子どもたちに彼らが
何を
教えようとしているのか?
青少年の教育は今
リチャード・クレミンス S.J.
(1985年8月ナイロビで開催された第43回聖体大会・家庭生活に関するセミナーでの発表。ポール・B・マルクス師O.S.B.によってわずかではあるが、編集されている。国連、ユネスコ、ユニセフ等、国連に関連するすべての団体は閉鎖された方がいいというのは生命運動にかかわる人たちの常識とさえ言えます。
これらの組織が当初は善意でスタートしたことも考えられますが、現在は彼らは先進国の利益のために発展途上国を発展させないようにあらゆる悪巧みを駆使します。その中でも性の倫理を乱しての民族抹殺は目に余ります。そのような政策を推進するニクソン・キッシンジャー時代に作られて、長いこと部外秘になっていた米国政府文書も入手しました。その内に発表する予定です。
バチカンも長いことユニセフに騙されて、毎年2000ドルと3000ドルの二口の寄付を続けてきましたが、米国のHuman Life Internationalやその他の団体が反対したお陰で、それが中止になったことは喜びに絶えません。国際便の航空機に乗ると渡航先の小銭を入れる袋が渡されて、ユニセフに寄付を求められますが、そんのものに応じてはいけません。好感度の女優をユニセフ大使にするのも連中の戦略です。騙されないようにしましょう。 訳者)
わたしは、最近まで若い人たちのために結婚講座を受け持ってきましたが、彼らに対する他の人たちの計画に関してはまったく知りませんでした。まだ多くの人たちがわたしと同じ無知の中にとどまっているのではないか、と考えられます。伝統的キリスト教的性道徳を滅ぼそうとする火遊びが大火事になる前に、わたしたちは立ち上がって戦わなければならないと信じます。わたしは、今自分がよく知っているアフリカを念頭に置いていますが、ここで述べることはみな、他の大陸にも当てはまる、と思います。
ルサカのすぐ南に位置するマクル山農事試験場のすぐ隣にチランガ・セメント工場があります。その工場の煙突から排出される公害は、試験場の技師たちによって実験的に栽培される農産物に深刻な影響を与えるのです。同じように、あなたたちが子どもたちに与えようとする性教育も、子どもたちを狙って他の人々が作り出す環境によって無に帰してしまいます。つまり、学校での「人口教育採用のための世界的運動」(教師を人口教育の専門家にするためのユネスコ・ハンドブック、5ページ)が、その悪い環境に当たります。
二つの考え方
現在、世界には性道徳に関して二つの考え方があります。先ずは、キリスト教諸教会のもの、その中でもカトリック教会がもっとも明瞭で確固としています。彼らは性が結婚した人々のためであり、さらに、それが夫婦愛と生殖に関連づけられていなければならない、と主張します。この考えは他のすべての大きな宗教によって支持されるものです。それはまた人類の伝統的な道徳でもあり、たとえ不完全にしか守られてこなかったとしても、幾世代にもわたって、このアフリカの地でも遵守されてきたものです。現代に至るまで、これが人類の常識であったと思って間違いではないでしょう。
もう一つの考え方は国連とその諸機関、国連人口活動基金(U.N. Fund for Population Activities)、ユネスコ(U.N. Educational, Scientific and Cultural Organization)が提唱する新しい性道徳です。しばしば、それは彼らの文書、決議、計画の中に言わず語らずに潜んでいますが、彼らの新しい道徳は、上述の道徳とは正反対のものです。
これら相反する二つの哲学があるので、結婚しようとする若い人たちを教えるに当たっても二つの正反対の方法が生じてくるのです。真に人間的な性行動が何であるかを教えるキリスト教の伝統はよく知られています。聖パウロ(ガラテヤ5· 19 21)に始まって、性の倫理に関する宣言(1981)に至るまで「淫行者、その他このようなことを行うものは、神の国を受け継ぐことはできません」と、教会は言い続けていますが、それを詳説する代わりに、今、アフリカを始め全世界に導入されつつあるもう一つのプログラム(ユネスコ・ハンドブック、6ページ参照)について話したいと思います。
