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東京純心女子大学教授 澤田 昭夫

月曜評論平成十二年五月号掲載) 

昨年一二月初頭、関西の私的団体「カトリック学校の日の丸・君が代・元号を考える会」から全国のカトリック系小学五三校、中高二〇八校、大学・短大四四校に「日の丸・君が代」反対の文集とアンケートが送られた。反対運動の震源地は箕面の聖母被昇天学院の教諭だが、反対文執筆者には小樽、清瀕、川崎浅田、玉造などの神父、京都ノートルダム教育修道女会の修道女から松山や箕面の高校教師だけでなく、(反体制「韓統連」系の)「在日韓国民主女性会」大阪本部事務局長や「正義と平和協議会」(略称「正平協」については後述参照)東京本部事務局長そして大阪の松浦補佐司教と安田元大阪大司教、東京の森補佐司教が含まれている。実はこの反対運動はプロテスタントの日本基督教協議会(NCC・後述参照)内靖国特別委員会とカトリックの正平協上の合意、了解済みの「エキュメニカル」(後述参照)運動の一環だった。

因みに、このような運動に対して保守陣営からは、「やはりキリスト教は日本文化、東洋文化になじまない西洋宗教だ」という慨嘆の声が漏れてくる。しかしキリスト教は本来ユダヤ・ヘブライ系のアジア的宗教として始まったもので、西洋宗教ではない。Anno Dominiを「西暦」と呼ぶのも誤りで、本来東西を越えた「主暦」と呼ばるべきものである。日本カトリックの反「君が代」、反天皇制運動は、反自衛隊、反「ガイドライン」運動と同じく、「反東洋」ならぬ「親左翼」運動なのである。教会のこの左傾化の由来を解るためには、先ず二〇世紀全体についての世界史的理解が必要になる。

二〇世紀の基本的性格

二〇世紀は神や超越存在を否定する啓蒙合理主義、唯物世俗主義、平等主義という、一八世紀のフランス革命で決定づけられた時代である。超越神を否定し、その代わりに一八世紀は民族を、一九世紀は階級を神格化した。「お山の大将俺一人」とそれぞれに叫ぶ諸民族が争いあったのが二つの世界大戦であり、世界を舞台に広げられた民族主義の争いが帝国主義だった。一九一七〜一九四五年という時代は、E・ノルテ(Nolte)がいうように、二つの全体主義すなわち共産主義(国際主義、階級主義、反自由市場経済)とナチズム(反共、民族主義、社会主義)の抗争の時代である。反自由画一主義と社会主義いう点で類似するこの赤と茶の二つの全体主義の戦いが二〇世紀前半の世界だった。

この時代に関連していまだに流布されている大きな誤解は、戦前の日本史はファシズムの一人舞台だったという誤解である。そもそも一〇年間に一四回も内閣が変わった国にファシズム(団結主義)はありえない。そして舞台の主役は国際共産勢力で脇役が日本民族主義だった。日本の対鮮、対支、対満政策は膨張する赤い全体主義への儚い対応だった。

アメリカが「太平洋戦争」と呼ぶ戦争にも、ソ連の画策がからんでいた。駐ソ米国大使ビユーリット(Bullit)の国務省宛一九三五年七月一九日付電報によると、日米戦争こそソ連が熱望しているところだった。そして、ルーズベルト時代のホワイトハウスが親ソ要員だらけのピンクハウスだったこと、大統領がいかにソ連願ったりの対日政策を展開させて日本を開戦に追い詰め、ヤルタ会談によって戦後世界の赤化に寄与したかは最近公開の公文書で益々明らかになった。

