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パパ様の在位20周年記念日(1998、10/16)の説教

1・「人の子が来るとき、地上に信仰を見出すであろうか?」

2000年にわたるキリスト紀元を通して、キリストがかつて弟子たちになさったこの問いかけは、神の御摂理によってペトロの座に着くよう召された者たちにしばしば返答を要求しました。わたしはちょうど今、ごく最近の方から遠い昔の方に至るすべての先任教皇たちに思いを馳せています。しかし、特にわたし自身と1978年の10月16日に起こった出来事について考えています。今日の記念日にあたり、皆さんと共にこの20年間の教皇職について主に感謝を捧げます。

わたしは、1978年8月26日を思い出します。それは、首位枢機卿とカメルレンゴ(教皇の侍従兼財政官で、教皇空位時の教皇代行者である枢機卿・訳者註)からわたしの前任者にあてられた言葉がシスティナ教会に響きわたった日でした。「教会法による選挙によってローマ教皇と選ばれたことを受け入れますか?」アルビノ・ルチアーニ枢機卿は「受け入れます」と答えました。「いかなる名で呼ばれることを望みますか?」とヴィヨ枢機卿が続けると、「ヨハネ・パウロ」が返事でした。

「わたしはあなたのために、信仰がなくならないように祈った。」

あのとき、そのわずか数週間後、彼の後継者として、同じ質問がわたしに向けられると、一体だれが想像し得たでしょうか? 最初の質問「受け入れますか?」に対してわたしは答えました。「我が主キリストの御前での信仰による従順によって、キリストと教会の御母へのわたし自身の委託のうちに、大いなる困難を自覚しつつ、受け入れます」。そして次の質問「いかなる名で呼ばれることを望みますか?」。同じくわたしも「ヨハネ・パウロ」と答えました。

御復活の後にキリストはペトロに三度尋ねました。「あなたはわたしを愛しているか?」(ヨハネ21: 15-17参照)と。使徒は自分自身の弱さを承知した上で答えました。「主よ、あなたは何もかも御存知です。わたしがあなたを愛していることをあなたは御存知です」と。そしてキリストから権威を受けました。「わたしの羊を牧しなさい」(ヨハネ21・17)。主はペトロにそして、彼を通して、彼のすべての後継者にこの使命を託されました。主は、今皆さん方に話しているこのわたしに対しても、この日—わたしが兄弟たちの信仰を強める任務を託された日—その同じ御言葉をかけて下さいました。

何度も何度も、わたしの思いは、聖ルカがわたしたちのために記した福音にあるイエズス様の御言葉に立ち返りました。イエズス様の過ぎ越しのほんの僅か前に、イエズス様はペトロに仰せになりました。「シモン、シモン、サタンはあなたたちを麦のようにふるいにかけることができたが、わたしはあなたのために、信仰がなくならないようにと祈った。あなたは心を取り戻し、兄弟たちの心を固めよ」(ルカ22・31-33)。

「兄弟たちを信仰において強めること」は、このように、ペトロとその後継者に託された教導職に不可欠な使命の一つなのです。今日の典礼においてイエズス様は質問なさいます。「人の子が来るとき、果たして地上に信仰を見出すだろうか?」これは、すべての人に返答を迫る質問ですが、特にペトロの後継者に対してそうなのです。「彼が来るとき、信仰を見出すだろうか…?」主の来臨は年を経る毎に近づいてきます。御ミサにおいて聖なるいけにえをお捧げするとき、わたしたちはいつも聖変化の後で唱えます、「主の死を思い、復活をたたえよう、主が来られるまで」。

「彼が来るとき、地上に信仰を見出すだろうか?」

2・今日の主日の典礼での朗読は、主のこの問いかけに対して二重の答を示すことができます。

まず第一は、聖パウロが信頼する協力者ティモテオに宛てた勧告の中に見出すことができます。使徒は「わたしは、神の御前で、また生きている人々と死んだ人々を裁かれるキリスト・イエズスの御前で、その現れと御国のために、あなたに切に願う。御言葉を宣教せよ。よい折りがあろうとなかろうと繰り返し論じ、反駁し、とがめ、すべての知識と寛容で勧めよ」(2ティモテオ4: 1-2)と書き送りました。この文章は、行動についての明確な指針を示しています。実に、使徒としての任務、特にペトロの任務においては、第一のそして最も重要なのは教えることなのです。同じ使徒がやはりティモテオに書いているとおり、神的な真理を教えようとする者はだれであれ自分自身が「学んで確信したところに留まる」(2ティモテオ3: 14)必要があります。

司教、わけても教皇は、救いに導く知恵の源に常に立ち返らなければなりません。わたしたちは神の御言葉を愛さなければなりません。わたしは今日、20年間ペトロの座にあって果たした奉仕を振り返り、自分自身に問いかけなければなりません。これをすべて忠実に守ったでしょうか? 教会の信仰を勤勉に、賢明に教えてきたでしょうか? 現代人に、第二バチカン公会議の偉大な業績に親しませるよう努力したでしょうか? 教会の信者たちの期待を、そして世界中の教会の外にいる人々の真理への飢えを満たすように努めたでしょうか?

