ドイツのレーマン大司教が失言?

CWNews  — 翻訳と解説 成相明人 2000.1.12

               

マインツ・ドイツ発・教皇の辞任に関する発言は誤解! ドイツ司教協議会会長が月曜日に語った教皇の病弱と辞任の可能性は誤解されていたと主張している。

マインツのカール・レーマン大司教は日曜日にドイツのラジオ放送で流されたインタビューで、自分が病弱な教皇に辞任を迫ったことはないと弁明した。自分が言ったのは「個人的には、教皇に教会を指導するだけの力がないと感じるのであれば、『しなければならないことをするだけの力がわたしにはない』と言って、辞任するだけの力と勇気があると信じる」と言ったことは認めた。

月曜日に大司教は「教会と若者に視点が向けられた社会では、年老いた、病気がちな教皇ヨハネ・パウロ二世が自分の義務を全うするのを目の当たりにするのは悪いことではなかろう」と言っている。また、最近会ったときにも教皇には「人並みならぬ落ちつきと…精気が」見られた、とも言っている。

イタリアのマスコミ界はレーマン大司教のこれらの発言にかみついて、大司教が教皇に辞任を迫ったなどと報道した。イタリアの報道社ANSAなどは大司教が直ちに辞任すべきであると発言したなどと報道するし、新聞社La Republicaは「ドイツ司教団のショッキングな提案…教皇は耄碌している…辞任せよ」などの見出しで報道した。

以上はCWNEWS の翻訳。以下は私見。

レーマン大司教がリベラルであることは周知の事実。ドイツでは中絶を希望する女性が事前に教会でカウンセリングを受けることになっている。教皇は一貫して、そういうことから手を引くように要求しているが、ドイツ司教団は、女性がカウンセリングで産む決心をするかも知れない、などの理由で昨年末まで教皇に従おうとしていなかった。ちなみにカウンセリングによる手数料は教会の収入になっていた。昨年、カトリック教会のカウンセリング証明書は中絶を許可するものではないなどとしたものの、 中絶クリニック等ではそれを証明書と見なしてくれるので、事態の改善にはなっていなかった。地域によっては教皇様とこの点で一致している司教たちもいたものの、彼らは少数派。レーマン大司教は多数派の頭領であることから、彼の発言が曲げられたものと思われる。たとえ、リベラルではあっても言わなかったことは言わなかったことであり、イタリアのメディアは真実を伝えていない。

記録としては、1294年に退位した教皇チェレスティーノ五世が唯一の例である。その後ボニファチオ八世が次期教皇に選出されたものの、何人かの枢機卿はこの退位自体が有効であったかどうかに関して疑問を呈したものである。その他にもいくつか類似のケースはある。653年東ローマ皇帝に追放された教皇マルチノ一世も次期教皇ユージーン一世の選出を暗黙理に認めている。964年、しばしば対立教皇とみなされる教皇ベネディクト五世は皇帝オットー一世により罷免され、その処置に甘んじている。1045年、教皇シルヴェスター三世はそのライバル教皇ベネディクト九世によって追放されている。そのベネディクト九世も数ヶ月後にグレゴリオ六世に位を譲っている。1445年、三人が教皇であることを主張したあの有名な西方離教の際、教皇グレゴリオ十二世はコンスタンス公会議後、自発的に退位している。

教皇ヨハネ・パウロ二世自身にも、使徒的教令Universi Domini Gregisで、教皇選出法に関する発言がある。教会法三百三十二条「ローマ教皇が退位する場合、それが有効であるためには退位が強制されていないこと、その意思表示が明確になされていることが必要である。また、辞任がだれかによって受け容れられる必要はない」を引用している。

昨日は鹿児島に所用があって出かけたが、行く先々でこの問題について信者の皆さんから質問を受けたので、ここに解説の一文を書くことにした。なお本日の朝日新聞にもこの件に関する記事があるが、公平な取り扱いがなされている。レーマン司教となっているが、わたしの知る限りでは大司教である。腹を立てたニュース社が彼の位を司教に下げてしまったのかも!?

成相明人