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「性の快楽への権利」——破滅への片道切符

カトリック司祭 レオナルド・アルフォンソ

1940年代、マックギル大学生理学実験室で、胃液の分泌と刺激の関係についての奇妙な実験が行われました。つまり、大の食道に穴が開けられ、その犬がえさを食べるとそれは食道を途中まで下り、その穴からチューブを通じて体外に排出され、決して胃に達しない仕組みになっていました。この犬は大好きな肉をたっぷりあてがわれ、大喜びでガツガツ食べるのですが結局は餓死してしまいました。

エイズに関する最近のあるテレビ番組で、解説者が若い人たちには「性の快楽への権利」があると主張していました。「たとえ彼らが死ぬことになってもそうだろうか?」これがわたしの反応でした。彼らの生命、彼らの性のパートナーに生命の危険があったとしても、このような権利は彼らにあっていいものでしょうか。

すでにかなり酔っぱらっているある人が、愛する家族を家まで運転して帰らなければならないとき、さらにもういっぱいひっかける「権利」があるのでしようか。わたしたちには、おもしろいがって、パトカーさえも追い越すような高速運転で道路を突っ走る権利があるのでしょうか。若い人たちがロシアン・ルーレットで自分の命をないがしろにすることは許されるのでしょうか。

前記の大の姿の中に、わたしは現代社会を見るような気がしてなりません。あたかもこの世がすべてであるかのように、わたしたちは夢中になって快楽を追い求めています。その間、私たちは生命をないがしろにし、霊的に餓死しつつあります。

刹那的スリルの連続はわたしたちを表面的に刺激するかもしれません。しかし、それはわたしたちの、もっと深い飢え乾きを癒すものではあり得ません。わたしたちが意識的に徳、賢明、節制、正義、剛毅、信仰、愛、忍耐、謙遜等の徳を養うときにのみ、わたしたちは、本当に深く、人間らしく生き、あのもっと深い、人間だけが感じることのできる飢え渇きが癒されます。スリルを一生懸命に追い求めるような生き方は、わたしたちの人間としての発育を阻害し、あの飢え乾きをしばらくの間はごまかしてくれるかもしれません。ヒッポの司教聖アウグステイヌスは、「主よ、あなたはわたしたちをご自分のためにお造りになりました。ですからわたしたちの心は、あなたの家に憩うまで、憩うことがありません」と「告白」の中に書いたとき、このことをよく承知していました。人はパンだけで生きるのではありません。その造り主の指図に従って生きるのです。

若者の中に自殺、その他の暴力の増加が見られます。これは、快楽こそ人生の目的であるというような、一見あまりにも受けのいい間違いを、彼らが受け入れている明白な印ではありませんか。「気持ちがいいのであればそうすればいい」これは麻薬、コンドーム、ポルノの販売人、売春婦紹介業者、その他の快楽調達人たちが、わたしたちの若者の犠牲の上に太ることを狙おうとして利用するまったく利己的な倫理に他なりません。

しかしその結果、若い人たちは、失望のどん底に突き落とされ、道徳的発育不全のまま放置されてしまいます。彼らはひねくれ、疲れ果ててしまいます。騙されたと知って怒りっぽくなり、その結果、暴力的にもなります。わたしたち大人には、このような暴力が偶発的で、根拠のないものに見えるかもしれません。しかし、もしかすると、それには深い霊的、心理的理由があるのではないでしょうか。

最近の陸上世界大会で、マイケル・ジョンソンは、金メダルを3個も獲得しましたが、あのゆとりある完全さのピークに自分の体を維持するために、彼は、一時的な多くのスリルには目もくれず、ひたすら厳しい訓練に明け暮れなかったでしょうか。これと同じく、両親、その他の教師たちは、知恵と勇気をもって、彼らの子供たちが、本当の善を手に入れるため、安っぽいスリルには「ノー」と言える教育を施さねばなりません。「もし、それがいいことであれば、それをしなさい」これが彼らのモットーでなければなりません。

このような方針は、特に性の分野で、よりはっきりしてきます。創造主の意図によると、性の交わりは意味深い、生命をこの世に生み出し、二人を一致させ、喜びに溢れる、夫婦愛の完全に人間的な表現です。それは、始めの始めから、子宝でもって創造主が祝福なさった、自分を相手に与え尽くす美しい行為です。性は、夫婦愛に仕えるものとして、二人を一つに結び、新しい命をもたらす役割を持ちます。これは、創造主がわたしたちに下さった性の使用説明書に他なりません。

製造者の説明書に反して飛行機を操縦する人が、どこにいるでしょうか。そんなことをしたら命を失ってしまうことは一目瞭然です。「性に正しいとか、正しくないことなどない。わたしたちの価値観を明白化する必要があるだけだ。客観的に見て正しいこととか、正しくないことなど存在しない。あなたが選択することがよいことなのだ」というでたらめが子供たちが教え込まれている間、親たちはただ黙って見ていていいのでしょうか。

言い換えると、子供たちは「正しいこと、間違っていることについて、創造主の使用説明書を無視しなさい。善悪の知識の木の実を食べなさい。気持ちがいいのなら、そうしなさい」と教え込まれてしまうのですが、死と偽りは、始めから同じ父を持っています(ヨハネ8・44)。もし、子供たちが、始めの嘘に騙されるなら、彼らは必ず「おまえたちは死なない」(創世記3・5)というその次の嘘にも騙されてしまうのです。創造主は常に正しいという真理を彼らが悟るときは、もう手遅れなのです。

1960年代、避妊ピルの到来とともにその他の人工避妊手段の入手も容易になり、社会は、神が結婚行為の中で一つに結んだものを敢えて引き離してしまいました。快楽が性的活動のすべて、その目的になってしまいました。そして、アルフレッド・キンゼイのようなとんでもない化け物が、その歪曲された「調査」の結果、新しい性の教祖になってしまいました。創造主の使用説明書は見当違いで時代遅れの重荷であるかのように思われています。それでは死については? そんなことなど考える必要もなかったのです。なぜかと言えば、わたしたちは自由だったからです。

現代、その結果、わたしたちの周りでは、多くの人たちが大声で正直な評価を求めて泣いています。わたしたちは間違っていたのです。

結婚は、昔と比べて進歩したのでしょうか。離婚の数は急上昇しました。子供たちはますます放置され、傷つき、乱用の対象となり、殺されてしまうことさえあります。死は、その醜い頭をもたげ、外科的人工妊娠中絶でもって、毎年5000万人の幼い命を奪っています。25〜45才の若い人たちの生命を奪う最大原因はエイズですが、そのために、他の性病が若者たちを苦しめている事実からわたしたちの目は逸らされてしまいます。

またかと思われるかもしれませんがわたしは繰り返します。創造主はいつでも正しいのです。エデンの園の話しは永遠に現在の話しであり続けます。わたしたちをお造りになったお方は、わたしたちの体が聖霊の神殿であり、その事実に従って、わたしたちの体を取り扱わなければ死ぬことになると警告なさっています。

淫行、売春、乱交、遊びのセックス、行きずりのセックス、同性愛、獣姦、その他の不服従はわたしたちを死に導きます。ブランドもののジーンズを着たマドンナのように腰をくねらせながら、「そんなことはない!」「死ぬことなどない!」と現代の蛇は大声で叫んでいます。

 

筆者 Leonaldo Alfonso神父(西インド諸島在住)は、訳者と共に、HLI World Council for Life and Familyの一員