革命と反革命
「革命が秩序の破壊なら反革命は秩序の復興」
伝統・家庭・私有財産権擁護協会
プリニオ・コヘイア・デ・オリヴェイラ
『フマネ・ヴィテ』研究会 成相明人訳
目 次
序 文
導 入
第一部 革命
一章 現代人の危機
二章 現代西欧キリスト信者が直面する危機
三章 この危機の特徴
1 その普遍性
2 その一体性
3 その全体性
4 その支配主義
5 その発展性
A 中世期の崩壊
B 偽改革とルネッサンス
C フランス革命
D 共産主義
E 君主政体、共和制、宗教
F 革命、反革命、独裁制
四章 革命過程の変化
五章 傾向、思想、事実に見られる革命の三層
1 傾向に見られる革命
2 思想に見られる革命
3 出来事に見られる革命
4 観察
A 革命の深さは年代的段階とは一致しない
B 革命の三段階に見られる区別
C 革命過程は防止不可能ではない
六章 革命の進行
1 革命の推進力
A 革命と無秩序な傾向
B 革命の発作はすでにその種の中に潜む
C 革命は自分自身の主張を駄目にする
2 革命に見られる見かけ上の間隔
3 洗練から洗練への進化
4 革命の調和ある速度
A 急進的進化
B 緩慢な進化
C これら二つの速度間の調和
5 反対への反論
A 緩慢な革命運動家と「準反革命運動家」
B プロテスタント君主制とカトリック共和国
C プロテスタントの禁欲主義
D 革命の統一戦線
6 革命エージェント — フリーメーソンとその他の秘密結社
七章 革命の本質
1 もっとも徹底した革命
A 革命という言葉の意味
B 流血革命と無血革命
C 革命の大きさ
D もっとも徹底した革命
E もっとも徹底した秩序破壊
2 革命とその合法性
A もっとも徹底した合法性
B カトリック文化、文明
C カトリック文明の神聖な特徴
D 最高の文化、文明
E もっとも徹底した非合法性
3 革命に見られる傲慢、欲望、形而上学的価値
A 傲慢と人類平等主義
B 欲望と自由主義
八章 人間的行為の決定における知性、自由意志、感性
1 堕落した本性、恵みと自由意志
2 革命の胚芽
3 革命と不誠実
九章 「準反革命」も革命の子
十章 革命における文化、芸術、雰囲気
1 文化
2 芸術
3 環境
4 革命過程における芸術と環境の歴史的役割
十一章 罪と贖罪についての革命および革命がもたらす理想郷
1 革命は罪と贖罪を否定
2 自由主義と社会主義における罪の否定 その歴史的例
A 個人の原罪を否定
B 大衆と国家の原罪を否定
3 革命運動家の理想郷は科学と技術による救い
十二章 革命の平和主義かつ反軍隊主義的性格
1 科学は戦争、軍隊、警察を無用にする
2 革命と制服の間にある教義上の矛盾
3 革命の気質は軍隊生活に反する
第二部 反革命
一章 反革命は反動
1 反革命は革命に反対する特定かつ直接的戦争
2 この反動の高貴さ
3 現代の敵に向けられた反動
4 反革命の現代性と誠実さ
二章 反動と歴史的に変わらぬもの
1 何が復興されるべきか?
2 何が改められるべきか?