第二の誤解は、戦時中のいわゆる残虐行為が日本の専売特許だったとする誤解ないし歪曲である。それが歪曲である証拠は、連合国特にソ連、中国による日本人に対する無数の労働強制事件、残虐不法行為等、虐殺が事実として立証され得るにも拘らず沈黙のうちに葬り去られていることである。日本兵による残虐行為や捕虜虐待事件がなかったというのではない。しかし、それのみを取り上げて共産主義者による残虐行為や国際法無視の違法行為について沈黙するのは全体像の歪曲に他ならない。クルトワ(Courtois)編の『共産主義黒書』によると、共産主義者たちによる一九一八年以来の虐殺人口総数は今日まで少なくとも八千万、恐らく一億にのぼっている。

二〇世紀前半の赤茶の抗争は茶の敗北、つまり赤の勝利で終わった。そして、二〇世紀後半は勝った赤の膨張時代である。これを認知しないのが第三の誤解である。

右旋回から左旋回したプロテスタント教会

プロテスタントにはルター以来、信仰は信仰、政治は政治と聖俗を分離する傾向があり、ナチスが政権を掌握するとそれに積極的に協力するプロテスタント「ドイツ・キリスト者」(Deutsche Christen)が生まれた。アクセントは「ドイツ」にあった。政治分布地図を見ると、ナチス支持の多かったのはプロテスタント多数の北と東で、カトリック多数の西と南でナチスは少なかった。プロテスタントに「告白教会」(Bekennende Kirche)といわれた部分もあったが、反ナチを標榜するものではなかった。ニーメラー牧師は戦後反ナチ抵抗者として英雄視されたが、彼は実は三三年当時積極的にナチスを支持。ヒトラーとの個人的確執のゆえに三八年に投獄はされたが、獄中では特別優遇され、三九年には国防軍に従軍を志願していた。デハウの強制収用所に収監された二八〇六名の聖職者の九五パーセントはカトリック、プロテスタントは四パーセントだった。

日本では多くの教派に別れていたプロテスタントは、昭和一五年皇紀二六〇〇年の神嘗祭に青山学院に集り、国歌斉唱のうちに皇運と大東亜共栄圏を奉祝し、「日本基督教」による教派解散と大陸伝道を誓い、翌一六年公式に「日本基督教団」を設立し、聖戦の目的完遂のための宗教報国を誓った。アクセントは「日本」にあった。

戦争直後の一九四五年、ドイツの「福音教会」が南ドイツのシュトツトガルトで「罪責告白」を行なってから二一年後の一九六六年、「日本基督教団」は「戦責告白」を行ない大きく左旋回した。「日基」は中核派の教会幹部たちによって、天皇制反対、成田空港建設反対、部落差別反対、資本主義反対、靖国反対などのいわゆる「社会派」路線に乗せられた。一九六九年秋には大阪万博(一九七〇年)でのキリスト教館設置案に反対するゲバ棒、ヘルメット姿の牧師たちが大阪、東京で教団集会を「粉砕」した。

ニケア・コンスタンチノポリスの「信仰告白」を尊重する「教会派」は少数、それにたいして政治的実践に走る「社会派」が多数となった。これは、二〇世紀後半世界の左傾化を教会において具現した姿だった(今日さいわい、信仰の基本を守ろうとする「教会派」の「福音主義連合」が少数ながら勢力を挽回しつつある)。

左傾化したエキュメニズム

エキュメニズムとは、第一次世界大戦と前後して主にプロテスタントのなかで展開されたキリスト教諸教団の「教会一致運動」、「教会合同運動」のことである。一九一〇年から一九三七年にかけて展開された「信仰と職制」(Faith & Order)、「生活と実践」(Life & Work)、世界伝道協議会などの運動がその具体的表現であった。そこには、救世主キリストの福音を中心に一致し、世界的伝道に励もうとする空気があった。

第二次世界大戦後のアムステルダムに一四七のプロテスタント諸教団代表が集まり、World Council of Churches(WCC)すなわち、ひとつの教会ではなく複数教派の連合体を結成したときは、まだ本来の宗教的息吹が残っていた。因みに、WCCに加盟する国別の教会組織はNational Council of Churches(NCC)といわれ、わが国では、先述の「日本基督教協議会」と呼ばれるようになっていた。

