教会の自己破壊が共産主義の自己破壊を早めたというのは、両者の間に秘密協定でもなかった限り、本当ではありません。

しかし、このような協定、自殺的協定はカトリックの世界にとって非合法かつ有害であったでしょう。このいわば二重の安楽死が起きた期間に教皇であられた方々に、このような仮定が礼に欠けるのは当然のことです。

B 教会 — 革命と反革命勢力の間に繰り広げられる戦いの中心

著者が「革命と反革命」を書いた一九五九年、教会は共産主義による世界制覇に抵抗できる一大霊的勢力であると思われていました。

一九七六年、司教たちを含む数知れぬ程の高位聖職者たちが、怠りの罪によって、第三革命の協力者、またその牽引力として登場します。ほとんどの場所に巣くう進歩主義はかつて緑の森であったカトリック教会を、共産主義の火が燃え付きやすい薪に変えてしまいました。

一言で言えば、この変化の程度は、革命と反革命の戦いの決定点が、世俗から霊的社会に移ったと言っても言い過ぎでないほどです。

聖なる教会が今この中心です。その中で、進歩主義者、隠れ共産主義者、親共産主義者たちが反進歩主義者と反共主義者たちと対立しています。13

C 「革命と反革命」に基づく反動

「革命と反革命」の効果は、これら数多い変化によって無になってしまったのでしょうか? いいえ。

一九六八年、当時南米にあった伝統・家庭・私有財産権擁護協会は、特に本書第二部に霊感を受けて、南米のカトリック聖職者と信徒の間への左翼の潜入に関して、教皇パウロ六世に宛てた署名運動を展開しました。

五十八日という短期間に、二十万六千三百六十八人の賛同者が署名に応じてくれたのです。

著者の知る限り、それは、どのような分野であったとしても、南米に位置する四つの国の住人による大衆署名運動ででした。また、知る限りにおいて、それはこれら四ヶ国の歴史で最大の署名運動でした。14

教皇パウロ六世の答えは、無視とか無反応でなく、言うのも辛いことですが、今日カトリック左翼の数多くの推進者たちが尊敬され、自由に動くことを容易にするようなものでした。

聖なる教会内に共産主義が大手を振って入り込むのを見て、伝統・家庭・私有財産権擁護協会と類似の諸団体は勇気を失いませんでした。一九七四年、彼らはヴァチカンの東方政策には反対であり「堂々と反対する」旨の宣言を発表したものです。16

教皇パウロ六世に宛てた宣言の一部はこの文書の精神を示しています。

教皇パウロ六世聖下、ひざまずいて聖下を尊敬の眼差しで見上げながら、私たちは聖下に忠誠を誓うものであります。牧者の中の牧者であられる聖下にその子供として以下を申し上げます。「私たちの魂はあなたに属しています。お望みのまま私たちにお命じ下さい。ただ一つひれ伏してこいねがうのは、共産党の狼が攻撃して来るというのに腕をこまぬいて何もしないよう私たちにお命じにならないことです。私たちは良心にかけてこの命令にだけは従うことができません」。

このような努力だけに留まらず、伝統・家庭・私有財産権擁護協会と類似の諸団体は、一九七六年、それぞれの国でチリ伝統・家庭・私有財産権擁護協会のベストセラーとなった「チリにおける沈黙の教会 伝統・家庭・私有財産権擁護協会は真理の全体を宣言する」を出版すること九版に及びました。17

ほとんどすべての国で、それぞれの版はチリで起こっていたことに類似する数多くの印象的出来事を序文に記載しました。

人口が多い南米諸国でこの種の本の印刷部数が、成功したときでも普通五千部であることを考えると、この出版事業に対する大衆の反応は勝利であったと言えましょう。南米だけで五万六千部印刷されました。

スペインでは、全国に散らばる千人以上の教区司祭や修道司祭が、ソシエダ・クルトゥラル・コバドンガ発行のスペイン語版を飾る勇敢な序文支持の署名をしています。18

D TFPと「革命と反革命」に霊感を受けたその他類似団体の行動は有益

この戦いの場で「革命と反革命」に霊感を受けた伝統・家庭・私有財産権擁護協会の反革命活動の実際的効果はどういうものであったのでしょうか?

カトリック世論に潜入する共産主義の危険について警告することによって、伝統・家庭・私有財産権擁護協会は不忠実な牧者たちの目を開かせることができました。その結果、彼らは自分自身が迷い出ていたあの滅びの道に、もはや羊をつれて行くことが少なくなりました。これは事情を概観するだけでもすぐに観察できる事実です。

これは勝利そのものではありませんが、勝利のためには貴重で欠かせない条件ではあります。伝統・家庭・私有財産権擁護協会は「革命と反革命」第二部の精神と方法に沿って、行動の視野と能力において、その他の健康なグループがこの大闘争に関わっていることを、聖母に感謝します。

5 「革命と反革命」の範疇に従って第三革命の二十年を評価する

第三革命と反革命の状態を、本書発行二十周年記念を目前にして以下に概略します。

一方で、第三革命の隆盛は反革命の近い成功をかつてなく困難にします。

しかし他方で、共産主義の勝利にとって現在大きな障害になる同じ反社会主義アレルギーは、反革命にとって確実に有利な中期的条件を醸し出しています。世界各国にある反革命グループはこのような条件を生かす歴史的責任があります。

