ファチマ関係情報
English 以下のニュースに関する『フマネ・ヴィテ』研究会のコメント
第三の秘密が教会内右翼の信用を失わせる
ブラジル・ポルト・アレグレ発(CWNews.com)
ポルト・アレグレのダデウス・グリングス大司教は、ファチマの第三の秘密の発表によって、ファチマの聖母を政治的に利用していた右翼団体の企みが失敗することになるだろうと発表した。
大司教は5月27日、同大司教区の補佐大司教として着任することになっているが、同大司教によると、ファチマの聖母のメッセージは回心、償い、キリスト信者としての生活刷新の重要さであり、ファチマの第三の秘密はカトリック教会にとって中心的なメッセージではなかった。
記者会見で大司教は、この秘密が政治的イデオロギーに利用されていた、と語った。おそらく、これは故マルセル・ルフェーヴル大司教が始めた分離教会に近い、伝統、家庭、私有財産擁護協会のことであろう。裕福な宅地開発業者であった故プリニオ・コヘイア・デ・オリヴェイラ教授が、ブラジルに創立したこのグループは、激しい反共産主義的なメッセージを広めるために、ファチマの聖母のメッセージを利用していた。
「今回の発表は、わたしたちの信仰にとって決して中心でなかった一つの神秘に終止符を打つものである。ファチマの聖母のメッセージは、教会が常に説き続けてきたものと同じである。もしカトリック信者が祈り、決定的回心を放棄すれば、わたしたちは自分自身の同一性を見失うことになり、社会は戦争、破壊、不正、想像を絶する種々の社会悪」に苦しめられることになるであろう。
Regrettably, ' target="_top">English
残念ながら、CWNews.comのこのニュースだけは極めて不正確であると判断する。故プリニオ・コヘイア・デ・オリヴェイラ教授は、果たして裕福な宅地開発業者であったのであろうか? 「おそらく」と断ってはいるものの、伝統、家庭、私有財産擁護協会が故マルセル・ルフェーヴル大司教が始めた分離教会に近いことになっている。わたしには初耳である。同協会が激しく反共的であったことは確か。本ホーム・ページ内の「革命と反革命」を読んでいただきたい。わたしたちも政治の分野を越えて反共的でなければならないことは明白である。共産主義とカトリック教会は相容れない。どちらかが勝つか、負けるかしかない。
オリヴェイラ教授は、共産主義を単なる政治的イデオロギーとして捉えているのではなく、「革命と反革命」を読むと、善と悪、神と悪魔の間で戦われる死闘を実に詳しく解明している。その壮大な歴史観には打ちのめされるような思いがする。自分がどこに立っているか、何をしなければならないかがよく分かってくる本であり、読者にも一読をお勧めしたい。日本語訳は近い中に出版することを希望しているが、当面はネット上で読んでいただきたい。
革命とは何が何でもの平等、自由、従って無秩序を欲するのであるが、最初の革命は悪魔の「わたしは神に仕えない」である。人間の世界ではアダムとエバが「食べてはいけない、死ぬから」とあれほど言われていた禁断の木の実を食べたのがプロトタイプ。神に仕えたくない、自由にしたい、これは革命が目指す平等であり、放縦である。
「革命と反革命」はフランス革命、宗教革命、共産主義革命を第一、第二、第三革命と位置づけ、いずれもカトリック教会打倒を最終目的とする、と主張する。さらに第四革命は現在教会の外でなく、中で進行中であり、リベラリズムの名の下にキリストの教会を蝕みつつあるとする。であれば、いわゆるリベラルなカトリック聖職者にとっては目の上のこぶのような存在が伝統、家庭、私有財産擁護協会であろう。現今、リベラルとは新しいものを取り入れることにやぶさかでない、という生やさしいものではないし、保守主義は単に古いものを古いという理由で保存・復活させようとする動きではない。乱暴かももしれないが、分かりやすいのは前者が限りなく異端に近く、後者が正統信仰を大事にするという捉え方である。
伝統、家庭、私有財産擁護協会が出版している「ファチマの聖母 — そのメッセージは希望の預言か?悲劇の預言か?」「革命と反革命」は、同協会発行のものを翻訳したものである。
かねては正確なニュースを伝えてくれるCWNews.comつまりカトリック・ワールド・ニュースではあるが、このニュースに関しては誤報もいいところ。残念である。以下英文。
「ファチマの聖母・そのメッセージは希望の預言か? 悲劇の預言か?」の紹介
" Revolution and Counter-Revolution"
names the French Revolution, Religious Revolution
(Reformation) and Communist Revolution as
Revolution No. 1, No. 2, No. 3 respectively.
According to the author, all the three revolutions
aim to destroy the Catholic Church. Furthermore,
No.4 Revolution is taking place inside Catholic
Church under the name of Liberalism. Hence,
liberal clergy-men and this group never get
along well. Nowadays, Liberalism does not
mean being open to things new, and Conservatism
does not mean liking what is old because
it is old. Rather, if we think Liberalism
as heretic, and Conservatism as orthodox,
the picture becomes clearer. Otherwise dependable and accurate CWNews
was not so this time regrettably.
