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子どもミサについて一考

以前、ある教会で、主任司祭に言われて子どもミサを引き受けたことがあります。教会に信頼して、気軽にそのミサを始めてすぐに気づいたのは、こんなことを自分はやれない…ということでした。で、すぐに普通のミサに切り替えたのですが、今でも子どもミサと聞くと虫ずが走ると言うのでしょうか、ゾーッとします。典礼の荘厳さなどはカケラほどもありません。こんなことをしていれば、子供たちの信仰は必ず崩壊の危機に瀕する…これがわたしの印象でした。子どもたちが可愛らしいのは当然ですが、ミサまで可愛らしい言葉で捧げる必要はありません。

ミサで行われるのは、人となられた神の御一人子を生け贄として天の御父に捧げる神秘ではありませんか。以前、ミサがラテン語で捧げられていた時代、ミサは正に荘厳な神秘でした。第二バチカン公会議の精神と称して、ミサは品のない現代各国語で捧げられるようになりました。各地でラテン語ミサ復活の動きが起こっているのも当然です。第二バチカン公会議以来、典礼学者たちは典礼破壊にいそしんでいるようです。「 リトゥルジスタ(典礼学者)とテロリストの違いは何ですか。答えは、テロリストとは交渉できるが、リトゥルジスタとは交渉できない」。何とも悲しいジョークです。子どもミサから話が飛びますが、例えばB年・主日の朗読聖書年間第六主日第一朗読は創世記3章16〜19、つまり原罪の結果人祖が受けることになった罰の話になっています。午後、英語ミサを捧げるときになって、それが本当はレビ記13、重い皮膚病つまりライ病者の隔離に関する箇所であることが判明しました。福音の朗読箇所はマルコ1・40〜45、つまりイエズスさまがライ病者を清くなさった話です。第一朗読で厳しい隔離の話があって、始めてイエズス様によるライ病者、ひいてはわたしたち自身の解放の話が際だってくるのに、典礼学者、典礼委員会、典礼担当司教はそれをめちゃめちゃにしてしまいました。典礼学者の言いなりになる担当司教にも責任がありますが、典礼学者には大きな責任を問いたいものです。ライ病者を重い皮膚病を患っている人と言い換えるのも気に入りません。いつか、鹿屋にある敬愛園で、患者さんたちにもこの点について聞いてみましょう。

以下のメールをある信者さんから受け取りました。皆さんと一緒に子どもミサについて考えてみたいものです。皆さんの投稿を期待します。

皆さん

私の教会でも、かつて、第一日曜日には子供ミサが挙行されておりました。昨年、大聖年行事として子供とともに捧げるミサと言うのもありました。

子供の御ミサについては、奉献文に関しては、子供と共にささげるミサとして典礼聖省から出された(1974)ものを邦訳してあるようです。そして、これに(奉献文の邦訳)ついては聖座の承認を得ているとしています。ただし、先に述べました”「ミサのはじめ」「交わりの部」などは、幅の広い適応が可能”(前掲書 P.9)とあります。

子供の御ミサについては、いろいろな試みがあるようですが、どうも子供におもねるような所があってどうしても馴染めません。ちなみに、私の子供達は、子供ミサが嫌いです。まあ、親が嫌いだから、と言う理由かもしれませんが…子供が理解しづらいから、子供に媚びるような態度に出ることは、教育上たいがい失敗に終わるような気がします。世の親達も同様の失敗をしているのではありませんか? 信仰教育に限らず、この世的な事柄であっても、”子供にこびる態度”は子供の精神に悪影響を与えます。

その当座理解できなくても、親が心底大切にしている事柄は、必ず子供に伝わります。子供はそれを”わかりたい”と望むはずです。実際、我家ではそうなっています。しかし、子供ミサに関しては、「本当に子供の霊的成長に役立つ」ものであるならば、もちろん、大賛成です。しかし、残念ながら現状では子供のみならず大人までが大切な信心を減退させられるような代物になっている気がします。こんなことでは、次世代に信仰の遺産を伝承することなど夢の又夢でしょう。
                                                                

男性信徒

十主の平安

アヴェ・マリア

こども達だけで与る御ミサは、不必要だと思います。 日曜学校とは全然違うのですし。 子供は、親の側で御ミサに与り、 神さまに対する親の信仰を見て、段々信仰が育つのです。 幸いなことに、子供ミサは、うちの教会ではまだありません。少し前に、 幼稚園に通っている子を、御ミサの時、親から離して、幼稚園の園長さんが自分の側に座らせて、指導 しておられましたが、 子供は、親の方ばかり見ていて、可哀相でした。 この事からしても、子供達だけの御ミサは考え違いだと思います。0わたしの教会でも、大分子供たちが増えましたは嬉しいのですが、子供ミサが始まるのではないかと、心配しています。

女性信徒