この二十年間に伝統・家庭・私有財産権擁護協会は全米に広まり、フランスにも設立され、またスペインにも類似団体が発足しました。旧世界の他の国々にも私たちは知られてきており、人的にも繋がりがあります。彼らと共に、私たちはこの共通の戦いに自らの役割を果たすよう努力しています。19

「革命と反革命」出版の二十年後、伝統・家庭・私有財産権擁護協会と類似諸団体は反革命闘争で優秀な諸団体と共闘しています。

1 導入と第一部三、五章A〜Dを見よ。

2 著者はここで共産主義が諸教会に潜入する事態について語っています。この潜入が世界にとって、特に聖なる、使徒伝来のローマ・カトリック教会への潜入は極めて危険であることを念頭に置かねばなりません。その理由はカトリック教会が単に教会属の中のカトリックという種ではないからです。カトリック教会は生ける真の神に属する生ける真の教会であり、私たちの主イエス・キリストの唯一の神秘的花嫁だからです。カトリック教会はほかの教会と比較してもっと偉大で、もっと輝いている教会ではありません。カトリック教会はガラス製の類似品の中にあって光り輝く唯一の本物のダイアモンドなのです。

3 一九九〇年二月、著者は " Communism and Anticommunism on the Threshold of the Millennium's Last Decade" という声明を発表しました。それはペレストロイカに関して東西共産党指導者たちへの質問状をまとめたもので、八ヶ国で二十一の新聞に掲載され、特にイタリアでは話題になりました。— 編集者

4 ミハイル・ゴルバチョフ、Perestroika: New Thinking for Our Country and the World (ニューヨーク、ハーパー& ロー、一九八七年)、三十四ページ。

5 西ヨーロッパにおける反社会主義者の急増は、基本的には右派でなく中道の再強化です。これは革命と反革命の間にある闘争にとって間違いなく重要になってきます。ヨーロッパ社会主義が党員を失いつつあると気付くほどに、指導者たちは共産主義からの距離とその恐怖を党員たちに誇示しなければなりません。それに反して、中道諸派は選挙民から自分たちが社会主義であると思われないように、誇張された反共産主義的立場を誇示するのです。中道諸派の中でも右寄りの人たちは戦闘的に反社会主義者であることを宣伝しなくてはならなくなるでしょう。

つまり、共産主義と共同行動をとることに賛成である左派と中道派は、ちょうど機関車が急にブレーキをかけたときの列車のようになるのです。機関車のすぐ後に連結されている車輌はショックで進行方向と反対の方向に力が働きます。そして、次に続く車輌に類似のショックを与え、この運動は最後の車輌に至るまで続きます。

現在見られる反社会主義アレルギーは、永続的に革命過程の力をそぐ程の深い現象が現れ始めたと見るべきでしょうか? それとも、それは現代の混乱の中に見られる不確かで一時的な痙攣のようなものでしょうか? 今までの経過を見ても、確かな答えを出すことはできません。

6 第一部五章。

7 パウロ六世の説教、一九七二年六月二十九日、参照。

8 Insegnamenti diPaolo VI、十巻、七百七から七百九ページ。

9 同書、六巻千百八十八ページ。

10 ヨハネ・パウロ六世、八十年代の人々への布教に関するイタリア第一回全国会議参加中の司祭、修道者にあてた教話。一九八一年二月六日。L'Osservatore Romano、一九八一年二月七日。

11 ヴィットリオ・メッソーリ、Vittorio Messori a colloquio con il cardinale Joseph    RatzingerRapporto sulla fede (ミラン、エディツィオーネ・パオリーネ、一九八五年)二十七〜二十八ページ。

12 ロンバルド神学校でのパウロ六世の教話、一九六八年十二月七日。

13 一九三〇年代以来、著者は後にブラジル伝統・家庭・私有財産権擁護協会を創立したグループと共に、教会内での大闘争に発展するまでに、時間と行動を可能な限り利用してきました。著者がこの闘争で最初に攻勢はEm Defesa da Aç ã o Cató lica (Sã o Paulo: Editora Ave Maria、一九四三年)の出版でした。そこで、著者はブラジルのカトリックアクションに潜む近代主義を非難しました。また、最近の関連論文はA Igreja ante a escalada da ameaç a communista apelo aos Bispos silenciosos (Sã o Paolo: Editora Vera Cruz、一九七六年)、三十七〜五十三ページ。

 四十年以上経過した今日、その闘争は最高潮に達し、それは計りがたいほどに大きく、激越になってきます。この闘争の中にあって、著者は伝統・家庭・私有財産権擁護協会や類似団体の同志が多数参集してくれていることを心強く思います。その広がりは六つの大陸、二十ヶ国以上に及びます。善のために戦場で共に戦う兵士たちが互いに " Quam bonum et quam jucundum habitare fratres in unum" (見よ、兄弟が和合して共におるのはいかに麗しく楽しいことであろう)(詩編百三十三・一)。