教皇ヨハネ・パウロ二世の説教 2000年5月13日 土曜日 ファチマ 1・「天地の主である父よ、あなたを褒めたたえます。これらのことを知恵ある者や賢い者に隠して、幼子のような者たちにお示しになりました」(マタイ11・25)。 兄弟姉妹である皆さん、イエズス様はこのような言葉で天の御父の御計画を褒めたたえられます。イエズス様は、御父が引き寄せてくださらない限りだれも御父のおそばに来ることができないことを御存じです(ヨハネ6・44参照)。ですから、イエズス様は御父の計画を褒めたたえ、それを子として受け入れます。「そうです。これは御心にかなうことでした」(マタイ11・26)。あなたはその御国をもっとも小さな者たちにお示しになりました。 神の摂理によって「身に太陽をまとった一人の女が」(黙示録12・1)、御父から特別に選ばれたあの子供たちに、天から地に降りてきました。そして、母の声と心でもって彼らに語りかけ、償いの生け贄として自分たちを捧げるよう求められます。そして、彼らを神に導くことを約束なさいます。するとどうでしょう。子供たちには御母の手から光が輝き出て、自分たちの心の奥を照らすのが見えました。子供たちの説明によると、ちょうど鏡で見るように、自分たちが神様の中に沈められていると感じたのです。 三人の子供たちの一人、フランシスコは「わたしたちは神であるあの光の中で燃えていたのに、燃え尽きなかった。神様がどんな方かを、言葉でほかの人たちに言うことはどうしてもできません。」燃え尽きることなく燃える光である神様、モーセも燃えるやぶの中に神を見たときに同じ経験をしました。モーセは、民が奴隷になっている状態を心配しており、自分を通して彼らを救い出すことにした、と神が言われるのを聞きました。「わたしはあなたと共にあるだろう」(出エジプト記3・2〜12)。神の現存を喜んで受け入れる人たちはいと高き方の「燃えるやぶ」になります。 2・福者フランシスコにもっとも深い印象を与えて、夢中にさせたのは、三人の子供たちの心の深みに達した大いなる光の中におられた神様でした。しかし、神様はフランシスコにだけ御自分が「ひどく悲しんでいる」と打ち明けられました。ある夜、彼の父親は息子が泣いているのを聞きつけ、なぜ泣くのか聞いたものです。彼は「悲しんでおられるイエズス様のことを考えていたんだ。犯される罪でイエズス様は悲しんでいらっしゃるんだよ」。彼の望みは「イエズス様を慰めて、幸せにしてあげる」ことでした。 彼の生活は根本から変わっていきます。あの年頃の子供には見ることのできない変貌を遂げます。彼は絶え間ない、熱心な祈りを特徴とする深い霊的生活に入っていきます。こうして、主と真に神秘的な一致を遂げます。彼は自分の楽しみをもう追い求めないようになります。子供らしい遊びにさえも興味を示さなくなり、ますます魂の清らかさを追い求めるのです。 フランシスコの死因になった病から来るひどい苦しみも、弱音を吐かずに耐え忍びました。イエズス様を慰めるためであれば、自分の痛みなどは無に等しかったのです。フランシスコが死んだとき、唇には笑みが浮かんでいました。小さなフランシスコはいい子であること、また犠牲と祈りを捧げることによって、罪人の背きを償うことを心から望んでいました。彼よりほぼ二歳ほど幼かった妹のジャシンタも同じように考えていました。 3・「また、もう一つの印が天に現れた。見よ。火のように赤い竜である」(黙示録12・3)。ミサの第一朗読の言葉を聞くと、わたしたちは善と悪の間で戦われる激しい戦いについて考えざるを得ません。そうです。人間が神を脇に追いやるとき、人間は滅びてしまうほかないことが分かります。 第二千年期の最後の百年間にどれほどの人々が犠牲になったことでしょう。わたしたちは第一次世界大戦、第二次世界大戦、そのほか世界各地であった戦争、強制収容所、死の収容所、ソ連邦の強制労働収容所、民族浄化、迫害、テロ、誘拐、麻薬、中絶、家庭の破壊の恐怖を思い起こします。 ファチマのメッセージは回心への招きです。それは人類に「その尾で天の星の三分の一を掃き寄せて、地上に投げつけた竜」(黙示録12・4)に関わり合わないように警告しています。人間の最終目的は、天の御父が慈悲深い愛をもってすべての人々を待っていてくださる天国です。 神様はわたしたちの一人として失われることを望まれません。そのためにこそ2000年前「失われた者を探して救うため」(ルカ19・10)に御子を地上に送られ、御子は十字架の死によってわたしたちを救われました。あの十字架をだれ一人として無駄にすることがないようにしましょう。イエズス様は死なれたけれど「多くの兄弟たちの中で御自分が長子となられるために」(ローマ8・29)死者の中からよみがえられました。 聖母マリア様は母として人々を愛されるのでファチマに来られ、人々に「すでに十分なほどの背きを味わわれた主である神にこれ以上背くのを止めるよう」求められました。マリア様がこのように語られるのは、御自分がわたしたちの母親だからです。母親として悲しんでいるからこそ、聖母は滅びの縁に立っている御自分の子供たちの運命について語られます。だから聖母は「祈りなさい。たくさん祈りなさい。そして罪人たちのために犠牲をしなさい。だれも祈ってくれないから、そしてだれも犠牲を捧げてくれないから、多くの魂は地獄に行きます」と幼い羊飼いたちに言われます。 4・幼いジャシンタは聖母マリアの苦悩を感じ、味わいました。だから、自分を罪人たちのための生け贄として捧げることにしたのです。フランシスコとジャシンタが病床に就くようになってからのことです。ある日、聖母マリア様は彼らの家に来てくださいました。ジャシンタはそのときの様子を次のように語っています。「マリア様がわたしたちに会いに来てくださいました。もうすぐフランシスコを天国に連れて行ってくださるって。わたしにはもっとたくさん罪人たちを回心させたいかって聞かれたの。だから、はいって言ったわ」。そのうちにフランシスコの死期が迫りました。幼い女の子は兄にこう言います。「イエズス様とマリア様によろしく言ってね。罪人たちの回心のためにイエズス様とマリア様の望まれることは、わたし何でも我慢していますって言ってちょうだい」。