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メジュゴリエの出現は本物か?

マイケル・デイヴィース著

フマネ・ヴィテ研究会 成相明人訳

  原著  Medjugorje, A Warning

著者  Michael Davies

序文

第二ヴァチカン公会議以降、カトリック教会は権威に関する重大な危機を抱えています。それ以前と異なり、一般信徒はもはや教会の権威者たちから断固としたかつ明確な指針を受けなくなりました。ラッツィンガー枢機卿は、司教たちが自分たちの権威を国家単位の司教協議会に委ねてしまい、また余りにもしばしば司教協議会は正統性が定かでない神学の専門家たちによって牛耳られていると指摘しています。小教区の主任司祭たちもしばしば小教区評議会に自分たちの権威を委ねてしまいます。ローマ自体でさえ、時としては余り自信がなさそうな話し方をするように見えます。しかし、確かさこそ信徒が求めるものであり、教導職がそれを提供しないとき、彼らはそれをほかに求めようとするものです。ある人たちはそれを客観的に見て、教導職を不必要にしてしまう聖霊刷新運動に求めます。聖霊と各キリスト信徒が直接交流できるのであれば、教導職に出番はなくなります。

また、あるカトリック信徒たちは多くの国で起きつつあると称される数多くの出現のいずれかを信じるようになっています。繰り返しになりますが、もし天の導きがいわゆる出現を主張する熱狂的宗教集団を通じて直接に伝えられるのであれば、教導職の必要など全くなくなります。公会議後数年もすると、これらの出現を支持する人たちの間に非常に明白な行動パターンが見られるようになりました。それは特定の出現を信じることを正統性の規範にしてしまうという傾向です。カトリック信徒は御出現を信じますし、信じなければ、ある意味で、その人の信仰そのものが疑われたりするほどです。これらの御出現に惹かれる人たちは、どちらかと言えば、物の考え方が保守的で、教導職の教えを擁護することが期待されるカトリック信徒たちです。このようなカトリック信徒たちがある特定の出現に夢中になってしまうと、彼らは全力を尽くして、それを擁護、推進しようとします。このようにして、彼らは正統信仰の戦場から効果的に除去されてしまいます。キリストの神秘体に対して悪魔が挑む戦いの中で、悪魔が使用する最も効果的な武器として、偽の出現以上のものはありません。問題はもちろん、本物の出現を偽物から区別することです。最近報告されている出現は、日本の秋田を除けば、どれも信用できないとわたしは信じています。

10年ほど前のことですが、わたしは、スペインのパルマル・デ・トロヤであったあのいわゆる出現は悪魔によるものだと主張して、信心深い友人たちの顰蹙を買ったものです。徹夜しての祈り、英雄的悔悛の業、ロザリオ、驚くほど多額の金銭的犠牲など、そこで見られるあの信心業を前にして、どうしてそんなことが言えるのか、と友人たちはわたしを詰問したものです。知り合いのある信心深い英国人信徒は全財産を売り払い、仕事も止めてそこに移り住みました。後に、示現を受けると称していたクレメンテは、自分自身が教皇であると言い出し、それを認めない人たちを「破門」し始めたので、この友人やそのほかの人たちは呆れてパルマルから引き揚げ、自分たちがだまされていたことをやっと認めました。しかし悲劇はそこにとどまった人たちが何千人もいたということです。彼らの信仰はパルマルの熱狂的宗教集団とすでに一体化していたのです。悪魔は彼らをキリストの神秘体から引き離すことに成功していたのです。

上記に類する信心と悪魔によるそそのかしとはどのように区別できるのでしょうか? 答えは自明であるはずです。もし、天から霊感を受けていると称する幻視家が三位一体の教義を否定するとか、フリーセックスを提唱するとかすれば、彼が忠実なカトリック信徒をだますことはおそらく不可能でしょう。悪魔は明らかに敬虔のビニールで覆い隠した誤謬でもって信者を教会から引き離そうとするでしょう。

メジュゴリエ

何年か前、友人が何人か訪ねて来て、ユーゴスラヴィアはメジュゴリエで起きつつあるとされた出現の小冊子を持って、クロアチア出身の家内にそれを翻訳するよう依頼しました。いわゆるメッセージと言われるものの粗筋を家内から聞いた時点で、どう見ても信用性のないことが理解できたので、彼女にはそれ以上時間を無駄にしないよう言ったものです。これらの友人が今、わたしと考えを同じくするようになったことを、心から喜んでいます。それ以来、メジュゴリエでのいわゆる出現はますます注目され、熱狂的に受け入れられるようになっています。世界中から何千万人もの信者がそこに押し掛けています。当初、当時のユーゴースラヴィア共産党政権はそういうことに反対でしたが、メジュゴリエ巡礼が外貨獲得に極めて有効な手段であると分かると、すぐ熱狂的協力者に変身しました。

ユーゴスラヴィアの司教、聖職者たちにとって、メジュゴリエを推進したくなる理由があるのは明らかです。もし、示現が本物であれば、あれほど多くの無神論者とカトリック以外の宗教に属する信者がいる国の教会にとって、それが大きな財産になることに間違いないからです。巡礼がもたらす収入は貧しい祖国を潤すだけでなく、教会が必要としている財政的支援ももたらすはずです。しかし、ザニッチ司教が18ページで説明するように、ユーゴスラヴィアにいる司教たちの中で、示現を認めているのはたった1人(スプリットのフラニッチ大司教)しかいません。メジュゴリエでの出来事を調査した15人委員会の中でも、示現の真正性を受け入れたのは2人だけでした。彼らは2人ともフランシスコ会士です。とはいえ、フランシスコ会自体もこの点では分裂していますが、その中で指導的立場にある神父たちはザニッチ司教の立場を擁護します。御出現と称される現象の真正性を支持する人たちは、ユーゴスラヴィアにいるフランシスコ会以外のすべての聖職者たちによる真正性の拒絶反応を克服できるだけの理由を提供できていません。

本論の目的は、ひたすら、メジュゴリエでの出現の真正性に疑義を差し挟む十分な理由が存在することの提示にあります。これは、これまで(メジュゴリエ巡礼の広告料でかなりもうけてきた)主流カトリック出版界で取り上げられて、信徒の目に触れるようなことはありませんでした。進歩的なカトリック系新聞がファチマのメッセージにいかなる興味も示していなかったのに、メジュゴリエのことになると目の色変えて支持を表明するのは意味のないことではありません。故ハミッシュ・フレーザーがメジュゴリエは悪魔がファチマのメッセージを妨害するために使用している手段であった、と考えていたことをわたしは承知しています。

いわゆる出現の誤りを証明する証拠書類を開示する前に、メジュゴリエで示現を見ると称する若者たちに与えられるべき信用性の度合いを示す二つの例を挙げましょう。「視幻者たち」と彼らを操るフランシスコ会士たちは、常に、彼らが「脱魂状態」の間は外界と交流がないと主張していました。それで、あるフランス人ジャーナリストがその主張を確かめるために、脱魂状態にあるはずのヴィッカの目の前にいきなり指を突き出してみたのです。何と、ヴィッカは驚いてのけぞりました。幸いなことにこれはすべて撮影されています。彼女は部屋を出て、何分かすると聖霊刷新運動の先生、つまり、追放されたはずのフランシスコ会の神父を連れて来ました。彼女が言うには、そのジャーナリストが目の前にいきなり指を突き出したちょうどそのとき、彼女は御子イエズスを腕に抱いた聖母マリアを見ており、御子がその腕から滑り落ちそうになったので「床に御子イエズスが落ちないように体を動かしただけ」だと言うのです。

これほどうそであるとはっきり分かるケースも少ないと言えましょう。聖母マリアが御子とともに御出現なさっている間に、御子を誤って落としてしまうことがあり得るでしょうか? 万が一それが本当であっても、そのジャーナリストがヴィッカの目の前に指を出したちょうどそのときそれが起きたと考えるのは、偶然の一致にしては出来過ぎです。また、彼女が真実を語っていると仮定しても、彼女は後ろにではなく前に向かって動いたはずではありませんか?

第二の出来事は、ザニッチ司教の1990年の声明に記録されてあり、本書第七部に転載されています。それはフランシスコ会司祭イヴィカ・ヴェゴ神父に関与するものです。彼は修道誓願から解かれ、シスター・レオポルドという修道女を誘惑した不道徳行為のために、教皇ヨハネ・パウロ二世直々の指示で、フランシスコ会から追放されていました。彼女が妊娠したとき、2人とも修道生活を止めて、メジュゴリエ近郊に住み始め、子供はそこで産まれました。彼らには今2人子供がいます。しかし、それ以前に彼は追放されることを拒絶し、ミサを捧げ、秘蹟を執行し続けました。その間、暇なときには、愛人とともに暮らし続けていたのです。なぜわたしがこんな悪趣味なことで紙面を汚さねばならないのでしょうか? その理由は「視幻者たち」が、聖母が13回もお現れになって、ヴェゴ神父は潔白であり、ほかの神父と同じくミサを捧げることができ、司教が彼に厳し過ぎると語られた、と主張したからです。真のカトリック信者の読者であれば、自称「視幻者たち」がどれほどのうそを平気でつくかは、もうこれ以上読まないでもお分かりでしょう。こういううそは、自分たちがフランシスコ会の師匠たちから操られていたという理由だけで、許されていいようなものではありません。神の御母が、不道徳で、教皇様自らの指示で会から追放された神父が潔白であり、自分に残された唯一の選択をした司教が悪者であると、何度も自分たちに告げられたと主張するような者たちを、わたしたちは信用していいものでしょうか? そして、メジュゴリエで一財産をため込んだルネ・ローランタン神父のような、いわゆる高名な神学者がこのような事実に直面するとき、どのような反応を示すのでしょうか? ザニッチ司教は以下のように答えています。彼は司教にこの事件の詳細を公表しないように願ったというのです。ザニッチ司教によれば、真理を隠し、偽りを擁護するのはローランタン神父の常套手段です。イヴィカ・ヴェゴ神父に関する事実をもはや隠し続けることができなくなったにもかかわらず、彼が書いた祈祷書は、メジュゴリエで今も大量に売られています。

もし、メジュゴリエで聖母が1993年末までに、とても信じられない数ですが、本当に約2万6000回も御出現なさったのであれば、反カトリックに凝り固まったセルビアがたくらんでいた大虐殺について、クロアチア人は警告を受けていても良さそうなものでした。

目次

1 メジュゴリエの知られざる側面   ジェオフリー・ローマン

2 メジュゴリエの出来事に関するユーゴスラヴィア司教協議会1987年公式発表

3 メジュゴリエに関するモスタル教区司教の宣言 1987年7月15日

4 モスタル司教からデイヴィーズ夫人に宛てた手紙の抜粋       

5 アラバマでの示現マイケル・デイヴィーズによる「ロンドン便り」の抜粋The Remnant1989年3月31日号から   

6 マリジャ・パヴロヴィッチの矛盾                 

7 メジュゴリエの真実は? モスタル司教パヴァオ・ザニッチ1990年 

8 アイルランド司教協議会の声明 1990年6月13日          

9 「司教たちがユーゴスラヴィア霊場に関する決定を『リーク』」   

10 ローマが新しいメジュゴリエ報告を検討               

11企業メジュゴリエ                         

12モスタルの新司教                        

13ヴィデオ " Visions on Demand: The Medjugorje Conspiracy"        

14追加情報                             

1 メジュゴリエの知られざる側面

ジェオフリー・ローマン

Approaches共同創立者、 Apropos共同編集者、 Fatal Starとハミッシュ・フレーザー自伝編集人

1981年以来、6人の若者たちがほとんど毎日のように聖母の出現を受けるというユーゴスラヴィアの寒村メジュゴリエについて、人々はよく耳にするようになりました。このような出現に関して、わたしたちは、当然、それが真正なものであるか知りたくなるものです。答えには「そうだ」「そうでない」「教会の判断を待とう」の三つがあります。教会教導職の権威を認め、自分の個人的判断に制限があることを知るカトリック信者にとって、三番目の答えは明らかに最も賢いものでしょう。しかし、同様に、数多くの本物の御出現の聖母を崇敬するのはわたしたちの伝統の一部であり、歴史的に見ると新しい御出現に対する信心は教会が最終的判断を下すずっと前に広がりを見せ、あたかも「公認」を得たかのようになっていたことも確かです。

ですから、メジュゴリエ信者が神からのものであると確信している現象をわたしたちも支持するよう働きかけることについて、彼らの広報活動にバランスがあり、誠実であり、教会教導職に最終判断を委ねる限り、反対することはできません。しかし彼らも、自分たちと同じく聖母を崇敬していても、問題の出来事について真剣な疑いを抱くカトリック信者の質問に同様に答えなければなりません。

新型の出現

メジュゴリエでの出来事を疑問視する一つの理由は、そこで報告される出現がマリア様の従来の御出現と驚くほど異なっているということです。12年以上続き、今でも継続している出現が過去にあったでしょうか? (ローマで開催された聖霊刷新運動の大会のように)1月前から予告されていた出現がほかにあったでしょうか? 現在に至るまで500万人を集めるほど国際的に宣伝された出現がほかにもあったでしょうか? 以上三つの点はそれ自体としては、これらの「出現」の真正性を覆す論証になるものではありません。(しかし、約26000回も出現なさった聖母には、わたしたちに伝えなければならないことがそれほどあったのでしょうか?)それにしても、メジュゴリエが以前の(教会から承認を受けた)例えばルルド、ラザレット、ポンメン、ファチマ、ボーレンなどの御出現とかなり異なるパターンを示していることは確かです。

「聖性の急激な広まり」

推進者たちは、村民と巡礼者たちに対する信心と霊的インパクトを指摘します。御出現が祈り、断食、頻繁な告解、聖書朗読、御聖体への信心、そのほかにおいて、さらに忍耐強くあるよう繰り返し勧めているのは確かです。そして、これらの勧めは忠実に守られています。これがどれほど歓迎されるべきであったとしても、それがそれ自体として正統性はおろか聖性とか、出現が真正であることの保証になるものではないことを、わたしたちは念頭に置くべきです。教会史には(例えば13世紀のフラティチェッリのように)熱心な信心、祈り、断食で知られた異端グループも記録されています。(成長期にある十代の子供たちにとって)(完全絶食ではなくとも)「聖母が勧める」週1、2日連続の断食とか、毎日3時間の祈りの勧めが賢明であるかに疑問を差し挟むことも可能でしょう。そして、「按手」とか「霊の洗礼」などがしばしば行われることなどから見ると、メジュゴリエの功績とされる「聖成の急激な広まり」は、カトリック的であると言うより聖霊刷新運動的であると言えます。

疑いたくなるさらに大きな理由

メジュゴリエ現象には不従順、うそ、偽りの教えなど、さらに深刻な問題を含む特徴があり、それらは、聖母がかの地に御出現になっていないし、御出現なさったわけがないと考えられる根拠になっています。

不従順 — モスタル教区のザニッチ司教は、メジュゴリエ小教区で活動しているフランシスコ会の神父たちに何度か合法的指示をしていますが、彼らは不従順であり続けます。ある司祭たちにはその小教区から退去するように命じましたが、彼らは居残っています。司教は(自分の教会法的調査が完了するまで)それらのいわゆる出現を宣伝しないように、また巡礼が組織されたり、歓迎されたりすることのないように命じていますが、無視されたままです。しかし、それらの中で最もひどく、(わたしにとって)決定的なのは長上から処罰された2人のフランシスコ会司祭、プルシナ神父とヴェゴ神父のケースでしょう。これら2人はその後、会から追放されています。ザニッチ司教は彼らに小教区を離れるよう命令していました。「視幻者たち」にこのことを聞かれた「聖母」は、2回(1981年12月十9日と1982年1月20日)にわたって、司教は「間違っており」「フランシスコ会の神父たちは留まるべきである」と告げています。かくして「聖母」は、司教の正当な命令への不従順をそそのかしたことになります。

