メジュゴリエの出現
その霊を試す
リック・サルバト著
『フマネ・ヴィテ』研究会 成相明人 訳
著者の宛先
Rick Salbato
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親愛なる〇〇様
あなたがメジュゴリエに関する質問をなさると、わたしたちは、教会から非難されている「出現」を見るために毎年旅行するある友人のことを思い出すのです。彼によると、そこでは何千人もの人たちが、夜を徹してろうそく行列をしながらロザリオを祈るのだそうです。一日中、告解する人たちの列が途絶えることがありません。そこで撮った写真には何と「聖母マリア」の姿まで写っているのです。そこに持って行ったロザリオで金色に変色したものも多数あります。体と魂の癒しもそこではよく見られます。彼は「人よりもわたしは神様を信じる」と言っていますが、無意識のうちに彼が主張しているのは、自分が教会よりも示現を見ると主張する人の方を信じるということです。この出現はニューヨークのベイサイドであったとされるものです。
超左翼の聖霊刷新運動推進家、多元主義者たちにとってのメジュゴリエは、超右翼伝統主義者にとってのベイサイドに当たります。ベイサイドでは彼らが教会から離れることを「天が」支持します。メジュゴリエは聖霊刷新運動家たちに「聖霊がいらっしゃるところに教会があり、聖霊のいらっしゃらないところには教会もない」と教える教会からの分離を支持します。聖霊を教会の外に見いだすことはできません。それなのに、カトリックの聖霊刷新運動はまさに教会の外で始まりました。彼らが自分たちの霊を手に入れたのはまさに教会の外だったのです。興味深いことに、ベイサイドを信じる人たちはメジュゴリエを信じようとしません。しかし、彼らが信じる根拠とするものは同じ — 実り — です。 メジュゴリエのことを詳しく知るためには、それ以外の私的啓示についても知っていなければなりません。世界にまたがる出現同士、グループ同士のつながりと支持には驚くべきものが見られます。それらすべての現象はカトリック聖霊刷新運動の中で誕生しました。このグループに関してはわたしたちが提供している文献もありますので、お読み下さい。メジュゴリエが始まる以前から存在していた聖霊刷新運動の連絡網があったからこそ、メジュゴリエはあれほど急速に知られるようになったのです。いくら金がかかっても、うそをついてでも、また脅迫という手段を使用してでもメジュゴリエを擁護しようというのが聖霊刷新運動です。
この出現に関する会話にわたしたちがする質問は簡単です。「メジュゴリエを信じないことは許されますか?」答えは「いいえ。許されません」です。彼らと同意しない者は神に反する者になり、ニュース・メディアと書店からボイコットされてしまいます。マイケル・デイヴィーズがMedjugorje: A Warningを、ゲレラ神父が " Medjugorje, A Closer Look" を、E・マイケル・ジョーンズが " Medjugorje, The Untold Stories" を出版したときがそうでした。(それでもCatholic Spiritual Direction, Box 1221, Arcadia, CA 91007もしくはFidelity, 206 Marquette Ave., South Bend, Indiana, 46617から以上の本は入手できます。Fidelity Press には " Medjugorje and the Sexual Revolution" などのビデオもあります)。ロバート・フォックス神父はメジュゴリエを推進しなかったためにFatima Magazineを失いました。公式ファチマ国際巡礼の聖母像の管理者であったルイス・カスマルク氏は示現を見ると称する人たちとともに、聖霊刷新運動が主催した一〇一モスクワ巡礼に参加しなかったために、その地位を失いました。国際巡礼の聖母像はそのとき永久的に傷つけられています。わたしたちはその際になされた不敬の報告も所有しています。警告を見るために組織された一〇一ガラバンダル巡礼も大失敗でした。ついでながら、この警告はプロテスタントが主張する「rapture」となんら変わるものではありません。もちろん、世界を罰する罰はあるでしょうし、それはすぐにあるのかも知れません。聖書と教会が認めている百四人の視幻者たちはそれについて語っています。悪魔たちは死の瞬間にプロテスタントの人たちが自分たちの罪を悔い改めることのないように「rapture」という概念を作り出しました。しかし、カトリック信者を滅ぼすにはどうすればいいのでしょうか? いつか天罰が始まるとき、カトリック信徒が、まだいわゆる「警告」がその前にあるはずだから、本物の天罰ではあり得ないと思わせたらいいのです。そうすれば、彼らは決して来ることのない「警告」を待ちながら、死を迎えることにならないでしょうか? 彼らは印を求める現代のファリザイ人にほかなりません。千百年の期間にわたって教会が認定している百四人の神秘体験者が天罰について詳しく語っているのに、いわゆる「警告」について彼らが一言も語っていないのはなぜなのでしょうか? これら百四人の神秘体験者がクラカウ出身の教皇の次の教皇は歴史始まって以来の偉大な教皇だろう、と言っているのに、メジュゴリエで「霊」を受けたと称する神秘家たちは、次の教皇が反キリストであると主張するのでしょうか? 過去二千年にわたって本物の神秘体験者、聖人、預言者たちは教皇が反キリストであるとは一言も言っていません。本物の預言者であれば反キリストがローマに座することになるなどとは言いません。彼が座すことになるのはローマではなくエルサレムです。エルサレムこそがバビロンの淫売であり、ローマではありません。教皇ではなく、反キリストがエルサレムの神殿を建て直し、キリストとしてその聖域の奥に座すことになるでしょう。それではわたしたちも一つ預言することにしましょう。「ゴスパ(聖母)」の「霊」がメジュゴリエの司教たちを攻撃したので、次の攻撃の対象は教皇でしょう。
テキサス州リュボック
メジュゴリエと聖霊刷新運動に関連する私的啓示の一つは、テキサス州リュボックでありました。この出現は馬鹿馬鹿しくて、紙面がもったいないぐらいです。ただその由来だけは注目に値します。テレサ・ウェルナーとそのほか二名が示現を見ると称しています。彼らは一九八八年八月十五日に大奇跡を預言し、一万三千人の物好きと報道陣がやって来て、すべては記録されました。テレサは血も凍るオオカミのような叫び声を上げた後で、訳の分からない言葉をしゃべり始めました。その後、ハトの鳴き声を真似し始め、また変な言葉をしゃべったのに、奇跡はありませんでした。
信じられないのは、テレサが動物の鳴き声を真似るのをテレビが報道した後でも、彼女を信じ続ける人たちがいたということです。何人かの神父たちでさえも彼女の信奉者であり続けます。こんなことをここに報告する唯一の理由は、テレサへの内的語りかけがメジュゴリエ巡礼直後に始まったからです。彼女の信頼度はゼロ!
キリストの人間性を十字架上で死なれた全知の神でなく、単に人間的なものにしてしまうニュー・エイジの、アリアン・ネストリウス的異端になるであろうと思われる人たちが支持するのは、もちろん、ウェルナーだけではありません。ヴァティカンが断罪したマリア・ワルトルタの " The Poem of Man-God" (人・神の詩)がその一例です。これについてもわたしたちは完全な報告を受けていますが、この本のタイトルさえもが異端的であると言うだけでも十分でしょう。キリストは神になった人ではなく、人になった神ではありませんか? 本の内容もタイトルと同様、キリストを神であれば当然知っていそうなこと(ヨハネ二・二十五)を知らない無知な人間として描写しています。また、罪を容認した人としても描かれていますが、キリストは片時と言えどもそういうことをなさらなかったはずです。しかし、一言で言えば「人・神の詩」は尊者アンナ・カタリナ・エンメリック著「イエス・キリストの生涯」の猿真似です。ただ内容はすべてが反対になっています。両者は相容れません。その結果は、尊者アンナ・カタリナ・エンメリック著の本が聖パウロ女子修道女会経営の書店の棚から消えて、その代わりに「人・神の詩」が売られることになりました。
アリゾナ州スコッツデール
最近、アリゾナ州スコッツデールも出現があるようです。そこで、マザー・アンジェリカのEWTNに出演する高名な司祭に、メジュゴリエの「聖母」が自分も彼とともに行くと告げられたそうです。それ以来、彼と示現を見ると称する九人もの人たちが「天からのメッセージ」を聞き続けています。その内の一人の女性は天を見たと主張し、それを伝えようとしています。彼女は神なる御父さえも見たと言っているではありませんか? 使徒聖パウロを含む五人が天を見る恵みを受けていますが、さすがに自分たちが見たことを描写することはできずにいます。それなのにこの女性にそういうことができるのでしょうか? 聖母マリアでさえも、この世では神である御父を見ることはありませんでした。それなのに、なぜこの女性にはそういうことができるのでしょうか? もちろん、主題は一九八八年十一月のメジュゴリエのそれと同じです。
「わたしの子よ。わたしはすべての宗教を信じるわたしの民を愛しています…」。
リーレ財団が、メジュゴリエで「霊」を受けたヴァッスーラとマーヴィン・クセラの後援を取り止めたのはよかったのですが、なぜスコッツデールにまだでもこだわり続けているのでしょうか?
ロケット科学者でなくても、こんなものが神からのものでないことは分かります。例を挙げれば限りありませんが、ここでは一つだけ取り上げましょう。リーレ財団発行になる一九八九年のメッセージ " I am your Jesus of Mercy" (わたしはあなたの慈悲のイエス)の補遺(百五ページ)で、イエスはマイケルとジアンナ・ビアンキーニの結婚記念日に、以下のメッセージを送っています。
わたしの親愛なる者たちよ
この特別な日に、わたしはあなたたちをわたしの聖性と愛でもって祝福します。あなたたちの結婚は、清らかで、優しく、慎ましいものであり、世界の範となるべきものです。
しかし、リーレ財団発行による " Our Lady Comes to Scottsdale" (聖母がスコッツデールに出現)の二十八ページを見ると、スコッツデールの神は全知の神ではなかったらしく、ジャンナの夫マイケル・ビアンキは、一九九一年初期、彼女のもとを去っています。同年中に彼は離婚手続きをとり、結婚自体が教会によって無効と認定されています。
二人とも再婚しています。ジァンナにはだれかの上に手を置くと、その人は床に倒れてしまうという特技がありますが、これが神からのものであるわけがありません。しかし、これらの人たちとメジュゴリエの間にはどんな関係があるというのでしょうか? まず、聖霊刷新運動は「霊」をメジュゴリエに連れていきました。その後、メジュゴリエに巡礼する人たちがその「霊」を自国に連れていくことになります。このようにして世界を覆うつながりができます。いわゆる神秘体験家の中でメジュゴリエと関係のない人の方が少ないぐらいです。メジュゴリエがそれらの人々を支持していないわけがありません。メジュゴリエのヴィッカは、一九八九年にメジュゴリエで「霊」を受けて以来、示現を見ることになったテキサス州オースチンのジャニー・ガルサに手紙を送っています。" I Am Your Mother Come from Heaven to Love You" (わたしはあなたを愛するために天から来るあなたの母です)Z'Atelier Publications二百五十九〜二百六十ページを参照。
マーヴィン・クセラ、ヴァッスーラ・ライデン、ジム・シンガー、テレサ・ロペス、ナンシー・ファウラー、ジュリア・キム、クリスティーヌ・ギャラガー、リタ・クラウス、モーリーン・スウィニー、その他は、メジュゴリエの猿真似をしていると言えます。ところが、メジュゴリエ関係の人たちは、彼らを非難するどころか、歓迎さえしているように見えます。
モーリン・フリン発行のカトリックの雑誌 " Signs of Our Times" はメジュゴリエを支持するだけでなく、マーヴィン・クセラを強力に応援しています。彼が連邦捜査局の逮捕を逃れるために潜行する前のことになりますが、フリンは彼が避難センター建設のために必要とした何百万ドルの獲得を助けています。彼も自分の「霊」をメジュゴリエで受けています。
テキサス州エル・ランチートのデイヴィッド・ロペス修道士は " Inner Locutions" という本の中で、三日間の暗闇を説き、人々は殉教するであろうが、天使たちが彼らの霊魂も肉体も天国に連れて行くと主張します。この本を発行したのはヴェイン・ウェイブル自身です。キリストと聖母マリア以外にはだれも、肉体と霊魂ともに天国にいませんから、これらの殉教者は歴史始まって以来の大聖人であるに違いありません。
スコッツデールでこの騒ぎのきっかけになったのは、ジョン・F・スポールディング神父ですが、彼はアリゾナ州フェニックスの使徒聖トマス教会(電話602-954-9089、ファックス602-956-3454)に転属になっており、自分の司教が彼を支持してくれていると言います。それが本当なら、なぜ彼は転属になったのでしょうか? また、なぜ彼の司教は「スコッツデールには何も超自然の出来事は起きていない」と宣言したのでしょうか? もしそれが(神を起源とする)超自然でなければ、いったいそれは何なのでしょうか?