国連世界人口会議
1974年ブカレストで開催された第一回国連人口国際会議は、すでに、夫婦もしくは個人が出産する子どもの数と間隔を決定するに当たって、家族計画をその手段とする決定をしています。
長期にわたってこれに異議を唱えないできたこと自体が不思議なことです。この決定が、1984年8月、メキシコ・シティーでの次の会議の勧告の中でも繰り返されました。もちろんバチカン代表はどちらの会議でもそれに反対しています。しかし、世界に十二億のキリスト信者がいるにもかかわらず、バチカンは世界諸国の政府の波に飲み込まれてしまいました。
(これは家族計画に携わる人たちの常套句となっていますが)これが意味するのは、性は結婚した人だけの特権ではなく、結婚が性行為に付加されるものである、ということです。つまり、性行為はいつでも、どんなやり方であったとしても、それを望む人のものである、ということなのです。メキシコ会議はさらに一歩進んで、いとも簡単に、十代の人たちにも「家族計画」の情報とサービスが提供されるべきである、と勧告しました。はっきり言えば、子どもたちにも人工避妊薬が与えられるべきである、ということではありませんか。
このような考えの起源
このような考え方は、既婚未婚を問わず、希望者に人工避妊薬が提供されるべきである、という国際家族計画連盟の長年のプロパガンダに由来します。国際家族計画連盟の1983年の「若い人たち(10〜25歳)の必要に応じるにあたっての主張と指針」で、若い人たちの必要とは望まない妊娠を避けることであり、若い人たちを対象とするプログラムはこの必要に応えるべきであるということであり、彼らの性的行動に制限を加えることではない、としています。ですから、その意味するところは「十代の子どもでも家族計画サービスを受ける基本的権利がある、ということなのです」。
国際家族計画連盟に言わせると、両親は彼らの子どもの性的行動に関してはなんら発言権がないのです。彼らのもう一つの刊行物「家族計画への人権」はその2ページに「人工避妊薬の提供に際して親の同意が必要条件とされてはならない」と明言しています。
子どもたちの諸権利
こういう主張は、例えば1983年7月エルサレムで開催された思春期の性についての国際セミナーで浮かび上がった子どもたちの権利についてのある種の哲学に基づくものです。この会議で話し合われたのは人工避妊薬を提供し、人工妊娠中絶の手助けをして「若い人たちの性を合法化する」といったことでした。1983年秋の「子どもたちの権利のモニター」はこの会議を社説に取り上げて次のような主張をしています。「子どもたちは彼らの性が認められるだけでなく、その問題に対処し、その(情緒的、物的、情報的)欠如がもたらしうる悲惨な若干の落とし穴を避けて通るための手段をも提供されることを期待する権利がある」と、そのもっとも明らかな落とし穴が十代の妊娠であることを認めています。
国連の「専門家」の委員会は1984年初期のニューデリーでの会議で、この新しい子どもたちの権利を第2回国際人口会議のための勧告事項案に加えることを希望したのです。しかし、不思議なことに、それはメキシコ会議での審議事項に含まれていませんでした。1994年の会議ではどうなるのでしょう。
論理的発展
これらすべてには一定の論理が見られます。
−人工避妊は性交から妊娠を排除する。
−妊娠しない性交は結婚を前提としない。
−ゆえに、人工避妊薬を使用する性交は結婚していない人たちに勧められる。
−その場合、年齢の下方制限は不必要になる。
−性交が可能な年齢に達していさえすれば、誰にでもそれが許される。
−しかし、彼らは妊娠に対して必要な用心をするべきである。