ジャシンタは、7月13日にあった御出現の際に見た地獄の幻視から深い影響を受けていました。ですから彼女は罪人を救うためなら、どんな苦行も償いも大きすぎると思われなくなっていたのでした。 ジャシンタは、聖パウロと共に「今やわたしは、あなた方のために苦しむことを喜びとし、キリストの体である教会のためにキリストの苦しみの欠けたところを身をもって満たしている」(コロサイ1・24)と言えるほどでした。先週の主日、ローマのコロセウムで、わたしたちは20世紀に信仰を証した多くの人たちを記念しました。彼らが残した意義深い証によって彼らが堪え忍んだ苦しみをわたしたちは思い起こしたのです。無数の勇気ある信仰の証人たちが、第三千年期にも生き続けるに違いない尊い遺産をわたしたちのために残してくれています。これら苦難の時代が予言され、その期間が短くなるために祈りと償いを聖母が求められたここファチマで、この日、これらの人々がその生き方で示した力強い証のため神に感謝します。そして、1981年5月13日、重傷を負いながらもわたしが死から免れたことで示された主の御慈悲を再びここで祝いたいと思います。福者ジャシンタには、示現の中で非常に苦しんでいた教皇のために捧げた犠牲と祈りについて感謝します。 5・「御父よ、これらを幼い子供たちに示されたことについてあなたを賛美いたします」。今日、御父に対するイエズスの賞賛の言葉は二人の幼い羊飼い、フランシスコとジャシンタの荘厳な列福式という形で目に見えるものになりました。この儀式でもって、教会は暗黒と苦悩の中にある人類を照らすために神がともしたこの二人のろうそくを、燭台の上に載せることを望みました。この二人が、ここに集まった人々、ラジオとテレビによってわたしと共にある多くの人々の行き先を照らしますように。フランシスコとジャシンタがすべてのポルトガル人、特にファチマのレイリア教区を照らす友情の光になりますように。 セラフィム司教様、輝かしいこの教会、あなたの歓迎の言葉について感謝します。さらに、大いなる喜びをもって、わたしが愛するポルトガルの司教様方とそれぞれの教区に御挨拶し、これら二人の福者に見習うようお勧めいたします。また、列席の枢機卿様方、司教様方、特にポルトガル語圏の共同体から参加していらっしゃる牧者たちに、兄弟としての御挨拶を送ります。アンゴラの人々に聖母マリア様が和解の賜を祈り求めて下さいますように。マリア様がモザンビークの洪水被害者たちに慰めをもたらしてくださいますように。東ティモール、ギニア・ビサウ、ケープ・ヴェルデ、サン・トメ・プリンシペの人々をマリア様が見守ってくださいますように。マリア様がブラジルにいる息子、娘たちの信仰を守ってくださいますように。 ポルトガル共和国大統領とここに参加している政府関係者たちに、特別な御挨拶を送ります。彼らを通して、わたしのこの巡礼を可能にするために尽力して下さったすべての人々に感謝します。福者の位に上げられた子供たちを生み出したファチマの町と教区に特別な御挨拶を送ります。 最後に、少年少女の皆さん、今日はようこそいらっしゃいました。皆さんの中にはフランシスコとジャシンタとそっくりの服装をしている子供たちがたくさん見えます。とても似合っていますね。だけど、家に帰ったら、そして明日は、もう普通の服装になってしまうでしょう。小さな羊飼いたちはもういなくなると言うことです。でも、そうであってはなりませんよね。ひどいことをされて悲しんでいらっしゃるイエズス様をお慰めするために、マリア様にはあなた方が必要です。イエズス様はあなた方が罪人のために祈ること、犠牲を捧げることを望んでおられます。 お父さん、お母さん、先生たちにお願いして、マリア様の「学校」で学べるようにしなさいね。そうすれば皆さんもマリア様の願いを何でも叶えようとした幼い羊飼いたちのようになれますよ。「自分の力だけに頼って長年頑張るよりも、マリア様に従順で、マリア様に頼っていれば、皆さんはもっと短い期間に進歩することができます」(聖ルイ・モンフォール、聖母マリアへの真の信心、155)。あの幼い羊飼いたちはこのようにして短い期間で聖人になりました。病気のジャシンタを世話したあるリスボンの女性は、ジャシンタが語るとても美しく、賢い言葉を聞いて、そんなことをだれから習ったのか聞いたものです。ジャシンタの答えは「マリア様からよ」というものでした。これほどの優れた先生の指図に惜しみなく心を開いたジャシンタとフランシスコはすぐに完徳の域に達することができました。 7・「天地の主である父よ、あなたを褒めたたえます。あなたはこれらのことを知恵ある者や賢い者には隠して、幼子のような者たちにお示しになりました」。 御父よ、あなたのはしためである聖母マリアが育てた幼い羊飼い、フランシスコとジャシンタのためにあなたを賛美いたします。 二人の一生が伝えているメッセージが、永遠に人類の行く先を照らす光でありますように。 Saturday, 13 May 2000
ファチマ続報 — 教皇ファチマのメッセージを考察 毎週水曜日に行われる一般謁見で、教皇は18日、聖ベトロ大聖堂前の広場に集った4万人の巡礼にファチマの第三の秘密について語った。 教皇によると、「ファチマの聖母のメッセージは基本的に信者が世界平和のために祈ること、回心するために心を開くために償いをすること」である。そのメッセージは福音の本質的メッセージと同じでもあり、「過去の出来事によって特に試練にあっている」現代に必要である。 教皇聖下はファチマの聖母のメッセージを20世紀に信仰のために生命を捧げたキリスト信者を特別に記念した5月7日の行事に関連づけた。苦悩に満ちた今世紀の歴史によってファチマの聖母の願いはさらに深い意味を帯びてくる。これらの命を懸けた証はこの困難な、ファチマの聖母が望まれた毎日の祈りと犠牲と共に、世紀を教会が生き抜くためにも力になった。 次に教皇が指摘したのは、最近列福されたフランシスコとジャシンタ・マルトの証であった。二人とも幼くして死んだが、彼らは大人のキリスト信者たちに「自分たちの生活を素朴かつ寛大なやり方でわたしたちを聖化させる神の恩寵にいかに委ねるか」を示す大事な模範を示してくれた。 教皇は、最後に、80歳の誕生日を間近に控えて、自分の生命を救ってくださったファチマの聖母の御保護に感謝し、「わたしのファチマ巡礼はあの子たちを通じて聖母が教会にお伝えになったことと、わたしが教皇職にあった期間に示された御保護に対する感謝のためであった」と付け加えた。 そして、教皇はファチマでご自分と共にいた無数の巡礼たちの沈黙の祈りの力について語った。これは教皇が最初にファチマ大聖堂に到着したとき大きな拍手で迎えた群衆が、あの有名なファチマの聖母像の前に教皇が跪かれると、水を打ったような沈黙に入ったことを指されたもの。 Vatican Update The fundamental message of the Virgin Mary
