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30年の怠慢

今しなければならないこと — 今HLIがしていること

Human Life International 前会長

マシュー・ハビガーO.S.B.


 

『フマネ・ヴィテ』は今世紀もっとも逆らいの的となった回勅です。この回勅は人間の性に関することなので、全ての人の神経中枢に触れるのです。教会には人間の性に関して神が意図される事柄を、権威を持って教える権利があると信じて従う人と、その反対に拒絶する人たちとに分かれます。反対する神学者たちに付き従った多くのカトリック信者はそれを拒絶しました。実に、自然に基づいた家族計画を実行しているは、子供を産める年齢層のカトリック信者夫婦のわずか3-5パーセントにしか過ぎません。その意味するところは驚くべき数のカトリック信者が人工避妊を実行しているか、不妊手術を受けていることを意味します。

以前、神学雑誌などで人工避妊について討議された時期もありました。こういうことがカトリック教会が教える性の倫理全体を見直すことにつながったのです。1977年米国カトリック神学会はアントニー・コスニック編のHuman Sexuality (人間の性)の主張に賛同することを決議しました。しかし、この本は従来の性の倫理からの逸脱の大部分を承認するという内容のものでした。今日、すでにこれに関する論争は終わっています。回勅『フマネ・ヴィテ』を拒絶した人たちは自分たちの方が勝利を収めたと思っているようです。 『フマネ・ヴィテ』の拒否は世間一般の文化の中で当時起きた出来事と相性が良かったのです。世俗社会には、ユダヤ・キリスト教の倫理をヒューマニズム、いや、快楽至上主義と置き換えようとする動きが常に見られました。1950年代に強い影響力があったのが、アルフレッド・キンゼイ、マーガレット・サンガー、ヒューズ・ヘフナーといった人たちでした。これらの人たちは性、結婚、家庭を再定義してしまったのです。性は第一義的には娯楽になってしまいました。受胎能力は妊娠を望むのでない限り病気に、結婚は罠になり、女性は単なる遊び相手になってしまいました。これで1960代に起きる性の革命の舞台が整えられたのです。経口避妊ピルの発売もそのために決定的役割を果たしています。 『フマネ・ヴィテ』に反対の立場を取るカトリック信者たちは、性の倫理全体を拒否すると主張しているわけではありませんでしたが、結果的には全体の否定になってしまいました。道徳は包括的です。わたしたちは自分が選択する徳だけでなく、全ての徳を必要とするのです。わたしたちは自分が選択する悪徳だけでなく、全ての悪徳を退けなくてはなりません。十戒と同じで、すべての道徳的原則には相互関係があります。その中の一つを退けることはタペストリーのより糸を引き抜くようなもので、そんなことをすればせっかくのタペストリー全体が駄目になってしまいます。

カトリック信者が『フマネ・ヴィテ』を拒否したとき、彼らが拒否したのは人間の性に関する創造主の計画を拒否したのでした。教会の教えによると、夫婦の抱擁が意味するのは愛する人に自分の全てを与え尽くす象徴的行為そのものでした。愛する人に自分の全てを無条件で与えるということは、何も保留することなく、相手に自分を明け渡すと同時に、相手も全面的に受け入れることです。結婚の行為は愛と生命を受け入れるものでなければならないのです。夫婦が責任産児を実行するためには倫理的にも許され、高度に有効な方法がいくつかあります。人工避妊は、一時的もしくは永久的に不妊化されねばならない悪として受胎能力を目の敵にするので、結婚行為に関する神の計画に背くものです。

世俗の文化とメディアにもてはやされたあの神学者たちが『フマネ・ヴィテ』を排斥したので、それを教え、弁護することが次第に難しくなってきました。その結果、この問題に関しては賛成派も反対派も沈黙する紳士協定が結ばれたかのようです。その結果、司教座聖堂さえも含めて、ほとんどの教会の説教台でこの点に関する沈黙が守られ、宗教と要理クラスでは混迷が幅を利かせ、多くの太神学校でも比例主義と結果主義が教えられています。全国カトリック司教会議による人工避妊の本質的悪に関する本格的司牧教書が見られなくなり、生命運動の内部においてさえ、人工避妊と人工妊娠中絶の間にある関係を指摘するのを躊躇するようになったのもそのためです。

しかし、この沈黙は役に立ったのでしょうか、それとも反対に害をもたらしたのでしょうか? 1951年以来、合衆国の男女で性病にかかったのは五千万人、その中の七十五万人がエイズで、半数は死亡しています。合法、非合法の外科的人工妊娠中絶数は四千六百万、離婚数は四千三百万で、その被害を被った子供たちの数は四千四百万人、婚外子数は三千五百万人で、現在片親と暮らしている子供たちの数は二千万人、現在、離婚もしくは母子家庭に起因する貧困の影響下にいる子供たちの数は八百万人です(合衆国商務省統計局によるReference Data Book and Guide to Sources, Statistical Abstract of the US, 1995, 115th Edition、ワシントンD.C.合衆国政府印刷所発行。78, 87, 94, 113, 125, 139,140, 146, 317, 559, 1033, 1035表を参照)。

こういうことがだれかの責任でないわけはありません。カトリックの性倫理を拒絶し、その代わりにキンゼイ、家族計画連盟、SIECUS()、ヘフナーの提唱する性倫理を導入した人たちは、彼らの拒絶がもたらした腐った果実について責任があることをそろそろ認めなければなりません。

何がなされなければならないか?

