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聖師フランシスコ・ザビエル渡来450周年記念に

タイム・カプセルに入れた手紙

司祭 成相明人

皆さん

 50年後に開封されるというこの手紙を書きながら、何だか変な気がしてなりません。

 小さな教会で信者は極端に少ない垂水教会の成相明人です。鹿児島市で外国人とか船員の世話もしています。その他、フマネ・ヴィテ研究会を主宰して生命を大事にする運動をしています。インターネットではihmml(Immaculate Heart of Mary Mailing List)の管理人をしています。翻訳には教皇ヨハネ・パウロ二世の回勅「真理の輝き」、アントニオ・アウグスト・ボレッリ・マシャド著「ファチマの聖母」などがあります。「ヴァチカンの道」という年3回発行の雑誌がありますが、その中で、司教様方には、教皇様と一致して回勅「フマネ・ヴィテ」に完全に従うことを願っています。証拠書類として中央協議会発行のカトリック要理改訂版を同封します。213〜214ページを見れば分かるように、これはカトリックの教えではありません。簡単に言えば人工避妊はいいけれど、人工妊娠中絶はいけません、という世間の価値観と変わらないものをカトリックの教えとして提示してあります。

 このような日本の教会に神の恵みが豊かにあるわけがありません。どの司教様も召しだしが少ないことに悩んでおられます。召しだしが神の恵みであるなら、召しだしの少なさは当然の現象であると言わねばなりません。洗礼についても同じ。極めて大事なこの点で教皇様と一致できなければ、外のいろいろな点でも問題が出てきます。50年先、つまりわたしたちがもうこの世にいないとき、まだ司教座聖堂であるザヴィエル教会は存在するのでしょうか? 皆さん、50年前にこのような聖堂に反対した人たちがいたことを思い起こして下さい。司祭会議などの公の場で、わたしは反対しました。「司教様、御聖体を安置するあの小聖堂はまるで公衆便所のようではありませんか? あれでは御聖体を大事にしていると言えません」と。

 あれは聖堂とか教会などと言うより、多目的ホールなのに、司教様は司教座聖堂だからあれでいい、と主張なさいました。御聖体を玄関手前の別棟になっている小聖堂に安置して、それでも御聖体を尊敬していることになるのでしょうか? とんでもない! 二階の多目的ホールで前を向いてひざまずくと、いや、もうひざまずくこともないわけですから、座ると、御聖体は後方、しかも下方に位置することになります。この方角は心理学的に言えば大事でない方角でしかありません。後方はオナラがにおっていく方向、下方はウンコが落ちていく方向です。

 これからどうなっていくのか分かりませんが、次の司教様が、現在、司教様が司教座聖堂で座られるちょうどそこに御聖体を安置なさり、今度聖師ザヴィエル渡来450年記念にできる新司教座聖堂の付録のような小聖堂を、それを建てた司教様のお墓にすればいいと思います。死者が復活するそのとき、司教様がすぐに自分の過ちをお認めになるように! このようにザヴィエル渡来450周年は、へんてこな司教座聖堂建設と絡まって、胡散臭いものになってしまいました。500周年記念にもう少しましな新しい司教座聖堂が建っていることを希望します。

1988年6月25日

        

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