ところでWCCは、アムステルダムの創立総会後、数年おきの総会を重ねているうちに本来の宗教的方向づけを失い始め、わが国の用語でいえば、教会派から社会派へと旋回し始めた。一九五四年のエヴァンストン(米国イリノイ州)総会では「第三世界中心主義(tiermondialisme)が、一九六一年のニューデリー総会では「社会変革」つまり革命が、一九七五年のナイロビ総会では「ゲリラ闘争」が、それぞれキーワードになった。ゲリラ闘争というのは、人種差別反対、反植民地主義、反帝主義に名を借りた革命運動のことで、世界中の教会から三〇〇万ドルを募ってアフリカ諸国のゲリラや世界中の親ソ反米ゲリラ闘争を援助することになった。七〇年代、八○年代の東ティモール独立解放ゲリラ運動もWCCの援助対象になっていた。

銘記すべきは、ソ連政府の御用教会であるモスクワ大主教区がニューデリー総会以来WCCに参加するようになったこと、KGBのスパイでもあったソ連のニコディム主教がWCCの変身に大きな役割を果たすようになったことである。彼は一九六八年ウプサラ総会の準備会議で「キリスト者は世界革命に参加せよ」と傲をとばしていた。米国版『リーダーズ・デイジェスト』誌がWCCの現状を報告したエッセイに「マルクスによる福音」(The Gospel According to Marx)という表題を付したのも、むべなるかなといえよう(一九九三年二月号)。この間に世界伝道協議会は消滅した。伝道は植民地主義と同一視されたからである。

エキュメニズムはカトリックとプロテスタントの協力、和解を促進するようになった。それは結構だが、左傾エキュメニズムは、カトリック教会の左旋回(特に七〇年代初頭以来)も助長するようになった。その間にカトリックで展開された「解放の神学」(後述参照)がプロテスタントにも受容され、天皇制反対のイデオロギーに発展させられ、それがカトリックに再輸入される。さような現象の顕著な例は、東京カトリック神学院で広められいる栗林輝夫教授の『荊冠の神学・被差別部落解放とキリスト教』(新教出版)である。『カトリック新聞』と『キリスト新聞』も今や左傾のメロディで木霊しあっている。

第二バチカン公会議の「精神」による歪曲と左翼の浸透

紀元四世紀のニケア公会議から数えて二一回目のカトリック教会の世界会議「第二バチカン会議」が一九六二年から三年にわたってバチカンの聖ペトロ大聖堂で開催された。第二といわれるのは前回の会議もバチカンで一八六九年から七〇年にかけて開催されたからである。前回会議以後の九〇余年間に起こった世界と教会の情勢変化に対応するために教会が多様な内的、外的革新を必要としていた。

この会議の美点といえば、そのような必要に答える「現代的順応」(イタリア語でキーワードになったaggiornamento)がなされたことである。しかし欠点もあった。会議自体の欠点というよりも会議決定の歪曲による結果的欠点である。ひとことでいえば、分裂と世俗化である。それは一方では、民主平等の名による、万事における権威の否定、柔順心否定であり、他方では、それとも関係した、神的存在、聖なるものへの畏敬心否定である。

この二つの否定を、第二バチカン会議の「精神」と主張する進歩主義者たちによって分裂、世俗化された教会は「塩の味」を失い始めた。第二バチカン会議は、教会内部から引き起こされたフランス革命とも言われる。いわゆる「大学紛争六八年世代」の反乱も第二バチカン会議後の混乱と世俗化に呼応するものだった。

この会議を混乱させ、会議の結果的世俗化を利用して自己の勢力拡大を謀ったのは共産勢力である。六〇年代当時は鉄のカーテンの彼方にあった東欧、中欧諸国のカトリック司教たちに、会議参加のための出国許可を与える代わりに、会議が共産主義批判を差し控えるという言質を予めバチカンから取り付けていたのがニコディムだといわれる。案の定、中南米を中心とする四五〇名の司教が署名した一〇月一九日の陳情書は、バチカンの高級官僚によって握りつぶされた。それは、「現代世界憲章」なる重要文書案(一九六五年)に共産主義の危険に対する警告を挿入せよと陳情したものだった。