at Fatima, the Pope said, is " an invitation
to believers to pray constantly for peace
in the world, and to do penance in order
to open hearts to conversion." That
message, he said, is also the essential message
of the Gospels. And the message is particularly
apt in our time, " which has been particularly
tested by past events." The Holy Father also drew a connection between
the message of Fatima and the special May
7 ceremony at which the Vatican honored the
Christians who had died for the faith during
the 20th century. The history of the past
century--" that very tormented historical
period" --lends a " singular eloquence"
to the pleas of Our Lady of Fatima, he said.
The powerful witness of those who gave their
lives in the past century helped to sustain
the Church through that difficult century,
along with the daily prayers and sacrifices
requested by the Virgin at Fatima. Next the Pope pointed to the witness offered
by Francisco and Jacinta Marto, the two newly
beatified Fatima seers. Although they each
died at an early age, he observed, they offered
an important example to older Christians
by " how they conformed their lives,
in a simple and generous manner, to the transforming
action of divine grace."
ポーランドの中絶事情・法律で事情はかくも変わる 5月16日 上述のニュースにコメントする形で、コワレフスキー氏はここ4年間、ポーランドでは合法、非合法を問わず中絶手術の結果死亡した女性が一人もいないと語った。であれば、中絶の非合法化が闇の中絶数増加につながるというある人たちの主張も根拠がなかったことになる。彼はまた中絶に関する現在のポーランド事情について説明を加えた。中絶は以下の三つの例外を除いて非合法。1 母親の生命が危険にさらされているとき。2 妊娠がレイプとか近親相姦による場合。3 胎児に強度の障害がある場合。 The number of abortions each year in Poland
has dropped from around 160,000 before the
fall of communism to just 250 last year.
In 1993 the Polish parliament severely restricted
abortion and during the one year when abortion
on demand was re-introduced (1997) only 1,200
women chose to end their pregnancies. Lech
Kowalewski, a Polish member of the International
Right to Life committee, concluded that abortion
restrictions had helped to educate women
and that the law could influence opinions.
Furthermore, fears that abortion restrictions
would lead to unsafe back-street abortions
have proved groundless. In fact, Dr Jack
Willke of the Life Issues Institute said,
" There are fewer [gynaecological] admissions
to Polish hospitals today than there were
when abortion was legal. There are fewer
women dying of [gynaecological] problems."