うそ — 熱狂的なメジュゴリエ信者がこれを聞いたら腹を立てるであろうことを、わたしは覚悟しています。しかし、幻視家のイヴァンとヴィッカ、ヴラシッチ神父の行動はそれ以外にどう表現したらいいのかわたしには分かりません。ヴィッカは「出来事を毎日記録していた」と言ったかと思うと(そしてそのかなりの部分を司教が任命した委員会からは隠していました)、次にはそれを否定しました。ヴラシッチ神父は、「ヴィッカの日記については何も知らない」と、こともあろうに司教の前で聖書に手をおいて誓ったというのに、(また以前、グラフェナウア神父にその日記の抜き書きを提供したにもかかわらず)偽証していますが、これも信じられないことです。「6番目の月に来る」はずの偉大な印について、教会法に従って委員会の前で若いイヴァンが書き、署名し、封筒に納められた「メッセージ」は、3年近く経って開封され、その「メッセージ」が無効であると分かった時点で、彼はそれを撤回しました。20歳になっていたイヴァンは、自分がそもそもその「メッセージ」を書いた時点で、「聖母」が反対していなかったことは認めていました。そして自分の「間違い」を認める1日前まで3年間も聖母の忠告を都合よく延ばしていたのです。紙面の関係でこのような不愉快で悲しいことについて、これ以上書くことができません。この件に関しては、特に主要な推進者であるローランタン、ブガロ、コー神父たちによる真実の隠蔽と偽りの推進に関してなら、一つの研究論文が書けてしまいます。

偽りの教え — 「聖母」によるとされる止めども知らぬメッセージには、厳密な意味で教理に関することは少ないのです。しかし教理的な間違いがたった一つでもあればどのような出現も信用に値しなくなります。しかしここでは二つの例を挙げましょう。両方とも1983年以来のものです。1月にミルジャナは、神様は唯一なのにカトリック、東方教会、回教徒の間に一致がないということで「マリア様」がどれほど悩んでおられるかヴラシッチ神父に告げています。「もしあなたがほかの宗教、回教とセルビア人の宗教(東方教会)を尊敬しなければあなたたちは信者ではありません。もしそれらを尊敬しなければあなたたちはキリスト信者ではありません」と。これは間違った教えです。わたしたちは信じない人たちを尊敬しなければなりませんが、彼らの間違った宗教を尊敬してはなりません。それはキリストとその教会に対する裏切り行為になります。ヴラシッチ神父でさえもこれには驚いてしまいましたが、彼が問い正すと、ミルジャナは「…宗教間には一致の欠如が見られます。お互いの宗教を尊敬しなければなりません」そして「自分たちと子供たちに自分の宗教はとっておきなさい」と続けました。超自然的メッセージの中に現れたこのフリーメーソン的シンクレティズムは場違いと言わざるを得ません。これは、それによって隣人を主キリストに導こうとする宣教的愛徳を排除してしまいます。

もう一つの例は1983年4月にあったメッセージです。「聖母」はこの汚れなき御心への奉献の祈りをヘレナに語り、書き取らせたことになっています。(ヘレナの年齢は10歳もしくは11歳、出現を見ることはないが、聞くことができる聖霊刷新運動に属する神秘家です。)これらの言葉は「聖母」が彼女に言われたことであることに注意してください。

一…すべての人を、あなたがイエズス・キリストを愛したのと同じ愛で愛することができる恵みをお与えください…

二…あなたに対して、わたしが慈悲深くある恵みをお与えください…

三…もし、たまたま、わたしがあなたの恩寵を失うことがあれば、どうぞそれをわたしに返してくださいますように…

すべての人を愛する…確かに神は、わたしたち皆がこの高さの愛徳に達することができるとはおっしゃいました。しかし、一番目の願いのように、すべての人をマリア様が(その神、王、救い主、子供である)イエズス様を愛したように愛することは、不可能であり、つまずきでさえあります。それはわたしたちの仲間である人間を神の位にまで引き上げることにさえなってしまいます。二番目の願いは、失礼はもちろん愚かしいとしか言えません。「聖寵満ち満てる」お方、天の元后にわたしたちの慈悲は必要でありません。三番目について言えば、少なくとも、恩寵はたまたま失われるものでなく、罪によってのみ失われるものです。この作文は全体的に見て、大したものではありません。「霊」がそれを書かせたとしても、それは聖霊ではありません。

わたしが疑いを持つそのほかの理由

メジュゴリエに厳しい判断を示す人たちなら、そのほかの疑わしい側面について延々と語ることができるでしょう。しかし、わたしはできるだけ大急ぎで、フランシスコ会と司教の間に起こった小教区割譲に関して、フランシスコ会司祭たちによるつまらない「聖母」の説明をしなければなりません。「視幻者たち」の「脱魂状態」を証明するために持ち込まれた(「霊的エネルギー」を測定するために「出現」の最中に発明された検電器を含む)もったいぶった似非科学、1981年8月に起きたとされる「太陽の奇跡」の間に実際にあったとされる証言のどうも疑わしい食い違い、「聖母」の口になるとされる止めどもないお告げのほとんどの感傷的凡庸さ、(例えば、哄笑、示現を見る子供と巡礼者たちが「聖母」に触っただの、なでただの、などの)いくつかの「出現」に伴う信じられないような野卑。そして、ザニッチ司教は「示現」が幻覚によると言うよりも、練習を重ねた劇のようではないか、という疑いを口にしています。以上のような意見はメジュゴリエ推進者を憤激させます。事実はその地に住むフランシスコ会の神父たちがこれらの若者たちに干渉していなければ、また、世界聖霊刷新運動も手を引いていたら、つまり、司教の命令にすべての人たちが従っていさえすれば、真正さの問題はとっくの昔に解決していたはずです。

過りの源は宣伝

 わたしが特に不十分であると判断するメジュゴリエの側面の一つに、ロンドンにあるメジュゴリエ・センターの出版物があります。例えば、彼らの入門リーフレットThe Facts about Medjugorje(メジュゴリエに関する事実)に、論争の対象となっている細々したことをすべて掲載するのは無理としても、少なくとも現在以上のバランスが望ましいと言えましょう。ザニッチ司教への公平さとか、ある人々による出現に関する猜疑心などは、そこに見られません。不従順、うそ、受け入れがたい教えの問題のような大事なことがらに関して、たとえそれを反駁するためであっても、全く触れようとしていないことには驚かされます。

以下にThe Facts about Medjugorjeが触れようとしなかった事実のいくつかを紹介しましょう。

— 教会法による司教区の調査委員会が(11対4で)出現を真正なものであると認めていないこと。

— ザニッチ司教がそれらの出現を真正でないとして退けたのは、(個人的資格でなく)司教区の責任者としてであったこと。(7月25日、司教がメジュゴリエでした説教を参照)。

— もしローマとユーゴスラヴィア司教団が、彼の教会法に則った調査を「棚上げにしてしまった」とすると、客観的立場から判断しようとする人たちにとって最も納得いく説明は、それがメジュゴリエ推進グループによる運動の膨大な影響力によるものであったということです。

— その地のフランシスコ会士たちによる「視幻者たち」のカウンセリングは、ほとんどすべてが聖霊刷新運動と結びついています。この運動は1968年以来カトリック教会を自分たちの植民地にしてしまおうと試みている、プロテスタントの一派「ペンテコスタリスト」による影響を受けています。リーフレットに引用される「指導的神学者」ローランタン、ウルス・フォン・バルタザル、ファリシーなども、1人残らず公然と聖霊刷新運動に属しています。リーフレットは「メジュゴリエを神からの貴重な贈り物として心から受け入れているほかの何人かのユーゴスラヴィアの司教たち」がいると主張しますが、思い当たるのはスプリットのフラニッチ大司教しかいません。初めは好意的であったザグレブのクハリッチ枢機卿も今は慎重な態度を取り始めたようです。なぜロンドンのメジュゴリエ・センターは、聖霊刷新運動とのこの深い関わりを隠すことが必要であると判断したのでしょうか? 

このリーフレットにあるその他二つの声明については説明を要します。「聖座は普通、判断を下す前に少なくとも出現が終わるまで待ちます」その通りですが…聖座は12年も続いて未だに止む気配のない出現に直面したことがあったでしょうか? これらの「出現」がひたすら終わる気配もなく続行することによって、ある程度、実際上の地位を確保するまで、決定的判断を引き延ばすより都合のいい方法がほかにあるでしょうか? 

第二に、(上記したように)そこでのメッセージがカトリックの教えと衝突しようがしまいが「教会がメジュゴリエを断罪するまで…司祭や示現を見る若者たちに教会の正当な権威を否定するようにそそのかしてでも、自分たちは好きなようにできる」というわけです。

とんでもない。わたしに言わせれば、あのリーフレットThe Facts about Medjugorjeは、全く一方的で勝手な主張であり、それ以上の情報を入手できない一般人を間違った道に引き込んでしまいます。こういうことは熱心な信心と不十分な調査の結果として勘弁しなくては、と思いたくもなります。そしてその通りであるよう神に願います。しかし、客観的に言って、大事な事柄であるというのに、それは真理のまがい物でしかないというのが事実です。ですからこういう物は撤回されるべきです。

教会への脅威

わたしの批判の厳しさに読者が驚くのも無理ありません。多くの読者にとって、メジュゴリエと言えばすなわち聖母、謙遜で希望に満ちた巡礼者、マリア信心と霊性の粋を思い起こさせるものでしかありません。しかしそのような読者に、わたしはもっと厳しく非難し、メジュゴリエの否定的側面をさらに立証することもできたことを保証します。しかし、上記はすでに、メジュゴリエの出来事が危険かつ非カトリック的なものであることを十分に示したでしょう。

メジュゴリエはその似非霊的生活を受け入れる者と、もっと厳しく、純粋な霊的生活を大事にするキリスト信者を分裂させます。フラニッチ大司教・ヤヌッチ司教に対してザニッチ司教が対立したように、司教たちの間に不和をもたらします。

メジュゴリエはマリア信心の価値を減じ、それを傷つけます。その結果、現代カトリシズムからその最も美しい霊的な花を摘み取ってしまいます。マリア様への真の信心が、どんな宗教でも良しとし、不従順をそそのかし、自分自身と悪魔の間に演じられるパントマイムの「変身シーン」さえもやってのけるあの止めどないおしゃべりの「聖母」によって損害を受けないと、だれが言えるでしょうか? 一世代前のカトリック信者であれば、このような愚かしさはチェスタートン式に笑い飛ばしてしまったことでしょう。しかし、ここ20年の間にわたしたちはそのようなユーモアのセンスを失ってしまったようです。

そして、メジュゴリエはマリア信心で、どのような平和と進歩のためにも基本的にはロシアと共産主義者の改心が前提条件になると主張するファチマのメッセージを弱めます。1981年6月26日以来メジュゴリエは軽薄に平和を語り続けます。そしてファチマの聖母の明白な勧めと、これらの勧めが聞き入れられない場合もたらされるであろう恐ろしい結果は全く無視しています。

そして、メジュゴリエはマリア信心の名の下に教会の権威を弱めます。所轄司教の正当な権威に抵抗し、また教区長への服従を拒否するフランシスコ会神父たちに味方するからです。このようなことが長く続けば、「もう一つの教導職」の始まりにもなりかねない、という議論も成り立つでしょう。つまり、もし「聖母」が毎日のように出現してわたしたちに天からの指示を与えるのであれば、わたしたちを導いてくれる教会の権威は弱まります。位階制度とか教導職は余り必要でなくなるということです…これではわたしたちの全司教と聖座自身が不必要ということでしょう。

ここで、わたしが言いたかったことは終わります。読者は、わたしがメジュゴリエの出現を批判するとき、わたしがその推進者と全く同じ権利でもって批判していることを思い起こして下さい。彼らもわたしも個人の資格で語っています。これらのケースではいつでもそうであり、ふさわしいように、わたしはここで教会の最終的判断をいかなる意味であっても先取りするものではありません。繰り返し、わたしは個人の資格で言いますが、ユーゴスラヴィア司教委員会とヴァチカンに保存され、教会がその時が来たと判断すれば、その時に書き直されるであろうザニッチ司教の委員会の答申の形で、その判断はもうすでに下されていると思います。

2 メジュゴリエの出来事に関する

ユーゴスラヴィア司教協議会の1987年公式発表

英語版オッセルヴァトーレ・ロマノ1987年2月23日の記事

以下はメジュゴリエの出来事に関して1987年1月ザグレブ教区教区報35ページに掲載された公式声明文の転載。署名しているのはユーゴスラヴィア司教協議会会長フランジョ・クハリッチ枢機卿、モスタル・ドゥヴノ教区のパヴァオ・ザニッチ司教。

申し立ての出現と私的啓示に関する判別については、法定基準に従って、その地の教区長であるモスタルの司教が、メジュゴリエの出来事に関して調査している。

調査中に、この出来事が当該教区外にも広く影響のあることが判明したので、既述の規範に基づき、そのために設けられた新しい機関によって司教協議会のレベルで、調査を続行することが適切であると思われる。

教理省にもこれは連絡済みである。教理省は当該教区教区長の責任の下に遂行された作業の労に感謝し、また全国司教協議会のレベルでその仕事の続行に励ましの言葉を贈った。

それで司教協議会は、メジュゴリエでの出来事を引き続いて調査するために委員会を設立中である。この委員会の調査結果と教会の判断を待つ間、牧者と信徒はこのような場合に求められる賢明な態度を取るべきである。

故に、メジュゴリエの出来事に帰せられる超自然的性格に動機付けられる巡礼、そのほかの表明行為を組織したりすることは許されない。

教会が勧める聖母に対する正当な信心は、教導職そして特に1974年2月2日の使徒的勧告マリアーリス・クルトゥス(AAS66、1974、113〜168ページ参照)の指示に従わなければならない。

3 メジュゴリエに関するモスタル教区司教の宣言

1987年7月15日

クロアチア語から英語への翻訳は、クロアチア出身の著者夫人マリジャとケンブリッジ大学でセルボ・クロアチア語を専攻した著者の子息アドリアン君の手によるもの。この日本語はその翻訳に頼った。

兄弟姉妹の皆さん、

わたしが今日、メジュゴリエで堅信の秘蹟を授けるこの機会に、おそらく皆さんは世界中で話題になっている当地での出来事について、わたしから何らかの言葉を期待していることでしょう。教会は、確かに、それらの出来事について関心を持たなければなりません。そして教会がこのように関心を持つときには、特定の個人とか委員会にその調査を依頼します。ご存じの通り、この時点で、この問題はユーゴスラヴィア司教協議会が任命した委員会によって調査中です。この慎重さの理由は、教会は、その信用を失わせ、批判しようと待ちかまえている20世紀現代社会の前で、軽々しくその信頼性を揺るがせることができないからです。教会はいつでも「見なさい。これこそがキリストですよ!」と言うことができなくてはなりません。

わたしは皆さんに保証します。わたしは6年間もこのために祈り、調査し、沈黙を守ってきました。ほかにも多くの人がわたしとともに祈ってくれました。心から感謝します。わたしが捧げたすべてのミサで、メジュゴリエの解決について祈らないことはありませんでした。毎日のロザリオでもわたしは主と聖霊に祈り、神である御父からの光を願いました。その結果、今までわたしが聞き、読み、経験したことについてある種のはっきりした確信を持てるようになりました。

ここメジュゴリエでは、たくさんの祈りと断食が捧げられています。その理由は、ここで起こる出来事がすべて本当に超自然のものである、という確信からです。しかし、神様、イエス様、マリア様に関してうそを教えることは、地獄の罰に値することにほかなりません。

わたしは仕事をしているときも、祈っているときも、調査しているときも、真理を見分けるということだけを念頭に置いていました。1982年以来、この目的でわたしは4人で構成される委員会を作り、それは後に、何人かの司教と修道会管区長の助けを得て、七つの司教区、四つの修道会管区に散在する九つの神学センターから召集された15人の委員会に発展しました。2人の指導的立場にある精神分析学者も加わって、相談に応じています。彼らは3年間にわたって調査しました。その調査結果とそれらの出来事については聖座にも報告されました。ユーゴスラヴィア司教協議会設立の委員会はこの問題に関して関心を持ち続けます。