牧者と群れは、祈りによってお互いに支え合います。

そして、聖パウロの招きの言葉がわたしの思いの中で反響しています。「わたしは、神の御前で、また生きている人々と死んだ人々を裁かれるキリスト・イエズスの御前で、その現れと御国のために、あなたに切に願う。御言葉を宣教せよ」(2ティモテオ4: 1-2)。御言葉を宣教せよ! これこそがわたしの義務です。人の子が来るとき、彼が地上に信仰を見出すことができますように、わたしのなしうることすべてをすることができますように。

3・出エジプト記からとられた第一朗読から、わたしたちはもう一つの答えを引き出すことができます。ここには、モーセが彼の両腕を天に向かって差し上げながら祈る象徴的な姿があります。このとき彼は、彼の民がアマレク人と戦っているのを丘の頂上から見守っているのです。モーセが両腕を上げている限りイスラエルは優勢でした。しかし、モーセは両腕が疲れてきたのを感じたので、彼が座るための石を一つ見つけて、アロンとフルは両脇で彼の腕を支えました。そして彼は日没まで祈り続け、ヨシュアはアマレク人を撃ち破りました。(出エジプト記17: 11-13参照)

これは特別に表現力に富む情景—祈る牧者の姿—です。いろいろな「アマレク人」と戦わなければならない新しいイスラエルの民、つまり教会が置かれたあらゆる状況において、この箇所よりも雄弁な引用を見つけることはほとんど不可能でしょう。ある意味において、あらゆる事柄はモーセが差し上げていた両腕にかかっていたのです。

牧者の祈りは群れを支えます。これは確かなことです。しかしながら、民の祈りが、だれであれ彼らを導く任務を持つ者を支えるというのも、また事実なのです。ですから、始めからそのようにされてきました。ペトロが祭の後で死刑を—ちょうどヤコボと同様に—受けるためにエルサレムの牢につながれていたとき、全教会は彼のために祈っていました(使徒行録12: 1-5参照)。使徒行録は、彼が奇跡的に牢から開放された様子を詳しく記しています(使徒行録12: 6-11参照)。

このようなことは歴史の中で数え切れないほどありました。わたし自身が個人的に経験したのですから、それを証明できます。教会の祈りはとても力強いのです!

4・今わたしは、この何日かの間にわたしとの一致を表明してくれた人々に感謝を捧げたいのです。たくさんのお祝いの手紙をありがとう。特に、祈りにおいていつもわたしを思い出してくれてありがとう。今わたしは、特に病気の人、傷ついた人を考えています。この人々は自分たちの痛みを捧げることによってわたしのすぐ近くにいてくれるのです。またわたしは、世間から離れた修道院と数多くの信心深い人々を、そしてわたし自身とわたしの世界的な牧職のために主に声を一つにして祈ることを決してやめない家族や若者たちを考えています。この何日か、わたしは教会の心臓がわたしのすぐそばで鼓動しているのを感じました。

ローマとイタリアがわたしに示した暖かい歓迎に感謝します。

聖ペトロ広場にいるすべての皆さんに感謝します。皆さんは、わたしがローマ司教として教会と世界に対し20年にわたって奉仕してきたことについて神を称えるため、今日のわたしの祈りに一致して下さいました。またわたしは、イタリア大統領ならびに彼と共にこの朝ここに参列することによってわたしに敬意を表して下さったすべての方々に、感謝します。

この記念の始めに、皆さん方のキリストとペトロの後継者に対する忠実を兄弟的愛をこめて表明してくれたカミロ・ルイーニ枢機卿に感謝します。こんなにも多くの枢機卿、大司教、司教方が参列して下さったことに、そして特に荘厳な聖体祭儀を共に捧げて下さったローマ教区と教皇庁の司祭方に、わたしは深く心を動かされました。親愛なる友である皆さん、今このときに、皆さん方がこの年月の間、ペトロの座における教会への奉仕を支えて下さったことにどれほどわたしが感謝しているかをお伝えしたい。わたしがペトロの牧職に就いた当初より、ローマの町とイタリアとがわたしに示して下さった暖かい歓迎に対し、公に感謝の意を表します。わたしが与えられた任務を執るために皆さんがかつて、そして今も助けて下さっていることに、主が寛大に報いて下さいますように。

親愛なるローマの、イタリアの、そして世界中の兄弟・姉妹の皆さん! これこそが聖ペトロ広場におけるわたしたちの祈りに満ちた集いの意味なのです。すなわち、神様が歴史を通してご自分の民を旅路において慎重に注意深く導き支えて下さったことに感謝を捧げるため。わたしの側から言えば、20年前に、神の恵みに信頼してわたしが表明した「はい」という返事を再び新たにするため。皆さんの側から言えば、この教皇のために、教皇が使命を全うすることができるように、いつも祈りを捧げると約束するため、わたしのすべての心を込めて、わたしは今一度、救い主の御母、教会の御母であるマリア様に、わたしの生命と使命とを委ねます。聖母マリアに向かって、わたしは子供としての自己放棄をもって繰り返します。「すべては御身のもの! アーメン」。

翻訳・小杉