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 ラテン語原文

シラブス

(近代主義者の謬説表:ピオ九世の数多くの教話、回勅、書簡による大勅書)

(1864年12月8日発表)

ピオ九世は、当時の誤謬を攻撃した回勅「クアンタ・クーラ」の公布と同じ日、すなわち、1864年12月8日に、次の表に述べる種々の文書によって排斥された80の命題を追加した。それぞれの命題の価値は、それの源泉である文書(回勅、教書、教話)の価値から判断すべきであり、その正確な意味を知るためには、それらの文書の文脈をも調べなければならない。法的情勢および教会と国家の関係についての命題の一部分が当時の状況から理解されなければならない。次の「謬説表」は枢機卿団によって作成されたものである。起草の任にあたった枢機卿たちは、主としてペルピニャンのジェルベが自分の管区内の聖職者にあてた『司牧指針』(1860年)を使った。その『司牧指針』には85の命題が謬説として指摘されていたが、それが61命題に縮少されて『謬説表』に掲載された。ピオ九世は、ヨアキノ・ペッチ枢機卿(後のレオ十三世)およびウィーンの教皇大使に勧められて、聖母マリアの無原罪の受胎の教義決定と同時に、謬説表を公布することを考えていた。しかし、そうすることができなかった。

謬説表の基礎となったピオ九世の文書一覧表

1’

1846年11月9日、回勅「クィ・プルリブス」(DzS2775〜2789)。命題4〜7, 16, 40, 63。
Qui Pluribus on Faith and Religion November 9, 1846
Lettre encyclique Qui pluribus du 9 novembre 1846

2’

1847年10月4日、教話「クイスクエ・ベストルム」。命題63。

3’

1847年12月17日、教話「ウビ・プリムム」。命題16。

4’

1849年4月20日、教話「クイブス・クアンティスクェ」。命題40、64、76。

5’

1849年12月8日、回勅「ノスティス・エト・ノビスクム」。命題18、63。
Nostis et Nobiscum on the Church in the Pontifical States December 8, 1849
Lettre encyclique Nostis et nobiscum du 8 dé cembre 1849

6’

1850年5月20日、教話「シ・センペル・アンテア」。命題76。

7’

1850年11月1日、教話「イン・コンシストリアーリ」。命題43〜45。

8’

1851年6月10日、書簡「ムルティプリチェス・インテル」、Franc.G.Vigil、Defensa de la autoridad de los gobiernos y de los obispos contra las pretensiones de la curia Romana(Lima1848)を排斥した書簡。命題15、21、23、30、51、54、68。

9’

1851年8月22日、書簡「アド・アポストリチェ・セディス」Ioh.Nep.Nuytz、Iuris ecclesiastici institutions (Tn、1844)およびIn ius eccl. universum tractationes;Prolegomena; De rebus; De matrimonio; De personis (Tn.1846;1847;1848;1850)を排斥した書簡。命題24〜25、34〜36、38、41〜42、65〜67、69〜75。

10’

1851年9月5日、教話「クイブス・ルクトゥオジッシミス」。命題45。

11’

1852年9月9日、サルデニアの王にあてた書簡。命題73。

12’

1852年9月27日、教話「アチェルビッシムム」。命題31、51、53、55、67、73〜74、78。

13’

1854年12月9日、教話「シングラーリ・クワダム」。命題8、17、19。

14’

1855年1月22日、教話「プロベ・メミネリティス」。命題53。

15’

1855年7月26日、教話「クム・セペ」。命題53。

16’

1855年7月26日、教話「ネモ・ヴェストルム」。命題77。

17’

1856年3月17日、回勅「シングラーリ・クイデム」。命題4、16。
Singulari Quidem on the Church in Austria March 17, 1856,
Lettre encyclique Singulari quidem du 17 mars 1856

18’

1856年12月15日、教話「ヌンクアム・フォーレ」。命題26、28〜29、31、46、50、52、79。

19’

1857年6月15日、ケルンの大司教にあてた書簡「エクジミアム・トゥアム」(DzS2828〜2831)。命題14注。

20’

1860年3月26日、教皇書簡「クム・カトリカ・エクレジア」。命題63、76注。

21’

1860年4月30日、ブラツラフの司教にあてた書簡「ドローレ・ハウド・メディオクリ」。命題14注。

22’

1860年9月28日、教話「ノーボス・エト・アンテ」。命題19、62、76注。

23’