三章 反革命と新奇なものに対する渇望
1 反革命運動家は伝統主義者
A 理由
B くすぶる灯心
C 偽りの伝統主義
2 反革命は保守的
3 反革命は本物の進歩のために不可欠
四章 反革命運動家とは
1 その実際の姿
2 その可能性
五章 反革命の戦術
1 実際の反革命運動家に関連づけられた戦術
A 個人の行動
B 共同の行動
2 潜在的反革命運動家に関連づけづけられた戦術
3 革命運動家に関連づけられた戦術
A 反革命運動家のイニシアティブ
B 革命勢力の反抗
4 反革命戦術におけるエリートと大衆
六章 反革命の行動手段
1 大規模の行動手段が望ましい
2 小規模の手段の採用・その効果
七章 反革命の障壁
1 反革命運動家が避けるべき落とし穴
2 革命スローガン
A 「反革命は時代遅れ」
B 「反革命は否定的」
C 「反革命は理屈が多い」
3 革命スローガンに対する間違った態度
A 革命スローガンの無視
B 反革命行動の論争的側面の無視
八章 反革命の段階的性格と反革命の「ショック戦術」
1 反革命には過程がある
2 革命過程の典型的側面
A 急速な展開において
B 緩慢な展開において
3 革命過程の破壊法
A 聖霊が使用なさる種々の方法
B 何も隠してはいけない
C 大きな回心の「ショック」
D 現代におけるこのショックの可能性
E 革命の全貌を明らかにする
F 反革命の形而上学的側面の指摘
G 反革命の二つの段階
九章 反革命の推進力
1 徳と反革命
2 超自然的生命と反革命
3 反革命の無敵さ
十章 反革命、罪、贖罪
1 反革命運動家は善悪の概念を復活させるべき
2 善悪の概念をどのように復活させるか?
十一章 反革命と世俗社会
1 反革命と社会組織
A 慈善事業、社会奉仕、雇用者と労働者その他の組合
B 共産主義に対抗する戦い
2 キリスト教世界と全世界的共和国
3 反革命と国家主義
4 反革命と軍隊主義
十二章 教会と反革命
1 教会は革命と反革命よりもはるかに高く広い
2 革命を打ち砕くことは教会にとって大いなる利益
3 教会は根本的に反革命勢力
4 教会は最大の反革命勢力
5 教会は反革命の魂
6 反革命の理想は教会の高揚
7 ある意味で、教会の影響範囲より広い反革命の視界
8 カトリック信者であれば反革命であるべきか
A 含蓄的反革命運動家
B 反革命的明確さの現代性
C 明白な反革命運動家
D 使徒職そのものではない反革命行動
9 カトリックアクションと反革命
10 反革命と非カトリック信者
第三部 二十年後の革命と反革命
一章 革命は絶え間ない変質過程
1 革命、反革命、伝統・家庭・私有財産権擁護協会の二十年にわたる行動と戦い
2 絶え間なくかつ急速に変化する世界にあって革命とか反革命は今でも存在するのだろ うか? 答えはしかり
二章 第三革命の極点と危機
1 第三革命の最高調
A 最高調にいたる道で第三革命はひたすら全面的かつ無用な冒険を避けた
B この革命の次の段階での冒険とは?
2 第三革命が古典的方法を使用するときに遭遇する思いもかけない障壁
A 説得力の減退
B 指導力の減退
C 反論 — イタリアとフランスにおける共産主義者の成功
3 変貌した憎悪と暴力は全面的革命心理戦を生み出す
A 革命心理戦争の二大目的
B 全面的革命心理戦争・第三革命の頂点の結果と現代における諸問題
4 教会内に見られる第三革命の心理的攻勢
A 第二バチカン公会議
B 教会 — 革命と反革命勢力の間に繰り広げられる戦いの中心
C 「革命と反革命」に基づく反動
D TFPと「革命と反革命」に霊感を受けたその他の類似団体の行動は有益
5 「革命と反革命」の範疇に従って第三革命の二十年を評価する
三章 生まれつつある第四革命
1 第三革命の著者たちが予言する第四革命
2 第四革命と同族的忠誠心 — それは不可避だろうか?