ユーゴスラヴィア・メジュゴリエ
当初、わたしたちはメジュゴリエがファチマの出来の悪い、しかも偽りの物真似であると思っていました。悪魔に由来するものとさえ思われませんでした。悪魔であれば、ガラバンダルがそうであったように、超自然を上手に真似ることができるからです。メジュゴリエにそういう気配はありませんでした。ですからわたしたちは沈黙を命じている司教に従順であるよう人々に言ったものです。それ以来、世界中には何トンもの宣伝文書がばらまかれました。それ以来、わたしたちはメジュゴリエに賛同するすべての本、ニュース・レター、証言、七百人の神秘体験家を説明しようとするマイケル・H・ブラウンの二冊の近刊 " The Final Hour" と " The Day Will Come" も読みました。これらは識別に失敗しています。なぜかと言えば、それらはみなこれら新型の神秘神学を説明するために、教会が認めない方法しか使用していないからです。
メジュゴリエに関して驚かされたのは、それが短期間にこれほども広まったことです。ウィスコンシン州ネセダ、スペインのガラバンダルにはもっと多くの不思議な現象があり「実り」さえありました。しかし何年もしないうちに、全くとは言えないまでも、人々の話題に上がらなくなってしまいました。メジュゴリエの出現は一九八一年六月二十四日に始まり、今日まで続いています。お分かりになると思いますが、その理由に挙げられるのはマリア運動、もしくは教会教導職を超越する私的啓示が原因の二十世紀グノーシス主義的異端と呼ばれるものです。教会の指導を必要としないとする多くの人たちの発言、つまり自分たちが祈ると聖霊が導いて下さる、というのが近頃流行の新グノーシス主義です。
その奇妙な発端
イヴィカ・ヴェゴとイヴァン・プルシナ神父はヘルツェゴヴィナで働いていました。ヴェゴ神父は一九七八年、叙階されてから六カ月後、長上に不服従の状態にありました。彼とプルシナ神父は修道会から追い出されましたが、メジュゴリエ内に一時的な住まいを見つけました。出現が開始した後何年か経って、ヴェゴ神父がヘルツェゴヴィナにある修道会のレオポルダ修道女との間に子供をもうけたのはこの家においてです。ヴラシッチ神父も同じくある修道女との間に子供をもうけています。ヴェゴはそれ以来、シスター・レオポルダと結婚し、教会を離れています。
出現が始まったとき、メジュゴリエのフランシスコ会修道院自体も教会の権威者である司教に対して反乱状態にありました。そこのフランシスコ会はローマ本部から自分たちの教会を教区司祭に引き渡すよう命令されていました。出現が始まったとき、その地のフランシスコ会は司教とローマにいる自分たちの長上に対して反乱状態にありました。(このような状態を説明しようとして、後に説明するように、カリタスは " Bishop Zanic - What Went Wrong?" という本を出して説明しようとしたものです)。
このメロドラマに関与するその他二人の司祭はトミスラフ・ヴラシッチとジョゾ・ゾヴコ神父です。これら四人は、全員、カトリック聖霊刷新祈祷グループの会員です。そして全員が、当時から今に至るまで、目上に反抗状態にあります。全員がかの地のネオ・ナチグループと関係があると思われます。出現が始まる一月前、ヴラシッチ神父は祈祷グループのシスター・ブリッジ・マッケンナから、何か神秘的なことが彼に起こりそうだという連絡を受けていました。次の月、まさにそういうことが起きました。
子供たちは人目に付かないところでタバコを吸うために出かけようとしていました。例の出現はまさにこのような罪深い状況の下に起きたのです。司祭たちは教会に対して罪を犯していました。子供たちは両親の目を盗んで、タバコを吸おうとしていました。聖霊刷新運動は崩壊寸前で、何かが必要でした。メジュゴリエはその何かに当たります。
「示現を見る若者たち」
まず、ここで問題になっているのは子供たちではなく、若者たちであるということです。出現が始まった当初、彼らは十六〜十八歳でした。ミルジャナは男の子たちがとても気になっていました。ユーゴスラヴィアのあのような町にしてはえらくしゃれた服装をしていました。若い男の子たちはいかにも男の子らしく、教会に行くよりも遊びの方に興味がありました。こういうことは出現の後少しも変化しませんでした。その地方の人たちは彼らのことを「パンク・ロッカー」などと呼んでいました。
彼らが隠れてタバコを吸いに行こうとしていたことは公式に記録されています。イヴァンカは司教に白状したのです。ヴィッカはミルジャナとイヴァンカもタバコを吸いに行ったことを司教に告白したと教えてくれました。その出来事は出現前のことでしたから、それほど悪いことであったとは思えません。しかし、後で若者たちは司教にうそをついて、自分たちは野原に花を摘みに行ったと言っています。うそつきというこの特徴は、これら若者たちとメジュゴリエ推進者には限りないほど見ることができます。
ヴィッカは出現が後三回あったらそれで終わりになる、と話したことが記録されています。出現が終わらなかったとき、彼女は自分がそういうことを言ったことを否定したものです。わたしたちが、その証拠を突きつけたとき、彼女は「そんなこと覚えていないわ。だけど録音されているのならそんな馬鹿なことを言ったのでしょうね」と言います。一九八一年九月二十日、ヴィッカは聖母が彼女を抱きしめて下さったと言います。二十九日に、彼女は「聖母に触ったことは一度もないわ。聖母の体は触ることができないの。ちょうど煙のようよ」と言っています。その一年後、彼女は「聖母のお召し物に触ったことがあるわよ。それはまるで金属のような感触がするわよ」と言っています。一九八一年十二月三日、ヴィッカはその日記に「フランシスコ会の神父はわたしたちをずっと見ていました。わたしたちの振る舞いを観察していたのです」と書いています。後に、どのようにして彼女にはそれが分かったのか聞いてみました。脱魂状態にある間、彼女は聖母のほかには何も見ないことになっていたからです。彼女は「それは後から人に聞いたの」と答えました。
実際、初めの数カ月の間、彼らに脱魂状態は見られませんでした。彼らは聖母とも周りにいる人々とも同時に会話を交わしていたのです。
一九八一年四月三日、ヴィッカとジャコヴが司教と話したその内容はことごとく録音され、そのテープはまだ存在しています。当時、司祭たちとの問題はその最高潮に達していました。フランシスコ会の長上たちは、それらの司祭が小教区から退去することを要求してたのに、彼らは不服従を決め込んでいました。それは今でも「ヘルツェゴヴィナ事件」として知られています。以下は録音された会話の再現。
「この前わたしたちが全部のことを話さなかったので、マリア様はわたしたちをお叱りになりました。聖母は『ヘルツェゴヴィナ事件』 についてお話になり、大声で笑われました。そしてご自分がすべてを始末するとおっしゃいました。それがどういうことかわたしにはさっぱり分かりませんでした」
(注意・町の人は一人残らずこのことについて知っていました)。
「それで、わたしも笑い始めたです。その後からジャコヴもわたしも大笑いしました。周りにいた人たちは『なぜ笑うの?』と聞きました。わたしたちは聖母マリア様が笑うようにおっしゃるから笑うのよ、と答えました」
(ヘルツェゴヴィナ事件についてそんなに笑ってもいいのでしょうか?)
「聖母は、わたしたちを通じて、あの修道者たちに、ほかの人たちと同じく、好きなだけ教会で働いてもいいと指示なさいました。あの修道者たちは悪くありません。聖母は二度もそうおっしゃいました。ジャコヴも聞いていますし、マリジャもそこにいました」
後で彼らは以上のことを司教に言ったことを否定するのです。実に、日記のその部分も消失しました。これが録音されていることからしても、わたしたちは彼らがうそをついていると結論します。うそつきが神のメッセンジャーになれるものでしょうか?
一九八一年五月十日、イヴァンは「聖母」の言葉を書き取り、それに署名しました。「わたしの出現の記念としてメジュゴリエには大きな教会が建つでしょう。この教会はわたしの像の形をしているはずです。この印は六カ月内に実現するでしょう」。これが約束された奇跡なのです。その三年後、イヴァンが「そんな印ではなかったし、期日も違っている」と主張します。
イヴァンが署名した文書は今も残っています。あれから九年も経過するのに、まだその印は実現していません。三年後のことですが、イヴァンによると、聖母は彼がうそをついたと言ってお叱りになったそうです。(そうです。三年経ってから!)
一九八一年五月七日、ヴィッカは司教に日記を手渡します。ただし、神父たちに関するページが抜けていました。そして、そのほかに日記はないと供述しています。六月十六日になると、彼女は日記など全くなかったのだと言い張ります。
一九八一年九月十六日、ヴィッカは以下のように答えます。「わたしには聖母がご自分の生涯を話されたあの日記のほかに秘密の日記はありません。もしあなたが望むんなら、わたしは神にかけてこれを誓ってもいいわよ」。
彼女が知らなかったのは、司教がすでに消失したはずの日記のうちの一つを読んでいたということでした。いわゆる聖母が司教を非難し、あの二人のフランシスコ会士を誉めたとされるあの部分を含む三日間の日記のことです。それなのに、ヴィッカはすべてを初めから書いていたと主張したものです。
もしできるものなら、神の御母のことばを書き留めておきたくない人がいるものでしょうか? 五年後、彼女は紛失した文も含めて、日記を書いていたことを認めます。しかし、司教は決してそれらを全部読むことができませんでした。
一九八五年一月十四日、ヴィッカが「脱魂状態」にあったとき、あるフランス人がヴィッカの目の前にいきなり二本の指を突きだしてみました。ヴィッカはびっくりして、後ろにのけぞりました。これは全部カメラに記録されています。ヴィッカは脱魂状態などにはなかったのです。ヴィッカは部屋にいたフランシスコ会の神父と一緒に外に行ったかと思うと、すぐに帰ってきました。カメラはまだ回り続けていました。聞かれもしないのに、彼女は説明し始めました。
「わたしはジャン・ルイス(カメラマン)も見なかったわよ。彼の指も見てないわ。わたしが見ていたのは聖母よ。聖母は腕に御子イエスを抱いていらしたわ。すると御子が滑って落ちそうになったのよ。だからわたしは御子が床に落ちないように支えてあげようとしただけなの」
神が滑って床に落ちるものでしょうか? 御子イエスが滑って落ちそうになったですって? あのフランシスコ会の神父はわたしたちがそんなことでごまかされると思っているのです。二週間後、神父たちは一般大衆には出現に立ち会うことを禁止しました。それ以来、脱魂状態にある若者たちの側にはだれも近づけません。
ヴラシッチ神父と彼の女友達のアグネス・ホイペルはマリジャ・パヴロヴィッチに頼んで、神父たちと修道女たちが同じ家に住むという非合法な新しい修道会という自分たちの思いつきを、マリア様から祝福してもらうことにしました。マリア様のその祝福は「マリア年の呼びかけ」と「わたしの宣言」と呼ばれるマリジャの文章の中にあります。
この新しい家が暴走し始め、彼女と彼女の聖母に対する非難の声が高まったと見るや、彼女は一九八八年七月十一日にそれを撤回しました。
「わたしが署名した(新しい家を認める)文書を読めば…答えは『それが神の計画である』ということになりますが…わたしはトミスラフ・ヴラシッチ神父とアグネス・ホイペルが始めたこの企画への認可を聖母に求めたことはありません…。わたしの宣言の中で、トミスラフ・ヴラシッチ神父とアグネス・ホイペルが始めたこの企画への認可と解釈できる箇所があるとすれば、それは真実と一致するものではありません」
どう解釈すればいいのでしょうか? 最初に彼女はうそをついたけど今はうそをついていないのでしょうか? それとも、彼女は最初に真実を述べて、ことが思うように動いていない今、うそをついているのでしょうか? どうなのでしょう?
明らかに分かるのは彼らがみなうそつきであるということです。それは出現も真実であることにつながるのでしょうか? 必ずしもそうではありません。しかし、これらの若者たちに恵みが見られないことも考慮に入れると、出現は怪しくなります。例えば、五年間も毎日聖母を見続け、千回以上のいわゆる脱魂状態を経験した後で、ジャコヴはミサの最後まで教会の中にいるという恵みをいただいていません。彼はその後、本当は聖母が彼には司祭になるように告げていたはずなのに、美人コンテストで女王になった米人女性と結婚しました。妻の方がかなり背が高いので、彼はかかとの高い靴を履いています。
わたしと同行したうちの主任司祭は、示現を見ると称する若者たちに会ってもことさら強い印象は受けませんでした。その理由は「聖母」と話し合ったわずか五分後、彼らが通りの向こうの店でビール片手にサンドウィッチをつまんでいたからです。
カリタスのニュースレターが、聖母のメッセージによると、歴史始まって以来の大聖女マリジャ・ルネッティ(元マリジャ・パヴロヴィッチ)について書いてあることを引用したくもなります。「あなたとあなたの兄弟姉妹が受けたほどの恵みは、世界広しといえどもだれも受けたことがないのですよ」カリタスは平気でうそをつくこの女を最大の聖女と呼んでいます。
今日、事態はますます悪化しています。フランシスコ会士たちは彼らが誓願を守ろうとしないので、ローマにある同会本部から絶縁状を渡されています。彼らは教会の庭で武道の訓練に励んでいます。これは正にニュー・エイジそのものです。
おそらく真相は、英語で言えばヒッピーという表現で呼ばれていたこの若者たちが冗談で始めたことが、どうにもならないほど大きくなってしまった、というのが考えられ得るシナリオでしょう。彼らはヴラシッチ神父に相談に行きました。彼としては聖霊運動の大物から一月以内に自分の周りで何か大きなことが起きると言われていました。修道会上層部の権威者から自分を守ってくれそうな機会、宣伝と金儲けの機会が訪れたと彼が思わなかったでしょうか? クロアチア人は同胞愛で知られています。言語も彼ら固有のものです。本物のキリスト信者と少し異なる道徳観念を持っています。彼らにとって、目的が正しければ、手段はどうでもいいのです。ヴラシッチが今や主人公になり、若者たちは彼の指揮のもとに入るというわけです。しかし識別を続けるために、彼らの予言なるものを調べることにしましょう。
予言
どのような出現の識別も「予言」が決め手になります。神から来るほとんどすべての出現には短期的予言が、時としては長期的予言が付き物です。神はすでに実現している短期的予言のある予言者でなければわたしたちが信じることを期待なさらないでしょう。
ファチマでは三十のうち二十九の予言がすでに実現しています。二人の子供たちの死、共産主義、太陽の奇跡、第一次世界大戦の終わり、第二次世界大戦、ロシア共産主義の終焉、その他。神だけが未来を見ることができるのですから、こういうことは示現が本物であることの証明になります。神は誤ることができないので、予言者は完全に正しいはずです。さて、メジュゴリエはどうでしょうか?
一九八一年七月三日「聖母」は印を約束します。「それは永久的なものであり…それを消し去ることはできないでしょう…。だれでもそれを見ることができます」。一九八一年八月二十七日「それはもうすぐ起こるでしょう」。一九八一年八月二十九日「もう少し待ちなさい」。その後「一九八一年十二月八日にそれは起こるでしょう」。その後「クリスマスまで待ちなさい」。その後「一九八二年一月にあります」。現在一九九六年ですが、まだ何の印もありません。彼らは本当に予言者なのでしょうか?
