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ナジュのジュリア・ユンと彼女の聖母像に起きた現象とメッセージに関する宣言

韓国光州大司教 ヴィクトリーヌス・K・ユン
 

一九八五年七月三十日に聖母像の落涙に始まったジュリア・ユンの問題は様々な出来事に発展しています。様々な出来事というのは聖母像から悲痛の涙が流れること、香油が流れること、また壁のくぼみに安置された御像が前後に動くこと、ジュリアの身体がバラの香りを放つこと、世界中に氾濫する中絶その他の罪のためにジュリアが肉体的に苦しむこと、ごく最近では御聖体の奇跡と呼ばれる現象が起こったことなどであり、これらは広く知られるようになりました。そのような現象に興味を持ったり、信じたり、頼る人が大勢いることに気付いたジュリア・ユン夫人は、自分が聖母像から聞いたいわゆる「ナジュの聖母のメッセージ」が本物であり、真の私的啓示であると主張しています。

すべてのキリスト信者が知っている通り、啓示と御聖体は正統なカトリック信仰の中心です。それ故にこれらに関する事柄は正統なカトリック信仰の教えによって、絶対明瞭に理解されなければならない。

光州司教区の教区長であるわたしが、一九九四年十二月三十日に組織したナジュ調査委員会は、いわゆる「ジュリア・ユンと彼女の聖母像に起きた現象とメッセージ」を、信仰の目と多面的観点から注意深く調べてきました。一九九五年一月九日に最初の会議があり、一九九六年六月十六日にわたしはナジュ調査委員会の議長であるアウグスティヌス・キム・ジャイヨン神父の署名をもって、中間報告書を出しました。

この期間に、ナジュ調査委員会は十五回の会議を開きました。出来事のすべての関係資料、出版物の内容とそれらが書かれた過程を分析することによって、それらの現象の調査と信仰的な試験が注意深く行われました。それと同時に委員会は五回にわたり「ナジュの出来事」の中心人物ジュリア・ユンを含む十四人から証言を求めました。委員会のメンバーたちはジュリアの家を訪れ、聖母像の置かれている場所だけでなく、そのホール全体を調べました。

1・調査の結果に基づき、私光州教区大司教はいわゆる「ナジュの出来事」に関する公的見解を述べる。なぜなら、わたしは調査委員会による調べの正式な結論を下す司牧者としての権威を持っているからです(カトリック教会のカテキズム七十五〜八十、神の啓示憲章十参照)。

1・1ジュリアが聖母から受けたと断言している「ナジュの聖母のメッセージ」なるものの中にはいくつかの人間的かつ人為的要素があります。そのため純粋さと信憑性に欠けるいくつかの部分が認められる。まず第一にその内容にはゴッビ師の「聖母から最も愛する司祭へ」という本やソウルのカトリック出版ハウスから出た「御心のメッセージ」等の中から引用、模倣したと見られる部分があります。また、周囲の人々の影響や情況に応じて、それらを意図的に操り、省いたり、付け加えたりした部分も見受けられます。その例として、奇跡的に水が出てきたこと、聖域をつくること、バジリカを建てることなどが挙げられます。それに加えて、ジュリア自身の手書きの日記と、実際に出版された書物に不一致もあります。

さらに、ジュリア・ユンの述べている「御父は終わりの日を遅らせておられるようだ」という内容(一九九五年七月十六日に受けた「御父からのお言葉」参照)は、終わりの時はすでに決められており、御父だけがご存じである(カトリック教会のカテキズム千四十参照)という正統カトリックの教えと明らかに衝突するものです。それ故に「ナジュの聖母のメッセージ」はジュリア・ユンの個人的体験か瞑想の結果と見られ、私的啓示の証拠として耐えるものではありません。しかし、ジュリア・ユン夫人とその支持者たちは、それが本物の私的啓示であると言い張っています。

1・2御聖体が天から降ってきた奇跡として報告された現象は、カトリック教会の教義に反するものです。たとえ、その司祭が大罪を犯していても、正式に叙階された司祭の聖変化の言葉だけが御聖体の秘蹟を存在させます。なぜなら、秘跡は教会の意向に従って行われた場合、キリストと聖霊がそこに働かれるからです(カトリック教会のカテキズム千百二十八、DS七百八十二、八百二、千三百二十一、千六百四十〜千六百四十二、千六百五十二参照)。口の中で血と肉に変わるといった現象は、人々のパンとブドウ酒の形色を残す聖体に対する信仰を高めるものではありません。逆に、そのようなことは聖体の信仰を待つ人々に大きな混乱と戸惑いを与える要素になるでしょう。

1・3ジュリア・ユン夫人とその周辺に起きたおかしな出来事や(出来事は彼女の身体と彼女の聖母像に起こる)個人的視幻などは、出来事がまことに超自然的、つまり神よりのものであるということを証拠だてるものではありません。おそらく、それらが何か異常な力を示すということならできるでしょうが…。

