バチカンに抵抗して神学者・修道女が還俗

   

2000.1.13 ロンドン発(CWNews.com) フェミニスト神学者・ラジオ解説者ラヴィニア・バーン修道女が「バチカンによるいじめのために」修道会を去る決心をした、と発表。三十五年も聖母マリア修道会の修道女であった彼女は、その筋が「自分の誠実さに疑いを差し挟む」以上、もはや修道生活を続けることが不可能になったとして、修道誓願からの免除を願った。

国営ラジオ放送にしばしば出演する彼女は、1993年、著書「祭壇に立つ女性」で、女性の司祭叙階と人工避妊容認を主張して教会権威筋を驚かせた。

この著書は教理省によって断罪され、米国では1300冊が書店から回収され、その内の一部は焼却処分された。過去二年にわたって教理省は彼女に回勅『フマネ・ヴィテ』と司祭叙階を男性だけに限るとする教会文書を支持するよう幾度となく求めてきた。しかし、52歳のこの修道女は教理省がまるで「異端審問所」のように行動している、として無視し続けてきた。

「バチカンが一年半もの間もわたしを抑圧したので、わたしは修道誓願の免除と修道会脱退の許可を願った。こんなことで修道会を去ることは悲しみに絶えない」と彼女は今日発表した。

さらに彼女は「最近の教えでしかないこれら二点について、バチカンはわたしに主張を改めるよう要求したが、こんなことは信仰を女性司祭と人工避妊の問題に矮小化してしまうことであり、教理省は信仰全体をまじめに考えてなどいないと信じる。わたしはローマ・カトリック教会の忠実な一員、わたしが属していた修道会の支持者であり続ける。わたしが戦う相手はこの国のカトリック教会ではなく、ローマである」ことを付け加えた。

バーン修道女は「もはや自分の誠実さが疑われていると常に感じ続けることなく」自分の著作活動、ラジオ出演、ケンブリッジ大学の神学連盟での教授職を続ける意向を示した。

 

ここに皆さんの投書が掲載されます。長い論文も受け付けます。必要であれば、最後にはわたし自身のコメントも掲載する予定です。 成相

 こんにちは。NEWews読みました。辞めて当たり前! そんなのは辞めさせたら、と思いました。だいたい戦う相手がバチカンでしょう? 従順を誓った修道女が何言ってるの? 根本的に間違ってる。極端かもしれないけど、教皇様の指導に従わないということは不可謬性を否定することだから、そんなのはもうカトリックじゃない! 何処かの大司教もまとめてくびにしたらいいのに…なんて信者でもないわたしが言うと笑われますかね^_^;

佐野元治

 カトリック教会に属するということはどういうことなのかこの文章を読んで考えさせられました。この方(ラヴィニア・バーン)は「わたしはローマ・カトリック教会の忠実な一員、わたしが属していた修道会の支持者でありつづける。わたしが戦う相手はこの国のカトリック教会ではなく、ローマである」とおっしゃっていますが、それは矛盾にしか聞こえません。ローマ・カトリック教会の一員であれば教会の指導があれば教導職にすぐには従えなくとも、少なくとも無視はできないはずでしょう。歴代の聖なる修道者の方々は(例えばアヴィラのテレジア等は)自説が教会の判断と違うと判断された場合は教会の指示にしたがったはずです。

私的啓示でも主の意向と指導司祭の判断が食い違った場合、主はテレジアに「指導司祭の言う通りにしなさい。わたしが彼の心を変えよう」と司祭への従順を促されました。それほど従順は大切に考えられていると思います。ラヴィニア・バーンはこうも言っています。「信仰を女性司祭と人口避妊の問題に矮小化してしまう」。彼女もそれが重大な問題ではないとご自分の口で言ってしまってますが、まさしく問題となるのは彼女の信仰=従順の問題です。彼女は修道女であって「貞潔・清貧・従順」を誓ったはず。それなのに自分を捨てきることができず社会問題化へと自分のアイデンティティーの方向を求めてしまう姿は(彼女が先の言葉で言った考えとは違う意味でしょうがそれが奇しくも表してしまった通り)まさしく彼女の信仰のあり方に疑問符が投げかけられてしまったのでは?と思います。自分のこれからも主張していくであろうテーマを自ら矮小化というほど言葉で卑しめ、ローマと戦うと宣言して彼女は一体これから何のために「戦う」のでしょうか? 著作活動その他を続けて何の教えを彼女は広めたいのでしょうか…?

