バッド・マクファーレン

恩寵によって著者

バッド・マクファーレン・ファン・クラブ主宰  成相明人訳

1994年のある日曜日のこと、クリーヴランド近郊に住んでいたわたしは友人から電話を受けた。マリア様の出現に関して小説を書きたい、と彼は言うのだ。そして、マリア様の御心にロシアを奉献すると訪れるはずの「しばらくの平和」について意見を求めてきたものだ。わたしは一時間ほどいろいろ指導・忠告した。実は、わたし自身、当時は小説家でもなく、小説家になる予定もなかった。「登場人物が余りにも聖人であり過ぎる。カトリック信者の92%は教会に行ってないか、行っていたとしても教導職の指導に忠実でない。だから君の登場人物も罪人でなければ…」

家内のベイがたまたま側で、最後のこの部分を聞いていた。「あんたが自分で書きなさいよ。あんた文章を書くのがうまいんだし、彼に今教えたとおりに書けばいいのよ」ということで、わたしは小説家になることにした。最初の作品が" Pierced by a Sword" (剣に貫かれて)だった。わたしたちの結婚記念日だった12月8日、その三分の一を読み終えた家内がこう言うではないか。「これは福音宣教の道具になるわよ」。そして、その数日後、それを読んだある読者から思いもよらぬ多額の寄付金が届いた。

わたしたちのデータベースに掲載されていた800人の神父様方、シスター方に祈りを依頼して、さあ、出発! それで市場調査の専門家を一人雇い、いろいろ調べてはもらった。カトリック出版・書籍販売会社にも当たってみた。「カトリック信者がフィクションなんて読むものですか? 何、ただで配りたい? ただのものを読む人なんていませんよ。印刷会社への支払いは?」わたしたちはそれが宣教であると思って、当時、最初の小説を無料で配りまくっていた。そして、" Pierced by a Sword" は確かにカトリックの小説としては一番の人気を誇っていた。1995年以来、それは他に書いた二つの小説" Conceived without Sin" " House of Gold" を別にしても、50万部印刷され、人々の手に渡っていた。カトリックの典型的ベスト・セラーでさえも一万部そこそこ、と言えば、読者もこの数字がただごとでないことがお分かりであろう。

このような統計よりもっと説得力があるのは、わたしが受け取ったメールの内容である。数多くの人々がわたしの書いた小説で生き方を変えた。カトリックへの改宗、教会との和解、秘蹟との再会、新たになった聖母に対する信心、これらの小説を読んで避妊を止めて生まれた子供たちの写真等々…。

始まり

わたしの専攻は歴史であった。社会に出てからは物品販売業。1991年、新婚のわたしたちはヒューマン・ライフ・インターナショナルの集まりで、自分たちのテープを無料配布することにした。あのころのわたしは、皆さんが国道沿いに見るあのオレンジ色の樽を製造する会社で、国内販売部長の職にあったものだ。テープの内容はマリア様の出現がいろいろ噂されて、信徒に混乱をもたらしていた当時、わたしの父が初めてこの問題を真正面から取り上げたものだった。実を言うと、ある日、父が講演しているのをわたしが無断で録音したものだった。父は抗議したものの、そこは親子…何とか説得してしまった。

で、テープ複製機を購入し、台所に据え付け、無料で配る500本のテープを複製した。当時家内は妊娠八ヶ月に入っていた。ただで配ったというのに、かなりの数が残ったので、参加者には追加が欲しければ、手紙で請求するように願った。そして数日後、わたしたちは毎日のように願いもしなかった寄付金と追加注文、回心の報告を受け始めた。もちろんそれは空テープと切手代になった。マリア財団の誕生である。でも、それはまだ一組の新婚夫婦が捧げる十分の一税に毛が生えた程度のものでしかなかった。

当時、注文はためて置いて、十分にたまった時点で、テープと切手を買って発送するようにした。そして、仕事がはかどるように、当時最高レベルのワークステーションとソフトウェアは購入した。テープも古典になった「スコット・ハンの改宗」を追加。1993年末までに、配布したテープは7万本、1994年末には20万本を突破した。厳選したテープもその内に追加されることになった。

神の恩寵によってのみ

現在マリア財団が扱っているのはテープが7本と本が3冊だけである。テープは不許複製ならぬ複製を大いに勧めている。手間と費用が省けるから…。電話での注文は受け付けていない。テープ注文用の申込用紙も存在しない。電話番号も電話帳には載せないことにしている。商用のメーリングリストを利用することもないし、自分たちのメーリングリストを販売したこともない。でも、電話の呼び出しベルが鳴ると即受話器を取るために、5人の従業員をおいている。好評のウェブ・サイトはhttp: //CatholiCity.com