A 第四革命と超自然信仰
B 構造主義と前同族的忠誠心の傾向
C 控えめな貢献
D 凡人たちの反対
E 教会内の同族的忠誠心とペンテコスタリズム
3 生まれかけている第四革命を前にする反革命勢力の義務
結 論
後書き
索 引
序 文
一九五九年ブラジルの雑誌「カトリシズモ」に初めて発表されて以来「革命と反革命」はポルトガル語、英語、フランス語、イタリア語、スペイン語で版を重ねてきました。
この版は米国第三版に基づいて訳出されたものです。著者が一九七六年に書き加えた「革命と反革命」第三部のコメントを含みます。
世界各地にある伝統・家庭・私有財産権擁護協会(Tradition, Family and Private Property=TFP)および類似団体にとって基礎的原則、霊感である「革命と反革命」は英知溢れる原則を含み、現代文化が破滅に向かうのを効果的にくい止める得るものです。
著者は、ブラジルの高名なカトリック哲学者プリニオ・コヘイア・デ・オリヴェイラ教授。現在に至るまで、教授は教会が諸手を挙げて賛同するたぐいの著書を多くものにしてきています。
教授は、例えば一九四〇年代後半、カトリックアクション内に巣くった左翼勢力の危険を非難した著書 Em Defesa da Aç ã o Cató licaを世に問い、ピオ十二世の代理を勤めていた当時のヴァチカン国務長官代理モンティーニ大司教から、それを高く評価する書簡を受け取っています。
別の著書 The Church and the Communist State(教会と共産主義国家)、The Impossible Coexistence (一九六三年)(不可能な共存)で、著者は自国内で共産政権が樹立されることはカトリック信者にとって道徳的に受け入れがたいことを表明しました。ヴァチカンの神学校大学校聖省は、それらが「教皇ヨハネ二十三世の回勅『マーテル・エト・マジストラ』とパウロ六世の回勅『エクレジアム・スアム』を含む、教会の最高教導職による諸文書のもっとも忠実な反響であると評価しました」。
一九九二年、彼は社会の二つのモデルを対比させた Nobility and Analogous Traditional Elites in the Allocutions of Pius XII (ピオ十二世の教話における貴族制度と類似の伝統的エリート)を書きました。最初のモデルはキリスト教的社会です。それは神が、すべての成員に十分な生活条件が保証されることを前提にして、社会階級にはそれぞれの分に応じ、調和ある不平等を望まれるという考えに基づくものです。第二のモデルはすべての不平等は悪であるという間違った考えに基づきます。本書はシルヴィオ・オッディ枢機卿、マリオ・ルイジ・チャッピ枢機卿、アルフォンソ・M・シュティックラー枢機卿、神学者ライモンド・スピアッツィ神父、トマス学者として知られるヴィットリーノ・ロドリゲス・イ・ロドリゲス神父、教会法学者アナスタシオ・グティエレス神父などの雄弁な手紙の中で賞賛されています。
しかし、プリニオ・コヘイア・デ・オリヴェイラ教授の全著作の中でもっとも重要なのは本書「革命と反革命」でしょう。その意義はすぐに広く認められるようになりました。ユージン・ティセラン枢機卿は「この研究のテーマは現代社会にとって極めて重要…。プリニオ・コヘイア・デ・オリヴェイラ教授の分析は明瞭、精密、正確です…。多くの人たちにとってこれは興味深い著作です。このすばらしい書物の著者に祝意を評します」と書き送りました。中国のトマス・チェン枢機卿も「共産主義の影響で実際に苦しんでいる人たちにはこのような研究の正確さとその緊急な必要性がよく理解できます」と述べておられます。
「革命と反革命」のすべての版は以下の文で締めくくられています。
本書中のすべての主張について私は心から確信しています。しかし、私はそれらをキリストの代理者の判断に全面的に委ね、私たちの母、救いの箱船、天の門である聖なる教会の教えといささかでも異なっていれば、直ちにそれらを撤回いたします
この声明が最初になされてからもう三十年経ちます。その間「革命と反革命」はどのような点でも教会教導職の教えに反しているという非難を受けることなく、世界中に広まりました。この事実は初期に得た賛同の確認にほかならず、またこの不朽の名作がいかに完全なものであったかを証明するものです。