14 一九九〇年、伝統・家庭・私有財産権擁護協会はこの記録を歴史始まって以来最多の請願署名運動で破ってしまいました。当時、ソ連の占領下にあったリトアニアの解放を願って、五百二十一万二千五百八十人の署名を集めたものです。

15 " The Vatican Policy of Distention Towrd the Communist Governments - The Question for  the TFP: To Take No Stand? Or to Resist?" (共産政府に対するヴァチカンの緊張緩和政策 — 伝統・家庭・私有財産権擁護協会は中立であるべきか? 抵抗すべきか?)というタイトルの声明は一九七四年四月、十一ヶ国に散らばる五十七社の新聞に掲載されました。— 編集者

16 ガラテア人への手紙二・十一。

17 その膨大な典拠の明示とその論証方法、その主張するテーマからして巨人のようなこの著作には、共産党がチリに入り込む以前からの先駆けが存在していました。それはFrei: El  Kerensky Chileno で、著者は Fá bio Vidigal Xavier da Silveira です。この書物はチリのキリスト教民主党とその指導者で当時大統領であったエドゥアルド・フライが、マルキシストの勝利に備えて道を準備したことを非難しました。ブラジル、アルゼンチン、コロンビア、エクアドル、イタリア、ベネズエラで印刷されたこの著書は十万部以上売れました。

18 今日のスペイン伝統・家庭・私有財産権擁護協会はSociedad Españ ola de Defensa de la Tradició n, Familia y Propiedad - TFP Covadonga と呼ばれます。

19 現在、アルゼンチン、オーストラリア、ボリビア、ブラジル、カナダ、コロンビア、チリ、エクアドル、フランス、ドイツ、パラグアイ、ペルー、ポルトガル、南アフリカ、スペイン、合衆国、ウルグアイ、ベネズエラに伝統・家庭・私有財産権擁護協会と類似団体があります。ローマ、パリ、フランクフルト、ロンドン、エディンバラ、サン・ホセ・ダ・コスタリカ、シドニー、ニュージーランドのウェリントンに代表事務所があり、そのほかにフィリピンにも熱心な賛同者グループがあります。

三章

生まれつつある第四革命

ここに提示されたパノラマは、第三革命の中に見られる内的変化に触れないと不完全のそしりを免れないでしょう。それは第三革命から生まれる第四革命です。

それは正にあたかも自分の母親を殺すようにして生まれつつあります。第二革命が生まれたときも、それは第一革命に磨きをかけ、克服し、それに致死的打撃を与えました。類似の過程を経て、第二革命から第三革命が生じました。すべての徴候から見て、第三革命は現在その頂点にありながら致死的段階にあります。それは第四革命を生み出し、それに殺されてしまうのです。

第三革命と反革命の激突の中に、第四革命が大人に成長するだけの時間があるのでしょうか? 後者は革命史の中で新しい舞台の幕開けをするだけの力に育つのでしょうか? それとも、それは第三革命と反革命の激突にそれほどの影響を与えることなく現れ、そして消えてしまう失敗現象に終わるのでしょうか? この短く、簡単な文書で第四革命に裂かれるスペースの大小は、この質問への答えつまり未来のみが与えることのできる答え次第です。

不確かなことは、確かなことにある重要性があるかのように取り扱われるべきではありませんから、第四革命がどのようなものになるのであろうと予想されることについて、少しだけスペースを割愛することにしましょう。

1 第三革命の著者たちが予言する第四革命

よく知られていることですが、マルクスも正統非正統を問わず彼のもっとも悪名高い追随者たちも、革命過程の最終段階はプロレタリアートの独裁制度であると信じていました。彼らが考えるこの独裁制度は世界革命のもっとも洗練され、ダイナミックな側面です。そして、マルクスと追随者たちの思考に付きまとう進化論的神話によれば、世紀を経て進化が永遠に発展するように革命にも終わりはありません。第一革命からすでに二つの革命が生じています。その次は第三の革命が次の革命を生み、この過程は続くのです…。

マルクス主義の考え方による二十番目の革命とか、五十番目の革命がどのようなものになるかは、知りようもありません。しかし、第四の革命であれば、それがどのようなものであるかは予想が付きます。この予想はマルクス主義者自身によってすでになされています。

この革命は、必然的に新しい危機の結果としてプロレタリアートによる独裁制度の放棄になるでしょう。この危機に強制されて、肥満した国家はそれ自身の肥満による犠牲者になるのでしょう。そして、それ自身は滅びて、共産主義者が言うところによれば、人間はかつて無かったような自由、平等、兄弟愛を手に入れた上で、科学的で協力的状態が到来するでしょう。

2 第四革命と同族的忠誠心 — それは不可避だろうか?