しかし、待つことを好まない人たちは教会の判断に先立って、メジュゴリエでは奇跡と超自然的出来事が起こりつつあると発表してしまいました。祭壇から私的啓示について説教までなされていますが、これは教会がそれらの啓示の真正性を発表するまで許されないことです。そのために、権威ある立場にある方々は巡礼を禁止し、教会の判断を待つように指令しました。まず1984年3月24日、メジュゴリエ委員会がこのような指令を出しましたが、残念なことに無視されてしまいました。同年10月、司教協議会は公的巡礼団がメジュゴリエを訪問することを禁止しましたが、効果がありませんでした。その後、ローマの教理省も1985年1月9日、イタリア司教団に、組織された巡礼団の数とすべての種類の宣伝を減らすよう要請しましたが、これにも効果がありませんでした。最終的には、第二の委員会が結成されたとき、モスタル教区長フランジョ・クハリッチ枢機卿がユーゴスラヴィア司教協議会を代表して、1987年1月9日「メジュゴリエでの出来事に帰せられる超自然的性格によって動機付けられた巡礼、またそのほかの表明行為が組織されることを禁止する」と公に発表なさいました。この発表は教会の最高権威に由来するものですから、それに何らの意味もないかのように、無視することは許されません。

本教区での異常な出来事に関するニュースが発表されて以来、本司教区事務所ではそれらの報道を注意深く見守り、真実を発見するために必要なすべての資料を保存してきました。司教は幻視家と彼らに関わった修道者たちに干渉しなかったどころか、彼らを政治的攻撃とマスコミの攻撃から守りさえしました。わたしたちはすべての会話を録音し、記録とか日記、手紙、文書を収集しました。神学教授からなる委員会はこれらすべてを3年間にわたって調査しました。委員会の3年にわたる仕事の結論は以下の通りです。2人は出現が真実であり、超自然的出来事であることに賛成しました。1人は棄権。1人は初めには何かが起きたと思いました。11人は出現などは起きなかったし、超自然的なものは何もなかったと結論しました — non constat de supernaturalitate

わたしは、委員会の全メンバーが良心的に調査し、彼らが真実を探求するに当たって必要なことはすべて調べたと確信しています。教会はその信用を危うくすることができません。そして、しばしば似たようなケースで、これらに似た出来事を注意深く調べ、それらの出来事が超自然のものでない、ということがはっきりしているところに集まるグループを非難してきました。スペインのガラバンダル、イタリアのサン・ダミアノ、その他過去わずか数年間に起こった同様の場所のことを考えてみて下さい。ガラバンダルの示現を見る若者たちは、聖母が全世界のために大きな印を約束なさったと言っていました。しかしそんなものは何もありませんでした。25年経ったのに何も起きていません。もし聖母が印を残されたのなら、すべての人にそれが何であるか分かっているはずです。

聖母はクルニカ山のポトブルドゥに出現し始めたとも噂されました。警察が人々の巡礼を禁止したところ、聖母は人々の家、垣根の上、畑やブドウ園、タバコ畑に現れたと言われます。そのほかにも教会の中、祭壇の上、香部屋、楽廊、屋根の上、鐘楼の中、道路上で、チェルノへの路上で、車とバスの中で、学校で、モスタルとサラエヴォの数ヶ所で、ザグレブの修道院で、ヴァラズディンで、スイスとイタリアで、そしてまたパドブルドゥで、クリゼヴァクで、小教区の教会で、司祭館その他多くの場所で「出現しました」。これでもまだ出現が起こったとされる場所の半分にも達しません。ですから、聖母を尊敬し、かつ正気の人であれば「マリア様、いったいどうなっているのでしょうか?」と聞きたくもなります。

 神法によって、わたしはこの教区の牧者、信仰の教師、信仰に関することがらについての判定者です。メジュゴリエでの出来事が教会内に、つまり信じる人と信じない人たちの間での争いと分裂の原因になったので、また、教会の権威に従うことを拒否する人たちもいるので、また、上記の権威、委員会、司教委員会の会議等に効果がないので、神の前にこの教区内の規律について責任者であるモスタル教区長であるわたしが教会諸委員会等の決定を繰り返して確認し、さらに巡礼団には、司教協議会がその仕事を完全に終わる前にこの地に来ることによって、これらの出来事に超自然性を帰することを禁止します。

汚れなき乙女であり母、神の母、教会の母、あなたを捜し求め、あなたに祈り、あなたを慕う信徒の母に祈ります。あなたの僕、モスタル教区司教であるわたしはあなたに願います。また、全世界の前で、神があなたにお与えになったすべての特権に対する深く、常に変わらぬ信仰を宣言いたします。まさにそれらの特権のために、あなたはすべての被造物の中で最も優れた方でいらっしゃいます。全能の神の前で、この涙の谷にいるあなたの子らが必要とするすべてのことを願って下さるあなたの取りなしに対する深い、揺るぎのない信頼をごらん下さい。

わたしたち罪人に対するあなたの愛に対するわたしの深く、変わらぬ信頼をここに宣言します。あなたはこれまでの御出現、扶助によってご自分の愛を証して下さいました。わたし自身ルルドに巡礼団を率いてお参りしました。まさにその信仰の力によってモスタル司教であるあなたの僕わたしが、あなたによりすがる多くの人たちの前で、6年の調査の結果明瞭になってきたあなたの偉大な印を判別し、受け入れます。わたしにとって特別な印は必要でありません。しかしうそを信じる人たちにとっては印が必要でした。山の上に印が現れ、皆が見えるように永久的に留まるであろう、とだれかが予言していたとき、あなたがお与えになった印は、6年にわたる沈黙でした。「もうすぐだから待ちなさい。もう少しの忍耐だ」とある人たちは1981年から言い続けてきました。そして彼らはそれが汚れなき御宿りの祝日にあるだろうとか、クリスマスにあるだろうとか、新年にあるだろうとか言い続けてきました。

聖母マリア様、あなたの6年間の沈黙によって、あなたがここで語られたかどうか、ここに御出現になってメッセージをお与えになったか、秘密をお知らせになったか、または特別な印をお約束になったかを、わたしに教えて下さったことを感謝します。いとも聖なる御母、キリストの御母、わたしたちの御母、教会内のこの落ち着きのない地域であるモスタル教区内の平和のためにお取り次ぎ下さい。特に、あなたの聖なるお名前がメッセージと称して頻繁に唱えられたこの村、この小教区のためにお取り次ぎ下さい。いとも聖なる乙女であるマリア様、その償いとして、行き過ぎた熱狂と教会への不従順に走らない者たちの心からの祈りをお受け入れ下さい。わたしたち皆が真実に至るよう助けて下さい。愛すべき、謙遜で従順な神の乙女よ、メジュゴリエがしっかと地上の教会の牧者に従い、わたしたち皆が真理と愛の内にあなたを称え、あなたに感謝することができるようお助け下さい。アーメン。

モスタル司教 パヴァオ・ザニッチ

4 モスタル司教からデイヴィーズ夫人に宛てた手紙 (抜粋)

お便りありがとうございました。特に、メジュゴリエに関するわたしの声明を訳して下さって感謝しています。そしてこの混乱の源に関して正しい態度に終始して下さったことを感謝します。このままだと最後にはどうなるかわたしは心配です。教会は分裂しています。平和の元后の名において派閥が争っています。この誤謬とうその始まりに気づいたわたしの手元には、種々の理由のために公表することが不可能な莫大な資料があります。多額の資金が関わっています。ですから、メジュゴリエの宣伝に金が惜しまれることはありません。わたしの事務所にはメジュゴリエ関係の本が約50冊、数え切れないほどのカセットテープ、新聞、雑誌が多数あり、新しいものが毎日届けられます。しかし、これらの人たちにとってわたしの決定は快いものではありません。平均的カトリック信者であれば、まず「その地の教区長はこの件をどう判断するだろうか?」と自問するはずです。わたしの決定が多くの人たちの目を覚まさせたのは事実ですが、もちろん、ある人たちの熱狂振りは治療の施しようもなく、どのような議論も彼らには役立ちません。

フラニッチ大司教はわたしにとって頭痛の種でした。しかし、彼がメジュゴリエを支持したとしても、事実が変わるわけではありません。メジュゴリエ推進者たちがまず質問するのは「フラニッチ大司教が信じるのはなぜですか?」ということです。わたしとしてはユーゴスラヴィアには35人司教がいて、その中でメジュゴリエを信じるのは彼だけであるとしか答えようがありません。それでもそれは議論として成り立たないようです。これらの人にとっては、たった1人の大司教が信じれば、それで十分なのです。

本当に責任感の強い人であれば、だれ1人としてあえてこれらの出現を支持するはずがない、とわたしは確信しています。しかし、反対者たちの議論は強力ですから、わたしたちは決してだまされてはなりません。

5 アラバマでの示現

マイケル・デイヴィーズによる「ロンドン便り」の抜粋

The Remnant1989年3月31日号から

残念ながら以下は日付不明の切り抜きの抜粋です。それは最近メジュゴリエの示現を見ると称するマリジャ・パヴロヴィッチのアラバマ訪問記です。彼女はアラバマに53日間滞在しました。読者はその間彼女に示現があったのだろうか、知りたくなるはずです。パヴロヴィッチは見たと主張しています。何回でしょうか? 答えはもちろん53回! 1日1回です。彼女は大学病院に入院している弟に腎臓を提供するためバーミンガムに来ていました。これ自体は称賛に値することです。麻酔されて意識を失っている間に示現を受けた、と彼女は主張していますが、皆さんはどう思われますか? これは出現史の中でも珍記録ではないでしょうか?

彼女はその間テリー・コラフランチェスコ氏宅に滞在しました。彼はメジュゴリエを宣伝するために、自分が1986年に創立したカリタスと呼ばれる非営利財団のためにフル・タイムで働いています。「それ以来、彼のカントリー造園は休眠状態になっています」。コラフランチェスコ氏は自宅に隣接した364230平米の土地を6200万円で購入しています。その土地に一本の松の木があります。コラフランチェスコ氏は自宅からその松の木までを芝刈り機で切り開いて、小道を造りました。木の周りの芝も刈りました。木の下には十字架とマリア様の御絵を飾り、パヴロヴィッチに新たに購入した土地に生えているその木の下で示現を受けるよう要請し、彼女はそれに応じました。コラフランチェスコ氏が、何日も前からパヴロヴィッチの示現の時と場所の予告ができたのは、何とも不思議な話ではありませんか? ともかく、彼女はコラフランチェスコ氏が購入した土地に生えている松の木の下で示現を見ることに成功しました。何千人という巡礼者が今その土地を訪れるものですから、アラバマ州観光局は笑いが止まりません。シェルビー郡のシェリフ補佐ジーン・ハンビー氏は、おびただしい車の交通整理をしながらこう言ったものです。「こんなのはまだ序の口ですよ」。

パヴロヴィッチの通訳を務めるキリル・オーポイノー氏は、コラフランチェスコ氏がその土地で示現を見るよう彼女に要請したと証言しています。「テリーはその広場にあるあの松の木の下で彼女が示現を見ることを望んでいました。彼はそうなるよう祈っていたんです。それでわたしたちはマリジャにそう願ったんですよ。聖母が感謝祭の日に広場に来て下さるように、とね。聖母はそうしましょうとおっしゃったそうです」。

皆さん、どう思われますか? わたしは、たとえザニッチ司教の発言を聞いていなかったとしても、まともな知性の持ち主がメジュゴリエに関連する一切のことをいとも簡単に信じてしまうことに、呆れてしまいます。

6 マリジャ・パヴロヴィッチの矛盾

第7部でザニッチ司教が明らかにするように、マリジャ・パヴロヴィッチがうそつきであることには一点の疑いもありません。自称「視幻者」を操ってきた指導者トミスラフ・ヴラシッチ神父は、アグネス・ホイペルと称する謎めいたドイツ人女性の協力を得て、イタリアはパルマにおかしな共同体を設立しました。ここでは若い男女が共同生活をします。ザニッチ司教の言によれば、これは教会の歴史始まって以来初めての珍しい共同体です。フランシスコ会の同僚ヴェゴ神父と同様、ヴラシッチ神父も修道女を妊娠させていました。1977年の初めに子供が産まれたとき、彼はマダと称するその女性と結婚するために修道会を出ようとはせず、自分が子供の父親であることを秘密にするよう彼女に要求しました。彼女には、もし彼女がそのような要求に従ってくれたら、彼女はマリア様のようになり、神の祝福を受けるであろうことを保証したものです。当初、彼女はそれを真に受けていたのですが、後に自分が遺棄されたと感じ、真相をザニッチ司教に打ち明けてしまいました。ヴェゴ神父のときもそうでしたが、ローランタン神父はこれも隠そうとしたのです。言うまでもなく、示現を見る若者たちの霊的指導者が不道徳であることが暴露されると、彼らの信用が危険に陥る恐れがあったからです。ローランタン神父は、元フランシスコ会士で現在アメリカに住んでいるペハールという人物がその子供の父親である、とさえ主張したものです。

ヴラシッチ・ホイペル共同体の創立は、メジュゴリエ信奉者たちにとってもつまずきの原因になりました。ヴラシッチ神父は、もしその共同体が聖母の指示に従って設立されたと証明できれば、批判を鎮めることができるであろうと考えたのです。ということで、1988年4月21日、聖母は、計画通り、その共同体がマリジャ・パヴロヴィッチが明白に聞いた聖母の指示に従って設立されたものであると「啓示」したものです。しかし、同年7月、パヴロヴィッチが御聖体の前で、以前の声明はうそであり、ヴラシッチ・ホイペル共同体は聖母の指示で創立されなかったと発表し、メジュゴリエ信奉者たちは頭を抱えこんでしまったものです。アグネス・ホイペルへの嫉妬心がその原因にあったのかもしれません。ローランタン神父にとっても、パヴロヴィッチが少なくとも一度はうそをついたに違いないことをごまかすのは大仕事に違いないでしょう。1988年7月11日にあった撤回の文書は以下のようなものです。

 わたしは神、聖母、イエス・キリストの教会の前で以下の声明をする義務があります。

(1)「マリア年への招き」中にあるメッセージとわたしの署名がある供述書は、ヴラシッチ神父の質問に対してわたしが聖母から得たというものです。答えは「これは神の計画である」となっていたはずでした。つまり、わたしがヴラシッチ神父に渡したこの文面から、メジュゴリエ祈祷グループがイタリアで始めたこの事業と計画に対する聖母の確認と明白な同意があるということでした。

(2)今、わたしはトミスラフ・ヴラシッチ神父とアグネス・ホイペルが始めたこの事業の確認を聖母に願ったことは決してなかったと宣言します。わたしが積極的にこの事業に参加すべきかどうかは聖母にはっきり聞いていません。各自が自分の生き方を選択する自由があるべきであるという指示のほかに、このグループに関する指示を聖母から受けていません。

(3)わたしの署名のあるテキストと供述書から、トミスラフ・ヴラシッチ神父とアグネス・ホイペルの共同体と計画は、わたし自身とほかの人たちのために準備された神の道である、と聖母が言っているように見えます。しかし、わたしは決して聖母からこのような指示を受けたこともなく、それをヴラシッチ神父とかほかのどんな人にも渡したことがないことを、ここに繰り返します。

(4)クロアチア語とイタリア語で出版されたわたしの最初の供述は、事実と異なっています。わたし自身は書面で供述する意志はありませんでした。示現を見る若者として、わたしは世界が期待している供述書を書くべきである、とトミスラフ・ヴラシッチ神父が繰り返し言うものですからそれを書きました。

(5)それだけではありません。発表された手紙の内容とわたしが署名した事実には異議があります。当面の間、可能であるすべての質問に対して、以下の一つのことしか答えることができません。わたしはそれを神、聖母、イエス・キリストの教会の前で繰り返します。トミスラフ・ヴラシッチ神父とアグネス・ホイペルの事業に対してわたしを通じて聖母が確認したとか同意したとか思われるかも知れないすべてのことは、絶対に本当ではありません。また、わたしが自発的にあの供述書を書くことを望んだという考えも、同じく真実ではありません。

(6)わたしは神、聖母、イエス・キリストの教会の前で以下の声明を繰り返す道徳的義務があると感じます。7年間毎日示現を受けた後で、また聖母の最も親しいご親切と知恵を経験した後で、聖母がわたしに下さった忠告とわたしが個人的に彼女に聞いた質問に対する答えに照らして、神の計画とメジュゴリエで世界に送られる聖母のメッセージが、聖母が望まれた聖なる結果と過程として、トミスラフ・ヴラシッチ神父とアグネス・ホイペルによってイタリアで始められたこの事業と計画であるということは、受け入れがたいと、わたしは堂々と言うことができます。

しかし、わたしが毎日受ける示現は続いている、ということは付け加えなければなりません。

わたしはメジュゴリエの聖母の「事業」を推進しているすべての人たちに、この供述書を書き、御聖体の前で署名します。

マリジャ・パヴロヴィッチ

1988年7月11日

7 メジュゴリエの真実は?