1860年12月17日、教話「ムルティス・グラヴィブスクエ」。命題37、43、73。

24’

1861年3月18日、教話「ヤムドゥードゥム・チェルニムス」。命題37、61、76注、80。

25’

1861年9月30日、教話「メミニット・ウヌスクイスクェ」。命題20。

26’

1862年6月9日、教話「マクシマ・クイデム」。命題1〜7、15、19、27、39、44、49、56〜60、76注。

27’

1862年12月11日、ミュンヘンの大司教にあてた書簡「グラビッシマス・インテル」(DzS2850〜2861)。命題9〜11。

28’

1863年8月10日、回勅「クワント・コンフィテアームル」(DzS2865〜2867)。命題17、58。

29’

1863年9月17日、回勅「インクレディビリ・アフリクタームル」命題26。

30’

1863年12月21日、ミュンヘンの大司教にあてた書簡「トゥアス・リベンテル」(DzS2875−2880)。命題9〜10、12〜14、22、33。

31’

1864年7月14日、フライブルグの大司教にあてた書簡「クム・ノン・シネ」。命題47〜48。

32’

1864年9月29日、モンレアールの司教にあてた書簡「シングラーリス・ノビスクェ」。命題32。

参考文献

英語 The Syllabus of Errors (8 Dec 1864)

フランス語 Pie IX (1846-1878) Syllabus des erreurs modernes du 8 dé cembre 1864

韓国語 The Entire Statements of Encyclical SYLLABUS of Pope IX (December 8, 1864)

誤謬表の中で、福者ピオ九世によって排斥された80の命題

1 汎神論、自然主義、理性絶対主義

2901(1701)①  この現実の宇宙と区別される最高の、最高に知恵を持った、すべてを統率している如何なる天主的神性も存在せず、天主は現実の自然と同一であり、したがって、変化を免れ得なく、事実、天主は人間と世界とにおいて成立ち、すべてのものが天主であり天主の実体そのものを持っている。天主と世界とは同一の同じものであり、したがって霊と肉、必然と自由、真と偽、善と悪、正義と不正義は同一の同じものである。
(1862年6月9日、教話「マクシマ・クイデム」)

2902(1702)②  人々と世界とに対する天主のすべての働きを否定しなければならない。
(1862年6月9日、教話「マクシマ・クイデム」)

2903(1703)③  人間の理性が、天主とは如何なる関係もなく、真理と虚偽との、善と悪との唯一の判断者であり、理性自体が自分にとっての法であって、その自然な力だけによって、人間と民の福祉をはかることのに充分である。
(1862年6月9日、教話「マクシマ・クイデム」)

2904(1704)④  宗教上の真理はすべて人間理性の生まれつき備わった力から由来する。この理性こそ、人間がそれによって如何なる種類のものといえどもあらゆる真理を認識することができるし、また認識しなければならない基本の規範である。
1846年11月9日、回勅「クィ・プルリブス」
1856年3月17日、回勅「シングラーリ・クイデム」
1862年6月9日、教話「マクシマ・クイデム」

2905(1705)⑤  天主の啓示は不完全であって、従って人間の理性の進歩にともなって絶えず無限に進歩するものである。
1846年11月9日、回勅「クィ・プルリブス」
1862年6月9日、教話「マクシマ・クイデム」

2906(1706)⑥  キリストの信仰は人間の理性に反し、天主の啓示は無益なばかりでなく、人間の完成にとって有害である。
1846年11月9日、回勅「クィ・プルリブス」
1862年6月9日、教話「マクシマ・クイデム」

2907(1707)⑦  聖書に記録され叙述された預言と奇跡は詩人の作り話であり、キリスト教信仰の諸秘義は哲学的探究の総和である。旧新両約聖書には、神話の作り話が含まれており、イエズス・キリスト自身も神話的架空である。
1846年11月9日、回勅「クィ・プルリブス」
1862年6月9日、教話「マクシマ・クイデム」

2 半唯理主義

2908(1708)⑧  人間の理性は宗教それ自体と同格であると考えられる。したがって、神学も哲学と同じように取扱われなければならない。
(1854年12月9日、教話「シングラーリ・クワダム」)