フランスの著名な神学者で枢機卿のド・リュバックは、会議の内外での「危険な諸グループの存在と会議の挽乱工作」を指摘していた。最近一部公開されたミトローヒン(Mitrokhin)文書によると、リトアニア出身の複数KGB要員が六〇年代に偽装聖職者となってローマの神学校やグレゴリアナ大学だけでなく教皇庁の教会法改定委員会にまで侵入し、また教皇選挙人である枢機卿の有力者たちと接触を深めていた。

同じ六〇年代にカトリック教会内に普及したのは、キリスト教マルクス主義といえる「解放の神学」である。第三世界で生まれたと自称するが、実は欧州の進歩的神学者たちが捻出したこの「神学」は、「神」を忘れた人間解放の新左翼イデオロギーだった。今日世界中で教会左翼運動の源泉になっている「正義と平和協議会」(Commissio pro iustitia et Pax ) がさしあたり実験的にローマに設置されたのも同時代、一九六七年のことである。「悪魔の妖気が神殿に入り込んだ」という教皇パウロ六世の有名な自責的発言(一九七二年六月二九日)も、第二バチカン公会議の「精神」を騙る歪曲逸脱に言及したものである。

因みに「解放の神学」の逸脱を憂えたローマはついに「自由のメッセージ」(一九八四年)と「自由の意識」(一九八六年)という指針を発表。前者はマルクシズムに根差す「解放」批判、後者は、神による「救済」に根差した「解放」評価の指針だった。正平協に毒された日本の司教団は後者を翻訳出版、前者を黙殺した。

「冷戦後」の共産攻勢に躍らされる教会と世界

一九九一年八月の「クーデター」と一二月の「ソ連解体」で冷戦も共産主義も終ったというのは、元KGB要員ゴリーツイン(Golitsyn)が、その『ペレストロイカ(再構築)の欺瞞』で断言するように、敵を無力化させるための逆情報という催眠術に他ならない(この「クーデター」については筆者の「共産主義は終わったか?」『文化会議』一九九三年七月号を参照)。現実は逆で、一方では相変わらずムチによる暴力革命、ゲリラ活動が続行され、他方ではアメによるグラムシ(Gramsci)型の巧妙な文化革命が展開されている。

前者にはチェチニア、シリアなどの例があるが他にも無数の事例がある。そのひとつは、ローマとの絶縁を原則とした国家教会「中国天主愛国会」(以下「愛国教会」と略記)を「信仰の自由」の宣伝看板に利用しながら共産中国が行なっている、ローマに忠実な大陸下教会の信徒、聖職者に対する苛烈な迫害(「労改」)であり、もうひとつは東ティモールでのゲリラ闘争である。

東ティモールでは独立を要望する多種多様な分子がCNRT(民族抵抗評議会)なる連合体を作り、ベロ司教指導下の現地カトリック教会もそれに参加していたが、「軒を貸して母屋をとられる」の言い回しどおり、独立革命後の実権を奪ったのは、残虐さにおいてインドネシア軍に劣らぬ左翼ゲリラ組織FALINTIL(東ティモール民族解放武装軍団)であり、その指揮官はイエズス会系ミッション校卒の詩人でチェ・ゲヴァラ型の革命家サナナ・グスマオである。

彼は今年一月二四日に北京を訪問、東ティモールの将来に対する中国の援助約束をとりつけた。FALINTILはFRETELIN(東ティモール独立革命戦線)と並んで早くからWCCや正平協の物的、精神的援助を受けていたゲリラ組織である。チェ・ゲヴァラ礼讃ポスターが町角に見られるのが今日の東ティモールである。