忠実
聖書とカトリックの教えによれば、罪を除くほか、わたしたちは目上に従順でなければなりません。それなのに、わたしたちはメジュゴリエの司教に不従順であることを「聖母」から要求されています。出現のあったここ何年かを通じて何度も何度も、この「聖母」は、聖職停止になっている二人の神父が司教に従わなくてもいい、とわたしたちに信じさせようとしています。教会はすべての権威、特に司教の権威は神から来ることを教えています。「あなたの父と母を敬いなさい」という掟には二重の意味があると解釈されます。生物学的両親とあなたの上に権威を持つすべての人々を敬うことをこの掟は要求しています。罪を除いて、わたしたちはこれらの人々に従わなければならないのです。それがたとえファチマであっても、そこに巡礼しないことが罪になるわけではありません。ですから教えに対する従順という観点だけからも、これらの出現が偽物であると宣言することができます。しかしもっと大事な点は、そこに見られる多元主義です。これらの出現が目的とするのもそこにあると思われます。
社会的多元主義
社会的多元主義は、神の目にとってすべての宗教は同じであるとするフリーメーソン的、聖霊刷新運動的な信念です。それは新世界秩序とニューエイジの目玉商品です。それはそれとして、カトリックの教えは、個人に責任のない無知の場合を除き、教会の外に救いはなく、ほかの宗教が神のみ言葉に反していない、と主張すれば異端になるというものです。
一二一五年の第四ラテラン公会議は「信じる者にとってはただ一つの普遍的教会が存在し、その外に救いはない」(ex cathedra)と教えます。
一三〇二年のUnam Sanctam(ex cathedra)には「すべての人の救いにとってローマ教皇に従うことが絶対的に必要であることを宣言する」と規定されています。
一四四一年のCantate Domino(ex cathedra)は以下のように教えます。「いとも聖なるローマカトリック教会はカトリック教会の外にある者は、死の前に彼らが教会と一致できるのでなければ、異教徒のみならず、ユダヤ人と異端を信奉する者たちも含めて永遠の生命にあずかることはできず、悪魔と彼の天使たちのために準備された永遠の火に投げ込まれること、この一致の中に留まる者だけが救いに必要な教会の秘蹟を受けることができるほど、この教会の体との一致が重要であること、どれほど施しをしたとしても、キリストの名のためにその血を流したとしても、彼がカトリック教会と一致の中に留まるのでなければ、だれも救われないことを固く信じ、宣言し、教える」。
同内容の教えは第二ヴァティカン公会議の文書、一テモテ二・四、使徒行録四・十二、ガラテア十・八、ティト三・十、二ヨハネ十、聖イレネオ、聖シプリアノ、聖ジェローム、聖アウグスティーノ、聖フルジェンチウス、十字架の聖ヨハネにも見られます。
つい最近まで改宗の気配を全く見せなかった、プロテスタントのウェイン・ウェイブルが、これらの出現を最も強力に推進していたので、この点は強調しておきます。彼はしばしば「聖母はわたしたちをありのまま受け入れて下さる」と言っていました。なぜ彼はこういうことを言ったのでしょうか? 三千回もの出現があった後に判明したのはそれが社会的多元主義であるということだからです。以下はミルジャナの言葉です。
「聖母はしばしばこうおっしゃいました…。神は唯一なのに人々がバラバラなのです。あなたたちは回教、セルビア人の正教などのほかの宗教を尊敬しなければ、あなたは信じていることになりません。そしてそれらを尊敬しなければあなたたちはキリスト信者ではありません」
モハメッドは自分が神の子であり、キリストは預言者に過ぎないと主張しました。彼はキリスト信者を殺した回教徒は、イヌを殺す以上に罪を犯すのではないと教えました。わたしたちは回教徒を愛さなければなりませんが、彼の宗教を決して尊敬してはなりません。わたしたちは真理を尊敬しなければなりませんが、うそを尊敬してはなりません。人は尊敬しなければなりませんが、彼らの宗教は決して尊敬してはなりません。
イヴァンカも示現を見ると主張します。以下が彼女へのインタビューの記録です。「宗派に関わりなく、善意の人たちが争わないということは重要です。(その通り)しかし、もう少し詳しく話してくれませんか? 聖母はこの点について何とおっしゃっていますか?」答えは「聖母によれば、地上で宗教は分かれているけれど、すべての宗教に属する人々はその御子によって受け入れられる」というものでした。
さて、こういう発言があったとすると、わたしたちにとってこれらの出現は無意味になってきますが、これは教会と聖書の教えに反することを示すためにもう少し続けてみました。
質問 「ということはみんな天国に行くということ?」
イヴァンカ 「それは彼らの功徳による わ」
質問 「そうだよね。だけどたくさんの人たちはイエス様について聞いたこともない」
イヴァンカ 「イエス様だったらそんなこと全部分かるでしょうよ。だけどわたしは知らないわ。聖母は『基本的に言えば宗教はどれも同じようなもの』とおっしゃいました」
聖母の言葉 「神父にもみんなにも言いなさい。地上で分かれてしまったのはあなたたちなのです。回教徒も正教の信者もカトリック信者もみんなわたしの息子とわたしの前では平等なのです」
であれば、聖書、御聖体、洗礼、信仰の一致、司祭職、赦しの秘蹟など全部どぶに捨ててしまってもいいのではありませんか? 出現があったその最中に神父が女性といちゃついていたとしても驚くことはありません。司祭と修道女が同居するという前代未聞の修道会がメジュゴリエで発足するのも驚くに当たりません。
このドラマの出演者であるウェイブル、クラルジェヴィッチ神父、ローランタン神父、ルプチッチ神父、ベルティエ神父、ジム・ベイリー、メアリー・ルー・マッコール、ミラヴァル博士、ヴラシッチ神父、タルディフ神父、ランクール神父、マドレ博士、フラニッチ大司教が一人残らず聖霊刷新運動のメンバーであることは驚きに値しません。
今週、わたしは聖エリザベス・シートンカトリック教会で行われた聖霊刷新運動の祈祷集会に出席しました。指導者はサン・ベルナルディーノ地区聖霊刷新運動の責任者マイケル・バリー神父でした。カルヴァリー・チャペルとかハーヴェスト・クルセードに属するプロテスタントの人たちもこの祈祷集会に出席していました。これらの非カトリック者たちは毎週カトリックのミサに出席して、御聖体拝領をします。わたしたちがこういう集まりに参加したのは、なぜ彼らがわたしリック・サルバトを「女性のための黙想会」でバリー神父との対話に引きずり込もうとするのかを知りたかったからです。
わたしは聖霊刷新運動のメンバーであることを止めていましたから、彼らはわたしが当然この運動を支持するものと思っていませんでした。ですから、彼らはパネルにだれが同席するのかをわたしに教えることもしませんでした。聖霊刷新運動にはフリーメーソン的、社会多元主義的ゴールがあります。これは(ユーゴスラヴィアにいた三十五人の司教たちの中でただ一人出現を信じた)フラニッチ大司教がいみじくも言っています。
「わたしは目の前に新しい教会、聖霊の教会が生まれるのを見ます…メジュゴリエの役割はとりわけ、将来、他宗教の人たち、回教徒、マルクス主義者とさえも一致できることのうちに見られるものであることを信じます…」。
この新しい教会には新しい歌があります。示現を見ると称する若者たちは司祭のマリア運動のゴッビ神父に、それが " The Battle Hymn of the Repuiblic" (共和国の軍歌)であると語ったものです。この新しい教会こそ悪魔が千年もの間待ち続けていたもので、この新しい教会こそ反キリストがいつの日か打ち建てる教会です。
ウェイン・ウェイブルは今でこそ初めから自分はカトリックになりたいと思っていたと言いますが、これは彼が出現を推進し始めた最初の五年間に発行した文書の中には見当たりません。彼には、当時、聖母が要求していなかったので、カトリックになる気持ちは全くありませんでした。
従順
常に最重要な次の識別は従順です。サタンは教理をよく知っていますから、多くの人たちをうそでごまかすことができます。しかし彼の不得手は従順です。彼は傲慢ですから、ただの人間には見せかけの従順さえ不可能です。ピオ神父の言葉を見てみましょう。
「従順のないところに徳はない。徳のないところに善はない。善のないところに愛はないし、愛のないところに神はいない。神のいないところに天国はない」
メジュゴリエの基準に従えば、ピオ神父には不従順である理由が腐るほどあっただろうと思われます。彼はある日視察の司祭から、彼が取り次いで受けた癒しの記録を焼き捨てるように言われました。彼は文句一つ言うことなくそうしました。第二ヴァティカン公会議が新しいミサを取り入れたとき、彼はトレント公会議のミサが気に入っていたにもかかわらず、躊躇なく新しいミサを取り入れました。彼は教皇様に手紙を送って支持を表明しました。ローマが公のミサと告解を聴くことを止めるよう指示したとき、彼はその理由もたずねずに従いました。六年もの間、彼は自分の部屋でミサを捧げました。メジュゴリエとピオ神父を読者は比較してみて下さい。
メジュゴリエの出演者たちがどれほどピオ神父の従順に対抗できたか見てみましょう。 最初の出現からたった六カ月後の一九八一年十二月十九日、聖母は(司教と二人の司祭たちの間にあった)争いは(ザニッチ)司教に全責任があると言いました。彼女はヴェゴ神父に命令に従ってどこかに行くことなく、留まるように言いました。ヴェゴ神父とプルシナ神父は、ザニッチ司教からでなく、彼らの長上であったローマからの管区長によって司祭として退会を命じられていました。なぜかと言えば、ローマにあるフランシスコ会の長上がいくつかの教会を教区司教に移管するように命じていたからです。その準備はザニッチ司教が着座する前からなされていました。彼らは(ザニッチ司教からでなく)ローマからの聖務停止命令でもって脅かされても、彼らは退去することを拒んでいたのです。
以下の日付に起こった出来事を見て下さい。一九八一年四月(ザニッチ司教でなく)フランシスコ会会長総代理オノリウス・ポンタグリオ神父が(ヴェゴとプルシナ)両神父に、もし彼らが秘蹟の執行を止めて、モスタルを退去しなければ、聖職停止と修道会からの退会で脅しました。そのわずか二カ月後の一九八一年六月二十四日に出現が始まったのです。ですから、これら二人の修道者がその地域に留まるための仕掛けが一連の出現であると広く議論されています。
繰り返します。一九八一年四月に聖職停止。同年六月に出現開始。一九八二年一月三日聖母は「イヴィカ・ヴェゴに罪はありません。彼がもし退会させられるとしても、勇気を失ってはなりません。わたしは繰り返します。平和、平和、平和。それなのに争いは増えます。彼は悪くありません。司教が秩序を乱しています。だから彼に責任があるのです。あなたが見たこともないような正義の罰があるでしょう。ですから彼にはそのままでいさせなさい。司教は秩序をもたらそうとしていません。ですから、彼には責任があります。彼はいつまでも司教を続けられるわけではありません」。
聖母のこの発言と本当に出現した聖母の言葉とを比較してみて下さい。これが識別というものです。両者を真理の光に照らして見るとき、善と悪の違いが分かるはずです。神はわたしたちに盲目的信仰で何でも信じてしまうことを望まれません。神はわたしたちが真実を探し求めることを望まれ、それは可能なのです。しかし、もしあなたがそれを探していなかったらどうなるのでしょうか? 「どの霊でも信じるのではなく、神から出た霊かどうかを確かめなさい。偽預言者が大勢世に出てきているからです」(一ヨハネ四・一)。ヨハネのテストはどのようなものでしょうか? 「(司教である)わたしたちは神に属する者です。神を知る人はわたしたちに耳を傾けますが、神に属していない者は、わたしたちに耳を傾けません。これによって、真理の霊と人を惑わす霊とを見分けることができます」(一ヨハネ四・六)。いわゆるよい「実り」ではなく、これがヨハネが教えたテストです。
一九八二年一月十一日、ヴィッカは日記にこう書いています。「聖母は司教に反対しています」一九八二年一月二十日、示現を見る若者たちはローマからの命令によって修道会から破門される二人の神父について、質問すると、聖母はこのように答えます。「彼らは悪くありません。このようなことを司教は早まって決定しています。彼らは留まってもいいです」。
この「聖母」が言っているのは「彼らは反抗してもよろしい」ということです。ちょうどその頃、この司祭には修道女との性的関係がありました。もちろん、神の母はそんなことを知らなかったのでしょう。
一九八二年四月十六日から二十六日にかけて「聖母」は繰り返し、司教の悪口を言いました。これらの司祭たちによるミサ、告解、その他は長上に対する反逆状態のもとに行われていました。後で説明しますが、これは本当ではありません。聖母は一九八二年四月十五日に「修道者たちは何も悪くありません」「悪いのは司教です」「彼らはモスタルを退去しないでもいいです」「彼らは神の法に基づいて行動しています」そして(聖母が)「それを落ち着かせたら、もう問題がなくなります」などと言っています。
「聖母」がもう問題がなくなると言ってからわずか十四日後の一九八二年四月二十九日、ローマにあるフランシスコ会本部の総長ポントグリオ神父がこれら二人の神父をフランシスコ会から追放する命令を出しました。ですから聖母の予言は当たらなかったわけです。しかし、ヴェゴ神父は聖母がこんなことを言っていたその最中に修道女相手に情事にふけっていたのです。
一九八二年八月三日、ザニッチ司教は聖母が約束した印を文章に書いて、封筒に入れて封をするよう視幻者たちに依頼します。もしその印があれば、その時予言を事実と比べることができるはずでした。彼らは司教の指示に従うことを拒否しましたが、イヴァンだけはそうしました。
一九八二年五月二十七日、ヴィッカは司教の要請に応じて自分の日記を引き渡しました。しかし、聖母が司教について話した十二月十九日、一月三日、一月二十日、四月十六日、四月二十六日の分は渡しませんでした。これらの控えについてすでに承知していた司教は抜けている分も要求しました。ヴィッカはそのほかには何もないと言って、拒否しました。 さて、一九八二年六月十九日「聖母」はこう言っています。「司教に言いなさい。わたしは彼がメジュゴリエ小教区である出来事に関して、遅すぎないうちに直ちに回心することを要求します。彼が、大いなる理解、愛、責任をもってそれらすべての出来事について研究し始めるように望みます。わたしは彼が司祭たちの間に不和をもたらしたり、彼らの否定的部分を強調したりしないことを望みます。これらの出来事に関して彼が回心することを希望します。これが彼に対するわたしの最後通牒です。もし彼が回心しないなら、彼は罰を受けることになります。わたしの息子イエスとわたしの天罰が彼を打ちのめすでしょう。もしわたしの知らせを実行に移さないようなら、彼はわたしの子イエスへの道を見いだしていない、とどうぞ彼に伝えて下さい」。
聖母は臨月であってもヘロデが命じた人口調査のために従順にベトレヘムに旅しました。清めなど必要でなかったのに、聖母は神殿にお参りして清めの式を受け、御子イエスには割礼など必要でなかったのに割礼の式を受けさせました。聖母は十二使徒を全部合わせたより偉大な方であったのに、最後の晩餐の時は高間の外に控えていらっしゃいました。このような言葉が、地上で最も従順で謙遜な方であった聖母の言葉である、とだれが信じられるのでしょうか?
「わたしの裁き」こんな言葉が神の御母の口から出てくるわけがありません。マリアは慈悲そのものであり、裁きなどではありません。モーセは間違って「彼が」岩を打って、水を出させることができると言いました。そのために、彼は約束の地に入ることを許されませんでした。それなのにわたしたちは地上で最も従順なお方が御父から裁きの権利を奪う権利があることを信じるよう期待されているのです。「わたしは…望みます。わたしは…要求します。これが…わたしの最後通牒です」これは聖母の言葉ではあり得ません。 こんな脅迫を受けてかわいそうなザニッチ司教! しかし、このような脅迫を笑い飛ばすことはできません。確かに悪魔は司教の体に触れることを許されません。しかし、彼は示現を見る若者たちを応援する者たちから脅迫され、苦しめられ、やじられました。
ローマは彼の勇気ある態度に報いるために、彼の裁治権の及ぶ地域を広げました。当時のユーゴスラヴィアにいた三十五人の司教たちのうち三十四人が彼と一致して出現を断罪しています。すでに引退していて聖霊刷新運動に熱心だったフラニッチ大司教だけが出現を認めています。
一九八三年十二月、ザニッチ司教は公にフランシスコ会の無責任なプロパガンダを警告する文書を出版しました。以下にその概略。
メジュゴリエ推進者たちは、教会の権威者が敢えて反対できないような状態をプロパガンダによって作り出すことに専念しているように思われます。しかし、教会は信仰を守るためにうそをつく必要は全くありません。わたしは真理を、たとえそれが耳に痛くても、話し続けなければなりません。さて、反乱神父たちに「聖母」の支持があったために、ヘルツェゴヴィナ(メジュゴリエ)の教会には十五年間平和がありませんでした。フランシスコ会員の半数がメジュゴリエのいわゆる聖母のメッセージを口実にして、いくつかの小教区を教区司祭に引き渡すことを拒絶しています。現在の管区長、彼の協力者たち、出現を信じない半分のフランシスコ会士たちは、司教との一致を再現させるために努力しています。このように、メジュゴリエと「平和の元后」のために、以前にもまして緊張と不穏が存在します。平和の元后、我らのために祈って下さい!