[Family News in Focus, 10 May] English Original 「ファチマの聖母・そのメッセージは希望の預言か? 悲劇の預言か?」の紹介
速報・教皇ヨハネ・パウロ二世第三の秘密を発表 【五月十三日】 ポルトガル・ファチマ(CWNews.com) 教皇ヨハネ・パウロ二世 ファチマの第三の秘密の内容を発表。 その秘密は教皇をねらった暗殺事件の幻視に関するものであり、それは1981年5月13日教皇ヨハネ・パウロ二世に起こった暗殺未遂事件に符合している。 1917年5月13日、聖母マリア様の出現を受けた3人の子供たちの中の二人を列福するため、教皇ヨハネ・パウロ二世は、5月13日、ファチマを訪れた。列福式後、教皇の依頼を受けてバチカン国務長官アンジェロ・ソダーノ枢機卿が会衆にメッセージを朗読した。ボルトガル語で読まれたメッセージは第三の秘密の概要。 カトリック信者の間で、第三の秘密についてはいろいろ推測がなされていたが、その詳細を知っていたのは先任諸教皇、現教皇、教理省長官ラッツィンガー枢機卿だけであった。 その秘密は、教会を迫害する無神論的体制と戦っている「白い服を着た司教」の幻視について詳細を語っている。その司教は「銃弾を受けて、あたかも死んだかのように倒れる」。唯一生存しているファチマの視幻者シスター・ルシアは「白い服を着た司教」が教皇であることを確認している。 ファチマの聖母を祝う日に起きた暗殺未遂事件以来、教皇ヨハネ・パウロ二世は、自分が生き延びたのは聖母マリアの保護があったからであると、繰り返している。 以下が、列福式後に読み上げられたソダーノ枢機卿による声明のテキスト。 この荘厳な列福式が終わった今、皆さんを代表して教皇ヨハネ・パウロ二世に80歳の誕生祝い、並びに、神の聖なる教会を牧者として指導なさっていることに対して感謝の言葉を贈らねばならないと感じています。 そのテキストは聖書の中で見られる預言的幻視に似たものを含んでいます。ですから、将来の出来事を写真のように詳細にわたって描写しているものではありません。特定できない期間にわたって統一された背景を総合、要約しています。ですから、テキストは象徴的基調のもとに解釈されるべきです。 シスター・ルシアも最近認めたように、「幼い羊飼いたち」の解釈は、すべての信じる人たちのために祈っている「白い服を着た司教」が教皇であるということです。(司教、司祭、男、女、修道者、一般信徒)
殉教者たちの屍の間を縫って十字架に向かって歩む際、教皇自らも銃弾を浴びてあたかも死んだかのように倒れます。 メッセージを伝えられた聖母はわたしたちの時代を見抜かれた時の印です。いとも尊いマリア様の償いへの絶え間ない招きは、正に、回心と赦しを必要とする人類家族の運命を心配している母親としての心配りです。 ファチマの聖母が伝えようとなさるメッセージをよりよく理解できるために、教皇は教理省に秘密の第三部を、適切な解説が準備でき次第、公表するよう命じられました。 ファチマの聖母にその御保護を感謝して、第三千年期の教会を聖母の取り次ぎに委ねましょう。 「天主の聖母の御保護によりすがり奉る。神の教会のために取りなし給え。教皇ヨハネ・パウロ二世のために執り成し給え。アーメン」。
成相明人訳 Catholic World News BREAKING NEWS: POPE REVEALS
On the solemn occasion of his visit to Fatima,
his Holiness has directed me to make an announcement
to you. As you know, the purpose of his visit
to Fatima has been to beatify the two " little
shepherds." Nevertheless he also wishes
his pilgrimage to be a renewed gesture of
gratitude to Our Lady for protection
during these years of his papacy. This protection
seems also to be linked to the so-called
" third part" of the secret of Fatima. That text contains a prophetic vision similar
to those found in Sacred Scripture, which
do not describe with photographic clarity
the details of future events, but rather
synthesize and condense against a unified
background events spread out over time in
a succession and a duration which are not
specified. As a result, the text must be
interpreted in a symbolic key. The vision of Fatima concerns above all the
war waged by atheist systems against the
Church and Christians, and it describes the
immense suffering endured by the witnesses
to the faith in the last century of the second
millennium. It is an interminable Way of
the Cross led by the popes of the 20th century. According to the interpretation of the 'little
shepherds,' which was also recently confirmed
by Sister Lucia, the " bishop clothed
in white" who prays for all the faithful
is the Pope. As he makes his way with great
effort towards the Cross amid the corpses
of those who were martyred (bishops, priests,
men and women religious and many lay persons),
he too falls to the ground, apparently dead,
under a burst of gunfire. After the assassination attempt of May 13
1981, it appeared evident to his Holiness
that it was " a motherly hand which guided
the bullet's path," enabling the " dying
Pope" to halt " at the threshold
of death." On the occasion of a visit
to Rome by the then bishop of Leiria-Fatima,
the Pope decided to give him the bullet which
had remained in the jeep after the assassination
attempt, so that it might be kept in the
Shrine. At the behest of the bishop, the
bullet was later set in the crown of the
statue of Our Lady of Fatima. The successive events of 1989 led, both in
the Soviet Union and in a number of countries
of Eastern Europe, to the fall of the Communist
regime which promoted atheism. For this too
his Holiness offers heartfelt thanks to the
most holy Virgin. In other parts of the world,
however, attacks against the Church and against
Christians, together with the burden of suffering
which they involve, tragically continue.
Even if the events to which the third part
of the secret of Fatima refers now seem part
of the past, Our Lady's call to conversion
and penance, issued at the beginning of the
20th century, remains timely and urgent today. The Lady of the message seems to read the
signs of the times-- the signs of our time--
with special insight. The insistent invitation
of Mary most holy to penance is nothing but
the manifestation of her maternal concern
for the fate of the human family, in need
of conversion and forgiveness. In order that the faithful may better receive
the message of Our Lady of Fatima, the Pope
has charged the Congregation for the Doctrine
of the Faith with making public the third
part of the secret, after the preparation
of an appropriate commentary. Let us thank Our Lady of Fatima for her protection.
To her maternal intercession let us entrust
the Church of the Third Millennium. Sub tuum praesidium confugimus, Sancta Dei
Genetrix!. Intercede pro Ecclesia Dei! Intercede
pro Sancto Patre Iohanne Paolo II! Amen'." ==================================================== For permission to reproduce CWN material,
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2000.