2・光州教区大司教、信仰上の正式な指導者、正統な牧者として、わたしはこの大司教区のすべての司祭、修道者、信徒に、また「ナジュの出来事」の関係者方に、わたしのこの司牧上の指示を教導職への従順の精神をもって受け入れて下さるよう心から願いします。

2・1興味本位で「ナジュの出来事」のような現象について熟慮したり、それが超自然的であると主張することは、教会内の信仰の一致を破壊する行為であると考えられます。ですから、ナジュの出来事に関するすべての宣伝行為(印刷物、出版物、ビデオ、写真等)は公式に禁止します(教会法八百二十三の一参照)。また、それらの関係資料を読むこと、見ることを止めていただくよう要求します。

2・2それ故に、わたしは権威者としてジュリア・ユン夫人に聖母像から出た最初の涙の記念日を祝うことを止めるよう指示してきましたし、彼女自身の個人的体験を広め、メッセージが超自然的現象であると言い張ることを止めるように指示してきましたが、この指導は今も有効であり、教導職への従順を彼女と支持者に再び要求します。

2・3ジュリア・ユン夫人に関する場所でミサを捧げること、典礼を行うこと、秘跡を授けることを以前にも禁じましたが、それは今も同じです。御言葉の祭儀や聖時間の形で夜間礼拝を共同で行うこと、毎週木曜日と毎月初土曜日にジュリアの聖母像があるホールで内輪の祈祷会をすることも禁じます。ジュリアの周りの人々(特に、ボロンティア、ヘルパー)は教会の権威に従い、自宅に帰って、正しい聖母信心を行うよう要求いたします。

2・4以前にわたしが出した以下の指針は今も有効です。ジュリアを支持してこの管轄を訪れる教区司祭でない司祭方は、今これ以上の役割を行うことを止めるべきです。司牧者、司祭は「ナジュの出来事」なるものに信者が好奇心を寄せていないかを心に留め、信徒やカトリックの団体の中にそれが一般の信心業として広まらないように責任をもって務めていただきたいのです。

最後に、光州大司教区のすべての信者が真の信心は「実を結ばない束の間の愛着感情でなく、騙され易さの中にあるものでなく、真実の信仰から生まれるものである」というカトリックの教えを受け取って下さるよう祈ります…。中略…真の純粋な聖母信心はキリストから始まり、キリストの中に表され、キリストによって聖霊のうちに御父に捧げられるべきものです。また、聖母信心の究極の目的は、神の光栄であり、キリスト信者の生活を主の御旨に全く一致させることです。

「すべての信者のうちに聖母が主をあがめ、聖母の魂が救い主である主において喜びに満ちあふれますように」(聖アンブロジオ)

一九九八年一月一日 神の母マリアの祭日に

光州大司教 ヴィクトリーヌス・K・ユン(署名)

 

追記

異常現象かご出現かは、ヴァチカンでなくその地区の教区長が裁定します。教区長である司教たちが十二使徒たちの後継者であれば、これは当然なことです。いささか旧聞に属するかもしれませんが、韓国ナジュで起きたとされるジュリア・キムについて光州教区のヴィクトリヌス・ユン大司教の裁定書を掲載しました。メジュゴリエもこの現象と基本的には全く同じ範疇に属します。

メジュゴリエがなぜそれほど邪悪であるかと言えば、メジュゴリエに注ぎ込まれる信徒のエネルギー、金、時間、関心などがすべて、本来使われなければならない所からそらされてしまうからです。見ずして信じるものが幸いであるのに、見たから信じるのであれば、それはもうキリスト教ではありません。

訳者

報告された出現や啓示に判断を下す方法と手続きに関する教義省の指針

1978年2月教義省発布

フランジョ・シーパー枢機卿(教義省長官)署名入りの公式文書

権限と判決に介入する資格について

第一項 出来事を観察し続け、(その超自然性の判断に)介入する義務と職務は、まず何よりも、地元教区の教区長の権限である。

第二項 ある地域、または、ある国の司教協議会は、次の二つの場合に(その超自然性の判断に)介入できる。

1 地元の教区長が、その出来事についての自らの判断の権限を行使した後に、より安全な判断のため、司教協議会に介入してくれるように依頼することを決定した場合。

2 その出現が、その国の教会全体、あるいはその地区全体の問題となっている場合。

第三項 聖座は、当該教区長自身が聖座の介入を要請する場合、あるいは、資格のある信者の団体や会が介入を求める場合、またその他にも、至高の教皇の持つ普遍的な管轄権という直接的理由により、(超自然性の判断に)介入することができる。

従って、もしも教区長が、調査の後、当該の出現が(信者に)好ましい影響を与えているという判断に達したならば、教区長は、常に最大限の注意深さをもって、事態を観察しつつも、(出現地での)礼拝や信心業を公に行い、表明することを(信者に対して)許してもよろしい。そのような許可がニキル・オブスタットであると文書で宣言するのと同じ価値がある。

なお、以上は聖座文書の一部の抜粋。第三章の一部分である。写真はラッツィンガー枢機卿の前任者フランジョ・シーパー枢機卿で、この判断基準をローマ聖座から出された方。

フランジョ・シーパー枢機卿

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