それに極めて大事なもう一つの事実を付け加えなければなりません。本著第三部で、著者は、反秩序(革命)と秩序(反革命)との間に繰り広げられる戦いの主戦場が、もはや市民社会でなく、聖なる教会自体の中であると述べています。
このようなひどい状態はカトリック信者にとって大いに気になるところです。しかし、これはすべての善意の人たちにとってもただごとならぬ事態です。その理由は教会の影響無しに、世俗社会は共通の敵である革命によって打ちのめされた状態から立ち上がることができないからです。
この敵ともっとも効果的に戦うことを欲する人々は、この戦いの完遂のために必要な原則を提供する本を歓迎するでしょう。
伝統・家庭・私有財産権擁護協会アメリカ支部
導入
今日「カトリシズモ」はその百号を発行します。1この出来事を記念して、著者は読者と本誌の間にあるすでに深い交際をさらに深めることを望んで、本号を特別号とすることにしました。そのために、革命と反革命についての随想を一編発表する以上に適切な方法はないと判断したのです。
この主題をなぜ選んだか説明するのは簡単です。「カトリシズモ」は戦う新聞ですから、それはその戦いのねらいである目的に関連して判断されるべきです。さて、その戦いの相手は正確にはだれでしょうか? この点に関しては、そのページを読んでも漠然とした印象しか受けないかも知れません。そこに読者はしばしば共産主義、社会主義、全体主義、自由主義、典礼主義「マリタン主義」とかその他いろいろな「主義」に対する反駁があるのに気付かれるでしょう。しかし、これらの中の一つとしてそれだけで「カトリシズモ」が定義できるほどに、他のものと比較して強調されているとは言えないでしょう。例えば「カトリシズモ」が特に反プロテスタント的であるとか、反社会主義的な新聞であると言えば誇張になってしまうでしょう。ですから、私たちの新聞には複数の目的があると言えましょう。それでも気付くのは、それらの目的にはいわば共通項があるということです。本紙が常時目的とするのは正にこの共通項にほかなりません。
ではこの共通項は何でしょうか? 教義? 力? 意見の傾向? 明らかにこの点の解明は、ここ百カ月にわたって「カトリシズモ」が行ってきた教義的養成のすべての努力の深みを説明する助けになることでしょう。
* * *
しかし「革命と反革命」の研究から得られる利点はこの限られた目的よりもはるかに多いのです。
それを示すためには祖国ブラジルの宗教状態を考えてみればいいのです。統計的に言えば、カトリック信者の状態は文句の付けようもありません。最近の公的データによれば、私たちは全国民の九十四%を占めています。もし私たちが理想的カトリック信徒であれば、ブラジルはすでに二十世紀にわたる教会の歴史の中でもっとも感嘆すべきカトリック勢力になっているはずです。
では、なぜ私たちがこの理想からほど遠いのでしょうか? 私たちが知っている現在の状態の主な理由は精神主義、プロテスタンティズム、無神論、または共産主義であると言い切れるのでしょうか? いいえ。それは何か理解しがたく微妙な、しかも強力で恐ろしい放射線のように貫通する何か別のものです。だれもがその影響を感じますが、その名とか性質を知っている人は少ないのです。
この文章を書いているとき、著者はブラジルの国境を越えて、私たちのラテンアメリカ姉妹諸国、そしてそこからすべてのカトリック諸国のことを思います。それらの国々で、この同一の悪はその名状しがたい、しかし圧倒するような影響を及ぼして、悲劇的規模の症状の原因となっています。他にもいろいろありますが、この例を考えてみて下さい。一九五六年、国の感謝祭に関する書簡の中で、ヴァチカン国務副長官を勤めていたモンシニョール・アンジェロ・デル・アクアはサンパウロのカルロス・カルメロ・デ・ヴァスコンチェロス・モッタ枢機卿にこう言っています。「諸国の宗教的主知主義のために、現代社会には教会の感覚が衰退もしくはほとんど喪失」してしまっています。それではキリストの花嫁にこのひどい損害を与えた敵は一体何者でしょうか? 何がこういう現象と多くの付随的、相似的悪の共通原因なのでしょうか? それを私たちはどう呼べばいいのでしょうか? その勝利の秘密は一体何だったのでしょうか? それを敵に回した私たちはどう戦えばいいのでしょうか?