メールオーダーの会社は普通24時間以内発送を看板にするが、わたしたちの場合は8年前から6時間以内発送である。すべてのメールには個人的に返事している。借金はせずに済んでおり、業者への支払い期日に遅れたこともない。何万人ものカトリック信者がわたしたちの商品を無料で配ってくれており、それが最強の「販売」網になっている。

なぜ、わたしたちのしていることがビジネスとしても成功だったのだろうか? いろいろな理由が挙げられるだろう。少々甘ったるくて鼻につくかも知れないが「神様が共同経営者だから」と答えることができたらいいのにと思うことがある。艱難辛苦と神の恩寵? もちろん…ある修道女から聞いたことだが「魂を救う恩寵にはコストがかかる」そうだ。

ここまでこれたのは、わたしたちが単に信心深いから、というわけではないようだ。でも、成聖の聖寵の状態になければこういうことを長く続けることができない、これは言える。家内は機械に恐ろしく詳しいエンジニアだが、ロザリオの最中に元気溢れる三人の男の子たちには手こずってはいるようだ。

わたしたちは両方ともいつでも楽しくてしようのないカトリックの大家族出身である。でも、第二バチカン公会議以降、大部分の子供たちがそうであったように、信仰教育という点では二人とも今ひとつだった。日曜学校でも、何やら訳の分からぬ工作などをさせられたことなら覚えているが…まじめな信者家庭出身の仲間たちと共にノートルダム大学の学生になってからは、勉強もさることながら、信仰を捨てることもなく、カトリックの信仰を守る護教に精を出せたのは、今から考えると、正に、言い尽くせない神の慈しみの神秘だった、としか言いようがない。

恩寵はわたしたちの青年時代を支配していた。1983年12月8日、家内とわたしはその他七人の仲間と共に汚れなき御心の騎士として、それぞれの一生を奉献した。マキシミリアン・コルベ神父様がわたしたちのもっとも尊敬する英雄だった。「ただの友達」だったベイとわたしは卒業後別々の道を歩くことになった。でも、七年後(その間の話も始めたら尽きないのだが…)、同じく12月8日、わたしたちは結婚することになった。そして、あの奉献という事実があったため、わたしたちは想像することすらできなかった冒険にのめり込むことになる。

市場の要求に応じる

商業的見地からすると、わたしたちが成功したのはそれほど不思議ではい。厳密に言えば、カトリックの本とかテープを信徒に販売するために全国的配給・宣伝組織があるわけではないから「直接」方式をわたしたちのように無から作り上げるのは、理に適っている。テレビではマザー・アンジェリカが…出版ではフェッシオ神父が直販で成功している。聖ヨゼフ・コミュニケーションのテリー・バーバーも同じ手口で成功した。カトリック使徒職の多くは死の文化の森をこのようにして切り開いて進みつつある。60〜70年代の大量教会離れで大都会に本拠を置くカトリック出版社は、今や総入れ歯を必要とするほどに無力化・老化している。元々恐るべき大勢力であったとしても、今はやっと沈まない程度に浮かんでいる程度のカトリック出版社がいかに多いことか…

男女別にグループ分けすれば別だが、アメリカ人を人口学的に分類すればカトリック信者は一番の大勢力なのである。一人あたりの年間収入も、実は最高、宗教別に見ても最高学府で学んだカトリック信者の率はずば抜けている。こういうことをご存じだっただろうか? わたしたちは米国人の25%を占めている。政治家たち、ロックフェラー財団、その他この世の権力者たちが、米国のカトリック化を避けるため、60年代に避妊ピルを推進したかったはずだ。当時の米国はカトリックに飲み込まれる寸前であったと言っても言い過ぎではない。ケネディー大統領の登場は彼らにとってショックだった。それなのにカトリック出版業界には1995年になっても同業者組合らしきものすら持っていなかった。フルトン・シーン司教のあの優れたテレビ番組も今となっては、はるか彼方の記憶にしか過ぎない。ダブルデー出版社のカトリック部門だったイメージ・ブックも本棚はあるようだが、中身はほとんどない…カトリック信者が六千万人もいるというのに、カトリックの全国新聞は存在しない。アンヌ・マゲリッジが言ったとおり、メディアとか販売網とかの面で、カトリックのブドウ畑は荒廃してしまった。カトリック・ダイジェストだけはやや健在という感じではあるが、それでも購読者数の急激な減少は警戒警報レベルであり、読者層は40歳以上にほぼ限定されている。優れたカトリック雑誌・新聞でも、発行部数が25000以上のものはごくわずか。このように、カトリック出版の流通は劇的変化を遂げてはいるが、それでも新興カトリック・メディアのいくつかの部門では信徒の要求に応じて、ゆっくりとではあっても、すばらしい熱意と高度の洗練でもってカムバックを見せ始めている。