モスタル教区司教 パヴァオ・ザニッチ  1990年

1 メジュゴリエの出来事に関する真実は、現在ユーゴスラヴィア司教協議会が任命した委員会が調査中です。その調査はなかなか進まないので、この声明が、同委員会ができるだけ早く結論を出す助けになることを希望します。メジュゴリエを肯定するプロパガンダは、教会と世界に既成事実を突きつけるために今大至急でなされています。どうやらこれらの人々の試みは成功しているように見えます。批判勢力は余りにも緩慢であるか、沈黙に徹し過ぎます。これらの理由のため、また真実が踏みにじられていると感じる人々の促しに励まされて、わたしは自分の義務と良心の命に従い、再度、声明を出すことにしました。この声明によって、わたしはメジュゴリエを推進する人たちの良心を目覚めさせることを望みます。彼らの進むべき道は簡単で、広々としており、一番下までずっと下り坂でさえあります。わたしが進む道は反対に茨の道で、上り坂でさえあります。教会と聖母はうそを必要としません。イエズスは「真理はあなたたちを自由にする」(ヨハネ8・32)、「わたしは道であり、真理であり、命である」(ヨハネ14・6)、「わたしは真理について証しをするために生まれ、そのためにこの世に来た」(ヨハネ18・37)と教えられます。メジュゴリエのうその数々を簡単に説明するだけでも、200ページはかかりますが、さしあたっては科学的に緻密な取り扱いは避けて、この簡単なまとめに留めておきます。時としてある声明にはわたしの名前が正面に出ていたりして、不安に感じますが、実は「出現」の初期から、わたしは司教としての地位と義務のためにそれらの出来事のただ中に置かれてきました。いくつかの「不愉快な出来事」にも言及しなければならないのは残念です。しかし、最も不愉快なことにはここで触れないでおきましょう。

2 特徴的態度 1989年8月、アトラス旅行社のマリナ・Bが、わたしの事務所にパナマの司祭テオフィロ・ロドリゲス神父を伴って来ました。パナマにあるルルドの聖母教会の主任司祭ということでした。IATAの総支配人カルメン・カプリレスとアヴェリーダ・アルベルト・ナヴァロという記者も同行していました。マリナは自分がガイド、通訳、メジュゴリエ信奉者であると自己紹介しました。神父は、なぜわたしが「御出現」を信じようとしないのかと質問しました。わたしが信じない理由なら少なくとも20ほどありますが、正気であり、公共要理に精通している者にとって、それらの出現が超自然のものでないと結論するためには、その中の一つだけでも十分であると答えました。彼はわたしに少なくとも一つの理由を教えてくれるように言いました。それでわたしは元フランシスコ会司祭イヴィカ・ヴェゴ神父について話しました。彼は不従順のために、教皇聖下の指示により、フランシスコ会から総長によって追放され、修道誓願からも解かれ、聖職執行も停止されました。彼はこの命令に従わず、ミサを捧げ、秘蹟の執行を続けました。暇なときは愛人と時を過ごしていたのです。こういうことを書くのは不愉快きわまりありませんが、聖母がだれについて語っているか知るためには、それも必要なのでしょう。ヴィッカの日記と「視幻者」の声明によると、聖母は13回も彼が潔白で、司教が間違っていると言われたそうです。彼の愛人シスター・レオポルドが妊娠したとき、2人ともメジュゴリエを去って、還俗し、メジュゴリエ近郊に住み始め、そこで子供が産まれました。今、彼らには2人子供がいます。彼が書いた祈祷書は今でもメジュゴリエで何百冊、何千冊と売られています。

わたしは以上を通訳するようマリナに要求しました。マリナが真実を隠そうとする共同体に捕らわれてしまっていたのは、当然だったのかも知れません。彼女はメジュゴリエの習慣通り「彼らにそんなことまで言わなければなりませんか?」と答えたので、わたしは「もし彼女たちがそんなことを隠そうとしなければ、パナマからの客人たちはメジュゴリエなどに来なくて済んだであろうに!」と答えたものです。これがどれほどみにくいものであっても、この真実を隠すことは罪であり、不正です。これは公表する必要があります。

3 マリア神学専門家であるルネ・ローランタン神父の行動パターンもこれに似ています。1983年のクリスマス前後、面会に来た彼を夕食に招待すると、彼はわたしがなぜ出現を信じないのか聞いたものです。それでわたしは、ヴィッカの日記とほかの「視幻者たち」によると、この「聖母」は司教を非難しているからである、と答えました。ローランタン神父は早速「そういうことを発表しないで下さい。巡礼がたくさん来ており、多くの改心もあるからです」とわたしに願いました。この有名なマリア神学の専門家がこういうことを言うのを聞いて、わたしは呆れてしまいました。不幸なことに、真理を隠すのはローランタン神父の立場であり続けました。彼にはメジュゴリエに関する10冊ほどの著書がありますが、真理と司教はそこで常に攻撃の対象になっています。彼は人々が聞きたがっていることが何であるかはよく心得ています。であれば、自分を信じる人たちを見つけだすのは比較的簡単であったはずです。人は「真理から耳を背け、作り話の方にそれて行くようになります」(2ティモテ4・4)。ローランタン神父に守られた「視幻者たち」とメジュゴリエ信奉者たちは最初から共産主義国家内に住む現代のカトリック信者は「奇跡的な」こと、一見奇跡的に見える癒し、「聖母」からのメッセージであれば、何でも簡単に信じてしまうことを理解していました。

4 メジュゴリエを牛耳っている主な登場人物はF・フラニッチ大司教、R・ローランタン神父、フランシスコ会員L・ルプチック神父、イエズス会員アモース・ラストレッリ神父、その他何人かのフランシスコ会士、世界中から集まって来る聖霊刷新運動にかかわる人たちです。数多くの本、記事、パンフレット、映画やヴィデオ、土産物等も速やかに出回りました。旅行社主催の巡礼も盛んになり、フランシスコ会から放逐されたヴェゴ神父とプルシナ神父が書いた祈祷書は、多くの外国語にも訳され、60万部も出回っています。いわゆる聖母のメッセージに霊感を得た熱狂的な祈祷グループも一役買っています。しかし何と言っても最大の要因は金です。「御出現」に少しでも疑いをもたらすようなものにはだれも触れようとしません。司教は折りある毎に警告を発してきました。しかし、その「メカニズム」はもう止めようもありませんでした。まずは50の奇跡的治癒が報告されましたが、その数はすぐ150、200、300と上昇しました。ローランタン神父はその中から56件の書類をルルド医務局に送りました。そこに勤務するマンジャパン博士は1986年の報告書中に、これらの書類が無価値であり、メジュゴリエの出現を証明するに足る証拠にならないと書いています。ディアンヌ・バジルの癒しについてもいろいろ書き立てられています。わたしがその書類をマンジャパン博士に送ったところ、返事は「留保意見よりはまし」というものでした。彼女の場合は多発性硬化症でしたが、これについては別に書くことにしましょう。

5 「視幻者たち」の信用度 ミルジャナ・ドゥラヴィセヴィッチ — 「御出現」が始まってから1月後、わたしは「視幻者たち」を尋問するためメジュゴリエに出張し、各人に十字架上に手を置いて、真実を話すことを誓わせました。(この誓いの言葉と会話はすべて録音されてあります。)まずはミルジャナの番でした。「わたしたちは羊を見つけに行きました。するとすぐに…」(小教区の助任司祭がここで中断し、彼らが、実際には、両親に隠れてタバコ吸いに行ったと教えてくれました)。「ミルジャナ、あんたは真実を話すと誓ったばかりではないのかね? 本当に羊を探しに行ったのかね?」彼女はあわてて手で口を覆いました。「ごめんなさい。わたしたちはタバコ吸いに行きました」。その後、彼女は「奇跡」が起こったと称する腕時計を見せてくれました。その針がぐるぐる動き始めたというのです。わたしがその時計を時計屋に持って行くと、彼はそれが地面に落ちたために故障しているだけであると教えてくれました。わたしは時計を彼女に返し、奇跡が起きたなどと言わないように命じました。しかし、別の機会に録音された記録を聞いてみると「彼女は時計に奇跡が起きた」とか「初めはいなくなった羊を探しに行っていた」などとしゃべっています。

その後、彼女は聖母がすべての宗教は同じであると言われた、と主張しています。 ミルジャナにはどの程度の信用性があるというのでしょうか?

6 ヴィッカ・イヴァンコヴィッチ は当初から主要な役割を果たしています。彼女を通じて、メジュゴリエの演出者であるフランシスコ会士トミスラフ・ヴラシッチ神父が、メジュゴリエに関するうその大部分を世に送り出し始めたのです。彼は1984年5月13日、教皇に以下の手紙を送っています。「わたしは御摂理によってメジュゴリエに住む『示現を見る若者たち』の霊的指導司祭トミスラフ・ヴラシッチでございます」彼の過去が余りにも多くの罪を物語っているので、彼は砂漠にでも行って身を隠し、沈黙していた方が良かったのにと思います。ヴィッカは多くを話し、かつ書いたために、自己矛盾に陥ってしまいました。第1回の委員会に属していたニコラ・ブラット教授は、彼女を尋問し、60ページに及ぶ調書を作成しました。彼は彼女の日記に現れるつじつまの合わない箇所とうそを列記しています。ここでは血まみれのハンカチの話だけに触れることにしましょう。全身血だらけになっている男に出会ったあるタクシー運転手の話が出回ったものです。この男は運転手に血まみれのハンカチを渡し「これを川に投げ入れるように」命じました。運転手がもうしばらく行くと、今度は黒い服を着た女性が現れ、彼女にハンカチを渡すよう要求しました。それで彼が自分のハンカチを渡すと「それでなく、血が付いた方を渡しなさい」と言ったのでそうすると、彼女は次のように言いました。「もし、それを川に投げ入れたりしたら、もう世の終わりが来たはずです」 ヴィッカ・イヴァンコヴィッチは日記に以下のように書き記しています。彼らは、これが本当かどうか聖母に聞いてみると、そうであると答えたと言うのです。それだけではありません。「血だらけの男はわたしの息子イエスであり、わたし(聖母)は黒い服を着ていたその女でした」。

こんなものは神学ではありません。1枚のハンカチが川に落ちただけでイエスはこの世を滅ぼしたいのでしょうか? そして聖母がその世の終わりからわたしたちを助けて下さったというのでしょうか?

7 1982年1月14日、ヴィッカ、マリジャ、まだ幼かったジャコヴがわたしを訪れました。ヴィッカはうそをついていたので、かなり神経質そうに話し始めました。彼女は「わたしたちをあなたに送られたのはマリア様です。司教様はフランシスコ会士たちに厳し過ぎます」「どんな意味で厳しいんですか?」「知りません」新しく建てられたモスタルの司教座聖堂小教区の信徒の間に無秩序をもたらし、不従順であったために司教が退去させたかったモスタルのフランシスコ会士2名、イヴィカ・ヴェゴとイヴァン・プルシナ神父は、長上の前で自分たちを弁護して、聖母がヴィッカを通じて退去しないように言われたので、そこに留まると言っていたのです。これはフランシスコ会管区評議会の1員である彼らの同僚からわたしが聞いたことです。わたしはヴィッカに聞いてみました。「マリア様はモスタルのヴェゴ神父とプルシナ神父について何か言われたかね?」「いいえ、何も。わたしたちはその神父たちを知りません」3人はこう答えました。わたしたちの会話は30分ほど続き、その内容は録音されています。わたしはモスタルのチャプレンの問題を何度か口にしてみましたが、そのたびに彼らは「知りません」と答えました。後にヴィッカの日記を読んで、彼らがチャプレンたちのことをよく知っていることをを発見しました。彼らがうそをついているのは明らかでしたが、わたしはその会話中に彼らが自信を失ってはいけないと思い、そのことは言わずにおきました。

8 1982年4月4日、ヴィッカとジャコヴが会いに来ました。「…聖母から送られて来た」モスタルのチャプレンであったヴェゴ神父とプルシナ神父は、その年の1月、会の長上たちの決定によりフランシスコ会から放逐されていました。多くの支持者たちと「聖母」は放逐されたチャプレンたちを擁護しました。ヴィッカは興奮して話し始めました。

「わたしたちがこの前来たとき、わたしたちが全部を正直に話さなかったので、わたしたちはマリア様に叱られてしまいました。話すことがたくさんあり過ぎて忘れていたの…」

「何を忘れていたのかね?」

「聖母がヴェゴ神父とプルシナ神父は司祭だからほかの司祭たちと同じようにミサができるように、司教様に言いなさいって」

「ちょっと待って。マリア様がそうおっしゃったのはこの前わたしたちが会った前のことかね?」

「そうなんです。だからマリア様はわたしたちを送られたのです。この前はほかにたくさんのことを話したので、わたしはそれを忘れていました」

前に会ったときわたしは彼女に直接しかも何度も、2人のチャプレンについて聖母が何か言われたか聞いていました。ヴィッカがうそをついているのは明らかで、わたしにとってこれが彼女を信用しない決め手になりました。マリジャとジャコヴもこのうそに関わっていたのです。

9 1983年1月の終わりにかけて、メジュゴリエでの現象を調査するために当地を訪れていたイエズス会のグラフェナウア神父がわたしに面会を求めました。彼は20本のカセットを聴いた後で、聖母の出現がないことが分かったので、メジュゴリエには行かないと言ったものです。しかし、わたしの主張に従って、結局は行くことにしました。何日か後、彼はヴラシッチ神父の「改宗者」になって、わたしの前に現れました。彼は書類を一抱え持ち帰って来ており、それをテーブルの上にドサッと投げ出し、こう言ったものです。「これが聖母からあなたへのメッセージです」これは聖母の助けを得て司教を追い出してしまおうという陰謀である、とわたしは理解しました。彼が持ち帰った書類はヴィッカの日記、小教区の記録、何枚かの手書きの記録を編集したものでした。そのために、それらが始めどこに書かれてあったかを特定することは困難です。ヴィッカとメジュゴリエを弁護していた人たちは、1年以上、これを司教からは隠していたのでした。以下にその一部を引用しましょう。

1981年12月19日。「聖母はヘルツェゴヴィナでのごたごたは司教の責任であると言われました。またイヴィカ・ヴェゴ神父は悪くないともおっしゃいました。それなのに司教には全権があります。聖母は彼(ヴェゴ)がモスタルに留まり、どこにも行くべきではないと言われます」。

1982年1月3日。「視幻者たち」は全員集合して聖母にイヴィカ・ヴェゴ神父のことを尋ねてみました。聖母は「イヴィカは潔白です。もし彼らが彼をフランシスコ会から追放するようなことがあっても、彼は勇気を保つように…イヴィカは潔白です」と言われました。そして同じことを3回繰り返されました。

1982年1月11日。わたしたちはまたモスタルの2人のチャプレンについて聞いてみましたら、聖母は以前に言われたことを2度繰り返されました。注意・1982年1月14日、ヴィッカは司教館で司教に会って、自分はヴェゴ神父を知らないと言っていました。

1982年1月20日。子供たちはフランシスコ会から放逐されたイヴィカ・ヴェゴ神父とイヴァン・プルシナ神父がこれからどうするのか、聖母に聞いてみました。「彼らは潔白です。司教は彼らに厳し過ぎました。彼らは留まることができます」と聖母は答えられました。

1982年4月15日。ヴィッカは聖母に質問してみました。「お願いですからイヴィカ・ヴェゴ神父とイヴァン・プルシナ神父についてすべて教えて下さい」。聖母はほほえまれた後で「彼らは潔白です」と言われ、その後2度も「司教は間違いました…彼らはモスタルに滞在し続けることができます…彼らは時々ならミサも捧げることができます。しかし、ほとぼりが冷めるまで注意して、人目に触れないようにしなければなりません。彼らには何の落ち度もありません」と言われました。

1982年4月16日。昨日、わたしたちが聖母と一緒にいたとき、わたしたちは彼ら(ヴェゴとプルシナ)のために主祷文を1回だけ唱えていいか聞いてみました。すると聖母はすぐに「いいですとも」とお答えになり、ご自分も一緒にそれを唱えられました。わたしたちがその祈りを唱え終わったとき、聖母はほほえまれ、わたしに向かって「あの2人のことをいつでも考えているのね?」と言われ、わたしは「その通りです」と答えました。

1982年4月26日。聖母の言葉「司教の心には神に対する本物の愛がありません。司教に関して、イヴィカとイヴァンには落ち着いているように言いなさい。司教がしていることは神の意志に反します。それなのに彼は好きなことをすることができます。しかしそのうちに、あなたが見たこともないような天罰が下ります」。

10 ヴィッカは、聖母がこれらのことを言われたこと、およびこれらを日記に書いたことを一度も否定したことがありませんでした。これが真実であり、本当であることは、グラーフェナウエ神父が、ヴィッカとマリジャと話したとき録音したカセットテープを聞けば分かります。彼はメジュゴリエ小教区、司教、司教協議会のためにこれらの録音のコピーを残してくれました。以下がその一部です。

ヴィッカとの会話

グラーフェナウア神父 司教はそれが聖母であるかどうか判断する義務があります。

ヴィッカ 司教様はご自分が好きなように判断できます。しかし、あれはマリア様よ。

グラーフェナウア神父 教会は余りにも自信がある人たちは聖母を本当は見ていないと思うのですよ。

ヴィッカ 疑いたい人は疑えばいいのよ。わたしには自信があるわ。  

グラーフェナウア神父 それはよくない…あんたはいつか司教に教皇様よりもマリア様の命令に従わなければいけないと言ったね?