因みに五〇〇万から八〇〇万を数えるといわれる中国の地下教会の信徒たちが恐れているのは、迫害に耐えている彼らの頭越しに進歩的カトリック者が共産政府認可の「愛国教会」との連携を緊密にしていることである。中国と蒙古との文化交流に従事しているベルギー・ルーヴァンのフェルビースト(Verbiest)財団理事長でスクート宣教会(日本では淳心会)の宣教師でもあるハインドリックス(Heyndrickx)神父は、「愛国教会」を公認させるための「橋梁」たらんと東奔西走している。

暴力革命よりも浸透力があり、危険なのはグラムシ型文化革命にょる共産攻勢である。なぜならそれはさまざまなフロント組織の裏で共産主義の顔を隠した文化運動だから、善意の一般信徒も一般社会人も容易に釣り込まれるからである。昨年六月のケルン・サミットで一躍脚光を浴び、今年の沖縄サミットにも持ち込まれようとしているものに、前述の正平協が「ジュビリー(聖年)二〇〇〇」のキャッチワードで推進した「重債務貧困国」(HIPC)の「債務帳消しキャンペーン」がある。これは一見、人道的に聞こえる話だが、問題はさほど単純ではない。

債務は貧困国の帳簿から消えても、無くなるわけではない。世界銀行の帳簿に書き写されるだけで、その支払いは米国、EU諸国、日本、カナダなど先進債権国政府ないし納税者の負担になる。それでも突然の自然災害などの非常事態で悩む貧困諸国民のために先進国の納税者が緊急人道援助を行なうのは当然だが、無条件の「債務帳消し」は実は決して貧困解消の解消につながらず、むしろ貧困を恒久化する。貧困解消のハードウェアが均衡財政、低インフレ、民間企業主導を特徴とする自由市場経済であり、ソフトウェアが法の支配、民主主義、高識字率などであることは、先進国になったかつての途上国が実証しているところである。貧困国の政治経済がこの目標に向かう保証がない、つまり無条件の援助、無条件の帳消しは途上国の政治腐敗や軍事支出のため、国威宣伝用の大型プロジェクトのために浪費され、民衆は一層窮乏化することになる。自由市場、民主、法治に向かう保証がなければ、債務帳消し後、先進国からの将来の援助も期待し難くなる。

ここで注目すべきことがある。それは正平協だけでなく「帳消し」運動活動家たちの多くが貧困国の貧困の責任を自由市場経済と世界銀行、国際通貨基金、グローバリゼーションに負わせていることである。ドイツとフランスの巨大な教会系国際援助組織「ミゼレオール」MisereorとCCFD(反飢餓と発展のためのカトリック委員会)もその政策宣言で、同様に社会主義的臭気紛々の「緑党」的傾向を示している。ちなみに、CCFDはWCCと同様に、早くから、東ティモールのFRETLINはじめ世界のゲリラ組織に財政援助を行ってきた。

皮肉なことに、「重債務貧困国」諸国の大部分であるアフリカ諸国の貧困化の一騎は部族紛争、内戦であり、それを扇動してきたのは多くの場合共産系ゲリラ組織である。因みに、総連と「IMF・世銀を問う会」と名を連ねて東京大司教白柳枢機卿が代表となって昨年一二月になされた「帳消し」全図署名運動の署名用紙に「問い合わせ先‥アジア太平洋資料センター」とある。これは『フィリピン民衆革命へ・フィリピン共産党重要文献集』を編訳している左翼系組織である。

ゴルビ的「新思考」に巻きこまれた環境・地球倫理

グラムシ型文化革命のひとつの頂点にたつのが、「ペレストロイカ」の立役者ゴルバチョフ元ソ連大統領を中心に展開されている国連がらみの緑の運動、環境保護運動、地球憲章運動、そのネットワーキングとしての、「人間の顔」をした新共産主義である。新しいロシア大統領プーチンが共産主義の硬い、ムチの側面を代表するとすれば、ゴルバチョフは柔らかいアメの側面を代表する。もちろん彼もプーチンと同様KGB出身で、中身は小型スターリンとも呼ばれる人物である。彼は一九九一年の偽装クーデタ後、役割を変え、建前上は共産主義から脱皮した優型の国際文化人に変身した。