一九八三年十二月二十六日(ザニッチ司教がローランタン神父著「メジュゴリエにおける聖母の出現」を断罪して後)いわゆる「聖母」はその本がよく売れるように祈ったものです。
ザグレブの大司教であるクハリック枢機卿は、一九八四年一月十三日「もし聖職停止の神父たちを擁護して聖母がそういうことを司教に言うのであれば、それは聖母ではない」という声明を出しています。
一九八四年二月二十六日、ザニッチ司教はあるフランス人神父に以下を書いています。「メジュゴリエを支持するプロパガンダは実にひどいものです。まるで、戦争の準備をしているかのようです。それは一部のフランシスコ会士たちによる自己主張の闘争です…。メジュゴリエを守ろうとする者たちは不従順であるに過ぎません…」。
オッセルヴァトーレ・ロマーノは一九八四年七月二十四日、メジュゴリエに関するいかなる文献の出版も禁止するザニッチ司教声明の詳報を掲載しました。それにもかかわらず、すでに八冊の本が出版されて、世界中で頒布されています。これらの本の出版・頒布にかかわる人たちは従順に反する大罪を犯していないでしょうか? それなのに、ローマが司教のこの命令を発表してから一週間後「聖母」は「神父たちにローランタン神父の本を読ませ、その本を広めなさい」と命じています。
一九八四年八月七日、ザニッチ司教は示現を見る若者たちが教会の建物を使用して、出現を見ることを禁止しました。神父たちも若者たちもその禁止を無視しました。一九八四年十月三十日、ザニッチ司教は、再度、教会内で出現を見ることを禁止しましたが、これも司祭たちと若者たちによって無視されてしまいました。同日、司教は「メジュゴリエに出現しているのは聖母ではない」と発表しました。
一九八四年十一月十二日、ラクロワでユーゴスラヴィアの司教たちはメジュゴリエへ巡礼の禁止を発表しました。ザニッチ司教の許可なしに、外部の司祭はそこでミサを捧げることが禁止されています。
司教に従順である代わりに、あの不従順な本の著者、ローランタン神父はある大手のカトリック新聞に「司教が巡礼を禁止しても、人々はメジュゴリエに行き続けなければなりません。これからは巡礼という代わりに霊的な旅と呼ぶ必要があります」と書いています。つまり、名前を変えさえすれば、わたしたちはメジュゴリエに行っても罪にならないというのです。ローランタンはカトリック信者の知性を過小評価しています。それにもかかわらず、メジュゴリエの宣伝を見ると「巡礼」という言葉を使っているどころか、司祭たちが堂々とグループの引率者になっています。
一九八四年十一月、ザニッチ司教は元フランシスコ会修道女から手紙を受け取りました。それによると彼女は以前ザグレブでメジュゴリエの司祭たちのうちの一人と働いていたそうです。彼女はその司祭の名前まで打ち明けました。その司祭から金銭的援助がもらえないという訴えでした。一九八八年にはヴェゴ自身もまだ子供に会っていないこと、今後も会いたくないこと、その子に金銭的援助をしていないこと、もうそんなことは忘れてしまいたいことを認めました。彼によると神でさえももう忘れているというのです。だけどそのかわいそうな修道女はどうなるというのでしょう? 一九八八年の手紙によるとヴェゴはその修道女と結婚したそうです。
一九八六年三月二十五日、ザニッチ司教はローランタンの愚かさに騙される人のいないように、再度、以下の命令を出しました。
わたしはメジュゴリエの出来事が少しずつ収まって、終焉することを願っていましたが、すべては以前と同じです。何ということでしょう! そのために、わたしは以下のことを厳しく要求します。
1 「視幻者」たちは今後公衆の面前に出てはならない。
2 小教区教会で出現があってはならない。「視幻者」たちは一九八一年の夏にそうしていたように、自宅で出現を見ること。
3 十日以内に躊躇なく出現をモデルとした聖母像は撤去しなければならない。前にあった御像を元に戻すこと。
4 出現について今後話してはならない。新しいメッセージも今後広めることは禁止する。
5 出現の結果として、またそれに関連するメッセージに従って発達した信心は終わらなければならない。
6 出現を宣伝するようなみやげ物の販売は止めなければならない。しかし、人々が告解したり、ミサにあずかるのは構わない。
7 外部からの司祭がミサを捧げることは禁止する。それは特にジョゾ・ゾフコ、トミスラフ・ヴラシッチ、ルジュドゥヴィット・ルプチッチ神父に禁止されている。
8 「視幻者」たちは自分たちが書いたもの(特に「聖母マリアの生涯」)をすべて提出しなければならない。これらのものの提出拒否を正当化する理由はない。日記その他の記は公に属するものであり、メジュゴリエの出来事に大きな影響があるからである。従ってこれらすべての記録は司教館に提出され、調査されなければならない。この手紙で皆さんに要求されていることが、速やかに実行に移されることを希望する。皆さんに神の祝福があるように。
教区長 パヴァオ・ザニッチ
一九八六年四月六日、フランシスコ会の司祭たちは司教のこの命令に従うことを拒否すると書面で通告しました。その二日前、出現は終わると言っていた彼らの女神から、若者たちはもう一つの矛盾したメッセージを受け取ります。しかし、司教からの手紙を考慮するとき、もちろんフランシスコ会にとって、これは大問題であったはずです。彼らは「信仰上の決定権」を握る「視幻者」たちの言葉によって支持される必要がありました。
あなたたちの中にはわたしを受け入れようとしない人がいるので、今日でメッセージを止めようと思っていました。しかし、この小教区に動きが出てきたので、世の初めからなかったような方法でメッセージを与え続けようと思います。
一九八六年四月十日、ヴィッカは調査委員会に自分が書いたものを引き渡すことを拒否します。その代わり「聖母」は彼女が気に入ったフランシスコ会の神父の手で出版することを命じています。
一九八六年五月二十三日、ローマの教理省秘書ボヴォーネ司教は、イタリア司教協議会秘書のカポレッロ司教に、巡礼と宣伝禁止のメモを送りました。それでもフランシスコ会の神父たちと「視幻者」たちは従おうとしません。
一九八六年七月、ヴィッカは司教の調査委員会に記録の引き渡しを再度拒否します。
一九八七年、ローマ(オッセルヴァトーレ・ロマーノ)は再度、司教の命令を掲載します。ローマの態度が厳しくなってくると、ヴラシッチ神父はついに教会認可をあきらめます。彼は以下の声明でもって決定的異端に走ります。
メジュゴリエでの出現に公的な認可は不必要です。聖母はメジュゴリエでの認可をお求めになりませんでした。 — 聖母は「わたしは平和の元后です」とおっしゃったのであって、決して「わたしは教会認可を求める聖母マリアです」とはおっしゃいませんでした。
こんなつまらないメッセージについて解説の必要はないでしょう。
教皇聖下が十二人のイタリア人司教たちにおっしゃったと伝えられる言葉が、まことしやかに言い触らされています。「もしメジュゴリエで人々が回心し、祈り、告解し、償いをし、断食を…するのであれば行かせなさい」。
このような発言は事実と異なり、メジュゴリエの推進者たちが広めているもう一つのうそでしかありません。教皇大使ピオ・ラッギ大司教は、一九八八年三月一日、ジョセフ・E・オカノー氏に以下を書き送っています。
教皇聖下と、聖座で働くその他の職員に帰せられるメジュゴリエ関連の発言が存在します。これらは一つとして真正なものとして確認されていません…。オッセルヴァトーレ・ロマーノに司教の公式見解が掲載されたこと自体、ヴァティカンがその地方の司教たちと一致していることを物語っています。
八月二十一日、ジョセフ・E・オカノー氏に再度答えて、教皇大使は一九八七年のユーゴスラヴィア司教協議会とザニッチ司教の声明に関連して以下の声明を出しています。
この決定を否定するような聖座の声明が出されていることは聞き及んでいません。聖座の裁定がなかったとしても、それらの現象は地方教会の裁治権のもとにあるので、その決定は尊重されるべきです。
それだけでなく、ユニティー・パブリッシングの責任者リック・サルバト氏は、ヴァティカンで、教皇聖下に近いエドワード・ガンニョン枢機卿と話しました。枢機卿はそのような言葉が教皇聖下の口から漏れたことはないと断言なさいました。実に、一九九〇年ヴァティカン大使ラッギ大司教もラッツィンガー枢機卿も、オッセルヴァトーレ・ロマーノにクハリック枢機卿とザニッチ司教の署名付きで掲載された声明を教会の公的立場であるとして言及なさっています。これが真実です。
ファチマの司祭として知られたロバート・E・フォックス神父は、ウェイン・ウェイブルの著書の書評の中で以下を書いています。
ピオ・ラッギ大司教は、教皇聖下がメジュゴリエ巡礼を勧めるようなことを言われた、としてよく引用される言葉には全く根拠がない、と語っておられます。
では、どのようにしてこういううそが世界中に広がるのでしょうか? それはメジュゴリエ推進者たちが、ローマでメジュゴリエを広めるために、その地で引退したポール・ニリッツァ司教を雇ったからです。教皇様に帰せられるこれらの発言はほとんど一九八九年に、ニリッツァ司教から出ています。彼についてわたしたちが把握しているのは、彼が何百万ドルも横領したとして起訴されたこと、ローマから不法に書類を持ち出したことでイタリア法廷によって有罪判決を受けていることです。メジュゴリエから一億ドル以上が彼によって持ち出され「あるイタリアの銀行によって合法化されています」。それを担保にした彼は、ヨーロッパにある十の銀行から融資を受け、そのために小さな銀行のいくつかは破産することになりました。メジュゴリエ近辺の戦争のために巡礼が激減して、融資の返済が滞ったからです。
一九九六年六月三十日(メジュゴリエ推進派に属する)The National Catholic Registerに以下が掲載されました。
ヴァティカンのスポークスマンホアキン・ナバロ氏は、六月十九日、メディアへの発表の中で、教会がメジュゴリエでのいわゆる出現に対して従来の懐疑的な公式立場をとり続ける、と発表しました。それによると、過去二十年に二千万人の巡礼を惹きつけた「出現」の真正性を証明する「新しい証拠」が皆無です。発表は「今ヴァティカンは、その件に関してはその地域の司教たちの判断を尊敬しなければならない」と締めくくられています。
しかし、一九九六年八月二十一日、ヴァティカンの同スポークスマンはカトリック・ニュース・サービスに以下のように語っています。「教区が公式に巡礼団を組織することは許されないが、それが偽りであると証明されるまで巡礼を禁止するとは言えません。だから望めばだれでも行くことはできます」。ローマはメジュゴリエを公式に断罪していないが、調査が済むまで、担当地域の司教の現在の立場を尊重していることを強調しなければなりません。調査が完了したことははっきりしていますが、ヴァティカンは適当な発表時期を待っているのかも知れません。
ローマの立場は、フランシスコ会のフィリップ・パヴィッチ神父がよく説明しています。同神父は十五年もの間メジュゴリエに住み、そこで多くの告解を聴いています。初めは彼も推進派の一人でした。彼はメジュゴリエの新司教が選考された際の事情を説明してくれました。ザニッチ司教がこのケースをヴァティカンに持ち込んだとき、将来の後継者はローマで働いていました。ザニッチ司教がヴァティカンを訪問したときは、親友であり、メジュゴリエに関して同意見であったモンシニョール・ラトゥコ・ペリッチのアパートに滞在したものです。ザニッチ司教が引退したとき、ヴァティカンは新司教がザニッチ司教と同じ立場にあることを確認したものです。新教区長にはモンシニョール・ラトゥコ・ペリッチが任命されました。
パヴィッチ神父は言います。「ですから、どうすればローマとザニッチ司教の意見が違うと言えるのでしょうか?」パヴィッチ神父はローマにいる長上の命令でメジュゴリエに留まっています。出現など信じない彼はよそに行くことを希望はしていました。ほかのフランシスコ会士たちが長上の直接命令に反抗して、武道の練習(ニューエイジ)で忙しいので、彼は毎日十時間も告解を聴き続けなければなりません。(パヴィッチ神父は一九九七年三月に引退してメジュゴリエを退去することができました)。モスタルの教区長に手紙を書く場合は以下に送って下さい。
Bishop Ratko Peric
Biskupski Ordianarijat, Katedrala,
BH-88000 Mostar
Bosna i Hercegovina
Tel. e fax (088)323-896
引退したザニッチ司教の宛先は
Bishop Pavao Zanic
Zupni ured, Kastel Novi, 58216
Kastel Stari
Croazia
Tel. (021)231-635
プルジッチ枢機卿の宛先は
Cardinal Vinko Puljic
Nadbiskupski Ordinarijat,
Kaptol 7, BH-71000, Sarajevo,
Bosna i Hercegovina.