ヴィッカ はい。

グラーフェナウア神父 それは司教が教皇様よりあなたに従わなければいけないということだね?

ヴィッカ いいえ、わたしにではないわ。

グラーフェナウア神父 しかし、司教様にはこの現象が何であるか分かりません。もしかするとそれは聖母ではないかも知れないよ。

ヴィッカ だって、それはマリア様よ。

グラーフェナウア神父 あなたは司教様に、彼が間違っているのであって、あの2人(ヴェゴとプルシナ)は潔白で、司祭の勤めを続けられるって言ったよね?

ヴィッカ はい。

グラーフェナウア神父 彼らは告白も聞くことができるのかね? マリア様はこのことについて何か言っていたのかね?

ヴィッカ はい。

グラーフェナウア神父  もしマリア様がいいと言っていて、教皇様がだめと言ったら…

ヴィッカ 教皇様は何でも好きなことを言えるわよ。わたしは聞いたとおりのことを言ってるんだから。

グラーフェナウア神父 分かるかね? まさにそれによってこれがマリア様なんかでないことが分かるのだよ…教皇様がだめだとおっしゃったら、彼らはミサも捧げられないし、告白も聞くことができない。それなのにマリア様は彼らにそれができるとおっしゃる。それはあり得ない!

ヴィッカ わたしには何が正しいか分かるわよ。

グラーフェナウア神父 そんなことはない。それが聖母のお言葉でないことは火の中にわたしの手を突っ込むことになっても証言できるんだよ。ある人にほかの人より能力があるとき、悪魔はそういう人をもっと強力にたぶらかそうとするんだよ。

聖母のへりくだりはこうまでなければならないものでしょうか? 以上から分かるのは彼女は教会への従順、司教とフランシスコ会の長上への従順、そして教皇への従順をないがしろにしているというのです。それまでして彼女はヴェゴ神父をかばっています。

11 チェルノでの出現 チェルノはメジュゴリエからそれほど遠くない村です。メジュゴリエの出現が始まってから八日後、チェルノの近くにも「御出現」がありました。「視幻者たち」はその夜、当時メジュゴリエの主任神父であったジョゾ・ゾフコ神父にこの出来事を報告しました。

彼らは、聖母が後3回、つまり7月1、2、3日にも出現すると、4回か5回繰り返されたと報告しました。これも録音され、フランシスコ会のイヴォ・シヴリック神父によって発表されました。カセットはコピーされ、何年か後、ジャンコ・ブバロ神父は本を出版しました。そのタイトルはA Thousand Meetings with Our Lady(わたしは聖母と1000回も出会った)。これはヴィッカとの会話の本です。ヴィッカはこの件について沈黙を守っています。ですからブバロ神父は、聖母が本当に「3回だけ」と言われたのか聞いてみました。ヴィッカは覚えていないと答えたそうです。

ヴィッカがうそをついていること、ヴィッカが言っていることは聖母が言ったことでないのは明白です。ヴィッカのこれらの話は作り話でしかありません。こういうことは公表せずにいていいものでしょうか? (聖母についてうそをつくことのような)悪はたとえそれが(巡礼、祈り、そのほかのような)よい目的のためであったとしても許されません。

12 「視幻者」マリジャ・パヴロヴィッチ以下はグラーフェナウエ神父とマリジャの会話を録音したものです。

グラーフェナウア神父 聖母は司教が悪いと言いましたか?

マリジャ はい。

グラーフェナウア神父 マリア様はヴェゴとプルシナ神父は悪くないと言ったのですね?

マリジャ そうです。

グラーフェナウア神父 聖母が、司教が悪いと言われたとすれば、これはすぐに疑わしくなり、わたしたちは…マリア様が語っておられるのではないと結論付けてしまうんだよ。示現を見た子供たちは明らかに…司教が悪いという話を広めているんだろうね?

マリジャ だってマリア様がそう言ったんだもの。

グラーフェナウア神父 これがヘルツェゴヴィナの反乱の原因になっているんだな。みんな司教に腹を立てて、悪口を言っているんだろうね? 聖母ならそんなことをするわけがない。教会はマリア様が決してそんな…ことをしないと承知しているんだよ。

マリジャ だってマリア様はそう言ったのよ。

F・フラニッチ大司教、ローランタン神父、そのほか大勢の人たちはこれらのことをすべて知っているのに、黙っています。「視幻者たち」の証言を通じてなされた聖母の声明によると、法に従って教会を通じ、キリストから自分の義務を受けた彼らの教師、牧者、ザニッチ司教の心に神の愛がないとか、世界中に彼が罪人であるとか、彼が回心すべきであるとか、そのためにメジュゴリエで祈りが捧げられるようにとか、これらはいったいどのような神学なのでしょうか? 司教が信じて、メジュゴリエの出来事に好意ある行動を取るようにイエス自身が祈るであろうというメッセージさえありました。司教が聖母の審判を待つべきである、と主張するなど愚かしい限りです。これは教会の母である聖母に対する背きです。わたしが罪人であることは神もご存じで、聖母もそのためにわたしを非難おできになります。しかし裁くのは神だけです。わたしの司教として果たした責務のために、わたしが聖座から警告とか叱責を受けたりしたことはありません。

13 メジュゴリエの創造者であるトミスラフ・ヴラシッチ神父は、1988年3月25日、ミラノでA Calling in the Marian Year(マリア年の招き)というタイトルの17ページの小冊子を発行しました。多くの外国語訳も同時に発行されています。それは若い男女がイタリアのパルマで共同生活をする祈祷グループに関するものです。教会の歴史を見ても、こういうグループは存在したことがありません。彼らこそが世界を救う者になるというものです。聖母が、ヴラシッチ神父と(メジュゴリエで癒されたと称するドイツ人女性)アグネス・ホイペルに、ヴラシッチ神父によると、ちょうど聖フランシスコと聖クララのように、一緒にこの共同体を設立指導する霊感を与えられたというのです。ヴラシッチ神父はマリジャに、以上に付け加えるべき3ページの紙面に「彼女の証言」を書くよう求めたのでした。彼女はこの共同体のメンバーです。1988年4月21日、彼女は「" sento il besogno..." わたしは必要を感じています…お分かりのように、聖母は『平和の元后』共同体に会則をお与えになりました。ヴラシッチ神父が指導者になり、アグネスは共同体に聖母のメッセージを告げます。わたしはこの共同体内に1月半住んでいます。わたしには示現があり、聖母はこの共同体の基礎である苦しみの玄義の中にわたしを導いて下さいます。わたしはすべてを書き留め、聖母がお望みのときにそれを出版しなければなりません。わたしは聖母がメジュゴリエ小教区でマリアを通じて神が始められた計画を理解するようになりました」と書いています。ヴラシッチ神父のこの小冊子15〜16ページに以上は収録されています。メジュゴリエ信奉者たちはすぐに、若い男女が寝食をともにして、働き、祈るこの共同体が最後には自分たちの共同体とメジュゴリエを滅亡させてしまうであろうことに気づきました。それで、彼らは自分たちの管区長であったジョゾ・ヴァシルジュ神父をパルマに派遣し、彼はパルマ教区のB・コッチ司教とT・ヴラシッチ神父を伴ってローマの聖省に赴いたのです。そこで彼らは教会がこのような共同体の存在を許可することができないと言われ、T・ヴラシッチ神父は共同体を解散して、ヘルツェゴヴィナに帰るよう命じられました。ヴラシッチ神父はその命令にすぐには応じませんでしたが、後には帰っています。以上、この共同体についてわたしはジョゾ・ヴァシルジュ神父から報告を受けました。

14 マリジャ・パヴロヴィッチは、1988年7月11日、もう一つの公的宣言をしました。1988年4月21日と同じく、それは前回と同じく(パラグラフ13参照)紙切れ1枚という形で頒布されました。この声明で彼女は、聖母がパルマのヴラシッチ・ホイペル共同体に与えたとされる認可を撤回しました。彼女は自分がヴラシッチ神父に真実とは異なるその声明を書くよう強要されたと説明しています。(この声明の全文は第六部にあります。)

15 マリジャは初めの声明を出したこと自体は否定していません。ヴラシッチ神父は彼女に繰り返し声明を出すよう強要していますが、これは明らかに彼が「視幻者たち」を操作していることになります。ですからわたしたちは、第1回目も第2回目もマリジャが知りつつうそをついていたと結論できます。彼女はうそをつき、それを聖母のせいにします。彼女(マリジャ)がヴラシッチ神父に利用されていることは明らかです。これはずっと以前から分かっていました。しかし、これを証明する物的証拠が今まではなかったのです。ヴラシッチ神父はほかのすべての「視幻者たち」も同じように操作しています。このように操作されたマリジャは、ある祈祷集会で司教のことを口にしたとき聖母が涙を流すのを見ました。「聖母の目から涙がたくさん流れました。涙はそのお顔を流れ落ちて、足下の雲の中に消えていきました。聖母は涙を流し始め、泣きながら天に昇られました」(1984年8月22日)。これなどは明らかに司教を怖がらせようとしたヴラシッチ神父の作り話です。

メジュゴリエ信奉者たちはマリジャのこれら二つの声明を発表しないのでしょうか? メジュゴリエには多くの回心があるので、これらの「都合の悪い」ことはこの世から隠しておかねばならないのでしょうか? ローランタン神父はその著書" Derniere Nouvelles 3" (最新ニュース3)の27ページに、ある司教様がマリジャに自分のある司祭のためにマリア様からのメッセージを願ってくれるように頼んだところ、「聖母は、彼らがローランタン神父の本を読んで、それが売れるようにしなさい」とおっしゃった、と書いています。

 自分のうそを聖母のせいにすることは大きな罪です。世間がこんなことを知ったら、だれが彼らを信用するでしょうか? 彼らはすでに信用を失っています。この物的証拠をだれも消滅させることはできません。それは人の口を経てこの世に広まるでしょう。それでもこのような証拠を無視するような人たちがたくさんいることをわたしは知っています。彼らはメジュゴリエの出来事を非理性的に受け取ります。感情と自分の利益を優先させるのです。彼らは盲目です。しかし、これらの犯罪的文書は教会史とマリア神学の一部として残ることになるのでしょう。

16 「示現を見る」イヴァン・ドゥラギセヴィッチ ヴィッカは日記の中で「偉大な印」について13回、小教区の記録では14回、録音によると52回、また司教との話の中でもしばしば触れています。1982年の春、わたしはこの「視幻者」に、その「秘密」を公にしないからこの印について知っていることをすべて書いてくれるよう依頼しました。わたしが彼らに示唆した方法は、書かれた情報をコピーし、正本は封筒に入れて司教に渡し、コピーは自分たちが保管するということでした。その「印」が起きたときに、わたしたちはそれを開封して、「印」が本当に予言されていたかを確かめようというものでした。当時メジュゴリエの主任司祭であったトミスラフ・ヴラシッチ神父は、だれから言われても、聖母が何も書かないように言われた、と言うよう「視幻者たち」に命じました。イヴァン・ドゥラギセヴィッチは、ボスニアにあるヴィソコのフランシスコ会小神学校に在籍していました。ですから、彼はこの指示について何も知りませんでした。初めの委員会に属する2人のメンバー、M・ゾヴキッチ博士とZ・プルジッチ博士(現在ドゥブロヴニック司教)がヴィソコに行って、イヴァンに会いました。

彼らは、質問をタイプした緑がかった紙をイヴァンに渡し、彼は2人の訪問者の前で無言のまま、恐れる様子もなく「印」の内容と日付を書き、署名しました。何年か後、ローランタンはイヴァンが彼に個人的に、自分が何も書かなかった、そして委員会のあの2人をだました、と言ったと書いています。1985年3月7日、3人の委員がイヴァンのところに行き、ローランタンが書いたことが事実であるか聞きました。イヴァンはそれが本当であると言い、司教事務所にある封筒を開封して、中身を見ればそこはは真っ白い紙だけしかないだろうと言いました。それで彼らはちょうど委員会が行われるモスタルに帰ってきて、全委員の前でその封筒を開けてみました。封筒の中には緑がかった紙があり、「印」の内容が書かれてありました。「聖母は一つの印を残すと言われました。この印の内容をわたしはあなたたちに打ち明けます。その印はわたしの出現を記念して、わたしの姿に似せた大聖堂ができるであろうということです。その印は6月に起きます。    

1982年5月9日

視幻者イヴァン・ドゥラギセヴィッチ」

このうそを聞いた後で、一番目の委員会は一切の作業を止めてしまうことを望みましたが、結局、彼らの仕事は続けられることになりました。その後何日も経たない内に、フランシスコ会のスラヴコ・バルバリッチ神父はイヴァンも含めた「視幻者たち」をどこかに連れていき、何と、彼らにイヴァンがその印を発表しなかったという宣言を書くように指示したものです!