ゴルバチョフは一九九三年に来日、リオの環境サミットの協定実施民間組織として「持続可能な発展」をキャッチワードに一九九二年に作られていた「地球理事会」(Earth Council)の延長として「グリーン・クロス・インターナショナル」なる環境保護組織を京都で発足させ、国連のNGOに認知させた。人間と自然環境との「共生」をめざすこの国際組織は、「地球理事会」と相呼応して国連による採択を目指す「地球憲章」(Earth Charter)草案作成にとりかかった。(ロシアはじめ世界二〇数カ国に支部をもつ「グリーン・クロス」の日本支部役員には石原慎太郎、顧問に広中和歌子の名が見える。)

彼は間もなく、カーネギー、フォード、ロックフエラー、メロンなど米国財団から得た三〇〇万ドルの寄付を基にサンフランシスコの歴史風致地区プレシーディオ(Presidio)の北端ゴールデン・ゲイト橋近くの歴史的建造物「海上保安隊駐屯所」を入手、「ゴルバチョフ財団」なる国際シンクタンクを設立した。この財団はカナダの大富豪M・ストロングなど世界の大富豪や財団の援助を得て一九九五年以来毎年、多くの国家元首、首相、大企業家、学者、芸能人を網羅する「世界状況フォーラム」State of the World Forum(SWF)なるシンポジウムを開催し、「地球憲章」の普及と国連による「憲章」採択をめぎしてきた。

昨一九九九年一〇月、地球人口が六〇億に達した直後、一九四五年に国連憲章が採択されたサンフランシスコのフェアモント・ホテルで一週間にわたり参加費五千ドルをとって第五回SWFが催された。ブッシュ前米国大統領、サッチャー元英国首相、南アフリカのツツ大主教、ヨルダンの女王から、黒人の活動家ジェッシー・ジャクソン、ニュー・エイジの歌手シャーリー・マクレーン、ドミニコ修道会から追放された「環境霊性」の指導者フォックス神父など、各界の名士を賓客に揃えた昨年のフォーラムは環境倫理、地球倫理、「持続可能な文明」についての対話、討論を六日にわたって続けた。第六回SWFは、一六〇名以上の国家元首、首相が参加する九月三日から九日の国連ミレニアム・サミットにあわせ、九月三日から一〇日までニューヨークのヒルトン・ホテルで、世界各界の有名人等約二〇〇〇名を集めて開催される。

まことに瞠目に値する世界的コネクションとリンクを操るゴルバチョフ・ネットワークの裏にある哲学は、環境倫理、地球倫理、ひとことで言えば無神論的ヒューマニズムである。それが目指すのは、一つにはユダヤ・キリスト教の廃絶である。モーセの十戒に替わるとされる地球憲章の倫理は「地球を敬え」であり、Earthという文字は常に大文字で書かれている。神もキリストも教会も消し去られ、それに替わるものが地球と地球理事会ないし地球社会なのである。地球倫理で想起されるのは、「世界宗教者平和会議」(WCRP)のイデオローグで、神学教授職を停止させられたH・キュング神父の「地球倫理」である。それはキリスト教であれアニミズムであれ、みな同じ救いの道だとする相対主義、折衷主義である。

環境倫理が目指すのは、二つめには人間の廃絶である。地球憲章は「知恵と心の平和」などと美辞をつらねるが、「持続可能な発展」とか「持続可能な文明」というのは、強制避妊、中絶などによる人口抑制、人口安定が好ましい地球環境だという考えである。ゴルバチョフ財団が昨年のSWFを、世界人口が六〇億に達した時点で開催したのは、人口過剰は文明の危機、過剰人口は地球汚染という信念があったからである。地球・環境倫理によると、貧困克服の理由は貧困が人間の尊厳に相応しくない生活を強いられるからではなく、貧困が森林伐採を招来するからである。