どのようにしてそんなことになるのでしょうか? 今日の構造主義的潮流が考えるような同族的忠誠心の社会がこの質問に答えを提供するかどうかについて、著者は疑問に思わざるを得ません。構造主義は同族的生活の中に個人の自由と、それを飲み込む同意による集団主義の間に、錯覚に基づくシンテーゼがあると見なします。この集団主義に、いろいろな「私」またはそれぞれの知性、意志、感受性、その結果として個性と相互に衝突するあり方を備えた個人が同族主義的集団人格に溶け込み、消滅してしまいます。このような集団人格は激しく全員に共通する一つの思考、一つの意志、一つのあり方を生み出さないではいられないからです。

もちろん、この同族主義的様相への道は個人的思考、意志、感受性の古い標準の消滅を通過しなければなりません。これらはますます集団主義的になる思考と討議の形式、感受性によって漸次的に置き換えられることになります。ですから、変貌が起こらなければならないのは主にこの分野です。

ではどのようにして? 同族の中で、メンバー同志の結合は主に共通の習慣と共通の意志の源となる共通の考え方、感じ方によって確保されます。個人の理性はほとんど無に、つまり、この衰退させられた状態が可能にする初歩的でもっとも幼稚な動きに帰せられてしまいます。「野蛮な思考」つまり、考えない思考、そして具体的な物にしか向けられない思考が、同族主義的集団主義の融合が払わなければならない値です。そこに込められた「メッセージ」は混乱していても、超心理学の不思議な世界から沸き上がってくる幻想的希望、もしくは閃きが詰まったトーテム崇拝によって、この集団的心理生活を神秘主義的レベルで維持するのはまじない師の役目です。このような「冨」を獲得することによって、人は理性の衰退を補償することになるのでしょう。

かつて聖書の自由解釈、デカルト主義、その他の原因で衰退させられ、またフランス革命で神化され、共産主義の学派という学派から恥ずかしげもなく乱用された理性は今や超心理的トーテム主義によって衰退させられ、隷属させられることになるのです。

A 第四革命と超自然信仰

" Omnes dii gentium daemonia."  聖書によれば、異教徒が信じる神々は悪魔です。魔術が一種の知識として提示されるこの構造主義的視野に立って、カトリック信徒はどの程度までこの偽りの閃きを見分けることが可能なのでしょうか? この閃き、不吉でありながら魅惑的で、慰めに満ち、蠱惑的、無神論的でありながら詰まらぬ物を信じ込ませそうな歌声でもって、暗黒の王子は永遠に至るまで彼が潜む深淵の底から、イエス・キリストとその教会を否定する人たちを魅了します。

これは神学者たちが検討すべき問題です。ここで著者が言う神学者とは本物の神学者のことです。つまり、今に至るまで悪魔と地獄の存在を信じている少数の神学者、特にその中でも、マス・メディアによる嘲笑と迫害にめげず発言する勇気を持ち続ける極少数の神学者たちということです。

B 構造主義と前同族的忠誠心の傾向

構造主義運動を第四革命の多かれ少なかれ正確な、しかしどちらにしても簡略的な姿としてみる限りにおいて、私たちは過去十年か二十年の間に一定の現象が広がって、構造主義的運動が準備し、かつ推進していることに気付かねばなりません。

そこから、西側では服装の伝統が捨てられ、ますますヌードがかった格好をする人たちが増えています。明らかにそれは、行く着くところまで行き着けばば、ある種族が着用する羽でできた腰みのとか、気候の関係ではラップランドの人たちが着るような厚手の毛衣とかに向かって進むものと思われます。

礼儀作法の急速な消滅は最後には、他には言いようがないのでこう言いますが、同族主義的作法の絶対的簡素化に落ち着くのでしょう。

道理にかない、組織化され、系統的になっていることに示す嫌悪感の増大は最終的にその臨終の喘ぎの中に、原始生活時代もかくやと思われる永遠かつ気まぐれの放浪生活と、生きるために絶対必要ないくつかの活動をほとんど本能的、機械的に果たす動作を交互に繰り返すことに落ち着いてしまいます。

知的生活、特に抽象化、理論化、教義的思考に対する嫌悪は究極的には五感、想像力の栄養過多になり、その結果教皇パウロ六世が人類に警告することを義務と思われたあの「イメージの文化」に成り下がってしまいます。

もう一つの症状は、ある人たちによれば中国共産主義がその第一の標本であるとは言われるものの、未だに不明確なポスト工業時代の母胎となる文化革命に対するしばしば田園詩的な郷愁です。

C 控えめな貢献

常にだだっ広く、簡略化されたパノラマ的概観には反論が付き物であることを著者は認識しています。

本章の制約の下で必然的に簡略化されて、著者が示したあらましは、どの時代にあってもある人たちに、未来予測を可能ならしめる観察と分析の大胆かつユニークな技巧を備えた人々の念入りな考察への、控えめな貢献でしかありません。