『フマネ・ヴィテ』の拒否はわたしたちの問題を悪化させたのであり、決して解決したのではありません。現実に直面して、正しい解決を探るときがすでに来ています。人工避妊が人工妊娠中絶の原因であり、その解決ではありません。人工避妊は結婚の絆を強めるどころか、それを根本から崩壊させます。避妊する両親がどうして子供たちに純潔を教えることができるでしょうか? 避妊は未婚者に性道徳の低下をもたらし、結婚した人たちの間に姦淫を広めます。避妊が可能であれば若い人たちの同棲、離婚、片親の家庭、貧困に苦しむ女性、父親を知らない子供たちが増加するのは当然です。

こういうことが分かった以上、司教や司祭たちは問題の根元を指摘し、それを公にして欲しいものです。教皇大聖グレゴリオはかつて司祭とは危険が近づくと吠える犬にたとえたものです。教皇は「吠えることのできない犬をどうするか」問いかけています。説教台に立って30年間も『フマネ・ヴィテ』について沈黙していた人たちは今どうすればいいのでしょうか?

だれかがこの沈黙を破ろうとすれば、必ず頑強な抵抗を覚悟しなければなりません。新任地である教会でそうしようとした熱心な若い司祭とか、全国を巡って、時としては『フマネ・ヴィテ』に今でも敵対心を持っている教会で、プロ・ライフの黙想会を開いて説教しているHLIの司祭たちに聞けばそれはよく分かります。ミサで説教すると、「神父様、『人工避妊とか人工妊娠中絶』なんて言葉を説教台から聞かされたのは初めてでした」といつでも言われます。

HLIは何をしているか?

1991年、わたしがHLIに参加して以来、わたしたちはHumanae Vitae Priests, Religious and Laity International(『フマネ・ヴィテ』を大事にする司祭、修道者、信徒の国際的連帯運動)を始めました。それ以来、わたしたちはこの回勅を大事にするこれらの人たちに極めて有用な資料を送り続けてきました。ヴァージニア州フロント・ロイヤルの新しい本部に移転してからは、司祭や助祭たちのために、回勅『フマネ・ヴィテ』、回勅『生命の福音』、ファミリアリス・コンソールチオについて説教できるように、講座を設けました。現在、このコースは年二回実施されています。その内容の一部は以下のとおり。世界中に見られる性道徳の乱れはカトリックの教えが正しいことを証明する、自然法と回勅『フマネ・ヴィテ』、自然に基づく家族計画と回勅『フマネ・ヴィテ』、人工避妊による帝国主義とカトリックの反撃、献金と回勅『フマネ・ヴィテ』、反対者による反生命戦術の暴露、エロスの愛の浄化、同棲の問題、女性の受胎能力と自然に基づく家族計画などです。講義のテープはHLI(電話1-540-635-7880)にお申し込み下さい。

以上の講座は、教会が教える性の倫理がどれほど正しいか確信している少数派の司祭たちにとって大きな助けになっています。そこでは、貴重な情報が入手できるだけでなく、志を同じくする忠実な司祭たちと知り合いになれます。いつか、司教様方がご自分の司祭団のために講座を主催して下さる時が、ある教区の全司祭が回勅『フマネ・ヴィテ』のメッセージを高らかに宣言できるために、わたしたちがお手伝いできる日が来ることを希望しています。

信徒の役割

以下は、アリゾナ州フラッグスタッフ在住の一女性による司祭たちを勇気づける提案です。同様な手紙をあなたも書いて送ることができるのではないでしょうか?

キリストに忠実な神父様

神父様と教会のためにお捧げしている霊的花束についてお知らせしたいと思います。あなたが司式して下さった婚姻の秘跡によってわたしたち夫婦が受けた神様の恵みを心から感謝しております。その恵みには教皇パウロ六世の回勅『フマネ・ヴィテ』に積極的に応じる恵みも含まれていることを喜びの中にお知らせいたします。

この預言的な教えに対する従順がわたしたちの結婚生活をどれほど豊かなものにしたことかここに言い尽くすことができません。神様のみ旨に従ったために受けてきた喜びと平和を、神父様、あなたとも分かち合いたいのです。

ですから、わたしたちが回勅『フマネ・ヴィテ』の教えと、自然に基づく家族計画に従って禁欲する際の困難を霊的犠牲としてお捧することにしています。司祭職を通じて教会に仕える神父様のご苦労に感謝しつつ、わたしたちはこの犠牲をあなたのために捧げています。多くの人たちが性に関して、また教会が、結婚生活もしくは独身生活どちらを選択するにしても、性的ことがらに関するその教えの中にある真の人間的自由をわたしたちに認識させるための方法に関して惑わされている現代、わたしたち夫婦はそれを、神父様がいただいた独身生活の恵みに連帯させて、お捧げしたいと思います。

最後に、わたしたちは禁欲に伴う困難を、教会の教えを受け入れるのが困難であると感じている、もしくは結婚が崩壊の危機にある仲間のカトリック信者のためにも捧げます。特に意識しなければ、自然に基づく家族計画に伴う実際的面の一部に過ぎないことをこのような霊的花束にすることによって、神父様とあなたが関わっている全ての人たちの上に神の恩寵が豊かに下りますように。

キリストに忠実を誓う夫婦より

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