NCCB & CFFC & ? NCCB(National Conference of Catholic Bishops=米国カトリック司教協議会・会長・ジョセフ・フィオレンツァ司教)は、5月12日、CFFC(Catholics
for Free Choice=中絶の権利を主張するカトリック信者の団体・会長フランセス・キスリング)
を、再び、厳しく「このグループはもはやカトリックではなく、このグループの活動は自らは守るすべのない罪のない胎児を中絶から守ろうとするカトリック教会の教えを拒否、歪曲しようとする」として断罪しました。これは1993年の公式断罪に引き続くものです。なお、ネブラスカ・リンカン教区内(ブルスコヴィッチ司教)で、このグループへの参加者は破門に処せられています。 このCFFCと称する団体は国連主催の大会等に出席しており、昨年秋には国連から公的承認を受けています。このグループは一年ほど前から聖座を国連永久オブザーバーの地位から、NGOの地位に引き下げる署名運動を展開していました。その理由はバチカンがことあるごとに胎児の生命を擁護して、国連が進めようとする人口抑制運動に反対するからです。集まった署名数が確か三百五十票前後でしたが、この動きを探知したカトリック家庭と人権運動のオースティン・リューゼ氏が秘密裏に始めた署名運動はわずか三ヶ月で二千以上の署名を集め、日を同じくしてアナン・コッフィ国連事務総長に提出しました。わが『フマネ・ヴィテ』研究会も皆さんを代表してこの署名運動に参加したことをご報告します。 日本は終戦以来の体質で国連というと手放しで礼賛し、批判することを知りません。コソボ難民の救済に駆けつけた国連関係機関が真っ先に持って行ったのは中絶用の手動吸引器、コンドーム、中絶促進作用のある(いわゆる)避妊薬の類であったことを日本のマスコミは報道しようとしません。日本の司教団も司教会議オブザーバーであった日本修道女連盟会長である、某修道会のフェミニスト修道女の提言を受け入れ、昨年三月はピル認可に反対しないことにしました。「どうせ聞き入れられないだろう」とか「自分たちは専門家ではないのだから」(鹿児島司教の報告による)とかという理由付けもなされました。日本の司教様方も、神様の言葉を代弁する預言者集団として、洗者ヨハネのようにもっと堂々と発言して欲しいものです。腰抜けであってはいけません。失礼、敬語使用の点で落ち度がありました。日本の司教様方、お腰抜けであってはなりません。
FATIMA AWAITS PAPAL PILGRIMAGE' target="_top">English Original
パパ様のファティマ巡礼
VATICAN (CWNews.com)
テレーズ 上田優子 訳 パパ様が、今週末フランシスコとヤシンタ列福のためファティマ巡礼をなさいます。一応、個人的巡礼ということになっています。 パパ様は、1981年5月13日、暗殺未遂の際命拾いしたのは、ファティマの聖母に対するご自分の特別な信心のためである、としばしば公言しておられます。この日はファティマの聖母の祝日と一致します。パパ様は80歳の誕生日を前にして健康状態の悪化が心配されるなか、パパ様は敬愛する仲介者に祈られます。 パパ様は、5月12日午後遅くにリスボンに到着、少しの間ポルトガルのジョージ・サンペイオ大統領に会われ、その後、ヘリコプターで三人の子供たちが1917年に聖母マリアに会い、一連の予言を受けた聖地ファティマに向かい、有名なファティマの聖母像の前で祈られます。 1920年に公開されたこの像は、パパ様が世界を聖母に奉献なさったとき、1984年に一度だけローマに運ばれました。パパ様は21世紀に入る前に、その奉献を新たにしたいという思いを示されました。 毎年何十万もの巡礼者が、この聖地でファティマの聖母の祝日の前日にはろうそく行列に参加します。今年、主催者は少くとも100万人の参加者を予想しています。パパ様の参加は予定されていませんが、滞在先の宿舎の窓から姿を見せられるかもしれません。 5月13日の朝9時30分、巡礼者は列福式の前にロザリオの祈りに参加します。パパ様は個人的に祈るために
バシリカ内部にあるフランシスコとヤシンタ の墓を訪問なさいます。また、パパ様はフランシスコとヤシンタと同じく、ファティマの3人目の目撃者で現在93才のカルメル会修道女ルシアにも会うことになっています。 また、ファティマの視幻者のおいとめいたちも列福式に参加します。フランシスコとヤシンタには八人の兄と姉たちがいました。その中の最後の生存者が最近94才でリスボンで亡くなっています。 列福式後、パパ様はヘリコプターでリスボンにに引き返し、5月13日夕方遅くバチカンに帰着なさいます。翌朝パパ様はローマの司教区26人の司祭を叙階なさる予定。
ファチマの羊飼いフランシスコとジャシンタ・マルトの列福式
Fatima
1. " Father, ... to you I offer praise;
for what you have hidden from the learned
and the clever you have revealed to the merest
children" (Mt 11: 25).
With these words, dear brothers and sisters,
Jesus praises the heavenly Father for his
designs; he knows that no one can come to
him unless he is drawn by the Father (cf.
Jn 6: 44); therefore he praises him for his
plan and embraces it as a son: " Yes,
Father, for such was your gracious will"
(Mt 11: 26). You were pleased to reveal the
kingdom to the merest children.
According to the divine plan, " a woman
clothed with the sun" (Rv 12: 1) came
down from heaven to this earth to visit the
privileged children of the Father. She speaks
to them with a mother's voice and heart:
she asks them to offer themselves as victims
of reparation, saying that she was ready
to lead them safely to God. And behold, they
see a light shining from her maternal hands
which penetrates them inwardly, so that they
feel immersed in God just as - they explain
- a person sees himself in a mirror.
Later Francisco, one of the three privileged
children, exclaimed: " We were burning
in that light which is God and we were not
consumed. What is God like? It is impossible
to say. In fact we will never be able to
tell people" . God: a light that burns
without consuming. Moses had the same experience
when he saw God in the burning bush; he heard
God say that he was concerned about the slavery
of his people and had decided to deliver
them through him: " I will be with you"
(cf. Ex 3: 2-12). Those who welcome this
presence become the dwelling-place and, consequently,
a " burning bush" of the Most High.