D 凡人たちの反対

未来を予見する代わりに、ある人たちは単に、凡庸で臆病な魂がここ何世紀にわたってしていたのと同じことを繰り返します。彼らは微笑しながらこのような変化が不可能であると言い張ります。なぜかと言えば、このような変化は自分たちの知的習慣に相容れないからです。このような変化が自分たちの常識外の出来事だからです。凡人たちは、歴史とは普通自分たちの常識的判断に従って進むものであると思い込んでいます。ですから、このような展望を前にすると、彼らは信じられないといった風情で楽観的微笑を浮かべるのです。こういう人たちは、発生期の第一革命を詰まらぬ「修道者たちのけんか」としてしか理解できなかった教皇レオ十世を思い起こさせます。時としてハープシコードが奏でる銀の音色に耳を傾け、またお忍びとはいえ王妃の領土のような田園風の環境でぜいたく三昧に浸って「フェヌロンにすべてを任せていた」ルイ十六世も、宮殿の豪華な広間で第二革命の勃発を耳にしたときは慌てるどころか、微笑さえ浮かべていたものです。王の微笑はスターリン後の微笑の共産主義による操作、または第四革命の前兆であった諸争乱を目前にする教会の最高位を占める方々も含む高位聖職者たち、西側世俗社会の指導者たちの微笑と何ら変わるところがありません。

もしある日、霊的領域では教会一致の進歩主義に助けられて、第三もしくは第四革命が人類の世俗的生活を乗っ取るようなことがあれば、それは革命を目論む軍隊と彼らのプロパガンダのせいによるのでなく、微笑することしか知らなかったこれら楽観的常識の予言者たちによる不注意及び協力の結果です。

解説

常識の使徒たちによる反対

彼らは世にも珍しい予言者です。なぜかと言えば、彼らの予言は何も起こらないであろうということに終始するからです。

最終的に種々の形を取る彼らの楽観主義は、明らかに一九八六年以後の出来事と矛盾しています。ですから、彼らの支持者たちは同じ路線を取り続けるために、東ヨーロッパにおける最近のできごとが共産主義、故に共産主義が最近まで先頭に立っていた革命過程の決定的終焉の前触れであるとするとんでもない全く架空の希望にすがりついたのです。

E 教会内の同族的忠誠心とペンテコスタリズム

明らかに、第四革命が同族主義に取り込むことを望んでいるのは世俗社会だけではありません。彼らは霊的領域でも同じことをたくらんでいます。主イエス・キリストが制定し、二十世紀にわたる教会生活の歴史が形作った教会構造のあの気高く、芯のある硬骨さを軟骨性で、柔らかで、まとまりのない境界線無しの教区と小教区基本構造とか、構造主義的、同族主義的まじない師の同類に過ぎないペンテコスト派の「予言者たち」がますます幅を利かせる、宗教的グループ組織に変貌させようとする神学者とか教会法学者たちの考え方にそのやり方をすでに明瞭に見ることができます。そういう教会の中で、確固とした教会法的権威は衰え、その代わりに構造主義・同族主義のまじない師に相当するペンテコスト派の「予言者たち」が次第に幅を利かせるようになります。最終的にはこれらの予言者たちはまじない師と見分けがつかなくなってしまいます。同じことは構造主義の細胞・部族の様相を取る進歩的ペンテコスト派的小教区もしくは教区についても言えます。

解説

教会的権威者たちの「非君主化」

この歴史的・類推的視野において、この過程にはそれ自体無縁であるはずである一定の修正を、公会議前の静的状態と本書が示す反対の極端の間にある移行段階として見ることができます。

その一例として挙げられるのが連帯性への傾向です。それはまず、教会内で権力を行使するに当たって受容され得る唯一の手段であると見られています。次に、教会的権威の「非君主化」の現れです。その異なるレベルは、それが異なっていること自体で、自分のすぐ下のレベルによって条件付けられてしまっています。

教会がその役職の穴を埋めるために、時としてそういうことをしなかったというつもりはありません。しかし、最後の結論まで突き詰めると、教会内での国民投票ならぬ信徒投票が広く根付きそうです。同族主義提唱者たちによると、彼らの夢に沿う形で、位階制はどうしようもなく唯一の神の声としての信徒団への依存に変貌します。しかし、それは神の声どころか、同族主義的信徒団に自分の「神秘的啓示」を供給するペンテコスト派の指導者か占い師の声に過ぎないとしか著者には思えません。神ご自身の意志に従う教会の使命を果たすのは、教会がこのような信徒団の声に従うことによってでしょうか? 理性的に無数の事実が体系化されて、例えば第四革命の勃発に関する仮定のような種々の仮定を提唱するとき、反革命運動家にはまだ何ができるのでしょうか?

3 生まれかけている第四革命を前にする反革命勢力の義務

「革命と反革命」の読者にとって、まず、この第四革命の生成過程とそこから派生する世界で、傾向に見られる革命が圧倒的役割を強調することは大事な義務になります。彼は、有益な人間秩序を基本的には覆すものであっても、現代猛威を振るうようになったこの傾向の優位について人々に警告を発するだけでなく、この傾向の革命に対して戦うために傾向を左右する分野においても、戦う心構えがなければなりません。反革命運動家はまた傾向の革命と革命心理戦の究極的な形、生まれつつある第四革命に対抗できる防壁をできるだけ早く建設するための新しい方法を観察、分析、予見しなければなりません。