わたしだったら「普通の」と言いたいところだが、いわゆる熱心なカトリック信徒の人口と収入水準をできるだけ正確に調べてみると、その結果、受洗者の6〜8%という数字が出てきた。このグループに関しては興味深い事実が浮かび上がってくる。熱心な信徒の大部分は結婚しており、この人たちは熱心であるから、共稼ぎをすることなく、経済的には苦しくても新しい生命に対して開かれている。彼らが8ドルのテープとか15ドルの本を買って友人にプレゼントする、という贅沢をしようと望んでも、そんな贅沢ができる余裕はない。マリア財団にメールを送る人たちは普通5〜10冊を希望する。25%はまったく寄付を送ろうとしない。それは彼らに余裕がないか、それとも寄付することを望まないからであろう。わたしたちはそれでもいっこうに構わない。50%はいくらかの寄付を送ってくれるが、それは原価、郵送料、包装料を下回る額である。しかしこの人たちこそわたしたちの財団を支えてくれる背骨とでもいうべき人たちである。残りの25%が施しの必要性を理解する寛大なカトリック信者たちである。この人たちのお陰で残りの75%によって生じる損失が十分に埋め合わされている。

ミサに参加する人たちも料金を払うわけではない。献金の内訳もおそらくわたしたちの場合と似ているのではなかろうか? 考えてみると、真理に定価をつけることはできないのだ。だいぶ以前のことだが、(Miracle-Groの発明者であった)ある方から2000ドルの寄付金が送られてきた。その時点まで最高額の寄付は50ドルだったので、驚いたわたしは彼に感謝の電話を入れた。すると、電話の向こうで彼がすすり泣いているのが聞こえるのだ。「わたしは信仰を捨ててしまった息子のために40年間祈り続けた。本当に強情な奴で…でも、あなたが送ってくれたあのテープを聞いて、先週電話をくれました。わたしに謝りました。告解にも行くそうです。そして再び信仰を捨てることはないと約束してくれました。あなたのが送ってくれたあのテープにはいくら金を払っても十分過ぎることはない…わたしの息子のような人たちにもっとたくさんのテープが行き渡ると良いですね」。そのしばらく後、彼はこの世を去った。貧しい国の人たちがやせた土地でも農作物を栽培できるような肥料の開発に一生を捧げた方だった。神は彼に報い、彼は物質的には満たされた生涯を送った。彼は毎日六環のロザリオを唱えていたという。彼の葬式に参加した人たちの列の長さは六区画に及んだ、と彼の娘が教えてくれたものだ。わたしは彼が聖人であったと思う。たった一本のテープが息子の回心の道具になった…これを考えるとわたしは鳥肌が立つような思いがする。だれが彼にあのテープを手渡したのかさえわたしは知らない。

需要に応える

無料のテープを数百本配布して数週間経過したとき、わたしは巨大な地下水脈のような需要があることに気づいた。熱心なカトリック信者であれば、福音宣教をしたいのは当然である。でも、先立つものが必要であるのも事実である。

見た目には簡単な組織上の挑戦があった。全くの寄付金なしで発送する25%を含んで、一本のテープにかかるコストは1991年の時点では1ドルと少し、1999年の時点では2ドルと少しかかっている。これはインフレ率とほぼ同じ。寄付の平均額よりもコストを低く抑えること、これが家内とわたしにとっては腕の見せ所であった。わたしたちはけちで有名なスコットランド人の子孫…勤勉、自宅の仕事場化、いろいろやった。数ヶ月ごとに倍増するマリア財団の興奮とディレンマのもとで、家内とわたしは身内の者たち以外との社交生活を意識的にあきらめた。いろいろ工夫してみた。生産性向上、資金繰り、表計算は明らかに増大する一方の需要を示していた。下請け業者たちとは包括的契約を結ぶことにした。従業員たちにも職業的トレーニングを実施した。電話で生産数を言っても信じようとしなかった業者は、わたしたちのアパートに姿を見せると、胸に赤ん坊を抱えた家内が、機械の設計図を実際に見せるまでは、実に疑わしそうな顔をするものだった。わたしたちは一件当たりの時間を短縮し、またコストを下げるために自分で包装用紙をデザインし、マクロを作りあげていた。