明らかに、これよりも適切なテーマを見つけるのは困難なことでしょう。
* * *
この恐るべき敵の名は革命です。
その深い原因は、一つのシステムだけでなく、ありとあらゆる観念論的システムを引きずり込んだ傲慢と欲望の爆発です。それらが広く受け入れられた結果西欧の歴史には、擬革命、フランス革命、共産主義という三つの大革命が引き起こされました。2
傲慢は、すべて自分より上にある者への憎悪の原因になり、そこから不平等はそのすべてのレベル、主に形而上学的、宗教的レベルでそれ自体において悪であると主張させるようになります。これが革命の人類平等主義的側面です。
欲望には本質的にすべての障壁を取り払ってしまう傾向があります。それは束縛を認めず、神的なものであれ人間的なものであれ、教会の権威であれ国家の権威であれ、すべての権威に対して反発させます。これが革命の自由主義的側面です。
最終的分析では、形而上学的側面を持つことになるこれら両側面とも、多くの場合互いに矛盾しているように見えます。しかし、両者は宗教から「開放された」人類が完全な自由の中に政治的権威無しに最高の秩序の中に住むことになるであろう、高度に発達した無政府主義的楽園を説くマルクス主義理想郷のうちに統合されるというのです。にもかかわらず、これはどのような不平等の原因にもならないだろうと言っています。
偽革命は一番目の革命でした。程度の差こそあれ、疑いの精神、宗教的自由主義、それが生み出した諸派の中で教会的人類平等主義を植え付けました。
フランス革命が次に登場しました。それは以下の二つの分野で人類平等主義の勝利でした。宗教的分野ではまことしやかに世俗主義と呼ばれた無神論、政治的分野ではすべての不平等は不正であり、すべての権威は危険であり、自由こそ最高の善であるという偽りの原則を通じてフランス革命は成功したのです。
共産主義は社会経済の分野にこれらの原則を移植したものと言えます。
これら三つの革命は、社会主義、典礼主義、politique de la main tendue (宥和主義),その他類似の主義が、その段階的移行もしくはその薄められた表現であると言える一つの革命に中に含まれる三つのエピソードであると言えましょう。
* * *
当然のこととして、これほど深く、広く、長期にわたる過程は文化、芸術、法律、習慣、制度などの人間活動のすべての分野を包含すること無しに発展することはできません。
その発展のすべての分野に於けるこの過程の詳しい研究は本論の領域をはるかに越えてしまいます。
ここでは、この膨大な対象の一つの分野に限って、革命という大雪崩の大要を短く説明することを試み、それに適当な名を付け、その深い原因とかそれを推進する団体、その教義の主な要素、それが活動する種々の分野のそれぞれの重要性、その拡張のメカニズムを極めて短く指摘しましょう。同じようなやり方で、その次に反革命についても同様な点を指摘し、その勝利のために必要ないくつかの条件を研究しましょう。
それにもかかわらず、これらのテーマ一つ一つにおいて、革命に抵抗して戦う読者を照らし、助けるために、著者の意見では現在もっとも有用な要素を説明するだけに止め、極めて重要な多くの点を省略しなければなりませんでした。しかしそれらの問題の緊急性が低かったわけではありません。
前述したように、本著は「カトリシズモ」の精神とそのプログラムをよりよく理解していただくために必要と思われる事柄を収録したものに過ぎません。その主張を残らず完全に展開すれば紙面が足らなくなるでしょう。種々の主張の間に見られる関係を示すために必要と思われる最小限度の論証を紹介し、著者が主張する立場のすべての側面をパノラマ的に見せることが本著の目的です。
* * *
この論文は調査の役を果たすかも知れません。(明らかに、革命にはもっとも激しく抵抗していると思われる)ブラジルまたはその他の国に在住する「カトリシズモ」の読者諸子は「革命と反革命」について何を考えているのでしょうか? 著者の提案はこの主題のほんの一部をカバーしているだけですが、それはこの問題について読者が自問し、その反応を著者あてに送って下さるきっかけになることを希望します。著者は大いなる興味を持って読者諸氏との対話が始まることを期待します。
註
1 この導入の部分は一九五九年四月にブラジルの雑誌「カトリシズモ」上で発表されました。
2 レオ十三世使徒的書簡 " Parvenu à la vingt-cinquiè me anné e" 、一九〇二年三月十九日。ジョン・J・ウィンヌ神父S・J・ " The Great Encyclical Letters of Pope Leo XIII" (ニューヨーク、ベンツィンガーブラザーズ、一九〇三年)五百五十九〜五百六十ページ参照。