教会では伝統にしたがって男性司祭の叙階を支持すると近年の教皇様方はおっしゃっています。
それが何の不都合があるのか、どういう女性の差別につながるのか・・わたしにはさっぱりわかりません。かえって傲慢さにつながるのではないかと危惧いたします。男女の違いがあるのは当たり前で それは決して男女差別ではなく役割の区別であると理解しています。

「ある人たちは男女が同じであるといい、男女間にある美しい違いを否定しようとしていますが、わたしにはなぜか理解できません。神の全ての賜物はよいのです。しかし、それらは全てが同じ訳ではありません」 (マザーテレサ)。マザーテレサの言葉のほうが真実味があるような気がしてなりません。人工避妊に関しても「(前略)…気持ちの中では、避妊の実践と人工妊娠中絶との間には、密接な結びつきが存在しており、それは次第に明白になってきています。このことは化学製品、避妊リング、ワクチンの発展によって、驚くほどはっきりと示されます。現実には、芽生えたいのちのごく初めの時期に流産を促す作用をもたらすものが、避妊用具を使うのと同様の気軽さで広く用いられているのです。…(後略)」(ヨハネ・パウロ二世、EVANGELIUM VITAE)。

こちらの方が避妊に関しての問題を精神面から考えているとわたしは思うのですけど…長々と書かせていただきましたが、このような人々は近年増え続け、「カトリックのため」と言いながらカトリック教会を貶めていくように感じています。この元修道女の方がいつかご自分の傲慢さに気づくことができるように願うことしかできません。

佐野 綾子

女性司祭がなぜ許されないか? 司祭はもう一人のキリスト、キリストに成り代わってミサを捧げます。「これはわたしの体…」キリストは花嫁である教会のために命を捧げられたのですから、男性である司祭が司祭職に就かないと、花嫁つまり女性である教会と女性である女司祭の組み合わせであれば、女と女、つまりフェミニストが好きなレスビアンの関係になってしまいます。キリスト教ではシンボリズムを大事にしますがそれには深い意味があります。

蛇足の成相



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THEOLOGIAN NUN QUITS AFTER QUARREL WITH VATICAN

LONDON (CWNews.com) - Broadcaster and feminist theologian Sister Lavinia Byrne has announced she is leaving her religious order because of " bullying" by the Vatican. A member of the Institute of the Blessed Virgin Mary for 35 years, she said she could no longer continue while " my integrity is being called into question" and has asked to be released from her vows.

Byrne, who frequently broadcasts on national radio, first upset Church authorities in 1993 when, in her book " Women at the Altar" , she argued for the ordination of women and in favor of artificial contraception.

The book was condemned by the Congregation for the Doctrine of the Faith and in the US 1,300 copies were removed from sale and some were burned. Over the last two years the Congregation has given Byrne plenty of opportunities to declare her support for papal teaching in Humanae Vitae and the document which restricts priestly ordination to men only. But the 52-year-old nun accused the Congregation of behaving like " the Inquisition."

" After eighteen months of pressure from the Vatican, I have submitted a request to be dispensed from my vows and to leave the community," she said today. " I am profoundly sad this is why I have to leave."

She added, " The Vatican wanted me to make a statement about two bits of recent teachings. I believed this trivialized the faith to the narrow issues of women priests and contraception and did not take the project of faith seriously. I remain a loyal and committed member of the Roman Catholic Church and an enthusiastic supporter of my former religious community. My quarrel is not with the Catholic Church in this country but with Rome."

Byrne says she intends to continue with her writing, broadcasting, and her teaching position at the Cambridge Theological Federation " without constantly feeling that my integrity is being called into question."