2909(1709)⑨  キリスト教の教義はすべて差別なしに自然科学または哲学の対象である。歴史的に形成された人間理性はそれだけで、その自然の力と諸原理によって、全ての教義について、たとえより深遠な教義であっても、この教義らが理性自体の対象と置かれたのなら、真の知識に到達できる。
(1862年12月11日、ミュンヘンの大司教にあてた書簡「グラビッシマス・インテル」(DzS2850〜2861)1863年12月21日、ミュンヘンの大司教にあてた書簡「トゥアス・リベンテル」(DzS2875−2880)〔DzS2878をみよ〕)

2910(1710)⑩  哲学者と哲学とは全然別のものであるから、哲学者は自分が正しいと判断した権威に従う権利と義務がある。しかし哲学は、どの権威にも従うことはできないし、また従ってはならない。
(1862年12月11日、ミュンヘンの大司教にあてた書簡「グラビッシマス・インテル」(DzS2850〜2861)1863年12月21日、ミュンヘンの大司教にあてた書簡「トゥアス・リベンテル」(DzS2875−2880)〔DzS2856〜2857をみよ〕)

2911(1711)⑪  教会は決して哲学を判断してはならないだけでなく、哲学の誤謬を黙認し、哲学自体が自己修正するように放任しなければならない。
(1862年12月11日、ミュンヘンの大司教にあてた書簡「グラビッシマス・インテル」(DzS2850〜2861)〔DzS2860をみよ〕)

2912(1712)⑫  使徒座とローマ教皇庁の諸聖省の教令は、学問の自由な進歩を妨げる。(1863年12月21日、ミュンヘンの大司教にあてた書簡「トゥアス・リベンテル」(DzS2875−2880)〔DzS2875をみよ〕)

2913(1713)⑬  昔のスコラ学派の学者たちが神学の研究に使った方法や原則は、現代の要求と科学の進歩に全く合わない(1863年12月21日、ミュンヘンの大司教にあてた書簡「トゥアス・リベンテル」(DzS2875−2880)〔DzS2876をみよ〕)。

2914(1714)⑭  哲学の研究においては、超自然的啓示を無視しなければならない。
(1863年12月21日、ミュンヘンの大司教にあてた書簡「トゥアス・リベンテル」(DzS2875−2880))
(注)1857年6月15日、ケルンの大司教にあてた書簡「エクジミアム・トゥアム」と1860年4月30日、ブラツラフの司教にあてた書簡「ドローレ・ハウド・メディオクリ」で排斥されたアントン・ギュンテルの誤謬の大部分は理性主義に関連がある。

3 宗教無差別主義と宗教拡大主義

2915(1715)⑮  自分が理性の光によって真理であると認めた宗教を受け入れ、信仰告白することは、各人の自由である。
(1851年6月10日、書簡「ムルティプリチェス・インテル」1862年6月9日、教話「マクシマ・クイデム」)

2916(1716)⑯  人間は、どの宗教を信奉しても永遠の救いの道を見出し、また永遠の救いを獲得することができる。
(1846年11月9日、回勅「クィ・プルリブス」1847年12月17日、教話「ウビ・プリムム」1856年3月17日、回勅「シングラーリ・クイデム」)

2917(1717)⑰  キリストの真の教会に全く属していないすべての人々が、永遠に救われることを少なくとも期待しなければならない。
(1854年12月9日、教話「シングラーリ・クワダム」1863年8月10日、回勅「クワント・コンフィチアームル」〔DzS2805〜2806、2865以下をみよ〕)

2918(1718)⑱  プロテスタント主義は同一の真のキリスト教の異なった形であって、カトリック教会と同じように天主の心にかなうものである。
(1849年12月8日、回勅「ノスティス・エト・ノビスクム」)

4 社会主義、共産主義、秘密結社、聖書結社、自由聖職者結社

2918’     (1718a)1846年11月9日、回勅「クィ・プルリブス」1849年4月20日、教話「クイブス・クアンティスクェ」1849年12月8日、回勅「ノスティス・エト・ノビスクム」1854年12月9日、教話「シングラーリ・クワダム」1863年8月10日、回勅「クワント・コンフィチアームル」において排斥されている。

5 教会とその権利についての誤謬

2919(1719)⑲  教会は真の完全な全く自由な社会ではなく、また教会は、天主である創立者から与えられた固有の永続的な権利を享受せず、教会の権利とその範囲内でなら権利を行使することができる限界が何であるかを定めるのは、世俗の国家権力に属する。
(1854年12月9日、教話「シングラーリ・クワダム」1860年12月17日、教話「ムルティス・グラヴィブスクエ」1862年6月9日、教話「マクシマ・クイデム」)