昼間のわたしは先述の会社で国内販売部長の職にあり、夜はマリア財団でもフルタイムで働いていた。運のいいことに、家内はいわゆるプロセス・エンジニアリングの専門家で、こういう単純な作業をいかに安くするかと言う点では、文句なしの実績を示してくれた。資金に余裕ができると、機械、コンピュータ、時間を節約してくれる諸々の道具に使った。その内に、わたしたちの恩人に当たる方々から出発して、無料奉仕の弁護士、会計士、機械屋、包装専門家、編集者、音響技術者、郵送専門家たちのネットワークができあがった。わたしの専門でもあるので、製品の宣伝文、ウェブサイトの作成のほとんどは自分でこなした。少しでも節約するために、わたしたちは工夫し、変更し、さらにまた変更を加えた。

振り返ってみると、まあ何と楽しくやってきたことだろう。赤ん坊も生まれた。独立した。ゲリラ的販売戦略、しばしば舞い込む回心の報告、いやこれはしょっちゅう舞い込む回心の報告といった方がいい。5年間に引っ越したのは4回にもなる。わたしたちの宣教的「息子」の食欲はすぐに大きくなりすぎて、住居が工場建築不許可法に引っかかってくるのだ。現在、配送センターだけは自宅から独立させてある。そして、本部である自宅でフルタイムで働いている。

生ぬるい信者、棄教した元カトリック信者は御父の家に帰ってくるものである。彼らにはロザリオを唱えるよう勧めることだ。だって、勧められたとおり彼らは実際にロザリオを唱えるかも知れないから…そうそう、地獄は本当にあると教えてやるのもいい手段である。30年もリベラル派からのアジテーションとプロパガンダ漬けになっていても、彼らは本音を言ってくれる。「分かっていた…彼らがうそをついていたのは分かっていた…告解にはすぐ行くから…」。熟れたリンゴが木から落ちるように、この人たちは熟している。間違いない。だれかがこういう人たちに一本のテープを渡してくれさえすれば、一冊の本をプレゼントしてくれさえすれば、メールを送りさえすれば、リンゴは落ちてくる。

宣教は愛、信仰、救いのように抽象的で無料である人生最高の事柄についてである。宣教は教えることでなく、問うことである。わたしたちが提供するテープと本はそれを手にする人たちと対決する。真理を聞いてしまったあなたは、さあ、もう何かしなければならないと感じるものだ。小説は人間の心に強烈に語りかけることができる。心を豊かにさせることにかけて、小説は映画にもまして強力なメディアであるとわたしは信じる。インクと紙、ページ上のストーリーが読者の心に、いかに現実世界 — テレビなどが提供する安物でない、魅力溢れるカトリックの世界を作り上げてしまうことか!

学んだ教訓

実践的に言えば、過去数年間、主に失敗することによって、また(特にホームページの作り方では)UPSとかドミノス・ピツァ、その他の大企業の真似をしながら、わたしたちが学んだことは少なくない。本にしてもテープにしてもウェブ・サイトにしてもやはりプロらしい雰囲気、世俗の商品にある高品質がなければならない、とわたしは確信している。

植字工、編集者も最高と見なされている人たちにお願いしている。また、録音機とかソフトウェアも最高のものしか買わない。聖マキシミリアン・コルベでもやはりわたしと同じくしたであろうと思う。1920〜1930年代のポーランドで彼ら貧しい修道者たちは、当時最高の印刷機を所有し、現代オフセット技術に今でも採用されている最新技術をいろいろ発明・開発したものだ。わたしたちが提供するものは基本的にはすべて無料ではあっても、人の心に訴えるためには決して安物であってはならない。マリア様のお名前が包装紙に印刷されるわけだから、中身も最高のものでなければならないのだ。わたしたちのモットー「わたしたちがここから送り出すものは何であれ、余分に寄付してくださる恩人から他の人たちに対する贈り物であるから、粗末なものであってはならない」。