Tel. (071)663-512; 472-430 Fax 472-429
現在ユーゴスラヴィアにいる四十二人の司教たちとその地域の教区司祭の中で、出現を信じている者は一人もいません。ではなぜ、その地域に住まず、従って事情を知らない人たちは、それが教会に不従順な行為になると知りつつ、出現を信じ続けるのでしょうか? 新司教は出現を断罪するだけでなく、新しい映画 " Gospa" (聖母)も激しく攻撃しています。フランシスコ会にその教会を明け渡すよう要求した司教は、フランシスコ会の神父たちに連行された上、囚人として監禁されてしまいました。司教はヴァティカン大使の介入でやっと釈放されたものです。
禁書目録こそもはや存在しないものの、カトリック教会の訓令集には以下の既述があります。
ある本が禁じられるためには、それが禁書目録に記載されていなければならないということはない。一般法で禁止されている刊行物には十二種が挙げられる(教会法八百三十一、八百三十二)。要するに、それは…二・異端、離教を議論によって擁護するか、陰険な手段で宗教を傷つけるもの。五・認可なしに発行される示現その他の超自然的現象に関する著作。六・カトリックの教義もしくは位階制を攻撃するか、聖座によって断罪された誤謬を擁護する著作物。十一・偽りの免償を普及する本。十二・主キリスト、聖母、天使、聖人、その他神の僕たちの御絵で、教会の教えと合致しないもの等です。
一九九六年十一月、教理省(ラッツィンガー枢機卿)は(教皇パウロ六世の権威の下に)教会認可がない私的啓示の推進に関する決定的声明を出し、聖座公報に掲載しました。その文書は巻末に記載。
メジュゴリエ推進者たちは、多元主義の異端、司教への不従順を支持し、許可なしに違法出版し、免償に関する偽りの主張をし、教会の認可がない聖母像を頒布しているので、上記の二、五、六、十一、十二に違反しています。
これらの推進者の中でも際立って目立つウェイン・ウェイブルはカリフォルニア州ヴィスタにある聖フランシスコ・カトリック教会で、メジュゴリエ推進者たちのいわゆる「従順な姿勢」がどんなものであるか詳しく話しました。わたしたちは彼に以下の手紙を送りました。
ウェイン・ウェイブル様
P.O. Box 2647 Myrtle Beach, South Carolina, 29578
わたしどもは先週ヴィスタであなたの講演にあずかった者ですが、あなたの発言に関して二、三質問があります。あなたの講演はすばらしいもので、特に、最大の奇跡であるミサをあれほどにも強調なさったのには心を打たれました。しかし、質疑応答の際のあなたの発言には問題があり、撤回していただくことをお願いしたいです。
例の出現には超自然的なものが見当たらないとローマが判断した、という点は問題がありません。しかし、その後あなたはルルドとファチマのときもこういう言い方がなされたと言いました。わたしたちはルルドとファチマに関するあらゆる本を調べましたが、どの司教も、どの司祭も、どんな人もそういう発言をしていません。
ですからそういう主張を証明する証拠を示して下さるようお願いいたします。事実、ルルドとファチマは断罪を受けませんでした。Constat de non-supernaturalitate (超自然的ではないことが判明している)およびNon constat de supernaturalitate(超自然であるかについては判明していない)の両方の表現がメジュゴリエに関しては使用されていますが、ルルドとファチマに関してはそういうことが決してありませんでした。もしそれが超自然(神から)でなければ、それは詐欺であるか、ほかの霊によるしかないので、これら二つの声明は、教会がある私的啓示を偽りであると発表するときに使用されます。奇跡を見たという人たちがたとえ百万人いたとしても、それが「超自然」ではないと教会が判定するのは、それ自体が重大な声明です。
あなたが言っていたことでもう一つ気になるのは、出現が続いている限り、教会は調査を止めることができない、とあなたが主張したことです。これも本当ではありません。もし反対の証拠があるのなら見せて下さい。あなたの同意をいただけると信じますが、ファチマは認可された後でも、イルマ・ルシアへの出現が続きました。ダマスカスのミルナ・ナスールは彼女の司教と三代にわたるヴァティカン使節に認められていますが、出現と奇跡は今でも続いています。
出現の真の証明は十五年たった後でも多くの人が信じることだとおっしゃいました。この基準であれば、わたしたちにはアリアニズム、プロテスタンティズム、ニュー・エイジだって真理になってしまいます。どうぞお返事を下さい。
ユニティー・パブリッシング
一九九六年十月二十六日
六カ月後になる一九九七年三月になっても、返事は受け取っていません。わたしたちは、フォールブルック在住の彼の友人を通じて、彼がこの手紙を読んだことを確認しています。
米国の司教たち
一九八七年のことになりますが、わたしたちはロスアンジェルスのマホーニー枢機卿の事務所に赴き、以下の質問をしました。「枢機卿様は聖ヨセフのヒル・オヴ・ホープでの出現を断罪なさっています。この件について裁治権のないほかの司教が信者たちにそこに行ってもかまわないと宣言なさったらどう思われますか? あなたは侮辱されたと思い、怒りを感じられるでしょうか?」彼の秘書が脇から「もちろん」と言いました。そこでわたしたちは、なぜ彼の教区報がモスタル司教の希望に反してメジュゴリエ巡礼の広告を掲載するのか聞いてみましたが、返事がありませんでした。わたしたちは全米の司教たちに同じ質問をしてみたいものです。
以上は「視幻者」であり、役者である若者たちと「メジュゴリエの聖母」の従順度についての概略にしか過ぎません。興味深いことに、元メジュゴリエ推進者であったある人が、英国で、多くの矛盾、いわゆる実りの正体を暴露する本格的映画を制作しました。そこには推進者たちによる司教の誘拐、ヴァティカン使節による彼の救出の様子も報告されています。この映画こそこの出現にとどめを刺すことを希望します。
比較
一九八四年五月二十五日、いわゆる「聖母」は八月五日に二千周年記念の祝典を催すことを命じましたが、ザニッチ司教はそれを禁止しました。すると「聖母」は九月八日でなく、八月五日に自分の誕生日が祝われることを主張しました。無原罪の御宿りの方はどうなるのでしょうか? それも変えるよう主張するつもりなのでしょうか?
神は矛盾することができません。真の視幻者であればもう一人の真の視幻者と矛盾することも不可能です。カタリナ・エンメリック、テレーゼ・ノイマン、マリア・アグレダ、そして教会が、マリアの誕生日は九月の八日であると決定したのであれば、メジュゴリエのこの女はいったい何を言いたいのでしょうか?
実に、ダマスコのミルナは九月八日の夜に四回出現を受けています。同じ一九八四年九月八日の夜、キリストは「わたしは創造主であり、わたしに生命を与えてくれる母をわたしが創造した…」と伝えられました。
わたしたちのところには、メジュゴリエにいるフランシスコ会のスラフコ・バルバリッチ神父による文書があります。それには彼の通訳であるジョン・シンドラーの署名がついています。そこには「視幻者」たちを通じて「聖母」に聞いてもらう質問が列挙されています。以下にその内のいくつかを記しましょう。
質問二 「赤ちゃんが霊魂を受けるのはいつですか?」
聖母「受精後四カ月半経ってからです」
質問四「UFOって本当にいるのですか?」
聖母「はい」
質問七「アドルフ・ヒットラー、チトー元帥、教皇パウロ六世たちは生存中に悪い替え玉たちにすり替えられたのですか?」
聖母「はい。彼らはよい人たちでしたが、悪い共産主義の替え玉にすり替えられてしまいました」
質問八「あなたはウイスコンシン州のネセダでも出現されましたか?」
聖母「はい。しかしだれも耳を貸そうとしませんでした。米国の悪い司教たちも…」
質問二への答えはほとんどの人工妊娠中絶を合法化することでしょう。質問四は解説するほどのこともありません。質問七への答えはベイサイドの出現と同じ。八も長い目で見ると同じ実りです。ネセダの「視幻者」は教会を離れた状態で死に、教会での葬式さえありませんでした。ネセダは第二ヴァティカン公会議後分離した「古ローマ・カトリック教会」という異端グループの司教や司祭たちに乗っ取られています。ベイサイドの「視幻者」は彼女の「霊」をネセダの「視幻者」から受けたそうです。
わたしたちはベイサイドとネセダについて詳しく報告を受けています。わたしたちの寄稿者の一人は家族とともにネセダに六年も住んでいました。「聖母」がネセダを支持するのであればそれは神からのものではありません。
映画「ゴスパ」(聖母)
この映画「ゴスパ」に関しては、モスタルの新司教が世界中のメジュゴリエ推進グループ、そしてこの映画を観た人たちに書き、出版した手紙の中ですでに言われていることのほかに、付け加えることはありません。
映画のうそ
ボスニア・ヘルツェゴヴィナのモスタル教区事務所は、今年の四月以来世界中に頒布された映画「ゴスパ」に関して、以下の声明を出すことが必要であると判断しました。この映画の芸術性については専門家に譲るとしても、わたしたちはその宗教的、教会的内容に的を絞ります。
1 聖なる名の乱用。 映画「ゴスパ」の宗教的タイトルから、信者はもっと宗教的内容、マリア様について、マリア学的内容、もしくは神の母である聖母からのメッセージを期待するでしょう。しかし、このフィルムには、ゴスパというタイトルにもかかわらず、神の母マリアについての言及がありません。女の中で最も祝福された神の御母のいとも聖なる名が、個人もしくは特定グループの利益もしくは思想を推進するために使われているように見えます。
2 司教の中傷。 モスタル教区司教は、映画ではペーテル・スビッチ司教となってはいるものの、前教区長パヴァオ・ザニッチ司教であることは明らかです。同司教の行動に関するシーンとか台詞については断固として抗議します。現実に基づかないで、教会の長について欺瞞を流布することを、監督もしくはシナリオの「芸術的表現の自由」として主張することはできません。ザニッチ司教は、一九八一年八月半ば、メジュゴリエに関する現象について公式声明を出しています(Glas Koncila 一九八二年一月十六日)。共産主義政府の前で、彼らと協力するどころか、全く恐れることなく、譲ることのなかった司教のあの勇気は、あの映画を観る限り、どこにも描写されていません。実際、司教は常に勇気と威厳をもって彼らに接しました。これは当時のセルゲイ・クレーガー大統領にあてた一九八一年九月一日の抗議の手紙にも見らます。司教はその中でジョゾ・ゾフコを含むフランシスコ会神父たちと自分自身に対するすべての無意味な中傷を激しく断罪しています。以下を読んで下さい。「カトリック司教として、またモスタル教区長として、わたしはわたし自身と前述のフランシスコ会神父たちに対するすべての無責任な中傷に抗議します。そういうことはメジュゴリエ教会で起こっている出来事の冷静な評価にはつながりません。これらのひどいやり方はわたしたちの市民権と人間としての権利を侵害するものです。わたしはユーゴスラヴィア社会主義連邦共和国の責任者が、このような無責任な大失敗について緊急に善処することを要求します(Crkva na Kamenu 一九八一年一月十日)。フランシスコ会神父との会話の中で、司教を共産主義の協力者、弱虫として提示することは、司教のすべての説教と声明に反するものです。これら、特に前述のフランシスコ会神父に関する司教の態度は広く知られていることではありませんか? 生き証人であるザニッチ司教はすべての人々の前で真実を証言することができます」。
3 「ゴスパ」なるタイトルの映画が、その主人公として、また過去クロアチアとボスニア・ヘルツェゴヴィナで拷問を受けて殉教した多くのカトリック神父たちを象徴する人物として、信仰と祖国のために多くのものが死につつあったそのときまだ生まれたばかりであった一人の修道司祭、しかも何年も前から教会から破門状態になっているこの司祭を選んだのは、まことに残念なことです。聖母の名を乱用した映画、その教区の司教を不正確に、また中傷するために描写したこの映画を、米国の司教たちはなぜ教会で映写することを許すのでしょうか?
詐欺
もちろん、メジュゴリエが詐欺である可能性はあります。出現は演出されています。若者たちは何時に「聖母」が出現するか分かっています。彼らが脱魂状態になることはありません。彼らは神父たちとともに部屋を出ます。神父は彼らに話し、何やら手書きの文章が書いてある紙切れを彼らに渡します。彼らは部屋に帰ってきて、それらのメッセージを読むのです。自尊心のある占い師とか普通の魔術師でもこういうことはもっと上手にやるでしょうに!
最初の三年間の記録を見るだけでも「視幻者」たちによるうそを三十、この劇に出演する役者たち、つまり神父と推進者たち、特にローランタンのうそになると何百と数え上げることができます。
レーザー光が太陽に十字架の印を生じさせるという噂もあります。太陽を見つめたために目に障害を起こした人たちが何百人もいます。癒しの報告も一つありますが、実際にその人は死んだのです。それは今でも治癒として記録されています。何千という治癒の主張がある中で、証明されたケースは一つもありません。最も治癒に近いケースと言えば、リタ・クラウスの場合かも知れません。しかし、それがが本当に奇跡的治癒であった証明はありません。わたしたちは共産主義政府が出現をなぜ支持(少なくとも容認)したのか不思議に思います。詐欺である可能性も大きいことが察せられます。フィデリティー・プレスの編集人E・マイケル・ジョーンズ博士のテープ " Medjugorje and the Sexual Revolution" (メジュゴリエとセックス革命)は、それを一九六五年のノートルダム大学とメジュゴリエを推進する聖霊刷新運動(理性と教会教導職よりも、聖霊による直接的啓示を重んじるグノーシス主義の異端)のデニス・ノーランドに帰しています。一九六五年、ノートルダム大学が教会教導職に対する最初の抵抗運動を始めました。一九八〇年、聖霊運動はマリア運動に変身しました。一九八一年、一人の聖霊運動家がニューエイジのテクニックである感受性訓練を使ってヴラシッチ神父のために祈りました。彼はメジュゴリエに帰って、あの諸々の現象を始めたというわけです。一九七七年、つまりこの時点までに、彼はすでに、ある修道女に子供を生ませていました。ともかく、この説はE・マイケル・ジョーンズの意見ですが、わたしたちはこれに耳を傾ける価値があると思っています。
追放を恐れた神父たちが、その小教区に留まるために(たった六十日後に)出現を計画し、それが手に負えなくなって、今はおそらくもう止めることができないのかも知れません。それはおそらく思ったよりも大問題になり、当時の政権は共産主義者が握っていました。さて、戦争の問題もあります。「聖母」は自分のことを平和の元后と名乗りました。四十回も平和協定が結ばれましたが、平和はまだ訪れていません。
当時、二人の神父が修道女と情事に耽っていたことを考えると、彼らは教会を出ても、戦争に明け暮れしていたあの地方では暮らしていくことさえできなかったはずです。もしすべてを白状してしまったら「視幻者」たちはどうなったでしょうか? 政府に対する立場は? セルビア正教会は何と言ったでしょうか?
しかし、一人の神父がそこまでやるものでしょうか? 情事の相手はほかにもいたのでしょうか? しかし、過去を振り返ると、こういう質問がそれほど厳しいとは思えません。神父と修道女たちが同居する新しい修道会のことを、読者はもう知っています。
悪魔的?
しかし、詐欺という考えには二つの問題があります。これほどスケールの大きい詐欺であれば、よく練られた計画、打ち合わせが完璧にできた役者がどうしても必要になります。サタンとその悪魔たちには傲慢という大きな弱点があります。彼らは何をするにつけても単純な、小さな方法ですることができません。何をするにつけても、彼らは自分の力を、そしてもっと大きく、もっと上手にできることを人に見せつけたいのです。マリア様は、反対に、静かであり、聖であり、謙遜で、何よりも母親らしいのです。マリア様がいらっしゃれば、それには魂の平和と静けさがあります。出現をもう少し詳しく見てみましょう。 最初の出現の際は恐怖と困惑がありました。「どうしたの? ヘビがいる?」ヴィッカが叫びました。「ヘビなんかいないよ」ヴィッカが走ってくると、出現の情景は彼女を震え上がらせ、彼女は靴も脱ぎ捨てて走って逃げたのです。「わたしたちはみな大声を上げ、顔をしかめました」。
第二回の出現の際、ミルジャナは人々に見せる印を求めました。すると腕時計の針が回り始めたと言います。(ニュー・エイジのメンバーだったら可能なオカルトの典型的トリックです)。
第三回の出現の際、ヴィッカは見えない手によって道路から押し出されたと言います。そして突然「聖母」が現れました。こういうことが母親らしいと言えるでしょうか?