イヴァンは司教に聖母からのメッセージを送りました。1984年4月24日、聖母は司教に関して以下をおっしゃいました。「わたしの子イエスは、司教が信じ、メジュゴリエに関してもっと好意的行動を取るように彼のために祈っています。わたしの子が地上に再来するとすれば、司教は信じるというのでしょうか?」。

委員会について聖母は以下のようにおっしゃいます。「祈りなさい。祈りなさい。祈りなさい。わたしが与えたメッセージについてよく考え、それを生きなさい。そうすればなぜわたしがここに来るかが分かるでしょう」。

メジュゴリエにて

イヴァン・ドゥラギセヴィッチ

17 「遅くならないうちにメジュゴリエの出来事に関しては回心するよう、司教に言いなさい。彼がこれらの出来事を大きな愛、理解、重大な責任をもって受け入れますように。わたしは彼が、司祭同士の争いの原因になること、彼らの反対の態度を宣伝することを望みません。教皇様はすべての司教たちに、それぞれの教区で一定の義務を果たす責務をお与えになっています。その中にはヘルツェゴヴィナの小教区も含まれます。そのためにわたしは彼がこれらの出来事に関して態度を変えることを望みます。わたしは再度警告を送ります。わたしの望みが実現しなければ、司教はわたしとわたしの子の裁きを受けなければなりません。つまり、彼はわたしの子イエズスへの道をいまだに見つけていないということです」。聖母はあなたにこのメッセージを伝えるようにとおっしゃいました。

 よろしく

ビジャコヴィッチ

1983年6月21日

トミスラフ・ヴラシッチ神父がこの文書をわたしに持って来てくれました。これはおそらく、彼自身が気分の高まりのままに書いたものでしょう。

18 イヴァンは2年ほどの間、御出現に関する自分の日記を保存していました。これはヴィッカそのほかの若者の日記と同様、公にされていません。これらは出来事の原点です。しかし、それらは子供っぽい発言とか、明かなうそ、馬鹿馬鹿しさに満ちています。それらはまさに「視幻者たち」が聖母を見ていず、メッセージも受けてない何よりの証拠にほかなりません。これらのメッセージはだれかが書いた後で署名するためにイヴァンに渡されました。グラフェナウア神父がヴィッカの日記の抜き書きをわたしにもたらした後で、わたしはヴィッカにその日記を持ってくるように命じました。1983年5月7日、ヴィッカは「わたしの日記の抜き書きが頒布されていると聞きました…」と書き送ってきました。これはとても重要な点で、後に委員会は、その日記がヴィッカ自身によって書かれたか、もしくは、彼女がそれを自分のものであると認めたことを決定的に証明する証拠であると考えるようになりました。後に、ヴラシッチ神父も同じ結論に達しました。彼は委員会とわたしの前でヴィッカがあの手紙を書いたのではなく、あるフランシスコ会士(おそらくヴラシッチ自身)が書いて、彼女が署名したことを認めました。操作があったことを示す数多い類似の証拠はほかにも多数あります。しかし、これはその中でも最もはっきりしています。

19 秘密の数々と秘密性 — 「御出現」の初めから、彼らの発言の不整合性の発覚を防止するために、「視幻者たち」は明らかに自分たち一人一人が「聖母」から異なるメッセージを受け取っている、と主張するよう指示されていたことは確かです。「秘密」が作り出されたとき、それぞれがだれにも言ってはいけない自分たちの(60にもなる)秘密を持つことになっていました。ミルジャナとイヴァンカは聖母から手紙を受け取り、それはだれに見せることも禁止されていました。初めの内は脱魂状態などなく、群衆を避けるようなこともありませんでした。彼らは自分たちが相談を受けたことを認めました。彼らは「聖母」に「偉大な印」の内容を紙に書いて、封筒に入れて封をしておいていいか聞いてみました。「聖母」はそれを禁じました。しかし、イヴァンは印を書き留めておき、後に彼は「聖母」がそんなことをした自分を叱らなかったと言っています。これはテープに録音されてもいます。それらの秘密はある司祭(フランシスコ会士)に与えられることになっていました。なぜ委員会、司教、教皇にではなかったのでしょうか? 初めの何ヶ月かの間、彼らはしばしばその「偉大な印」が来るだろう、しかもすぐに来るだろうなどと言っていました。初めの1年が過ぎ去ったとき、彼らの語調は変化しました。ヴィッカは1年半かけて「聖母の生涯」を書きました。それは「聖母の許可があったその時」出版されるであろう偉大な秘密なのです。委員会は聖母に関するその日記を提出するよう要求しましたが、「聖母」はその要求を受け入れませんでした。委員会はその日記を取り上げたり、開いたりすることなく、ただ見ることもできないのでしょうか? いいえ。つまり、これは世の終わりまでこの印を待ち続けるほど愚かな人たちすべてをだます陰謀にしか過ぎません。もし聖母が「視幻者たち」が言うところの印を本当に残されるのであれば、以前にも言ったように、わたしはモスタルからメジュゴリエの30キロを、フランシスコ会士と「視幻者たち」への謝罪の印として、膝行して巡礼することを今再び宣言します。

20 司教に対する中傷。「司教も初めは信じていました」これは真実ではありません。共産主義者たちがフランシスコ会士、「視幻者」、巡礼者たちを迫害していたとき、わたしは彼ら全員を守りました。ですから「共和国の委員会による脅迫のため、またはわたしに教区の司祭たちが要求したために」わたしが変心したのではありません。これは多くの人たちが言いふらしているわたしに対する中傷でしかありません。牢獄に収容されていたフランシスコ会士をわたしが人目を恐れず擁護しているその最中に、ジョゾ・ゾフコ神父は司教が「オオカミ」であり、「偽善者」であると調査官に言っています。これは彼が書いた通りの言葉です。ゾフコの弁護士の某氏は同僚を通じて、これほどのことが言われなければならないわたしはいったい何をしたのか、聞いてきました。 T・ヴラシッチ神父は、しばしば「聖母」の言葉を「視幻者たち」の口を通じて言わせたものです。一例を挙げると、悪魔(この場合司教)が「聖母」の計画をぶち壊そうとしています。彼はヴァチカン内の友人に、同じことをもっとはっきりと書いています。わたしは、ヴラシッチと彼の管区長の前で、この攻撃、つまり司教を悪魔と呼んだことに対して苦情を申し立てました。彼はわたしの反対を否定しませんでしたが、彼は自分が激情に駆られてそう書いたと言って、自分を正当化しました。人は激情に駆られて何か言うことはできるでしょうが、それを文章に書いて外国語に翻訳されるときでさえも激情の影響下にあり得るものでしょうか? 

21 彼らの実りによって。メジュゴリエの弁護者たちが最もよく口にする理屈はメジュゴリエの出来事の実りがそこでの聖母の出現を証明するというものです。メジュゴリエに来る巡礼者たちより少し詳しい人にとって、最も熱心なメジュゴリエ信者の実りを見れば、自分たち自身が御出現を信じていないことは明らかです。もし、すべての「みにくい事柄」が明らかになれば、答えはすべての人にとってはっきりと出るはずです。それなのに、ローランタン、ルプチック、バルバリッチその他は、最大の注意を払って真理を隠そうとします。もし、メジュゴリエの擁護者たちは、出現を疑う者がいれば、直ちにこの人物を隔離し、非難し、変わり者扱いするのです(J・L・マーティン)。信心深い人たちの多くは無防備で、これらの出来事のかつてない宣伝攻勢、出現とか癒しの噂にあっけなく呑み込まれてしまいます。そして自分たち自身がメジュゴリエの宣伝に成り下がってしまいます。彼らは真理が意図的なうそで隠されていることに考えつきもしません。彼らは「ルルド医局」のような有能な専門家なり研究所によって確認された奇跡的治癒が一件もないことなど気づきもしません。ヘルツェゴヴィナで本当の治癒があったことはだれの耳にも入っていません。メジュゴリエについて最初に出された本に出てくる小さなダニエル、ジョゾ・ヴァシルジュ老人、ヴェンカ・ヴラジュシッチ、その他大勢が癒されていないことをわたしたちは知っています。

22 癒しの約束はこれらの出来事の特徴です。約束通りに癒しが起きないとき、それが録音されていないとか、紙に書かれてないときは、その約束自体が否定されます。悲劇的結果に終わった約束も今まで数多くあります。興味深いのは「聖母」がこれらの約束をなさるのか、それともそれらが「視幻者たち」の思いつきであるのかという点です。引退したベオグラードのトゥルク大司教は、マルコ・ブラゼヴィッチの悲劇的最後と癒しの「約束」について詳しく報告なさっています。1984年5月22日、同大司教は、ベオグラード病院の心臓学科の患者として自分が入院した、と書いています。彼の病床はモスタル近郊のブナに住むマルコ・ブラゼヴィッチがそれまで使っていたものでした。彼は手術を受けるはずでした。ブラゼヴィッチ氏は大司教やその他大勢の患者たち、医師や看護婦たちに、聖母が「視幻者たち」を通じて、自分の手術が成功するであろうことを告げられたと言いふらしていました。手術に立ち会った修道女が後に「聖母の約束」の狂信者と見られるブラゼヴィッチの妻と娘が自分にそう話した、と大司教に報告しました。ある医師もこの約束を信じ込んでいました。手術後この患者は目を覚ましませんでした。手術中、患者の一団は手術室の前で熱心に祈っていました。ほかの宗教の人たちや無神論者たちの前で自分たちを失望させ、恥さらしにしたこの出来事について多くの人たちが口にしていました。T・ヴラシッチ神父は、真理を隠してしまういつものやり方で、死んだブラゼヴィッチ氏の娘に「聖母は彼女らに祈るように言われたのであって、手術が成功すると約束なさっていたわけではない」と司教に報告するよう、まんまと言い含めてしまいました。わたしは、自分の父親と彼がそう話していたほかの人たちをうそつきにしないよう、彼女を戒めたものです。

23 フランシスコ会と教区司祭たち。ヘルツェゴヴィナの小教区におけるフランシスコ会と教区司祭たちの司牧の責任に関する関係は、1899年、フランシスコ会側と当時司教であったフランシスコ会士パスカル・ブコンジッチ司教の提案に基づいて、聖座の決定によって確立されていました。この決定に基づくと、小教区は両者の間で信徒数が等分されるような方法で分けられることになっていました。当時、教区司祭がいなかったので、教区司祭地区に属するはずの地域は、1823年、聖座の同意の下にフランシスコ会に残されました。モスタルの最初の司教であったクレ司教は共産主義政権によって、1948年、11年6カ月の刑に処せられました。彼はそのうちの8年6カ月の刑期を終えて、出所しました。その後何人かの教区司祭が誕生するようになり、1968年、聖座はフランシスコ会に五つの小教区を教区司祭たちに引き渡すよう命じました。ところが彼らはやっと二つの小教区を引き渡しただけでした。1975年に、何年にもわたる話し合いと相談の後で、ヘルツェゴヴィナにおける小教区の分割に関して、聖座から命令が出されました。フランシスコ会はモスタル教区の80パーセントの信徒を管轄しているにもかかわらず、公的にそして集団でこの命令について不服を申し立てました。1976年、不従順のために、フランシスコ会管区自体と管区長シリッチは権威を奪われ、それ以来この管区は独立を失い、会の総長自身が形式上は直接この管区を統括しています。もう一つの罰として、1979年、フランシスコ会総長選挙にヘルツェゴヴィナの会員には投票権が与えられませんでした。新管区長がヘルツェゴヴィナの兄弟たちに強調したのは「ヘルツェゴヴィナの司教に対する従順と協力の進展もしくは創造」でした。不従順は以前にもまして続いています。そして「聖母」は初めから不従順なフランシスコ会士たちを弁護し続けています。ヴィッカはその出現日記に、聖母がヘルツェゴヴィナでの諸問題の責任は司教にあると言われた(第9部参照)、と書いています。これは何度も出てきます。フランシスコ会士たち自身でさえも分裂しています。メジュゴリエを弁護するフランシスコ会士たちは、司教と良好な関係を結んできた自分たちの形式上の長上を、引きずり降ろすことに成功し、メジュゴリエに賛成するグループを引き入れました。新しい形式上の管区長ジョゾ・ヴァシルジュ神父は、自分の兄弟間に平和と秩序をもたらすことができなかったので、ザイールの布教地に逃げ出しました。もう帰って来ることもないでしょう(実り?)。彼の後任は副管区長です。総長は全員から従順を要求し、それがないときには管区が廃止されるでしょう。「教会法的な罰が加えられる前に各人が個人的に責任をとらなければ、管区は廃止される」(フランシスコ会の決定事項1989年1月)。この命令が従われるまでこの管区が自分自身の管区長を持つことはないでしょう。1988年、この管区を訪れた3人の視察員は、この命令に従う意志のあるフランシスコ会士がこの管区には1人もいない、と言っていました。この意見には誇張がありますが、それでも見過ごしてはなりません。

24 これはこれらの出来事の「よい実り」の一部にしか過ぎません。しかし、巡礼者たちは司教がフランシスコ会を「憎んで」いることを承知しています。この管区にも司教と協力的なフランシスコ会士は何人もいるのですが、彼らは出現など信じていません。ある会員などはメジュゴリエには足を踏み入れたことさえありません。

何人かのこのようなフランシスコ会士は、ともにメジュゴリエのうそに反して戦い始めることができるために、わたしに本を書いてくれるよう依頼しました。彼らは心から「自分たちがうそと偽りを世界中に広めて、金を儲けてしまったので、神がわたしたちフランシスコ会士を厳しく罰されるだろうと信じています」。

ヘルツェゴヴィナには百人ほどの教区司祭がいますが、その中の1人さえも出現を信じていません。ユーゴスラヴィアにいる42人の司教(教区長、補佐司教、引退した司教)たちの中で、たった1人だけが出現を信じることを公言しています。ユーゴスラヴィアの司教と管区長たちの協力を得て、モスタルの司教が作った15人からなる第二の委員会の中で、11人はそこに何も超自然的なものがないと思い、(フランシスコ会士の)2人は出現が本物であると主張し、1人は初めには何かあったらしいと言い、残りの1人は棄権しました。メジュゴリエ推進者たちの主張とは異なり、聖座は委員会が行った3年間の仕事に関して、決してその報告を求めたり、検閲したり、判断したりすることはありませんでした。また、聖座が司教を見捨てるようなこともありませんでした。

25 これらの出来事の初期から、わたしはフランシスコ会士たちに教会の判断を待つように警告していました。そうすればわたしたちは協力して真相の解明に当たることができたはずです。しかしそれらの出来事に関する指導者たちは、できるだけ早くメジュゴリエに大群衆を引きつけ、宣伝のために多額の金を手に入れ、司教に対する戦いに聖母を引きずり込むことをねらっていました。彼らは太陽の奇跡もでっち上げました。多くの巡礼者たちは太陽を長時間にわたって直視したために目を痛めました。彼らは50、150、200、300の癒しがあったと主張し、彼らが言ったことなら巡礼者たちが何でも信じてしまうことを利用して、ありとあらゆることを言ったものです。特に、F・フラニッチ大司教とかローランタン神父がいるときその傾向は強まりました。メジュゴリエの信者たちは御出現があったほかの場所でもそうであったように、それが本当であってもなくても、言われた通りに出来事を受け止めてしまうのです。ここで見られる驚きと興奮は、時としてどうしようもない盲目と熱狂の原因になると見られてきました。

26 イタリア人なら、" Pia Opera di Gesu Misericordioso" (慈悲深いイエスの信心会)なる偽の修道会を創立したギグリオーレ・エベ・ジオルジーノのことをよく知っているはずです。離婚し、民法上の結婚をした彼女はいかさま治療をしたかどで刑務所にも入れられました。自分の修道会に入れるために若い女性を募集し、多額の金も受け取りました。彼女のために働く2人の司祭もいましたし、家も多数所有していました。彼女は二重生活者であり、自分でつけた偽の聖痕もありました。彼女の「修道者たち」は熱狂的に彼女に付き従い、彼女をママ・エベと呼んでいました。彼女の修道会には男性会員もいました。しかし後に彼女を去った何人かの男性会員たちは彼女が不道徳な生活を送っていたことを証言しています。彼女は多くの宝石や金の飾り物、2隻のヨット、32枚の毛皮のコートその他を所有していました。教会の多くの指導者たちは彼女の生活振りを非難しましたが、いい実りがあるという理由で彼女を熱狂的に弁護する人たちもいました。彼女を誉めていた司教も2人いたほどです。2度にわたって夜、警察が本部にあった彼女の部屋を急襲すると、彼女は自分の神学生とベッドの中にいました。それは醜聞となり、彼女は自分の聴罪司祭であったフランシスコ会士とともに何年もの間刑務所に入りました。新聞はその後、何年にもわたってこのことを書き立てたものです。このことに関してはとんでもない映画まで制作されたのですが、彼女に追随する人たちは彼女の修道会が没落した後でさえも、熱狂的、盲目的に彼女を擁護しました。彼らによると、彼女は、多くの召命をもたらした聖人であったというのです。多くの人たちにとって、「実り」によって彼女が明らかに神から霊感を受けたことが分かるので、それ以上の議論は不要だったのです。狂信は教会に異端のきっかけをもたらしました。現代、それはセクトの基礎になっています。