もし、第四革命に第三革命がその大冒険をする前に発展する時間の余裕があれば、それに対して戦うことを目的として、本書「革命と反革命」にもう一章を付け加えなければなりません。その一章には、初めの三つの革命に費やしたのと同じページ数が必要とされるかもしれません。その理由は、頽廃の諸過程はほとんど限りなくすべてを複雑にするからです。革命の各段階がそれ以前の段階より複雑になり、反革命の仕事も同じくさらに細かく、複雑になる理由はここにあります。

革命と反革命、そして両者を視野に入れてなされなければならない仕事に関する以上の展望でもって、著者は以上の考察を終えます。

皆さんと同じく、明日のことは不確かなまま、著者は祈りの中に天地の元后であられるマリア様のあのいと高き御座に目を上げて、詩編作者が主に捧げた言葉をお捧げします。

Ad te levavi oculos meos, qui habitas in coelis. Ecce sicut oculi servorum in manibus dominorum suorum, sicut oculi ancillae in manibus dominae suae; ita oculi nostri ad Dominam Matrem nostram donec misereatur nostri. (天に座しておられる者よ、私はあなたにむかって目をあげます。見よ、しもべがその主人の手に目をそそぎ、はしためがその女主人の手に目をそそぐように、私は私たちの母に目をそそいで、私たちをあわれまれるのを待ちます)。

そうです。大いなる赦しをもたらす痛悔の心、大いなる戦いのための勇気、マリア様の統治をもたらす偉大な勝利において誇ることのない超越心を願って、著者はファチマの聖母に目を向けます。コヴァ・ダ・イリアで一九一七年に予言されたあの黙示録的、しかし何と正しく、私たちを生き返らせる、慈悲深い懲らしめを教会と人類が堪え忍ばねばならないとしても、著者はこの勝利を心から望みます。

1 第一部六章3を見よ。

2 Claude Lé vy-Strauss, La pensé e sauvage (パリ、プロン、一九六九年)参照。

3 詩編九十六・五。

4 「私が思うに、現代人は余りにも情報が多過ぎて、聴くことをますます喜ばなくなりました。それだけでなく、言葉に対して反応しなくなりました。また、数多くの心理学者や社会学者たちは、現代人がすでに効果を失い、無用になった言葉の文明を卒業して、映像の文化の中に生きている、と主張していることも知っています」。(使徒的勧告 Evangelii Nuntiandi、一九七五年十二月八日、 Documentos Pontificios、六版 [Petró polis: Vozes、一九八四年]百八十八、三十ページ)。

5 この希望については第三部二章の諸解説を見よ。

6 第一部五章1〜3を見よ。

7 詩編百二十三・一〜二参照。

結 論

以上のページを付け加えて「革命と反革命」初版(一九五九年)を改訂するに当たって、著者は初版とそれ以後の版の短い結論を、入れ替えるとか、書き換えるとかするべきであるか迷いました。しかし注意深く読んでみて、その必要がないと確信しました。

当時と同じく今日でも著者は主張します。ここに書かれていることにかんがみて、反革命諸原則の論理を認める人であればだれでも、今日の情勢は明白です。私たちは教会と革命の間で戦われている闘争の過度期にあります。それは、もしその中の一方が不死でなければ、とっくに終わっている戦いです。それ故に教会の息子、反革命の戦いの闘士である著者が本書を聖母に捧げることがふさわしいと結論しました。

最初の、強力で永遠の革命運動家、この革命の煽動者、その首謀者である蛇の頭を踏み砕いたのは汚れ無き御宿りの聖母でした。これほどの革命運動家は過去にも将来にも他には考えることすら不可能です。マリア様は、それ故に、すべての反革命運動家にとっては守護者です。

神の母の全能で普遍的取り次ぎは、反革命運動家たちにとって最大の希望の源です。後に、共産主義が世界各地を侵略しはしましたが、聖母がファチマで「最後には私の汚れない心が勝利を得るでしょう」と宣言なさったとき、彼らに最終的勝利を約束して下さっています。

それ故にマリア様、著者が子供としてあなたを称える言葉、愛の捧げ物、絶対的信頼の印をお受け取り下さい。

本書を終えるに当たり、この地上における「お優しいキリスト」であり、真理の柱であり、誤ることのない土台である教皇ヨハネ二十三世に、子供としての愛と無制限の従順を誓います。

" Ubi Ecclesia ibi Christus, ubi Petrus ibi Ecclesia" (教会のあるところにキリストがおられ、ペトロのいるところに教会があります)。ですから著者は教皇聖下に愛、熱意、献身を捧げます。創刊時からカトリシスモのすべてのページにみなぎっていたこの精神で、著者は本書の出版に取りかかったものです。

この仕事にかかわるすべての人たちが、同じ精神で動いていることについて疑いはありません。それにも関わらず、著者は無条件にキリストの代理者の判断にこれらの事業をお任せします。著者の主張のどれかが私たちの母、救いの箱船、天の門である聖なる教会の教えから少しでも離れていれば、著者は直ちにそれを撤回いたします。

後書き

本書を読み終えた読者は、必然的に、革命過程が今日どの点にあるのか知りたいと思われるでしょう。第三革命はまだ生きているのでしょうか? ソヴィエート帝国の崩壊は、東ヨーロッパの政治的現実の深みで第四革命が爆発しつつあること、もしくはそれがすでに勝利を占めていることを意味するのでしょうか?