2920(1720)⑳  世俗の国家政府の認可と同意がなければ、教会権力はその権威を行使してはならない。
(1861年9月30日、教話「メミニット・ウヌスクイスクェ」)

2921(1721)21 教会は、カトリック教会の宗教が唯一の真の宗教であるということを(信仰箇条として)教義的に定義する権力を持たない。
(1851年6月10日、書簡「ムルティプリチェス・インテル」)

2922(1722)22 カトリックの教師と著者たちが全く縛られる義務は、教会の不可謬の判断によって、すべての人が信ずべき信仰の教義として提示されたものだけに強制力がある。
(1863年12月21日、ミュンヘンの大司教にあてた書簡「トゥアス・リベンテル」(DzS2875−2880)〔DzS2879をみよ〕)

2923(1723)23 ローマ教皇たちと諸々の公会議はその権力の限界を超え、諸侯の権利を簒奪し、また信仰と道徳に関する定義すべき事柄においてさえも誤った。
(1851年6月10日、書簡「ムルティプリチェス・インテル」)

2924(1724)24 教会は武力を行使する権力を持たず、世俗の直接または間接のいかなる権力も持たない。
(1851年8月22日、書簡「アド・アポストリチェ・セディス」)

2925(1725)25 司教職に内属する権力の他に別の世俗的な権力が世俗国家によって明白にまたは暗黙の同意のうちに司教職へと帰属させられたが、そのため国家権力が望む時にはそれを奪うことができる。
(1851年8月22日、書簡「アド・アポストリチェ・セディス」)

2926(1726)26 教会は取得し所有する生来の正当な権利を持っていない。(1856年12月15日、教話「ヌンクアム・フォーレ」1863年9月17日、回勅「インクレディビリ・アフリクタームル」)

2927(1727)27 教会の聖職者とローマ教皇は、あらゆる世俗の財産の管理と支配から完全に除外されなければならない。(1862年6月9日、教話「マクシマ・クイデム」)

2928(1728)28 政府の許可なしには、司教たちは教皇の書簡さえも公布することはできない(1856年12月15日、教話「ヌンクアム・フォーレ」)

2929(1729)29 ローマ教皇によって与えられた特別の恩典は、政府が申請したものでなければ無効であると判断されなければならない(1856年12月15日、教話「ヌンクアム・フォーレ」)

2930(1730)30 教会と聖職者の特権は、国法から生れたものである(1851年6月10日、書簡「ムルティプリチェス・インテル」)

2931(1731)31 民事訴訟または刑事訴訟のいずれもの訴訟であれ、聖職者たちの関する世俗の件についての教会裁判所は、使徒座に相談せずに且つ使徒座が反対してもいかなる手段を使っても絶対に廃止しなければならない(1852年9月27日、教話「アチェルビッシムム」1856年12月15日、教話「ヌンクアム・フォーレ」)

2932(1732)32 聖職者が兵役に服する義務から免除されている個人的特権は、いかなる自然の権利と公正を犯すことなく廃止され得る。社会の進歩が、特に自由主義政体の社会においては、この特権の廃止を要求している(1864年9月29日、モンレアールの司教にあてた書簡「シングラーリス・ノビスクェ」)

2933(1733)33 神学上の事柄の教理を指導する権限は、教会の裁治権だけに固有の且つ生来のの権利として属しているものではない(1863年12月21日、ミュンヘンの大司教にあてた書簡「トゥアス・リベンテル」(DzS2875−2880))

2934(1734)34 教皇を全教会において自由に行動する君主であると比較する教えは中世に流行した教えである(1851年8月22日、書簡「アド・アポストリチェ・セディス」)

2935(1735)35 いかなることも、公会議の教令または全人民の決議によって、教皇職をローマとその司教から他の都市と他の司教に移すことに抵触しない。(1851年8月22日、書簡「アド・アポストリチェ・セディス」)

2936(1736)36 国民教会会議の決定についていかなる他の議論も許されない。市民政府は、この制限に適うように物事を要求することができる(1851年8月22日、書簡「アド・アポストリチェ・セディス」)

2937(1737)37 ローマ教皇の権威から完全に独立、分離した国民教会を設立することができる(1860年12月17日、教話「ムルティス・グラヴィブスクエ」1861年3月18日、教話「ヤムドゥードゥム・チェルニムス」)