わたしたちのウェブ・サイトも単純きわまりない。「聖マキシミリアン・コルベはインターネットで勝負しただろうか?」こう考えた上での結論だった。だからどんな新技術であっても恐れることは決してなかった。コルベ神父の洞察によれば技術とは何かをもっと早くもっと安くするための道具にしか過ぎなかったのである。書いたもをより早く、より簡単に、より安く送る方法が電子メールである。CatholiCityを導入する前、わたしたちは一年ほどかけてインターネットを研究した。二年ほど遅れて一般のカトリック信者がネットに入ってきたとき、わたしたちはもうすっかり準備できていた。

当然、それが魂に影響を与えるもっとも確かな方法だったので、ネット上では、掲示板とか電子メール討論グループなどのような、いわゆるきつくて、汚い仕事にも積極的に手を出した。このようなサービスは個人的にも関わらねばならないし、人手も必要である。全世界が相手だから一日二十四時間、週に七日が当然とされる。フルタイムのスタッフと共に、ネット上でのボランティアが活躍してくれた。いわゆるハンドルなど、この世界では常識とされていることもわたしたちは許さなかった。真剣だったからである。使徒職でインターネットを使用するところは少ないはず。それもそのはずである。インターネットは汚水だめ。何があるか分からない。わたしだったら監督なしの子供たちにコンピュータをいじらせたくない。別にヤンセンばりの厳格主義的傾向がわたしにあるわけでなても、心からそう思う。

CatholiCityのお陰で、わたしたちはついにロゴを持つようになり、またインターネットはぴかぴか光る小さな光、単なる画素の集合にしか過ぎないので、便箋、封筒にはレターヘッドを使用することにした。でも、その本質はネットに参加する人たちの頭脳と魂にある事柄である。わたしたちはもう一段ステップアップした。CatholiCity市民自身が生のコンテントになったのである。毎月そこに姿を見せる人たちを総計すると、フェンウェイ公園の二倍の広さに入りきるだろうかというほどいる。

この成功の秘密をお教えしよう。実を言うとわたしたちはこれをイエズス様から学んだのだ。「求めよ。そうすれば与えられるであろう」。テープにも本にも、その他の印刷物、ウェブサイトでも、わたしたちはこれらのテープを聞く人、本を読む人のために毎日祈ること、これらの材料を利用して派手に福音宣教することの二つを願っている。恩寵がどれほど神秘的かつ強力であるかわたしたちカトリック信者はもう記憶していないのだろうか?

二年ほど前、あるご婦人から電話があった。アラスカの方である。毎年、彼女とご主人はあの大きな窓の列車に乗ってニューヨークの親戚に会いに来るのである。彼はよくある典型的な不可知論者。正直で、浮気などはしない申し分のない夫。第一戒を除いて十戒は完全に遵守している。妻の信仰については興味を示すことがなかったし、また、なぜ妻が信仰に熱心であるのかとんと分からなかった。それで14年前から、彼女は夫の回心のために熱心に祈り始めた。さて、彼女が夫と共にカナダの西部で車中にあったそのとき、彼女はわたしの小説を読んでいた。で、それを座席に置いて、何かおやつを求めて食堂車に行くことにした。彼は妻の本を取り上げて読み始め、妻もそれを見ながら何も言わない。だって、何か言うと、自分が夫にそれを読ませたがっていると思われるではないか…一週間後、列車はペン・ステーションに到着した。彼は本を閉じ、彼女にこう言った。「やっと分かった。俺はカトリック信者になる。洗礼はどこで受けるんかね? 告解もするし、おまえとは毎朝でもミサに行くよ」。

わたしの文が上手だったからではない。恩寵が働いたのである。妻が14年祈り求めた恩寵が与えられたのだ。わたしが執筆中に捧げてくれた800人の神父たちによるたくさんのミサと修道女たちの祈り。わたしが三番目の小説に取りかかる頃は、1200人の神父たちと修道女たちが将来の読者たちのために祈ってくれるようになっていた。福音宣教するために自分が聖人でなければならないと思ってはいけない。キリストの神秘体という究極の流通経路を通じて流れる恩寵の力に信頼すればそれでいいのだ。

マリア財団のサイトは以下のとおり。

http: //CatholiCity.com

英語が読める方は以下のサイトで無料のカトリック小説三冊を申し込めます。 http://www.catholicity.com/saintjude/

聞き取りに自信のある方は以下のサイトでテープの申し込みができます。  http://www.catholicity.com/maryfoundation/

一言

Crisis 2000 March, pp.38-42の記事です。" Pierced by a Sword" 読みました。すごい。わたしが決して悲観主義にならない勇気の源・糧になっています。英語が読める方にはお勧め。

訳者 成相明人