「持続可能」という基本概念に基づく地球倫理は、三つめに、国民国家の廃絶を意味する。なぜなら、ゴルバチョフの息のかかった多数のNGOが支配的影響力をもつ国連のなかで、国民国家の主権は空洞化され、国民国家の頭越しに「シヴィル・ソサエティ」、「ワン・ワールド」の世界政府が全体主義的権力を行使して、「持続可能な地球」に相応しいと自ら判断する経済政策、社会文化政策、そして安全保障政策を決定、実施することになるからである。国民国家主権は絶対的なものではなく、排他的民族主義は克服されねばならないが、オーウェルの『一九八四年』まがいの左翼全体主義は真っ平御免である。

因みに、持続可能な地球文明の神髄理解に有用なのは、一九九一年にモスクワでヒューマニスト・クラブとして発足し、今や全世界に広がりつつある「ヒューマニスト運動」、そして、一九九七年二月のゴルバチョフ講演「ヒューマニズムと新志向」である。後者は、ルネサンス以来の伝統的ヒューマニズムを抽象的な過去の遺物と決めつけ、ペレストロイカ以後の現代が必要とするのは多元主義、地球主義の、市民参加型ヒューマニズムだとする。

この「新思考」に一〇〇パーセント合致する「ヒューマニスト運動」は、国際金融資本を人類の敵と見傲しながら、市場経済の時代は終ったとして資本よりも労働を、議会制民主主義より直接民主制を優先させる。そして「神中心のヒューマニズム」などは矛盾であって人間以外いかなる存在も認めないものこそ真のヒューマニズムだとする。このようなヒューマニズムに根差した地球・環境倫理は、フランス革命のジャコバニズムヘの回帰、「人間による人間支配」の再生に他ならない。

結び

昨年秋から今春にかけ、東京四ッ谷の聖イグナチオ教会では、歴史や政治経済の専門家ではないらしい素人聖職者や修道女を講師に招いて「メルキセデク会」主催の地球環境問題研究講座が開かれた。その講座の広告チラシの裏面には、「明治以来今日まで他国を侵略して経済発展を続ける日本の社会構造を問う」映画「伊江島のたたかい」の鑑賞会(武蔵野公会堂)と鑑賞後の分かち合いの広告が印刷されている。広告は作者阿波根昌鴻氏の次の言葉を引用している。「私たちの平和運動は、米軍基地を日本からなくすだけでは終わらない。平和憲法を世界に広め、地球上から戦争も武器もなくす。そして地球の資源をすべての人で平等に分け合える社会、能力に応じて働き、必要なだけ受け取れる社会を築くまで続けるのです」。

「メルキセデク会」の講師も聴講者も恐らく気付いておらないだろうが、環境賛美と米軍基地反対の平和主義という、一見無関係の要素は、君が代反対、債務帳消し、緑、持続可能文明、ニューエイジ、地球倫理などと同様、ゴルバチョフ流共産主義の無神論的ヒューマニズムのグランド・デザインのなかにきちんとはまり込む、ジグゾーパズルの駒々である。カトリック教会の全体が左傾化しているわけではない。左傾化しているのは、日本のカトリック・マスコミと教会組織の中間管理層や一部の修道会、司教団の一部である。欧州諸国や米国の教会と違い、中道正統派からの反論、批判がほとんど皆無なために、一部の声高の意見が全体を支配することになる。この状況は教会だけでなく日本の社会一般にも見られる。

いずれにせよ教会の左傾化は、世界共産主義にとって記念すべき二〇一七年に向けての地球社会全体を視野にいれた、赤い帝国主義的戦略の一部でしかないことを銘記すべきであろう。

沢田2