2938(1738)38 東方教会と西方教会の分裂は、諸教皇のあまりにも勝手な行動に責任がある(1851年8月22日、書簡「アド・アポストリチェ・セディス」)

6 国家自体、国家と教会との関係についての誤謬

2939(1739)39 国家は、すべての権利の起源であり源泉として、どのような制限も受けない何らかの権利を持っている。(1862年6月9日、教話「マクシマ・クイデム」)

2940(1740)40 カトリック教会の教理は人間社会の善と利益に反する(1846年11月9日、回勅「クィ・プルリブス」〔DzS2775をみよ〕1849年4月20日、教話「クイブス・クアンティスクェ」)

2941(1741)41 市民政権は、たとえ不信仰な指導者によって行使されたものであっても、宗教上の問題について間接に否定的な権力を行使することができる。したがって「認可施行exequatur」と呼ばれる権利だけでなく、いわゆる「権利乱用の訴訟appellatio ab abusu」の権さえも持っている(1851年8月22日、書簡「アド・アポストリチェ・セディス」)


訳者注:exequaturとは、Regium Placetとも呼ばれ、教皇庁の指令が自国内で自動的に発効することを止め、許可制を施行とする政府の要求する権利のこと。


2942(1742)42 教会法と民法との間に法的紛争が起った場合には、民法が優先する(1851年8月22日、書簡「アド・アポストリチェ・セディス」)

2943(1743)43 世俗政府は、教会の免除特権に関する諸権利の行使に関する、使徒座と結んだ(政教条約と俗に呼ばれる)荘厳な同意を、使徒座の同意なしに、更には使徒座が反対するにもかかわらず、これを破棄し、無効と宣言することができる。(1850年11月1日、教話「イン・コンシストリアーリ」1860年12月17日、教話「ムルティス・グラヴィブスクエ」)

2944(1744)44 世俗政府当局は、宗教、道徳、霊的な統治に関することついても関わることができる。したがって、教会の司牧者が、良心の規範のために自らの権能に基づいて公布する通達を裁くことができる。国家当局はまた、諸秘跡の執行とそれを受けるに必要な状態について決定することさえ出来る(1850年11月1日、教話「イン・コンシストリアーリ」1862年6月9日、教話「マクシマ・クイデム」)

2945(1745)45 或るキリスト教国の青少年を教育している公立学校の全ての管理は、司教立の神学校はある程度その例外であるが、他のどのような権威も学校の規律、教科課程、資格免状授与、教師の選択と認定について関与する事を認めないやり方で、完全に国家当局に属することができるし、属さなければならない。(1850年11月1日、教話「イン・コンシストリアーリ」1851年9月5日、教話「クイブス・ルクトゥオジッシミス」)

2946(1746)46 更には、聖職者養成のための神学校においても、教授方法は世俗政府当局の方針に従わなければならない(1856年12月15日、教話「ヌンクアム・フォーレ」)

2947(1747)47 最善の市民社会という理念(ratio)は、あらゆる階級の全ての子供たちに開放されている国民学校、および文学と上級課目を教え更に青少年教育のための公共施設がすべて、教会の権限と管理と干渉から開放され、為政者の望みと時代の世論の水準に従って、世俗政治当局の自由選択に完全に服従する事を要求する(1864年7月14日、フライブルグの大司教にあてた書簡「クム・ノン・シネ」)

2948(1748)48 カトリック信者は、単なる自然科学と地上の社会生活のためだけを目的とするもの、または少なくてもそれを主とする学問については、カトリック信仰と教会の権威から離れた教育制度を認めることができる(1864年7月14日、フライブルグの大司教にあてた書簡「クム・ノン・シネ」)

2949(1749)49 世俗国家当局は、聖なる司教たちや信者らが教皇と自由にそして相互に交流することを妨害することができる(1862年6月9日、教話「マクシマ・クイデム」)

2950(1750)50 世俗国家当局は司教を推薦する権利をそれ自体で持ち、教会法の規定による聖座からの任命と使徒書簡を受取る前に、司教区の統治を司教に要求することができる(1856年12月15日、教話「ヌンクアム・フォーレ」)

2951(1751)51 更に、世俗の政府は司教に司牧任務の行使を停止する権利を持ち、司教区の設立と司教の任命に関することがらについてローマ教皇に従う義務はない(1851年6月10日、書簡「ムルティプリチェス・インテル」1852年9月27日、教話「アチェルビッシムム」)