第四回の出現の際、マリジャは乱暴に、また自分でも知らないうちに、丘の上まで連れて行かれたと言います。マリア様であればもっと落ち着いた、平和ななさり方を選ばれるのではないでしょうか?
一九八一年九月四日、ヴィッカは以下を日記に書いています。
わたしたちは「聖母」に、人を乗せて運転しているとき道路でイエスを見たあるタクシー運転手について、聞いてみました。その男は運転手に血まみれのハンカチを渡し「これを川に投げ入れるように」命じました。運転手がもうしばらく行くと、今度は「聖母」マリアが現れ、彼女にハンカチを渡すよう要求しました。それで彼が自分のハンカチを渡すと「それでなく、血が付いた方を渡しなさい」と言ったのでそうすると、彼女は「もし、それを川に投げ入れたりしたら、もう世の終わりが来たはずです」と言いました。
「聖母」は「その話は本当です」と言いました。わたしたちにはこんなことがあのお優しい神の御母の言葉であると信じることを期待されてるのです。悪魔にしては知恵の回らないことではありませんか? しかし、次の話はもっと真実味を帯びています。
一九八二年一月十日、ミルジャナは奇妙な出現について話しています。「聖母」の出現の前に普通見られる光から、悪魔が出てきたというのです。半分は悪魔の姿でしたが、後の半分は「聖母」の姿でした。そして最後に、マリア様の姿に変わりました。
ミルジャナは、聖母がわたしたちを試すために全体の流れをそのように仕組まれた、と言います。しかし、もしかするとそれは神が若者たちに真実を見させるために、そういうことをお許しになったのかも知れません。しかし、今日に至るまで彼らは真実を受け入れていません。
メジュゴリエには以前から、村人たちがしばしばその山の上に杖を手にして黒い頭巾を被った男の姿を見るという言い伝えがあります。この現象は第一次世界大戦以来見られるようになりました。また、メジュゴリエ巡礼者の中にもそのような人物を見て、同時にオオカミの声に似た鳴き声を聞いたという人がいます。
これは真実、うそ、悪魔からのもの? 「聖母」は、UFOが本物であると言い、ベイサイドと同様、教皇パウロ六世は「悪い、共産主義者の替え玉」であり、ウイスコンシン州ネセダはマリア様の真の出現であるが、米国の悪い司教たちは自分を認めようとしなかった、などと言います。もし、詐欺であれば、UFOとかベイサイドとかネセダを敢えて支持する危険を冒すでしょうか? もしそれが悪魔的なものであれば、自分自身の事業を支持するのではないでしょうか? 悪魔たちは、神を嘲笑するためになら、これほど愚かしいことをして、それでも人々に信じ込ませることなら大好きです。
なぜ?
もし、それが悪魔からのものであれば「なぜ、悪魔は人が罪を犯すことを止め、聖人になるようなことをするのでしょうか?」という質問が繰り返し問われます。そんなことをして悪魔に得になるのでしょうか?
聖書には「すべての罪は赦されるが、聖霊に反する罪はこの世でも、あの世でも赦されることがない」と書かれてあります。
なぜそのようなことが可能なのでしょうか? 聖霊は神的な愛ではありませんか? 聖霊は神の慈悲です。聖霊はイエスの聖心です。聖霊は御父に対する御子の愛、御子に対する御父の愛です。
わたしたちの信仰の教え、フルトン・シーン司教、教皇ヨハネ・パウロ二世は皆そう教えています。二十世紀の赦されない罪は罪の否定です。
聖霊に刃向かう罪は罪の否定です。売春婦は自分が罪を犯したことを知っているので、死の際に自分の罪を悔やみ、天国に行くことが可能です。天国に行くために必要なのはそれだけではありませんか? 降る雪のように多くの人が地獄に堕ちる唯一の理由は、彼らは自分たちが罪人であると思わず、死の瞬間に悔い改めようとしないからです。神は悔い改めない罪人を赦すことができません。彼らが赦しを願わないのであれば、神も彼らを赦すことができません。
これがメジュゴリエとどうつながるのでしょうか? メジュゴリエの「聖母」には基本的に三つのメッセージしかありません。
1 神の目にとってすべての宗教は同一です。
2 聖霊刷新運動は神からのものです。
3 聖霊刷新運動はすべての教会を一つに結び、聖霊の教会と呼ばれる新しい教会になります。教義のない教会は信仰のない教会です。この新しい教会では各自何が正しく、何が悪いか、何を信じ、何を信じないかを決定します。真理はもう問題ではありません。
これら三つには同じ結果が伴います。もうだれも罪を犯す人はいなくなります。もし、神にとってすべての宗教が同じであれば、聖書はうそになります。新約聖書はいつも偽りの教えについて警告します。パウロ、ヨハネ、ヤコボ、ユダ、ペトロの書簡で、偽りの教えは地獄の罰に処せられます。
プロテスタント教会は、ほとんどの罪を否定する目的で、この世に生まれました。マルチン・ルーテルはすべての罪を否定しました。英国王ヘンリー八世は姦淫を否定しました。すべての派は使徒から伝わる司祭職を否定します。ほとんどの派は御聖体の中にキリストが臨在することを否定します。回教徒はキリストが神であることを否定します。
もし、わたしたちが以上のうそが罪であると信じずに、それらを信じたままで死ねば、サタンはわたしたちの魂を手に入れたことになるのです。なぜかと言えば、それはわたしたちが偽物の神の言葉、偽物のキリストを信じたからです。
もしわたしたちが、聖霊運動の人たちと同じく、わたしたちが「霊」を受けた後はもう罪を犯すことがないと信じたら、サタンはわたしたちの魂を手に入れたことになります。 再度、なぜでしょうか? カタリナ・エンメリックは新しい悪魔の教会を予言しました。わたしたちは国際的で聖霊に導かれる全宗派のための教会が見えています。(ドン・ボスコ、そのほか多くが予言しているように)次の教皇は歴史始まって以来の聖なる方でしょう。以下は単にわたしの推測でしかありませんが、もし、世界中でベイサイド、ガラバンダル、メキシコ、メジュゴリエ、聖霊運動、そのほかすべての偽りの出現の「聖母」が同時に声を合わせて、真の教皇が反キリストであると言い始めたらどういうことになるのでしょうか?
あなたはだれを信じますか? 教会を信じますか? 枢機卿を信じますか? それとも「視幻者」たちのメッセージを信じますか?
結論
こういう事柄に関しては教会だけが決定できます。教会はもうメジュゴリエについて語っています。今後いくら調査しても、新しい事実は出てきません。メジュゴリエの場合、二人の裁治権者がすでに話しています。彼らは繰り返し繰り返しこれらの現象が神からのものでないと教えています。三十四人中一人を除いた三十三人が彼らと同じ考えです。ローマも彼らと一致しています。しかし、それでもわたしたちが出現をどう思っているかもう少し述べてみましょう。
ユーゴスラヴィアは二つのことで世界に知られています。一つは世界一のヌーディスト海水浴場、もう一つは第一次世界大戦の発端となったことです。サタンはあたかもメジュゴリエの辺りに神の恵みが欠落しているのを見たかのようです。
わたしたちはそれが初めから詐欺ではなかったと信じます。初めの二年間は、サタンが驚き、恐れる若者たちに現れていたと思われます。その理由は後で説明します。わたしたちは、フランシスコ会の神父たちと全世界の聖霊刷新運動が、思わしくない自分たちの運動に梃子を入れるために役立つと見た、と信じます。悪魔の方は出現を止めたのに、彼らはそうさせなかったというのが真相ではなかろうかと思います。出現が終わってしまえば、教会は決定的断罪をするかも知れません。ですから彼らは止めどもなく示現を見て、世界中にそれを広めることにしました。神の御母を使うよりいい方法があるでしょうか? 聖霊刷新運動はマリア運動になったというわけです。
異言を話すこともメジュゴリエでは勧められます。しかし、ロザリオはそれほどでもありません。そう言えば、あそこに行く人たちはロザリオを唱えはします。そこでは三本のロザリオがやや赤みを帯びた黄色に変わるのを見ました。若者たちに聞いてみると、時としては唱えるということでした。彼らが主祷文を唱えるのに十分はかけるべきであると言っていることを考慮すると、ロザリオを一環唱えるには三十二時間半かかることになります。彼らがそれを唱えない訳はこれだったのです。千回も出現があったというのに、ロザリオ、スカプラー、初土曜の信心、ロシアの脅威、汚れなき御宿り、イエズスの聖心とマリア様の御心などについて話した出現は一度もありません。一九九六年四月のカリタス十二ページに、マリジャは自分と「聖母」がロザリオのような祈りをするけれど、ロザリオは唱えないと言っています。
サタンは天から追放された堕天使です。メジュゴリエで今起きつつあるようなへまなことをする訳がありません。ですから、堕天使が始めたとしても、適当な時期には身を引いているはずです。聖霊刷新運動のフランシスコ会神父たちはそれほど敏感でなかったので、単にそれがいい機会だったと思っただけです。
フランスのパール・ドゥ・ヴォードにいる、聖三位一体のミシェル修道士が発行するニュースレターの中で、ファチマのイルマ・ルシアは自分の親戚の人にメジュゴリエで出現しているのが聖母マリアではないと告げたことを報告しています。
わたしたちは彼女の霊的指導司祭であるメシアス・コエヘル神父と話す機会を得ました。彼はファチマの公的機関誌の発行人であり、デトロイトでの四回の講演中に、わたしたちとCUFのメンバーに、何度も、ルシアがメジュゴリエでの「聖母」の出現を否定していたと伝えてくれました。彼はイルマ・ルシアの住所も公表し、ほとんど何語からでも翻訳ができるシスターがいるので、必要であれば手紙を書くように勧めました。
以下はわたしたちの結論です。ザニッチ司教は「メジュゴリエに出現するのは聖マリアではありません」と言いました。クハリック枢機卿も「メジュゴリエに出現するのは聖マリアではありません」と言いました。サラエヴォの新教区長ヴィンコ・プルジッチ枢機卿も「メジュゴリエに出現するのは聖マリアではありません」と言いました。ファチマのイルマ・ルシアも「あそこに行ってはいけません。なぜならメジュゴリエに出現するのは聖マリアではありませんから」と言いました。ですからわたしたちも大きな声で言います。「メジュゴリエに出現するのは聖マリアではありません」と。
もしこれが皆さんの聞きたかったことと違っていたら、どうぞ赦して下さい。しかしわたしたちの目標は真理と愛における一致です。わたしたちはまず真理を愛さなければなりません。真理でないものは必ず最後には最悪の実、つまり「キリストの体の分裂」に終わるものです。わたしたちのこの提示がお気に召さなかった方も、いつかわたしたちが真理をどれほど大事にしているか理解なさるはずです。
キリストが十字架につけられたそのとき、キリストの苦しみはいかばかりであったことでしょう! 教会はキリストの体です。サタンはキリストのこの体も、あのときと同じように苦しめ、殺したくてたまらないのです。そして、ある程度の成功を収めています。
今世紀、サタンはキリストの教会を滅ぼすために全力を尽くしています。教会はタイヤール・ド・シャルダン、ハンス・キュング、ルドルフ・ブルトマン、マシュー・フォックス、カレン・マーフィー、カール・ラーナー、エド・シレルベック、モニカ・ヘルヴィックなどの進歩的神学者たち、デカルト、カント、ニーチェ、ルソー、ヴォルテール、マルクス、ヘーゲルなどの進歩的哲学者たち、心理学、精神分析学、社会学、ペンテコスタリズム、心霊主義、多元主義などの新宗教、The American Catholic, The National Catholic Reporter, U.S. Catholicなどの反カトリックのメディアによって左翼から攻撃されています。
キリストの王国は、自分の方があなたより神に近いとする諸々の運動、伝統主義者、古ローマ・カトリック、聖ピオ十世協会などによって、右翼から攻撃を受けています。
これらのグループが大衆に訴える力を失い始めたそのとき、サタンは印と不思議を携えて馳せ参じるのです。進歩的なグループに関して、サタンは聖霊刷新運動、メジュゴリエ、ゴッビ神父、スコッツデール、ジーノなどを利用して助けます。保守的グループに関しては、ネセダ、ベイサイド、リトル・ペブル、涙を流す御像などで助けます。
これら偽りの出現は右派のものであれ、左派のものであれ、共通点があります。彼らの目的はカトリック信者に自分たちの牧者である司教に不信感を抱かせることです。彼らは分裂をもたらします。彼らは批判し、攻撃し、脅迫し、おそれを抱かせます。彼らは自我を満足させることによって、つまり、自分たちが選ばれた特別な人間であると思いこませることによって、そして従おうとしない人たちには破滅と不幸を予言して、カトリック信者をコントロールします。真理における一致は彼らに意味がありません。「視幻者」に皆が一致することこそ彼らの狙いです。
これらの偽りの出現は、どちらの側のものであっても、放置しておけば消えるというものではありません。ネセダはまだ意気盛んです。いつか、彼らが全部統合することがあれば、その派生効果はまさに悪魔的なものでしょう。わたしたちはそういう動きをくい止め、葬り去らねばなりません。わたしたちはこの狂犬を鎖につながねばなりません。
不認可の出現推進についてローマは?