私たちは区別することを学ばなければなりません。今日、違った形でではあっても、第四革命導入を提唱する思想は世界に広まっており、ほとんどの所で人々はそれを大声で主張するようになっています。

この意味で、第四革命は上昇中であり、それを欲し、反対する人たちを脅かしている人たちにとっては希望に満ちています。しかし、かつてのソヴィエート連邦がすでに第四革命に基づいて形作られたとか、第三革命がまだそこで健在であると考えるのは行き過ぎでしょう。

第四革命には政治的次元があるものの、基本的にそれは文化革命です。つまり、それは人間存在のすべての側面を包含します。それ故に、以前ソ連邦を形成していた諸国の間にあり得る政治的衝突は第四革命に強く影響することが可能です。しかし、そのような衝突が、文化革命によって達成された、すべての人間的行為の集合である出来事全体を支配するようなことはないでしょう。

しかし、ほとんどが相も変わらず以前の共産主義者に支配されている旧ソ連邦諸国の世論はどのようなものなのでしょうか? 「革命と反革命」によれば、それは以前の諸革命に大きな役割を果たしたのですから、それによって私たちは何か知ることができないのでしょうか?

この質問には、別の質問に答えた後でないと、答えることができません。まず、それら諸国には本当の意味での世論というものが存在するのでしょうか? それは体系的革命過程に参加するよう説得され得るのでしょうか? もしそうでなければ、共産主義の国内的、国際的最高指導者たちはこの世論を誘導するために、何を計画しているのでしょうか?

以前のソ連邦世界の世論は、無関心で、つかみ所がなく、七十年間の完全独裁制の重さによっていまだに身動きできなくなっているので、これらは答えるのが難しい質問です。このような独裁制の下で、多くの場で人々は自分の宗教的、政治的意見を、仲のいい自分の親戚とか、友人にさえもらすことを恐れていました。真実であろうと偽りであろうと、告発とか密告はシベリアの凍てつく広野での無期強制労働に追いやることがあり得ました。それにもかかわらず、かつてのソ連邦社会における将来を予見するのであれば、これらの質問に答えないわけにはいきません。

それだけではありません。国際メディアは、西側消費文化の下に暮らしている豊かなヨーロッパ諸国に、腹をすかした半文明人、つまり半野蛮人が最終的には群をなして移住して来るであろうと報道し続けます。

食料だけでなく、思想にも飢えているこれらの哀れむべき人たちは、極端に文明化されていながらも、道徳的腐敗の極みにある自由世界のことをどう判断するのでしょうか? 彼らはそういう自由世界に激しく反発しないでしょうか?

そして、侵入される側のヨーロッパと、引いて言えば、以前のソ連邦世界において、この衝突の結果はどのようなものになるのでしょうか? そこに登場するのは、自己管理型の、協力的、構造的・同族主義的革命、もしくは著者が第五革命と呼んで憚らない完全な無政府主義、混乱と恐怖の直接的世界なのでしょうか?

この版が印刷に回される時点で、これらの質問のどれに対して答えるとしても、それは明らかに時期尚早というものでしょう。明日そういう質問をすれば、すでにもう遅過ぎる程に将来が予見し難いから、今質問しなければならないのではありません。実に、人間が持つ無秩序な欲望の嵐と、同族主義・構造主義的「神話」の興奮に包囲された同族的世界の中で書物、思想家、文明が生き残ったとしても、一体何になるのでしょうか? 無の帝国にあってはどんな人間であっても何の役に立たないとは、悲劇的状態にほかなりません。

* * *

ゴルバチョフはまだモスクワにいます。彼が失脚した後でも、ハーヴァード、スタンフォード、ボストン大学等の名門大学が高給で彼に位置を提供しない限り、彼はそこに居続けるでしょう。 ホアン・カルロス国王からの招待でカナリア諸島にあるあの有名なランサローテ宮殿に住むことになるのかもしれません。それとも、あの有名なコレージュ・ド・フランスの客員教授として招聘されるのでしょうか?

東では敗北を喫したものの、共産主義の前指導者を悩ましている唯一のぜいたくは西側が提供する申し出のうちどれを選択するかということです。今のところ、彼は資本主義世界の新聞に連載記事を書くことにしたようです。資本主義世界の最高層は彼を熱心かつ不可解に支持し続けます。ゴルバチョフ財団基金への献金勧誘のために、ゴルバチョフはやんやの喝采のうちにしばしば渡米しますが、これは何を意味するのでしょうか?