2952(1752)52 政府は自らの権利によって、教会によって定められた男女の修道誓願の年齢を変えることができる。そして政府の許可なしに誰一人として荘厳誓願を立てるのことを認めないことをすべての修道会に要求することができる(1856年12月15日、教話「ヌンクアム・フォーレ」)

2953(1753)53 修道会の身分を保護する法、およびその権利と機能に関する法律は廃止しなければならない。更に世俗政府は修道生活を放棄し、誓頸を破ろうと望むすべての者を援助してもよい。政府はまたこの同じ修道会を、また参事会管理教会と聖職禄、保護権さえをも、完全に閉鎖撤廃し、これらの財産と収入とを国家当局の管理とその自由選択に属させることができる(1852年9月27日、教話「アチェルビッシムム」1855年7月26日、教話「クム・セペ」1855年7月26日、教話「クム・セペ」)

2954(1754)54 王侯諸侯は教会の裁治権から免れているだけでなく、裁治権についての問顆を解決する場合に、教会の上位にある(1851年6月10日、書簡「ムルティプリチェス・インテル」)

2955(1755)55 教会は国家から、国家は教会から分離されなければならない(1852年9月27日、教話「アチェルビッシムム」)

7 自然道徳とキリスト教的道徳についての誤謬

2956(1756)56 道徳律は天主の制裁を必要としない。実定法を自然法に合わせて作る必要もなけれは、拘束力を天主から受ける必要も全くない(1862年6月9日、教話「マクシマ・クイデム」)

2957(1757)57 哲学と倫理に関する学、及び実定法とは、天主と教会との権威から離れていることができるし、離れていなければならない(1862年6月9日、教話「マクシマ・クイデム」)

2958(1758)58 物質の中にあるもの以外の力を認めるべきではなく、全ての道徳の規律と誠実さとはあらゆる方法で富を蓄積、増加し、快楽を追求することに置かれなければならない(1862年6月9日、教話「マクシマ・クイデム」1863年8月10日、回勅「クワント・コンフィチアームル」)

2959(1759)59 権利は物質的事実にある。人間の全ての義務ということは意味のない単語にすぎない。人間が作ったすべての事実こそが権利の力を持つ(1862年6月9日、教話「マクシマ・クイデム」)

2960(1760)60 権利は数と物質的力との総体である(1862年6月9日、教話「マクシマ・クイデム」)

2961(1761)61 事実の不正義は成功すれば、権利の神聖さを侵害するものではない(1861年3月18日、教話「ヤムドゥードゥム・チェルニムス」)

2962(1762)62 「不干渉」(注)と呼ばれる原則を宣言し、守らなければならない(1860年9月28日、教話「ノーボス・エト・アンテ」)


注 フランスのナポレオン3世皇帝は、約束を守ることから逃げるために、さらに、教皇領を侵略するイタリア軍に対して、ピオ九世を援助しなくてもよいようにこの原則に頼った。


2963(1763)63 正当な君主に服従を拒むこと、反抗することさえも許される(1846年11月9日、回勅「クィ・プルリブス」1847年10月4日、教話「クイスクエ・ベストルム」1849年12月8日、回勅「ノスティス・エト・ノビスクム」1860年3月26日、教皇書簡「クム・カトリカ・エクレジア」)

2964(1764)64 いとも聖なる誓いを破ることも、永遠法に反する犯罪的な恥ずべき行為も、それが愛国心から行われたものであれば責められないだけでなく、完全に合法的であって最高の称賛に価するものである(1849年4月20日、教話「クイブス・クアンティスクェ」)

8 キリスト教的結婚についての誤謬

2965(1765)65 キリストが婚姻を秘跡の尊厳にまで高めたということは絶対に証明できない(1851年8月22日、書簡「アド・アポストリチェ・セディス」)

2966(1766)66 婚姻の秘跡は契約の付属品にすぎず、この両者は分けることができる。秘跡は婚姻の祝福にのみに存する(注1)(1851年8月22日、書簡「アド・アポストリチェ・セディス」)


注1この命題の第2部に表明された意見については、たとえば、メルキオル・カノ De locis theologicis 1b.Ⅴ Ⅲ 、c.5(ベネチア1759年)196s参照。これによれば、キリスト者間の結婚は婚姻の祝福なしに、固有の意味での秘跡となる。