プロテスタントの牧師であったジム・ジョーンズは、シカゴ南部に大きな慈善団体を創立し、多額の金と自分のセクトに追随する多くの信者を集めました。もっと自由に事業ができるために、彼らのうち約千人ほどが南米ギアナに行き、そこで自分たちの新しい家として「ジョーンズ・タウン」なる町を設立しました。彼らはそこで絶対的独裁制のもとに、自分たちの救世主に対する熱狂的従順を誓いました。そこであったひどいこと、ジョーンズの不道徳、逃亡しようとした会員たちがいかに逮捕され、虐殺されたかなどについてはすでに詳しく報道されています。彼らには金もなくなりました。すぐに米軍が介入するという噂が広がり、ジョーンズは全員がジャングルに避難することを命令し、逃げ道が全くないのに気づい時、彼は全員に永遠に向かって旅立つための自殺を命じたのでした。九百人以上がコップを手に持ち、毒を入れた大きな鍋の前に列を作って並び、毒を飲み終えると、倒れて死んでしまったのです。自殺するための力は何だったのでしょうか? 狂信! それなのに、キリスト信者は出現と奇跡について耳にするとき、疑うこともなく簡単にそれらを信じてしまいます。その後は、自分たちの盲目と熱狂のとりこになってしまいます。普通のロザリオがメジュゴリエでは金のロザリオに変わってしまうなど、言われたことは何でも信じてしまいます。

27 メジュゴリエの出来事に関するこの盲目振りは司祭や司教たちにまで広がっています。イタリアの多くの司祭たちはその教区の司教、調査委員会、ユーゴスラヴィアの司教たち、フランシスコ会の一部、教区司祭たちがそれらの出来事を信じていないことを、聞くことができたはずです。わたしはそれらの出来事について問い合わせに来た訪問客には門を開き、時間を惜しみませんでした。それなのに、彼らは真実を避けました。ある司教たちに連帯意識が欠けていることには特に驚かされます。わたしの判断を押しつけようとは思いませんが、すべての人、特に司教たちのように教会内で権威ある地位にあれば、自分の立場を決める前に、メジュゴリエの出来事をよく調査する良心上の義務があるはずです。

マリア様、どうなっているのでしょうか? 9年間もあの人たちはあなたを客寄せに乱用してきました。いつでも自分たちの都合の好いときに、彼らはあなたと話すと主張しています。まるで銀行の窓口にいる女の子のようにあなたを見なしています。彼らはメッセージを勝手に作っています。彼らはあなたがいらして、そこにお現れになると言いますが、自分たちの言い分が正しいことを証明するための証拠は、それ以上何もありません。全世界が「大いなる印」を待ち望んでいます。判断力のない者たちは今でもそれを待ち望み、信じています。不幸なことに、この偽りの騒ぎは教会に大きな恥と醜聞をもたらすでしょう。総長による管区の廃止という脅迫さえあるというのに、これらの出来事を扇動する者たちには、回心の兆しがありません。

以上はわたしが書きたかったことの一部に過ぎません。別の機会に正確な証拠文書も付けて、これらの出来事に関するもっと詳しい本を出版することを希望します。

28 メジュゴリエでは多くの祈りと信心が見られます。多くの人たちの回心もあったと伝えられます。わたしのところには心を打つ多くの手紙が寄せられています。ですから、わたしは遅かれ早かれ失望する人たちのためには気の毒に思っています。しかし、メジュゴリエの出来事には狂信、迷信、デマがつきまとっています。また、「平和の元后」の名の下に、わたしは多くの礼を失した攻撃の手紙を受け取っています。その内容は公表しません。これらの出来事に関してたとえよいことがあったとしても、世界を神の下に従わせるために偽とうそを正当化することはできません。「わたしは真理を証するためにこの世に来た」(ヨハネ18・37)。もし第六戒にこだわらなければ、もし離婚を許せば、もしだれにでも信じたいことだけ信ずることを許せば、教会はもっと信者を増やせるでしょう。しかし、イエスは真理のために十字架にかけられました。殉教者たちも真理を証するために血を流しました。聖パウロは信徒にこう書いています。「あなたがたが受けたものに反する福音を告げ知らせる者がいれば、呪われるがよい」(ガラテア1・9)。現代、世界中の多くの祈祷グループがイヴィカ・ヴェゴ神父の祈祷書を使用し、いわゆる聖母からのメッセージを黙想します。あたかもこれらの方が聖書とか教会の教導職より大事であるかのように…わたしが信じるに、聖母はこれらの出来事にもかかわらず、教会がキリストの真理を生きるために必要な恵みを祈り求めて下さるでしょう。

また、おそらく心から熱心な人たちがわたしを誤解し、わたしを聖母の敵であると思い込んでいることも知っています。わたしは何度もルルドや、その他教会が認めている御出現の場所にお参りしています。わたしがしていることは真理と教会の擁護に他なりません。そのためにわたしは命を捧げることができることを神に祈っています。

29 メジュゴリエに関する本はベスト・セラーになり、書いた人たちはお金をもうけました。不幸なことに、メジュゴリエを批判した本は組織的ボイコットのためにそれほど売れることがありません。しかし、巻末に何冊かの本を紹介することにましょう。

モスタル教区長  司教 パヴァオ・ザニッチ

8 アイルランド司教協議会の声明

1990年6月13日

アイルランド司教協議会はメジュゴリエ問題に関して五つの点からなる声明を発表しました。その第四点は以下のようなものです。「教会の決定があるまで、だれも教会に代わってメジュゴリエの出現に関して好意的な判断を敢えてしてはならない。そのために教会は、メジュゴリエでの出来事に帰せられ得る超自然的性格の認定を前提にする巡礼そのほかの表明行為には同意しない」。

9 「司教たちがユーゴスラヴィア霊場に関する決定をリーク」

上記の見出しのもとに1991年1月13日の Universeは、ローマのロナルド・シングルトン通信員による以下の報告を掲載した。

リークされた報告によれば、ユーゴスラヴィア司教協議会はメジュゴリエの聖母出現の霊場における現象には、超自然的なものが皆無であるとの結論に達した。

司教たちは1981年来、1000万人以上が巡礼したと言われるこの霊場に「何らの啓示もない」との決定に達した。司教たちはこれらの現象に対処するに当たって、メジュゴリエを管轄するモスタル司教区のパヴァオ・ザニッチ司教への協力を要請した、と言われる。

ユーゴスラヴィア司教団はヴァチカンの教理省への報告を準備し、その長官であるラッツィンガー枢機卿は、すでに、この件について調査済みであると言われる。

司教たちはメジュゴリエでの出来事について話し合うため、11月の末にザグレブで特別会議を開いた。

会議の冒頭、司教たちは証拠を検討した上で、必要とあれば、教書を出版するはずであったが、会議が終えた段階で、声明を出さないことを決定した。

ローマの信頼に値するニュース・エージェンシーASCAは、それが内容から見て、リークされた情報であると主張している。ともかくもこのニュースは、主な新聞がすでに流している。イタリア司教協議会につながりのあるミラノの日刊紙Avenireは、この報告を一面に掲載した。

今までのところ、ASCAの報告に対するヴァチカンの公式反応はない。教理省からの公式発言も見られない。しかし、あるスポークスマンによれば、この報告は情報の不用意なリーク、全体の報告から取られたごく一部であったと思える。

ヴァチカンがコメントすることはおそらくないであろう。そして最終的に、メジュゴリエの霊場に関する公的裁定は、ユーゴスラヴィア司教協議会の結論を認める発表に留まるであろう。11月にあったザグレブでの会議の出席者は23教区の代表者であった。19人の司教たちがその結論に同意、1人が保留、3人が棄権したと言われる。

イタリアの新聞が発表したいわゆる報道のリークは以下のようなものである。

司教たちは、その地の司教、司教区の委員会、協議会が任命した特別委員会と緊密な連絡を保ちながら、メジュゴリエの出来事をフォローしていた。調査をもとにして、それらの出来事が超自然的出現であるとか啓示であるとすることはできない。

その間、信仰という動機に促されて、世界中から絶えず流入する信徒たちのメジュゴリエでの集まりについては、司教たちの注意と世話が必要であろう。

そのために、本協議会は教会の交わりという観点から、正しい典礼・司牧的活動が確保されるためにメジュゴリエでの司牧的活動に関して、教会の精神に沿わない現象の機先を制し、またそのようなことを止めるためにも、その地の司教に協力するにやぶさかではない。

10 ローマが新しいメジュゴリエ報告を検討

上記は、カトリック・ヘラルドのローマ通信員ヴィヴィアン・ヒューウィットが1987年8月17日号に寄せた報告の見出しであった。さらに「教理省はメジュゴリエに関するこれ以上の報道を規制したと言われる…この報告はヴァチカンの決定があるまでメジュゴリエ巡礼を禁止しようという何人かのイタリア人司教たちの新たな運動とも符合するものである」。

11 企業メジュゴリエ

ヒューズ・トゥウェイツ神父に宛てた1987年8月17日の手紙に、メジュゴリエに聖母の出現はなく、奇跡も存在せず、聖母からの「メッセージ」があるわけがないと、ザニッチ司教は断言しています。「それらは作り事、詐欺、教会への不従順の実りです。そこで動くのは多額の金であり、個人的利益でもあります」。1987年に司教がこの手紙を書いたとき、1993年までにそれが企業メジュゴリエとでも呼ぶしかなくなったその発展振りについては知る由もありませんでした。メジュゴリエは、特に米国で、まず何百万ドルもの金額を動かす一つの企業活動と考えられなければなりません。

旅行業者たちがどれほどもうけたかは計算のしようもありません。いわゆるメジュゴリエ・センターと呼ばれるものは旅行社のようなものです。このパンフレットの第五部には、テリー・コラフランチェスコと呼ばれる人物が、どのようにしてマリジャ・パヴロヴィッチが1989年、アラバマ州バーミンガムで弟に腎臓移植手術を受けさせるための金をひねり出したか詳述してあります。1986年、彼はメジュゴリエのメッセージを広めるためにカリタスといわれる組織を創立していました。パヴロヴィッチはその年の感謝祭にコラフランチェスコが40万ドルで購入していた土地で、予告通り、自分の恩人を助けるために示現を見ることに同意します。それ以来コラフランチェスコは笑いが止まりません。

コラフランチェスコのカリタスと呼ばれる組織はかなりの発展を見せています。1993年彼は「メジュゴリエの幕屋」と呼ばれる建物のために50万ドルの寄付を呼びかけていました。15万部の発行部数を誇る彼のニューズレター5—6月号15ページにはその幕屋について以下を書いています。

「聖母のメッセージの幕屋」はカリタスの16部門を収容する1000平米ほどの三階建ての建造物で、そのすべてがメジュゴリエの聖母の事業に捧げられます。この幕屋を通じて、聖母のメッセージは、合衆国内だけでなく、65カ国を対象にして、ニューズレター、テープ、小冊子、教科書、チラシの印刷、制作、発送とか、メッセージと歴史の研究、その他を通じて奉仕します。

この幕屋建設のために、コラフランチェスコ氏は160万ドルの寄付を呼びかけています。彼は読者に、自分の募金の依頼状を読む前に「聖霊に祈る」ことを求めています。しかし、よく見ると、そこにあるのは犠牲的精神で寄付をするよう呼びかけるテレビ伝道者のやり方と酷似しているのが分かります。コラフランチェスコ氏は、もし多数の読者が協力しなければ、幕屋の建設が危機に陥るであろう、と訴えます。彼は、もし寄付について迷っていれば、聖母に祈るように勧め、今までにも迷っていた人たちから「祈ったら聖母からの薦めを強く感じた」という報告があったことを付け加えます。悪魔はカトリック信者が幕屋のために寄付しないよう、どんなことでもするだろう、という感じです。「あなたの財政が困難であり、ますますそれが厳しくなるであろうことは承知しています。しかし、聖母は長い目で見てその流れを変えることを計画しておられます。わたしたちの建設は次の段階に進むべきかどうか検討中です。そのためにもお返事を至急いただきたいのです。米国と世界の人々に必要なのは聖母に由来する安定であり、貯金ではありません」。

コラフランチェスコの幕屋に保存されている、何万といういわゆるメッセージは、ほとんど例外なく、10歳の子供ほどの知能があればだれにでも書けそうなつまらぬことの繰り返しです。

愛する子供たちよ。今日わたしはあなたたちにわたしが送るすべてのメッセージを謙遜に生きるよう勧めます。メッセージを生きているということで「わたしはメッセージを生きている」と言って、傲慢になってはなりません。もしあなたたちが心の中でメッセージを生きているなら、だれでもそれを感じ取ることができるでしょう。従わない者たちの道具である言葉は必要ではありません。愛する子供たち、あなたたちにとって必要なのは、自分たちの生活で証することなのですよ。わたしの呼びかけに答えてくれてありがとう。

愛する子供たちよ。神様はあなたたちが結ぶ実りであなたたちを試していらっしゃいます。あなたたちのきつい労働を捧げてくれてありがとう。神はあなたたちを愛しておられるので、あなたたちを試されることは間違いありません。いつでもあなたの重荷は神に捧げて、決して心配してはなりません。わたしの呼びかけにこたえてくれてありがとう。

 

神の御母が日に4回も5回も地上にお現れになって、こんなつまらないことを伝えられるなどとは考えられません。

天国からの書評

コラフランチェスコ氏はPoem of Man- Godの最初の2巻を各35ドルで販売します。ラッツィンガー枢機卿がその本について警告したために販売数が減少しそうになると、コラフランチェスコ氏は、親しい友人であると彼が称するマリジャ・パヴロヴィッチに相談しました。マリジャ・パヴロヴィッチは明らかに彼とは親しかったのでしょう。あの感謝祭の日の出現のときと同じ親しさを発揮してくれました。マリジャ・パヴロヴィッチは、彼女が持っている天との直通電話で、この本について聖母と相談したものです。そして案の定、その本はわたしたちが読んでもいいのだそうです。わたしの記憶に間違いがなければ「それはおもしろい本です」ということでした。コラフランチェスコ氏は「彼女が聖母に話してくれたことに間違いはない」と言います。第六部で決定的に証明済みのことですが、パヴロヴィッチは自分でも認めているうそつきなのです。

「不思議なこと」と「奇跡」

コラフランチェスコ氏は、聖母がその毎日のメッセージを通じて彼のカリタス共同体に語りかける、と主張しています。毎朝、彼らは無作為的に選ばれるメッセージを読み上げますが、中には子供たちのために「原っぱ」で行われる黙想会に関する「不思議なこと」が含まれたりするのです。

近くのカトリック小学校が、「視幻者」マリジャ・パヴロヴィッチが1988年に聖母の出現を見たとカリタスが称するあの原っぱで黙想の集いを計画しました。幼稚園から8年生までの子供たちが数100人カリタス共同体の職員たちと合流して、計画にあった通り、毎日のロザリオとミサに参加しました。生徒たちが到着する前にあったその朝の祈りの集いで、わたしたちは以下のメッセージをいただきました。「1983年4月29日、巡礼に出発しようとしている若い人たちに関して『わたしは今日の遠足の間みなさんがよく祈ること、そして神様に栄光を帰することを願います。そこではほかの若い人たちにも出会うでしょう。わたしが与えるメッセージを彼らにも分かちなさい。決して躊躇してはなりません』」

カリタス共同体は「不思議なこと」を体験するだけでなく、メジュゴリエであったと称する「奇跡」もよく引き合いに出します。1993年5・6月号のニューズレターには「御聖体の奇跡」のことが書かれてあります。カトリック信者でない女性がバーミンガムのカリタス巡礼団と同行してメジュゴリエに行きました。メジュゴリエへの巡礼はもちろんその教区の合法的な教区長である司教によって禁止されています。ですから、そこに行く巡礼団は合法的権威に対する不従順の罪を犯しています。このプロテスタントの女性は自分が聖体拝領できないことで悩んでいました。カトリックでないキリスト信者の場合、いくつかの厳しい条件が満たされた後でそのための特別な許可が出た場合を除いて、御聖体拝領は許可されていません。しかし、聖母は教会の掟に従うよりも、このプロテスタント女性の機嫌を損ねないことを望まれたように見えます。そこでコラフランチェスコ氏が奇跡的と呼ぶやり方で彼女も御聖体拝領できるようになさったのです。