このように、ゴルバチョフがその全政治経歴を通じてこの改革が共産主義への反対でなく、それに磨きをかけたものであると主張しているにもかかわらず、さらに自国でゴルバチョフの影が薄くても、西側世界でその資質に疑念を持つ人たちがいても、西側の重鎮たちは、このペレストロイカの男に煽てというメディアの脚光が当てられ続けることを望み続けるのです。

ゴルバチョフ政権が崩壊した当時、苦悩の中に弱体化したソ連邦は、幻のような「独立共和国連邦」に変身しました。その内部軋轢は政治家と政治解説者たちを悩ませます。これら共和国のいくつかは未だに核兵器を所有しており、かつてのソ連邦世界で日増しに影響力を増しつつあるイスラムの敵である隣国に向けてそれを発射することができます。世界的武力バランスを大事に思う人たちにとって、これは心配の種でしかありません。

もし彼らが核兵器を使用して攻撃するようなことがあれば、その結果は多岐にわたるでしょう。そのうちの主なものは、以前鉄のカーテン内に住んでいた人たちの大量難民化です。厳しい冬の寒さと目前に迫る破局の危険に追われて、彼らは西ヨーロッパ…米国に移住できるように「願う」ことを二重に迫られるのかもしれません。

ブラジルで、リオデジャネイロ州知事リオネル・ブリソラ氏が政府の農地改革政策を利用して東ヨーロッパから農民を招聘することを提案したとき、ブラジル政府の農林大臣はそれを良い考えであるとして賞賛したものです。アルゼンチン大統領カルロ・メネム氏はヨーロッパ経済共同体に、こういう農民を何万人でも自国に受け入れる用意があると申し出ています。コロンビア外務省のノエミ・サニン夫人は東からの技術者導入を考慮していることを発表しています。これは、こういう侵入がすでに目前に迫っていると人々が思っていることの現れです。

そして共産主義はどうなるのでしょうか? どうなったのでしょうか? 当分続きそうな世界平和、また世界規模核戦争の大虐殺を不可能にすると思われる永久平和の見通しに夢中になった大方の西側世論は、共産主義が死滅したぐらいに思い込まされています。

死滅したはずだった以前のソ連邦領土にロシアが侵攻したことで、友好と平和という架空の楽園に対する西側との蜜月時代は漸次的に

終わりつつあります。共産主義の終焉という西側の印象は信頼に値するのでしょうか?

まず、共産主義の終焉を疑う意見は少数で、孤立しており、メディアに持てはやされることもありませんでした。

それにもかかわらず地平線に少しずつ陰が現れ始めました。中央ヨーロッパ、バルカン半島、解体されたソ連邦で、新しく権力の座に着いた者たちの中には以前の共産党員がいくらでもいることが分かってきました。これら諸国の企業私有化の動きは、旧東ドイツは例外としても、一般的に言って、実物以上の見せかけでしかありません。その進み具合はまるでカタツムリのようで、はっきりした方向性すらないことが窺えます。

ですから、これら諸国で共産主義が本当に死んだのかどうか、問い直すことができます。それは複雑な変貌を遂げただけではないのでしょうか? 共産主義の見せかけの崩壊に酔いしれた全世界の喜びようが控えめながらも薄れつつある現今、この件に関する疑いはいや増しつつあります。

西側諸国の共産党は、ソ連邦の最初の崩壊ですべての人には衰えてしまったように見えたものです。しかし、すでに今日その中の一部は、新しい名前の下で再編成を遂げつつあります。名前の変更は復活を意味するのでしょうか? それとも変身なのでしょうか? 著者は後者であると思います。しかし、確かなことは未来だけが知っています。

混沌が支配する中ですこしく光と秩序をもたらすために、世界の全体的背景を更新する必要を感じて、本改訂版を世に問います。そして、混沌の必然的結果は混沌状態の悪化という不可解な現象以外にあるでしょうか?

* * *

この混沌の中で、一つのことだけが失敗を知りません。つまり、著者の心とくちびるである前述の祈りです。それは著者と志を同じくする人々にとっても同じでしょう。

Ad te levavi oculos meos, qui habitas in coelis. Ecce sicut oculi servorum in manibus dominorum suorum, sicut oculi ancillae in manibus dominae suae; ita oculi nostri ad Dominam Matrem nostram donec misereatur nostri. (天に座しておられる者よ、私はあなたに向かって目を上げます。見よ、しもべがその主人の手に目を注ぎ、はしためがその女主人の手に目を注ぐように、私は私たちの母に目を注いで、私たちを哀れまれるのを待ちます)。

世界が揺れ動いても、ひざまずいて、不動のカトリック魂が持つ常に変わらぬ信頼心をご覧下さい。嵐にあってもそれ以上に強い魂の力で、私たちは心の底から " Unam, Sanctam, Catholicam et Apostolicam Ecclesiam" つまり「一にして、聖なる、使徒伝来のローマカトリック教会を信じ続けます」。

1 第三部二章解説「ペレストロイカとグラスノスチは第三革命の中止か? それとも共産主義の変容か?」を見よ。

2 Folha de S. Paulo、一九九一年十二月二十一日参照。

3 O Estado de S. Paulo、一九九二年一月十一日参照。

4 Le Figaro、一九九二年三月十二日参照。

5 第三部二章解説「ペレストロイカとグラスノスチは第三革命の中止だろうか? それとも共産主義の変容だろうか?」を見よ。

6 Jornal da Tarde, Sã o Paolo、一九九一年十二月二十七日参照。

7 Ambito Financiero、ブエノスアイレス、一九九二年二月十九日参照。

8 El Tiempo、ボゴタ、一九九二年二月二十二日参照。

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