2. What most impressed and entirely absorbed
Bl. Francisco was God in that immense light
which penetrated the inmost depths of the
three children. But God told only Francisco
" how sad" he was, as he said. One
night his father heard him sobbing and asked
him why he was crying; his son answered:
" I was thinking of Jesus who is so sad
because of the sins that are committed against
him" . He was motivated by one desire
- so expressive of how children think - " to
console Jesus and make him happy" .
A transformation takes place in his life,
one we could call radical: a transformation
certainly uncommon for children of his age.
He devotes himself to an intense spiritual
life, expressed in assiduous and fervent
prayer, and attains a true form of mystical
union with the Lord. This spurs him to a
progressive purification of the spirit through
the renunciation of his own pleasures and
even of innocent childhood games.
Francisco bore without complaining the great
sufferings caused by the illness from which
he died. It all seemed to him so little to
console Jesus: he died with a smile on his
lips. Little Francisco had a great desire
to atone for the offences of sinners by striving
to be good and by offering his sacrifices
and prayers. The life of Jacinta, his younger
sister by almost two years, was motivated
by these same sentiments.
3. " Another portent appeared in heaven;
behold, a great red dragon" (Rv 12:
3).
These words from the first reading of the
Mass make us think of the great struggle
between good and evil, showing how, when
man puts God aside, he cannot achieve happiness,
but ends up destroying himself.
How many victims there have been throughout
the last century of the second millennium!
We remember the horrors of the First and
Second World Wars and the other wars in so
many parts of the world, the concentration
and extermination camps, the gulags, ethnic
cleansings and persecutions, terrorism, kidnappings,
drugs, the attacks on unborn life and the
family.
The message of Fatima is a call to conversion,
alerting humanity to have nothing to do with
the " dragon" whose " tail swept
down a third of the stars of heaven, and
cast them to the earth" (Rv 12: 4).
Man's final goal is heaven, his true home,
where the heavenly Father awaits everyone
with his merciful love.
God does not want anyone to be lost; that
is why 2,000 years ago he sent his Son to
earth, " to seek and to save the lost"
(Lk 19: 10). And he saved us by his death
on the cross. Let no one empty that Cross
of its power! Jesus died and rose from the
dead to be " the first-born among many
brethren" (Rom 8: 29).
In her motherly concern, the Blessed Virgin
came here to Fatima to ask men and women
" to stop offending God, Our Lord, who
is already very offended" . It is a mother's
sorrow that compels her to speak; the destiny
of her children is at stake. For this reason
she asks the little shepherds: " Pray,
pray much and make sacrifices for sinners;
many souls go to hell because they have no
one to pray and make sacrifices for them" .
4. Little Jacinta felt and personally experienced
Our Lady's anguish, offering herself heroically
as a victim for sinners. One day, when she
and Francisco had already contracted the
illness that forced them to bed, the Virgin
Mary came to visit them at home, as the little
one recounts: " Our Lady came to see
us and said that soon she would come and
take Francisco to heaven. And she asked me
if I still wanted to convert more sinners.
I told her yes" . And when the time came
for Francisco to leave, the little girl tells
him: " Give my greetings to Our Lord
and to Our Lady and tell them that I am enduring
everything they want for the conversion of
sinners" . Jacinta had been so deeply
moved by the vision of hell during the apparition
of 13 July that no mortification or penance
seemed too great to save sinners.
She could well exclaim with St Paul: " I
rejoice in my sufferings for your sake, and
in my flesh I complete what is lacking in
Christ's afflictions for the sake of his
body, that is, the Church" (Col 1: 24).
Last Sunday at the Colosseum in Rome, we
commemorated the many witnesses to the faith
in the 20th century, recalling the tribulations
they suffered through the significant testimonies
they left us. An innumerable cloud of courageous
witnesses to the faith have left us a precious
heritage which must live on in the third
millennium. Here in Fatima, where these times
of tribulation were foretold and Our Lady
asked for prayer and penance to shorten them,
I would like today to thank heaven for the
powerful witness shown in all those lives.
And once again I would like to celebrate
the Lord's goodness to me when I was saved
from death after being gravely wounded on
13 May 1981. I also express my gratitude
to Bl. Jacinta for the sacrifices and prayers
offered for the Holy Father, whom she saw
suffering greatly.
5. " Father, to you I offer praise, for
you have revealed these things to the merest
children" . Today Jesus' praise takes
the solemn form of the beatification of the
little shepherds, Francisco and Jacinta.
With this rite the Church wishes to put on
the candelabrum these two candles which God
lit to illumine humanity in its dark and
anxious hours. May they shine on the path
of this immense multitude of pilgrims and
of all who have accompanied us by radio and
television. May Francisco and Jacinta be
a friendly light that illumines all Portugal
and, in special way, this Diocese of Leiria-Fatima.
I thank Bishop Serafim, of this illustrious
particular Church, for his words of welcome,
and with great joy I greet the entire Portuguese
Episcopate and their Dioceses, which I deeply
love and which I urge to imitate their saints.
A fraternal greeting goes to the Cardinals
and Bishops present, with a special word
for the Pastors from the community of Portuguese-speaking
countries: may the Virgin Mary obtain reconciliation
for the Angolan people; may she bring comfort
to the flood victims of Mozambique; may she
watch over the steps of Timor Lorosae, Guinea-Bissau,
Cape Verde, Sao Tome and Principe; may she
preserve her Brazilian sons and daughters
in the unity of faith.
I extend a respectful greeting to the President
of the Republic and to the authorities who
have wished to take part in this celebration.