聖体拝領になると、最初の司祭が祭壇から下りて、グループ・リーダーの所に来ました。彼と周りの人たちは一番先に御聖体をいただけるものと思っていましたが、驚く彼らを後目に、その司祭は群衆の間をぬって、その女性が座席に腰掛けているところに進んで行ったのです。司祭は彼女に御聖体を授けるために、御聖体を高く持ち上げました。その女性自身も周りの人たちも信じられない思いでその様子を見つめました。実際の時間はそれほど長いものではありませんでしたが、それは何分間も続いたかのような感じがしたものです。彼女がそこに座り、御聖体の中のイエス様が彼女の前に掲げられている間、彼女はどうしていいか分からず、躊躇していました。しかし、意を決して彼女は御聖体を拝領しました。彼女の周りにいた人たちはみな感動の涙を抑えるのに必死でした。司祭はその時まで、彼女に会ったことはなかったのです。何ヶ月か経った後、カトリック信者になりたくなかった彼女はまた御聖体拝領をしましたが、今度はカトリック信者としてでした。

だまされる大衆

メジュゴリエ現象について最も警戒すべきは、メジュゴリエを信じるようになってしまったカトリック信者の数の多さです。何千人いや何百人であったとしても、彼らが無駄にする金と時間がもったいないと思いませんか? 彼らの信用度と金を犠牲にして、歴史始まって以来最もおしゃべりな女として聖母を世に提示するなどとんでもないことです。しかし、何百万人がすでにメジュゴリエを訪問して、ますます巨大化する企業としてのメジュゴリエを支持しています。毎月、Twin Circle とかNational Catholic Registerなどもメジュゴリエの提灯記事を掲載しています。以下の一例は1993年8月のもの。 

愛する子供たちよ
わたしがあなたたちの母であり、あなたたちを助けることができ、あなたたちに祈ることを求めていることをよく分かってほしいのです。あなたたちが祈るとき初めてわたしのメッセージを理解し、毎日の生活の中で実践することができます。聖書を読み、生き、時の印を理解するように祈りなさい。今は特別な時です。ですからわたしはあなたたちとともにいてわたしの心、わたしの子イエスの心にあなたたちを引き寄せます。わたしの小さな子供たちよ、あなたたちは闇の子でなく、光の子になりなさい。ですからわたしが告げているような生き方をしなさい。わたしの呼びかけにこたえてくれてありがとう。

この号には米国内にある177のメジュゴリエ・センターを列挙していますが、もちろんバーミンガムのカリタス、Medjugorje Information Centers, Peace Centers, Resource Centers, Message Centers, Ventures, Centers for Queen of Peace, Hearts for Peace, Pilgrims for Peace Video Centers, Mary's Touch by Mail, Friends, Coalitions, Book Centersを含みます。聖母が「平和の元后」の肩書きでお現れになった言われるボスニア地区が、今世紀で最も激しい戦争の一つと言われる戦闘の中心地になることは、何千、何万もあったメッセージの中でただの1回も警告がなかったのはどういうことでしょうか?

企業ニードに応じるべくメジュゴリエ・ニューズ・レターには数多くの種類があります。カナダで全国的に配布されているのがメジュゴリエ・ニュースです。その1993年5号で、オンタリオ州マルモラに「視幻者」イヴァンが来た時、2万人の信者が彼の話を聞きに来たと言われます。そこでは、聖母がマケドニア正教会の信徒を含む種々の民族的背景の老若男女に出現すると言われています。それだけでなく、天使とか死者まで出現して生者と語り合うことまで報告されています。メジュゴリエ信者が購読する雑誌などを見ると、アイルランドだけでも25もあったと称される出現を含む、世界中の何百という聖母のいわゆる出現が報告されています。新しい出現があるたびに、批判力のない多くの読者たちはその都度、諸手をあげて賛成してしまいます。それが何であろうとこれがカトリックの宗教でないことは確かです。

オンタリオにイヴァンがデビューしたことは、メジュゴリエの「視幻者たち」の現在の方針を示すものです。つまり、ボスニアでの戦争のために巡礼が不可能になったのであれば、これらの若者たちの方から人々のところに出向こうということです。間違いなくこれはロードショーです。わたしの住む英国のケントにも彼は来ています。スコットランドで発行されているThe Children of Medjugorje (1993年秋発行)は、ケント・アイレスフォードのカルメル会修道院で、1993年8月28日に催された「メジュゴリエ教会一致祈祷集会」に出演したイヴァンの様子を伝えています。お客さんたちはみな御出現を見ることを期待していました。さて、

イエスの御母は「27歳の『示現を見る』イヴァンによれば、えも言われぬ光の中に黒い髪を白いヴェールで覆い、灰色のお召し物を着て御出現なさいました。その目は青く、ほおは赤い、と5000人の観客に告げました…イヴァンはマリア様が『うれしそうに見え、わたしたちのために手を広げて祈り、わたしたちみなを祝福して下さった』と言いました」。

また、彼は「聖母は特別な方法で平和のために長いこと祈られました」と言いました。聖母はたった3日前メジュゴリエで世界のためにメッセージを与えたばかりだったので、その日、特別なメッセージはありませんでした。光り輝く十字架の光に包まれて去られる前におっしゃったのは「わたしの子供たちよ、平和のうちに行きなさい」ということだけでした。 


 

イヴァンが言ったことは、ウォルト・ディズニーでも書けそうな代物だと思いませんか? 報告にはラジエーターの前でパジャマを着て、実に敬虔そうにひざまずいているイヴァンの写真が添えられていました。イヴァンが言っていた1993年3月25日メジュゴリエでのメッセージは以下のようなものです。

愛する子供たちよ
わたしがあなたたちの母であり、あなたたちを助けることができ、あなたたちに祈ることを求めていることをよく分かってほしいのです。あなたたちは祈るとき初めてわたしのメッセージを理解し、毎日の生活の中で実践することができます。聖書を読み、生き、時の印を理解するように祈りなさい。今は特別な時です。ですからわたしはあなたたちとともにいてわたしの心、わたしの子イエスの心にあなたたちを引き寄せます。わたしの小さな子供たちよ、あなたたちは闇の子でなく、光の子になりなさい。ですからわたしが告げているような生き方をしなさい。わたしの呼びかけにこたえてくれてありがとう。

教会による早急な断罪が必要 

ヴァチカンは、信徒への反響を恐れてメジュゴリエでは何も超自然の出来事がないと発表するのが遅れているように思えます。しかし、どうせしなければならない発表を引き延ばせば引き延ばすほど、メジュゴリエ信者の失望は大きいと思います。発表があるとき、教会の教導職よりもまがい物の権威を大事に思う多くの信徒は、教会にとって失われた者になることでしょう。ですから、今は解体されたユーゴスラヴィア司教協議会の決定を発表することが望まれます。また、企業としてのメジュゴリエにだまされた人たちを祈りと説得によって目覚めさせる必要があります。ザニッチ司教が言ったように、「それらは作り事、詐欺、教会への不従順の実りです。そこで動くのは多額の金であり、個人的利益でもあります」。

12 モスタルの新司教

ザニッチ司教は辞任し、後任は10年にわたってローマの教皇立クロアチア神学院院長を務めてきたラトゥコ・ペリッチ司教です。メジュゴリエの出現の真正性をかたくなに認めようとしなかったために、教皇から辞任するよう強制されたという根も葉もない噂がありましたが、もしそんなことが本当であれば、教皇はもっとメジュゴリエ寄りの後継者を選んだはずです。その反対に、ペリッチ司教はザニッチ司教にもましてメジュゴリエの出現の真正さを疑っています。であれば教皇がこの件に関してどのような態度を取っておられるかは一目瞭然です。1993年10月号の教区報Krkva na Kamenu(巌の上に建つ教会)で、ペリッチ司教はアシジの聖フランシスコに公開状を書き、彼の霊的子供たちであるボスニアのフランシスコ会士たちの不従順について、苦情を述べています。同号には新司教との長いインタビューも掲載されていますが、彼はそこでも偽りの信心に対する自分の反対がザニッチ司教のそれと比較して決して劣るものでないと明言しています。Fidelityの1994年2月号にそのインタビューが部分的に掲載されています。ペリッチ司教は自分の前任者の心が、初めは出現の真正さに関して開いたものであったことに触れています。彼はザニッチ司教が出現と称される事柄を、間違いなく歓迎したかったはずであることも指摘します。

聖母マリアが自分の教区内に御出現すると聞いて、喜ばない司教がいるものでしょうか? 特にザニッチ司教はマリア様を大事にする方ですから大喜びしたはずです。彼は司祭時代に始まって、司教になってからも、ルルド、ファチマ、シラクサ、などのヨーロッパにあるマリア様の霊場を11回も巡礼しているのです。そしてついにポルトガルの辺りをさまよい歩く彼を哀れに思って、神の御母が彼の住むすぐ近くに出現し始めたのであれば、彼にとってこんな嬉しいことはないはずです。

しかし、何ヶ月かが過ぎると、自分たちに聖母が出現していると称する人たちの小さなうそとか大きなうそ、不誠実、不正確、あらゆる種類の作り話の数々が彼の耳に入り始めました。それで、彼はそれらが聖母の超自然的出現などでないことを確信するに至ったのです。次に彼がしたのは、真実を掘り起こし、偽りを暴くということでした。10年にわたる彼の責務の中で彼が最も満足したのは、1991年春、ユーゴスラヴィア司教協議会が「調査の結果、超自然的出現とか啓示があるとは考えられない」と宣言したときでしょう。これは例外的に明瞭な教会法的裁決であり、それは、1981年以来、聖母をいつそしてどこで見たと称する者がだれであったとしても、それを否定するものです。

司教協議会の裁決は、別種の裁決がない限り、わたしにとって権威があり、受け入れやすく、拘束力ある教えです。しかし、今までのところ司教協議会による別の裁決はありません。反対の立場の人たちがいくら多くても、また彼らがどれほど確信していようとも、もし、かつ有能な人たちによる真剣な、確固とした調査の結果、司教協議会がメジュゴリエの出現が超自然のものではないと宣言する勇気があったのなら、それは20世紀の教会が「真理の柱であり土台である」(1テモテ3・15)印である、とわたしは断言します。 

13ヴィデオ 

Visions on Demand The Medjugorje Conspiracy

日本語で言えば、お望みのままに出現を — メジュゴリエの謀略、とでも言うのであろうか? 以下はそのヴィデオからの抜き書き。

その司祭は「メジュゴリエは熱心な信者をたぶらかす悪魔の計画」であると言う。

司祭がメジュゴリエについてこう話すのを聞くのはそれほど珍しいことではない。しかし、フランシスコ会の司祭がこういうのを聞いてわたしは驚いた。それも、それはメジュゴリエのど真ん中でのことだ。事態はここ何年かの間、これほどの変化を見せているのだ。この神父はそこにもう10年以上住んでいる。彼も初めはメジュゴリエが神の母の出現だと本気で信じていたものだ。しかし、今、彼はそれが悪魔の業であると考えている。わたしはひとしきり彼の霊的巡礼に耳を傾けるのだった。

彼は、聖ヤコブ教会を指さし、また別の方角にある薬局、土産店、「孤児院」などの建物群を指さしながら「要するに、人間が言ったことでしかないものを神が言ったことに祭り上げて、それを信じない人たちはすべて破門してしまうんです。こんなものはイエス様などではありません」。

1997年の初め、ネットワーク5は調査を始め、その成果がテレビ・ドキュメンタリー" Visions on Demand" (お望みのままに出現を — メジュゴリエの謀略)である。この番組は、間違いなく20世紀最大の霊的詐欺の一つに数えられるであろう出来事の裏で、巡礼者たちが財政的、霊的にどれほど操られているかを暴き出す。ネットワーク5は後に、ここ10年メジュゴリエを調査してきた米人記者マイケル・ジョーンズ氏と協力関係に入った。彼らは、結論として、メジュゴリエがそもそもどのように始まったか、どれほどの損害をもたらしてきたかをこれまで未公開の映像で余すところなく説明する。英国ではすでに憤慨の声が上がり始め、それは米国にも広がりつつある。

もう一組の夫婦が離婚に追いやられる前に、もう1人の未亡人が蓄えをはたいてしまう前に、だれかが殺される前に、メジュゴリエの陰謀は粉砕されなければならない。


 

出現の場として宣伝されているメジュゴリエは平和と一致を推進するものではありません。反対に、それは混乱と分裂をもたらします。1994年教皇聖下臨席の司教シノドスでわたしは以上の発言をしました。今またわたしは同じ責任感をもってこれを繰り返します。

モスタル教区長
ラトゥコ・ペリッチ

 

 

14 追加情報

本書著者Davies, Michael氏のMedjugorje after Fifteen Years The Message and the Meaningは本書Medjugorje: The Untold Storyのアップデート版でもう少し詳しい。基本的には同じなので敢えて訳出することはしなかった。108ページ。出版社はThe Remnant Press, 2539 Morrison Ave., St. Paul, Minnesota 55117, U.S.A.。

Jones, E. Michael著The Medjugorje Deception Queen of Peace, Ethnic Cleansing, Ruined Livesは385ページの大著。出版社はFidelity Press, 206 Marquette Ave., South Bend, IN 46617, U.S.A.。英語が読める人は必読。

Brother James, S.D.B. 著Critique: Medjugorje and Brother ThomasDoubter in Medjugorje これら2冊の本はメジュゴリエを痛烈に批判している。各5ドル。代金後払い。申し込みはSS. Peter and Paul Church, 650 Filbert Street, San Francisco, CA 94133, U.S.A.

Siviric, Fr. Ivo OFM(メジュゴリエ生まれのフランシスコ会士で、現在、米国ミズーリ州セントルイス在住)著The Hidden Side of Medjugorje(フランス語ならLa Face Cachee de Medjugorje)(メジュゴリエのもう一つの顔)第1巻、400ページ、1988年。入手先は Editions Psilog, CP 300, Saint-Francois-du-Lac, Quebec, Canada, J0C 1M0.Tel. (514)568-3036.

Salbato, Rick 著 The Medjugorje Apparitions。414ページ。入手先は Unity Publishing, Inc., 630 Vasona Ave. Los Gatos, CA 95032, U.S.A.

Tel 1-(408)871-7866 

Fax 1-408-871-7868,

E-Mail unitypub@earthlink.net

http: //www.unitypublishing.com

邦訳の入手先はフマネ・ヴィテ研究会。

Gramaglia, P.A. L.'Equivoco di Medjugorje. Apparizioni Mariane o Fenomeni di Medianita? Claudiana, Toronto, Canada, 1987, pp. 172

メジュゴリエに関する最新の批判的ニュースは、隔月刊のThe Remnantがお勧め。伝統を大事にするカトリック信者向き。購読料は船便だと16ドル。日本円不可。申込先はSt. Paul, Minnesota, U.S.A.

その他、雑誌とか新聞ではFidelity, Culture Wars, The Wanderer, The Remnantなどが勇敢かつ冷静ににメジュゴリエ問題を取り扱っている。なお、Fidelityはメジュゴリエ信者たちの集団ボイコットで廃刊になった。

訳者後記

二千年期も終わりに近づくと、科学が発達した現代にあっても人々は混乱している。ちょうど千年前も基本的には同じようだったのだろうか? メジュゴリエ、ガラバンダル、司祭のマリア運動、韓国ナジュのジュリア・キム、広島教区の萩原ミミのグループなど、教会の明白な教導職に基づかないでたらめが多くの信徒・未信徒を食い物にしている。それぞれの支持者群はだます側とだまされる側から成り立ち、批判をしようものなら手ひどい反撃を加えてくる。司祭のマリア運動側は自分たちの翻訳が出版前にジュリア・キムの手に渡って彼女のものとして発表されてしまったなどと言っているが、これは目くそが鼻くそを笑うの類に過ぎない。

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