いわゆる私的啓示に関する文書頒布についての教理省発表 一九九六年十一月
教皇パウロ六世によって一九六六年十月十四日認可、同年十一月十五日発布された決定にある個人が加えた解釈、つまり、いわゆる私的啓示に由来する書物やメッセージを自由に配布してもよいとする考えには全く根拠がありません。この決定が実際に問題にしていたのは、禁書目録の廃止でした。そしてこれら適切な検閲が廃止された後も、信仰と道徳を害する文書を頒布したり、読んだりしない道徳的義務は残っています。
いわゆる私的啓示にかかわる文書の頒布に関して、現在の教会法八百二十三♯一は拘束力があることを想起すべきです。「教会の司牧者は…キリスト信者によって刊行された信仰又は道徳に関する書き物を司牧者自身の判断に委ねるよう要求することも、司牧者の義務及び権利です」。
超自然的啓示およびそれに関する書物はまず裁治権のある司教の判断に委ねられなければなりません。また特別な場合は司教協議会とか教理省の判断に委ねられます。
ローマからの最終声明
一九九六年六月フランス・ランジュのレオン・タヴェデル司教の質問に答えて、またそれはCroixにも出版されましたが、教理省秘書タルチジオ・ベルトーネ大司教は、ユーゴスラヴィア司教協議会による一九九一年の報告を引用していました。
「以上からしても、マリア様の真正な出現の地と理解されたメジュゴリエへの公的巡礼は、組織されてはなりません。そのような巡礼団は裁治権のある司教たちが決定したことに反するからです」。
専門家たちに言わせると、以上がローマから出される最終的文書になります。二つのことが明白です。一つはいたずらに超自然を主張する本の出版と販売は第四戒に反する罪であり、もう一つは出現の場所であると主張しての巡礼の推進も第四戒に反する罪であるということです。であれば、罪を犯しているカトリック書店が数多くあるということになります。
補遺1
メジュゴリエの真相
ポール・リクーディス
(The Wanderer, March 26, 1998から)
一団の若者が、ユーゴスラヴィアのメジュゴリエという小村で聖母のメッセージを受けたと主張してから一年経った一九八二年以来、何百万 — おそらく二千五百万人 — という米国カトリック信者が、いわゆる出現のあった場所に行っていると思われます。
少なく見積もっても、アイルランド、英国、オーストラリア、フランス、ドイツから巡礼者も含めたこれらの巡礼者たちは、そこでの宗教的体験を求めて何十億ドルも使っているはず。その金はどこに行くでしょうか?
メジュゴリエに疑いを抱くある人たちは今それが、メジュゴリエのメッセージを推進する金の卵である旅行業に留まらず、クロアチア軍に流れて鉄砲や手榴弾、兵器製造工場、強制収容所、民族浄化のために使用されるだけでなく、クロアチアのマフィア、クロアチア民族教会誕生をもくろむ一部のフランシスコ会士たちのためにも、使用されていると見ています。
ユニティー・パブリッシングとその傘下にあるカトリック・カルト・ウォッチ、英国の映画制作チームであるネット・ワーク5などの調査班を伴ったカリフォルニアの事業家フィル・クロンツァー氏は、一九九八年三月九日、クロアチアから帰国しました。四人の調査員のうちカメラマンとレポーターはクロアチア官憲に逮捕され、二人の戦犯を含む十五人の私服刑事から数日間、不法に拘禁・尋問されました。
これらの官憲は、反メジュゴリエのビデオVisions on Demand(注文に応じる示現)を制作・発売した調査班が、なぜモスタルとメジュゴリエ近辺にうろついたのか、また、なぜフランシスコ会の建設計画を知りたがったのか厳しく追及しました。
メジュゴリエ推進者とその反対者にとって、答えはVisions on Demand IIと Visions on Demand IIIによって提供されることになります。これらのフィルムは(KGBのスパイの疑いも持たれる身元不詳の)パオロ・ニリッツァ司教を巻き込んだマネー・ラウンダリングの大陰謀に一役買うメジュゴリエの真相を暴露します。ニリッツァ司教はロベルト・カルヴィとバンコ・アンブロジアーナのスキャンダルに関わっており、後にマフィアとの関係のためイタリア警察に逮捕されています。また、巡礼者の金が「視幻者」たちに贅沢な邸宅を建てることを可能にし、彼らをいかにメジュゴリエ有数の大金持ちにしたかを見せてくれます。また「戦災孤児」たちが、運転手付きのメルセデスで登下校する様子も記録されています。それだけではありません。フランシスコ会が自分たちの独立教会の財政を賄うための銀行をクロアチア国内でコントロールしていることとか、クロアチアの軍隊と警察を運営する金がどこから出ているかもリポートします。
要するに、これらのフィルムはメジュゴリエのカルトが「今世紀最大の宗教的詐欺」であることを暴露するものです。
その動機?
フィル・クロンツァーは幼児洗礼のカトリック信者。以前は、メジュゴリエを熱心に推進していました。彼が、今も、メジュゴリエ現象にこれほどの興味を持つには深いわけがあります。
彼によると、三十九年に及んだ彼の結婚を破壊し、妻子、ロス・ガトスとカルメルにあった二軒の家を失わせたのはメジュゴリエなのです。
彼がメジュゴリエを初めて訪れたのは一九八七年。そこで強い印象を受け、熱狂的信者になって帰国する多くのカトリック信者と同じく、彼もその後何度もメジュゴリエ巡礼を果たしています。彼と妻アーディーは「視幻者」たちと知り合い、彼らを自宅にも迎えました。クロンツァー氏のかなりの財産に目を付けた「視幻者」たち、ノートルダム近郊の聖霊刷新運動グループ指導者デニス・ローランド、まやかしの「シスター・エンマヌエル」が、彼の妻アーディーを偽神秘主義の危険な泥沼に引きずり込んだのです。
アーディーはノートルダム大学であったメジュゴリエ会議に出席している間、ニリッツァ司教と五人の司祭たちの指導のもとに「黙想会にあずかりました」。彼らに離婚を勧められた彼女は彼が六十歳の誕生を祝ったその日、本当に彼を離婚してしまいました。離婚申し立ての理由は彼が彼女と同じ霊的レベルにないというものでした。しかし、彼の金はロシアの回心のために必要だったのです。
このようにして離婚に終わった家庭はクロンツァー夫妻だけではありません。米国では熱心なメジュゴリエ推進者たちが何組も婚姻解消後、再婚しています。メジュゴリエに端を発して示現を受けるようになったテレサ・ロペスにしても同じ。そのほか、数多くのメジュゴリエ推進者たちは聖母マリアの勧めがあったという理由で配偶者を遺棄した後で再婚しています。
あるカリフォルニアの批判者がザ・ワンダラー紙に報告するところによると、メジュゴリエは家庭を破壊し、人々に道徳的腐敗をもたらします。メッセージは人々の心理に重くのしかかり、彼らは神が世界に天罰を下さないように常に祈らなければならず、ついには精神的におかしくなるというのです。離婚、不登校はおろか、子供たちは神から「森の中に行き、そこで世の終わりを待つよう」に、とのお告げを受け始めます。
「そしてどちらかの配偶者がメジュゴリエ熱狂者に頭を冷やすように言うと、相手は配偶者が悪魔の使いであるとして離婚してしまう」のです。「何度もそんなケースを見てきた」と彼は言います。
クロンツァー氏にとって、メジュゴリエは悪夢でした。妻子を失っただけでなく、彼が三十年にわたって築いてきた事業グループをメジュゴリエの「視幻者」と取り巻きたちが狙っていたのです。
離婚以来、クロンツァーは、ネットワーク5のメンバーと二度にわたって、つい最近も二月にメジュゴリエを訪れています。その後ローマに行き、メジュゴリエに関する聖座の立場に関して、教理省でラッツィンガー枢機卿の秘書と、そのほかエドゥアルド・ガンニョン枢機卿と面談しました。
調査班はニリッツァ司教との面談も試みました。彼のために働いている「信徒修道女」の一人が玄関に出てきたので、メジュゴリエ関連の財政活動について彼に二、三質問したいと言ったところ、いきなり戸を閉めてしまったということです。
二月九日と十日、クロンツァーとリポーターたちはガンニョン枢機卿と会いましたが、その際、同枢機卿は教皇様がメジュゴリエを承認するようなことを決して言ったことがないと保証しました。
ラッツィンガー枢機卿の秘書であるチャールス・ブラウン神父は、出現に関して聖座は当該裁治権者が認めるまでは決して口出ししない、と記者たちに告げています。
その上、モスタルのラトゥコ・ペリッチ司教、前任者パヴァオ・ザニッチ司教、ユーゴスラヴィア司教協議会も、一九九一年にメジュゴリエで超自然的なことが何も起きていないと宣言しているので、ヴァティカンは何ら声明を出す必要を認めていません。
引退したパヴァオ・ザニッチ司教はビデオVisions on Demandに出演して、メジュゴリエでは何一つ超自然的なことが起きていないので、その地に巡礼などしないよう強く要請しています。
最近では一九九八年二月六日、ペリッチ司教が「それ(メジュゴリエ)は超自然の現象でないことが判明している」と宣言しています。司教はヴァティカンを訪問し、当該地区の司教たちの結論を報告し、聖座の権限が及ぶ限り、巡礼者がそこに行かないよう指導することを願いました。
フランシスコ会の反乱
ヘルツェゴヴィナのフランシスコ会管区は、一九七六年以来、その地方の司教に対して反乱状態にあります。メジュゴリエにいる十人の司祭たちも含めて、四十人のフランシスコ会司祭たちは、その地方の司教から認可と聖職執行権を受けないまま活動しています。
これらのフランシスコ会司祭たちは、地方の司教が止めるように命令したにもかかわらず、ミサを捧げ、告解を聞き、結婚式に立ち会っています。彼らは教会の権威者に反抗してGlas MiraというニュースレターとPress Bulletinを発行しています。これらの発行物はどれも「メッセージ」が本物であると主張します。
クロンツァーによると、メジュゴリエ周辺で複数の教会、司教座聖堂、男女志願者を収容する神学校などの建築ラッシュが進行中であるのに、フランシスコ会は「自分たちの銀行の仮面である偽の孤児院」のためという名目で募金をしています。皮肉なことにこの建築ラッシュと時を同じくして、クロアチア人たちは武器工場と強制収容所も建設中です。
二月二十四日火曜日、クロンツァーと英国人撮影チームはシャパジュリナ、ルジュブスキ、チトゥルック、モスタルにある死の収容所を撮影することに成功しました。これらの場所が巡礼者たちの目に触れることはありません。そのほか、手榴弾工場、地雷格納庫の映像もあります。 二月二十五日、クロンツァーと取材チームはメジュゴリエで示現を見ると称するミルジャナにインタビューを試みました。「出現」の料金として徴収する金を何に使うのか聞かれた彼女は、隣家の庭にある木立の向こうに隠れてしまいました。それでチームは彼女の夫マルコにもインタビューを試みましたが、話す時間がないという理由で拒否されました。この夫婦はカリフォルニアで開催されるメジュゴリエ大会で講演するためすぐにも空港に行かねばならなかったのです。
二月二十七日金曜日「視幻者」たちが建てた豪華な住宅の撮影を終えたネットワーク5のジェフ・ピケット、マイク・グライムス両人は「出現の丘」で武装グループに拘束され、野蛮な暴行を受けています。彼らが使用していた車の窓は壊され、カメラとビデオが盗まれました。ピケットは肋骨を四本折られ、脳しんとうを起こしています。グライムスは頭部と顔面に打撲傷を受けました。その武装グループが立ち去った後、両人は凍えるような丘の上まで這い上り、そこで夜を過ごしました。
一夜明けて、モスタルのエウロ・ホテルにたどり着いた彼らを、待ちかまえていたチトゥルック警察が拘束しました。四時間にわたる尋問の後、ピケットは釈放されましたが、グライムスは尋問の途中で人事不省に陥り、その後しばらくしてから釈放されています。
三月四日、非合法ビデオ撮影のため車を盗んだという容疑で告発されたネットワーク5のもう一人のメンバー、モーリス・アレクサンダーが、国連平和維持軍の兵士に付き添われてクロアチア警察に出頭しました。
いかさま
Visions on DemandでCulture Warsの編集者であり、メジュゴリエ暴露本を書いたE・マイケル・ジョーンズは、メジュゴリエがいかさまであり、やもめ、貧者、身体障害者などの「神の小さなものたち」を出現に立ち会うことができるとか、聖母マリアから最新の忠告とか勧めを聞くことができると言って騙していると主張します。
彼がこう語るうちに、映像はメジュゴリエの丘の岩だらけの道をたどる人たちを映し出します。足の悪い人たち、盲人、老人、そのほとんどは女性です。
多くの人々にとって、メジュゴリエ巡礼は深い宗教体験です。巡礼者たちは大西洋を渡るときロザリオを唱えます。飛行機の中でもミサが捧げられます。クロアチアに着けば毎日でもミサにあずかることができます。ちょっと遠出をすれば、中世期的な静かなたたずまいの町や村があり、有名なゴシック建築の教会へのツアーもあります。
しかし、メジュゴリエの体験は高くつきます。何百万人ものカトリック信者は旅費を捻り出すために家を抵当に入れます。最初の巡礼で経験した霊的高揚状態を求めて彼らは二度、三度と巡礼したくなります。
筆者が話したこの記者は、今は回復中のメジュゴリエ信者に話す機会を得ました。彼は四回もの巡礼を果たしており、それはファチマに次いで、生涯最高の体験だったそうです。
以前は同様な狂信者だったクロンツァーも、過去四回の巡礼で一万から一万二千ドル使っており、彼自身の苦い経験の後、ほかの人たちが騙されて同じ過ちを犯さないために、すでに五十万ドル近く使ったであろうと語っています。
それにもかかわらず、多くのカトリック信者が騙され続けます。その理由として考えられるのは、彼らが今、現代の物質的社会の冷たい海の中で沈みつつある船にいると感じて、生き残るために、浮かぶものであれば何にでもしがみつくという「タイタニック号体験」の最中だからでしょう。
宗教の中で感情は大事な役割を果たします。しかし、多くのメジュゴリエ信者にとって、冷たく、生命を感じさせないアメリカ式教会(AmChurch)には宗教的感情のはけ口がありません。儀式、ノヴェーナ、聖体降福式、ロザリオ、信心会などがすべて消え去り、豊かさがありません。アメリカ式教会に詳しいある専門家は以下のように説明します。
「教会という組織からこれらを全部取り去ってしまうとき、その力、動機付け、やる気は消失します。それは熱を失い、さらには冷たくなり、もう信者を引き留めることができず、信者は教会を離れ、彼らがひたすら願い求める感情を、金儲けしか頭にない旅行社が悪用するような場所に求めることになるのです」。
「メジュゴリエは、アメリカ教会が現実から遊離してしまったことのもう一つの結果です。それは教会が神の現実と信者たちがどう感じるか — つまり彼らの希望、心配、悲しみ、切望、熱意を把握していないこと — を示します。教会は、このようなインチキが信者の金を奪い、金儲けしか頭にない不埒な輩がもたらす次の出現を熱心に待ちこがれるカルトに身を投じるのに気づこうともしません」
「メジュゴリエに使ってしまう信者の金など当てにしなくても、教会には政府の補助金があるからでしょうか?」
メジュゴリエを体験するにはボスニアに行くための航空運賃だけでは足りません。そこからメジュゴリエに到達するための唯一のアクセスは政府所有交通機関です。分割以前はユーゴスラヴィア、分割後はクロアチアとボスニア政府がその料金、両替、そのほかすべてに課税します。最大のメジュゴリエ推進者の中にユーゴスラヴィア国営航空会社の名を挙げることができるのは興味深いことです。同社はThe National Catholic Register紙に四色刷タブロイドの折り込み広告を毎週挿入しています。
ある口の悪い人に言わせると「マリア様の追っかけグループ」にとって、これらの費用は「マリアの民」になるためには序の口に過ぎません。
まず、志願者はその地方の「ピース・センター」つまりメジュゴリエの地方支部を支持するよう求められます。センターはもちろんメジュゴリエ発のマリア様のメッセージを広めるために事務員を雇い、電話、ファックス、印刷機を備えなければならないからです。
次に、メジュゴリエに関する本、ビデオ、新聞を購入しなければなりません。
ある調査によると、メジュゴリエ関連商品は全米カトリック書店の八十パーセントに置かれてあるということです。
メジュゴリエに酔い続けるために、信者は毎年、二十から三十のメジュゴリエ大会とかメジュゴリエから派生した示現を見ると称する人たちの話を聞く集まりとか、そういう霊場に行かねばなりません。
ご出現熱に犯されたある信者たちは自分たちの高揚状態を保つためにもう巡礼を止めることができないのです。行く先はジョージア州コンヤー、バーミンガム、ベイサイド、ネセダ、リュボック、デンヴァー、スコッツデール、カリフォルニアのサンタマリア、コルファックス、 — そのほかにもニュージャージー、オハイオ、マサチューセッツなど。聖母マリアからメッセージを受けていると称する人間が現れさえすればどこでもいいのです。
メジュゴリエを調査し、勇気をもって発言する者も高い代価を払わなければなりません。Medjugorje: The Untold Storyを発行したマイケル・ジョーンズ氏は、その中で、出現をインチキと断じ、いわゆる「視幻者」たちの余りにも聖でない生活振りを報告したため、主宰している雑誌Fidelityの購読者の半数を失いました。
ネットワーク5の英国人リポーターは負傷しましたし、クロアチアでの暴行のほか、英国でもカリフォルニアにも死の脅迫状が送られてきています。ジョーンズ、クロンツァー、その助手であった筆者リック・サルバトも同様の脅迫を受けています。
補遺2
メジュゴリエ問題に決着?