I take this occasion to express, through
them, my gratitude to everyone who helped
make my pilgrimage possible. A cordial embrace
and a particular blessing to the parish and
city of Fatima, which today rejoices in her
children who are raised to the honours of
the altar.
6. My last words are for the children: dear
boys and girls, I see so many of you dressed
like Francisco and Jacinta. You look very
nice! But in a little while or tomorrow you
will take these chothes off and ... the little
shepherds will disappear. They should not
disappear, should they?! Our Lady needs you
all to console Jesus, who is sad because
of the bad things done to him; he needs your
prayers and your sacrifices for sinners.
Ask your parents and teachers to enrol you
in the " school" of Our Lady, so
that she can teach you to be like the little
shepherds, who tried to do whatever she asked
them. I tell you that " one makes more
progress in a short time of submission and
dependence on Mary than during entire years
of personal initiatives, relying on oneself
alone" (St Louis de Montfort, The True
Devotion to the Blessed Virgin Mary, n. 155).
This was how the little shepherds became
saints so quickly. A woman who gave hospitality
to Jacinta in Lisbon, on hearing the very
beautiful and wise advice that the little
girl gave, asked who taught it to her. " It
was Our Lady" , she replied. Devoting
themselves with total generosity to the direction
of such a good Teacher, Jacinta and Francisco
soon reached the heights of perfection.
7." Father, to you I offer praise, for
what you have hidden from the learned and
the clever you have revealed to the merest
children" .
Father, to you I offer praise for all your
children, from the Virgin Mary, your humble
Servant, to the little shepherds, Francisco
and Jacinta.
May the message of their lives live on for
ever to light humanity's way!
Finally the Pope said that, as he nears his
80th birthday, he gives thanks to the Virgin
of Fatima for preserving his own life. He
added: " My pilgrimage to Fatima was
in thanksgiving to Mary for what she communicated
to the Church through those children, and
for the protection she gave me during my
pontificate."
Before closing, the Pope made an observation
about the capacity for silent prayer that
he noticed among the hundreds of thousands
of pilgrims who were with him at Fatima.
When he first arrived at the shrine, he had
been greeted by thunderous applause. But
as soon as he knelt in prayer before the
famous statue of the Virgin Mary in the Fatima
shrine, the crowd became absolutely silent.
共産主義政権崩壊まで年間16万件もあったポーランドにおける中絶数は、昨年はわずか250件に減少した。1993年、ポーランド国会は中絶を厳しく制限した。1997年要求があり次第の中絶が認められた年でも中絶件数はわずか1200件であった。国際生命の権利委員会のレック・コワレフスキー氏は、中絶制限法が女性の意識変革に一役買い、また法理は人々の意見に影響を与えると結論した。さらに、中絶制限が安全でない非合法中絶数の増加につながるのではないかという虞も杞憂であったことが判明した。ライフ・イシュー・インスティテュートのジャック・ウイルキー博士によると「現在、ポーランド国内で婦人科に入院する女性の数は中絶が合法であったときより少ない。婦人科関係の疾患で死亡する女性も減少している。」
Further to the news summary above,
Mr Kowalewski has told us that in four years
there has not been one single reported case
of a mother dying as a result of an abortion
in Poland, either legal or illegal. Clearly,
then, the legal restriction on abortion has
not led to more women being injured in back-street
abortions as some had feared. He also clarified
the current situation with regard to abortion
in Poland. It is illegal with three exceptions
: the life or health of the mother is in danger;
the pregnancy is a result of a crime such
as rape or incest; the unborn child is severely
handicapped. [SPUC, London, May 16]
枢機卿によると、第三の秘密の全文は間もなく教理省による解説つきでバチカンから発表されることになる。
このファチマ訪問にあたり、教皇様は皆さんに以下のお知らせをするよう命じられました。ご存じの通り、教皇様のファチマ訪問は二人の「幼い羊飼いたち」を福者の位に上げるためでした。しかし、教皇はこの巡礼を在位中に示された聖母の御保護に対する新たな感謝を捧げる機会にしたいとお考えです。聖母の御保護はいわゆるファチマの「第三の秘密」にも関連しているようです。
ファチマの幻視は、特に、教会とキリスト信者に対して無神論的体制が挑む戦いに関するものであります。それによると、第二千年期の最後の百年間に信仰を証する者たちが忍ぶことになった過酷な苦しみを伝えるものです。それは20世紀の教皇たちが歩まねばならなかった絶え間ない十字架の道行きです。
1981年5月13日の暗殺未遂事件後、「銃弾のコースを導いた母の手」が「死ぬはずであった教皇」を「死の敷居」で押しとどめたことを、教皇は明白に理解しました。ローマを訪問した当時ポルトガル・レイリアの司教に、教皇様は、暗殺未遂事件の後ジープ内に残っていたその弾丸を贈り、それはファチマの聖堂に保存されることになりました。司教の命で、その弾丸は後にファチマのマリア像の王冠内に埋め込まれました。
1989年に起きた一連の出来事は、ソヴィエート連邦と東ヨーロッパのいくつかの国で、無神論を推進していた共産主義政権の崩壊につながりました。これらの出来事のためにも教皇様は心からの感謝を聖母マリアに捧げておられます。しかし、悲しいことに、その他の国で教会と信者に対する攻撃、それに伴う苦しみの重荷は続いています。ファチマの第三の秘密が指す出来事はもはや過去の出来事であるかのようではありますが、聖母マリアが20世紀初頭に呼びかけられた回心と償いへの招きは今でも時宜を得たものであり、緊急であり続けます。
Feature
[MAY. 13, 2000]
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