2967(1767)67 自然法によれば、婚姻の絆は不解消的ではない。世俗政府当局は数多くの場合に固有の意味での離婚を認可することができる(1851年8月22日、書簡「アド・アポストリチェ・セディス」1852年9月27日、教話「アチェルビッシムム」)

2968(1768)68 教会は結婚の無効障害を定める権能を持たない。これは世俗政府当局に属するものであり、この政府当局によって存在している障害が取除かれなければならない。(1851年6月10日、書簡「ムルティプリチェス・インテル」)

2969(1769)69 教会は時代とともに無効障害を定め始めたが、固有の権利によってではなく、世俗当局から貸りた権利を使ってのことであった。(1851年8月22日、書簡「アド・アポストリチェ・セディス」)

2970(1770)70 教会が持つ結婚の無効障害を定める権能を敢えて否定する者に対して破門を宣言したトレント公会議の規定は(DzS1830〜1831)教義ではない、或いは、この貸りてきた権能によるものと理解しなければならない(1851年8月22日、書簡「アド・アポストリチェ・セディス」)

2971(1771)71 世俗の法律が別の形式を定め、その新しい形式によって結婚が有効であると定めた時には、トレント公会議が定めた形式(DzS1813〜1816)を守らなくても婚姻が無効になることはない(すなわち有効である)(1851年8月22日、書簡「アド・アポストリチェ・セディス」)

2972(1772)72 叙階の時の貞潔の誓願が結婚を無効する、と最初に宣言したのはボニファチウス8世である(1851年8月22日、書簡「アド・アポストリチェ・セディス」)

2973(1773)73 キリスト信者間の真の意味の婚姻は、単なる民法上の契約だけによって有効である。キリスト信者間の婚姻はいつでも秘跡であるとか、秘跡なしには契約はないというのはまちがいである(1851年8月22日、書簡「アド・アポストリチェ・セディス」1852年9月9日、サルデニアの王にあてた書簡1852年9月27日、教話「アチェルビッシムム」23)

2974(1774)74 婚姻や婚約についての訴訟は、その固有の性質上、世俗の裁治権に属する。(1851年8月22日、書簡「アド・アポストリチェ・セディス」1852年9月27日、教話「アチェルビッシムム」)
(注)ここに司祭の独身制の廃止と結婚生活が独身生活よりすぐれているという二つの誤謬をつけ加えることができる。これらは1846年11月9日、回勅「クィ・プルリブス」と1851年6月10日、書簡「ムルティプリチェス・インテル」によって排斥されている。

9 教皇の民事権についての誤謬

2975(1775)75 世俗の権力と霊的の権力の両立性について、キリスト教のそしてカトリックの教会の信者の間で論争されている(1851年8月22日、書簡「アド・アポストリチェ・セディス」)

2976(1776)76 使徒座が享受している世俗的主権の廃止は、教会の自由と福祉に大いに役立つであろう(1849年4月20日、教話「クイブス・クアンティスクェ」1850年5月20日、教話「シ・センペル・アンテア」)
(注)この問題について、1849年4月20日、教話「クイブス・クアンティスクェ」1850年5月20日、教話「シ・センペル・アンテア」1860年3月26日、教皇書簡「クム・カトリカ・エクレジア」1860年9月28日、教話「ノーボス・エト・アンテ」1861年3月18日、教話「ヤムドゥードゥム・チェルニムス」1862年6月9日、教話「マクシマ・クイデム」も参照。

10 現代自由主義に関する誤謬

2977(1777)77 現代において、他の宗教はどのようなものでもあれ除外してカトリック教を国家の唯一の宗教とすることはもはや通用しない(1855年7月26日、教話「ネモ・ヴェストルム」)

2978(1778)78 カトリックという名前を取っている或るいろいろな地方において、そこに移住している人々に彼らの固有の礼拝を公に実践することが許されるように法が配慮しているが、これは賞賛されることである(1852年9月27日、教話「アチェルビッシムム」)

2979(1779)79 「あらゆる信教(cultus)に法律上の自由を与え、あらゆる意見や思想を何も隠さず公表する全くの権力をすべての人に与えることは、人民の道徳と人心をより容易く腐敗へと導き宗教無差別主義の疫病を伝播させる」というのはまちがっている(1856年12月15日、教話「ヌンクアム・フォーレ」)

2980(1780)80 教皇は進歩、自由主義、現代文明と和解し、妥協する事ができるし、またそうしなければならない(1861年3月18日、教話「ヤム・ドゥードゥム・チェルニムス」)