退去を命じられたフランシスコ会士たち
Culture Wars 一九九九年二月号から翻訳・転載
(以下の報告は一九九九年一月六日ドイツで発行されたDer Schwarze Brief, vol. 33, Nr. 1/99に掲載されました。同紙の発行者はリップシュタットのClaus Peter Clausen氏 )。
一九九八年十一月十日、モスタル教区長ラトゥコ・ペリッチ司教とフランシスコ会総長ジャコモ・ビニ神父は、ローマで布教省の長官と会見した上で、一九九九年二月二十一日付けでフランシスコ会士が、モスタル教区のメジュゴリエ及びその他すべての小教区から退去し、同地区が教区司祭の管轄になる決定を発表しました。
背景—ローマの決定は、長年にわたるフランシスコ会士たちの不従順について度重なる手紙で苦情を訴えてきたモスタル教区司教の要請に応えたもの。同時に、ワテリンスク教授、E・マイケル・ジョーンズ、マルト・バックスなど複数の著名な信徒たちがほぼ同時期に出版した著書でモスタル教区内のフランシスコ会士たちを厳しく非難した影響もあります。これらの非難に対してローマの権威筋は、フランシスコ会総長のビニ神父に最終的決定を下すように要請していました。その交渉が成功しなかったので、ペリッチ司教とビニ神父両者ともローマに呼ばれて、今回の決定がなされた。十一月十日の決定によれば、モスタル教区で霊的指導の任務に当たっていたフランシスコ会士は全員退去し、担当していた諸教会を司教に引き渡すよう、明白に命じられています。その結果、メジュゴリエは司教区に属する祈りの場となります。ローマでペリッチ司教がメジュゴリエ小教区に任命したのは、その時点までローマで活動していた神父たちであることが明らかになっています。
ペリッチ司教とビニ神父は、両者が署名した十一月十六日の書簡でローマでの決定をモスタル教区の司祭と信徒たちに発表した。書簡には、長年にわたるフランシスコ会士の霊的奉仕について感謝する言葉があり、時期とか場所は明らかでないものの、将来フランシスコ会士が復帰する可能性についても述べてはいます。しかし、それが司教の決定によるのは当然です。両者とも、信徒が天の御父の子供であり、従って教会の中で一致を保ち、各人が兄弟的一致を支持するよう強く要請しています。同書簡には、大聖年である二千年到来前の最後の年が捧げられている御父は「わたしたち皆を一致に招いていらっしゃる」と記されています。一致への度重なる呼びかけは、メジュゴリエ運動が教会からさらに遠ざかる可能性についてローマが危惧を示している兆候と見られます。
同日、フランシスコ会総長ビニ神父はボニファチウス・バルバリッチ及びボゾ・ラドス両神父が同会から除名されていたことも明らかにした。これは司教には通知済みの事項でした。両者はカプリジナ教会と司祭館の占拠に積極的に関わっていました。モスタル教区長は一九九六年五月十二日教区に同教会を引き渡し、司祭館から退去するよう命じていたものの、両者はこれを拒否していたもの。その挙げ句、ブロックで教会の入り口を塞いでしまっていました。それだけでなく、教会正面には抗議の垂れ幕をつるし、両者は教会内で外国から巡礼に来た司祭たちとともにしばしばミサ聖祭を挙行していました。カプリジナはメジュゴリエに行く途中にあり、フランシスコ会士たちはメジュゴリエの支所であるかのように見なしていました。
ペリッチ—ビニ書簡でメジュゴリエに関する言及はありませんでした。今回の退去命令は同教区内にいる全フランシスコ会士にかかわるので、両者ともこの巡礼地を問題にする必要を認めなかったものと思われます。二人の会士が追放されたことは、ほかのフランシスコ会員もローマでなされた十一月十日の決定に従わなければ、同じく追放されるという警告にほかならない。メジュゴリエでの問題は教会が決して認めなかった一連のいわゆる御出現だけではありませんでした。問題は金でもあります。以前のユーゴスラヴィア政府は「出現」が始まって七年後の一九八八年までに一億ドルの収入を得ました。この金額は同国観光収入の五%、また、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ共和国全収入の四十五%にも当たります。KNA(Katolische Nachrichten Agentur)一九八九年七月二十五日の記事によると、巡礼者がもたらす収入は、一九八九年は一億五千万ドル、一九九〇年度は二億ドルと見込まれていました。一九八八年だけでも主に西ヨーロッパと米国からの巡礼者は百万人を越えていました。
年毎に増加する巡礼者の奔流から政府に次いで利益を得たのはフランシスコ会士たちでした。この収入が将来、教区のものになることを見越して、フランシスコ会士たちは地元の指導的事業家たちと結託して銀行を創立しています。同行の理事の一人はイヴァン・セヴォ神父です。そのほか二人の創立者はトミスラフ・ペルヴァンとジョゾ・ゾフコ両神父。この二人はメジュゴリエ運動では指導的役割を果たしています。現在、この銀行に預金されている巡礼がもたらした利益金が法律的にだれに帰属するかは、興味深い問題です。政府はメジュゴリエ運動による利益の大きさに気づいたとき態度を百八十度変更しています。一九八七年五月七日の国営テレビの放送中にある司会者は「ドルの聖母」について語ったものです。
当初からメジュゴリエ論争には二つの大きな問題がありました。それは、まず司教とフランシスコ会士の間にある何十年も前からの確執であり、第二はこのドラマの主立った登場人物によるうそと矛盾でした。定年ですでに退位したモスタル教区長パヴァオ・ザニッチ司教はこのケースに関する文書で、自分が出現を真実であると信じない理由が「少なくとも二十はある」と書いています。その中の一つでも聞かせて欲しいとせがんだあるパナマ人司祭が以下を聞かされています。「不従順が原因で誓願を解かれた上、退会させられ、教皇から聖職停止になった元フランシスコ会司祭であったイヴィカ・ヴェゴ神父は、それをすべて無視してミサと秘蹟の執行を続け、挙げ句の果てはガールフレンドと同棲し始めました。こういうことについて話すのは本意ではありませんが、『聖母』がどういう人物について話しておられるか知るためには避けて通れません。ヴィッカの日記と視幻者の証言によれば、『聖母』は少なくとも十三回ヴェゴが潔白であり、不正であり、悪いのは司教の方であると言っています。そして、彼の女であるシスター・レオポルダが妊娠したとき、彼は会から出ています。二人とも今メジュゴリエの近くに住み、子供が二人います。彼が書いた祈りの本は何千冊もメジュゴリエで今も販売されています」。
司教が話したもう一つの例は視幻者の信用性に関するものです。「出現が始まってから一月ほどたった頃、わたしは視幻者たちの話を聞くためにメジュゴリエに行き、各視幻者に真実を語ることを十字架に手を置いて誓うように命じました。最初に証言したのがミルジャナ・ドラギセヴィッチでしたが、彼女は『わたしたちは迷子になった羊を探しにそこに行ったのですが、突然…』。同行していた助任司祭がそこで彼女の話を中断して、彼らが丘に登ったのは実は親の目を盗んでたばこを吸いに行ったのだと教えてくれました。それでわたしは『ミルジャナ、ちょっと待ちなさい。あんたは真実を述べると誓ったばかりではないのかね? 本当に羊を探していたのかね?』彼女はあわてて手で口を覆い『すみません。わたしたちはたばこを吸いに行ってたのです』と白状しました」。ザニッチ司教はその報告の導入の部分で、自分が同様な例を書こうと思えば三百ページでも書けた、と言っています。その時点で彼が組織した委員会はまだ何らの結論も出していませんでした。後に、一九九一年にユーゴスラヴィア司教協議会による委員会と同様、その委員会はメジュゴリエに何ら超自然的なことが起きていないという結論に達しました。この点に関して、それ以来現在に至るまで何らの変更もないのです。
膨大な数の巡礼者が訪れるので、ローマは二つの事態に対処しなければなりませんでした。一つはメッセージと教会の教えの間に見られる不一致であり、もう一つは何百万人もの巡礼者たちへの配慮でした。これは非常に微妙な作戦であったと言えましょう。この出現に帰されるいくつかの異端的発言は教会が認可できるような性質のものではありませんでした。ブバロ神父の本によれば「司祭たちとすべての人たちに言いなさい。地上に分裂をもたらしたのはあなたたちです、と。回教徒、正教徒、カトリック信徒は全部わたしにとって同じ。あなたたちは皆わたしの子供です」。エキュメニズムに関しては聖書にも教導職にも反する発言はほかにもあります。視幻者たちがついたうその数々も同様な問題を引き起こしていました。
メジュゴリエでの出来事に関してほとんどの巡礼者たちは出来事の真相について知る立場になかったので、バチカンはその地方を管轄する司教に巡礼者たちの霊的指導を一任するほかありませんでした。一九九六年六月十九日、バチカン広報担当秘書ホアキン・ナバロ氏は「教会の教えに則る健全なマリア信心」を推進する必要があると発言しています。彼が強調したのは、すでに終了した調査に従えば、メジュゴリエにおける出現とか啓示に超自然的性格がないということでした。メジュゴリエに巡礼する信者たちのしかるべき霊的指導はその地方を管轄する司教の仕事でした。ローマは口が酸っぱくなるほどこの件に関して管轄権があるのはモスタルの司教であると繰り返しています。しかしフランシスコ会士たちは不従順であり続けました。
一九九六年十月十五日、ベルギー・ブルージュのマーク・ワテリンスク教授は、モスタル司教館から以下の返答を得ました。1)「フランシスコ会士と彼らに追随する者たちは、教皇書簡でカプリジナ小教区を教区に引き渡す命令を受けていながら、それに従うことを拒否した。フランシスコ会士たちが教会の内部のみならず、ブロックで塞いでしまった教会の入り口前でもミサを挙行していることは周知の事実です」。2)モスタルの司教はメジュゴリエに関しては完全な裁治権を有します。彼は教会法に基づいて定期的にそこを訪れ、堅信も授けています。もう一つの問題はあるフランシスコ会士たちは教会法的任命がないままそこで働き続けていることです。3)また(銀行の理事です)ジョゾ・ゾフコ神父とレオナルド・オレッチ神父は、一九八九年以来司牧に必要な教会法上の権限を与えられていない。4)教皇は出現に関して全く発言していません。教皇は一九九一年の司教協議会による宣言を認めています。
一九九八年四月十九日、Schwarzer Briefの発行者は、メジュゴリエに関する文書資料を分類してラッツィンガー枢機卿に送付しました。それは、教皇とラッツィンガー枢機卿が一連の出現の真正性を認めているかのような印象を与える、メジュゴリエ関係の書籍にあるルネ・ローランタン神父とかパオロ・ニリッツァ司教の十四箇所の引用を含むものでした。ラッツィンガー枢機卿は一九九八年七月二十二日の返書で「クラウス・ペーター・クラウセンの覚え書きを受け取りました。感謝しています。彼のことはSchwarzer Briefの出版者としてよく知っています。わたしと教皇の言葉を引用したことになっている文章は想像の産物にしか過ぎません( " frei erfunden sind" )」。ラッツィンガー枢機卿のこの証言は彼が教皇と十分に話し合ったことをうかがわせます。八月十日、クラウセン氏はこれらの資料をモスタルの司教に送りました。それ以前でさえも、この件に関して詳しい複数の人たちがメジュゴリエを認可などしないようローマに警告していました。彼らのほとんどが以前メジュゴリエを支持しており、出現にかかわっている中に裏でフランシスコ会士たちが出現を操作していることに気づいた人たちだったのは興味深いことです。一人の批判者などはメジュゴリエに二十一回も巡礼していました。
あるドイツ人のカメラマンはフランシスコ会士がメッセージをねつ造している現場を目撃、撮影したと主張しています。香部屋をのぞいていた彼を司祭と視幻者が脅迫したと彼は言います。彼は後でタクシー運転手からだれでもメジュゴリエに反対すれば殺されることになる、と聞かされたものです。一九九八年三月、彼はSchwarzer Brief に次のように書き送っています。「わたしの証言を聞いた司教がフランシスコ会士たちのやっていることに介入したので、トミスラフ・ヴラシッチ、シラフコ、バルバリッチ、トミスラフ・ペルヴァンなどの主立った操作人たちは、わたしに立入禁止を通告しました」。視幻者のイヴァンは後でこのドイツ人カメラマンのそばに来て、もし彼がこれ以上干渉すれば「のどをかき切られることになるぞ」と身振りで脅したものです。一九九八年十月、教皇は二度目にクロアチアを訪問する前にメジュゴリエについての情報を調べられました。その結果、教皇は伝統的マリア信心の聖堂であるマリア・ビストリカとスプリットの近くにある巡礼地、島の聖母でミサを捧げられました。島の聖母は伝統的に平和の元后として崇敬されています。教皇はその説教と教話で、これらマリア様の聖地が持つ意味について語られただけでなく、ローマに帰られた後も同様の話を繰り返しておられます。