しかし、これはもっとひどくなり得ます。人工避妊を前提とした性を認めた後、ある人たちは、単に、自由であることは良いことであると信じるか、いかなる制限にも反対であるか、または、英国のブルック助言センターのように、人工避妊薬や人工妊娠中絶剤を販売して商売をしたいとか、などの理由で若い人たちが性に耽るよう奨励するのです。このような動きがどれほどの堕落をもたらすかは、英国で起こりつつあることを見れば明かです。
英国での十代の性
英国でブルック助言センターが開設されたのは、1964年のことでした。そこでは性的活動を始めた十代にカウンセリング、激励、人工避妊、人工妊娠中絶医の紹介等を行います。「十代の安全な性」という彼らの宣言は、(法的同意ができる)16歳以下の少女たちとの性交が非合法であるにもかかわらず、彼女たちに人工避妊薬を提供することを認めています。これらのセンターは英国家族計画連盟の流れを汲むものです(Valerie RicheのEvils of Sex Education16ページ参照)。
英国家族計画連盟はMake It Happyのような本の推奨もしています。その本の表紙にはその役員会のメンバーの一人からの「これがすべての十代の蔵書であって欲しい」というメッセージが印刷されています。この小さな本には、だれが見ても猥褻としか見えない格好をしたはだかの少年少女の写真が掲載されています。それは、オーラル・セックス、アナル・セックス、グループ・セックス、グループでのマスターベーション、実際の挿入こそ省かれてはいるものの動物相手のセックスなど「既成の価値観から解放された」情報を提供しています。同書によれば、兄妹間の性交は「愛に満ちた関係」の表現であり得るのです。
アフリカでもそうなるか?
アフリカがそこまで堕落するわけはないと思われるかもしれません。二世代前まで、英国でも、そんなことが 起きるわけがないと思われていたのです。Make It Happyのような本はジェット機でわずか数時間の距離にある店頭で入手できるのです。英国家族計画連盟にはアフリカのすべての国にその姉妹組織があることを忘れてはいけません。西欧が今あるところに明日アフリカも到達するであろうことは、生活の他の分野にいくらでもその証拠があるではありませんか。
アフリカでは今
アフリカで何が起こるのだろうかと推測する代わりに、わたしたちの大陸で現在何が起きつつあるのか見てみましょう。1985年の初期、私はアフリカの青少年を対象にした人工避妊教育について、ちょっとした調査をして、英語圏と仏語権の21ヶ国から回答を得ました。判明したのは、国際家族計画連盟と国連人口活動基金によって推し進められている動きがあるということでした。
国際家族計画連盟の政策は彼ら自身の声明からも明かです。国連人口活動基金は特別の政策は持たず、ただ各政府からの要請に応じて行動する、と主張しています。しかし、彼らは政府が政策を立案する手助けをして、そのような要求を作り出し、それに応じるのです。メキシコ会議を組織し、自分たちの哲学を包含するその勧告の第一草案を作成したのはこの組織です。そして今、彼らはその勧告が実現されるよう全力を挙げています。1985年4月、彼らはモンロビアで会議を開いて、アフリカでは、どうすればそれらの勧告が実行に移されるかについて話し合いました。この会議の第13の勧告は学校のカリキュラムの中に家庭生活教育が導入されるべきである、ということでした。それが何を意味するかについては後に触れます。
わたしが発見した彼らのやり方は「響きの良い」言葉(例えば人工避妊教育を含む「家庭生活教育」)の使用ということでした。何が実際に起こりつつあるかについてはほとんど触れないのです。両親の意見などはまったく無視されます。どの国でも、それは異なったペースで進められ、そして、各国は実際に異なる段階にあります。それぞれの段階で、次の段階が可能であるなどとは考えることも、口に出すことも、可能であるとも思われません。しかし、そのうちに、考えもしなかったことが言われるように、口に出すことさえできなかったことが行われるように、そして可能であると思われなかったことが普通になってしまうのです。次に、その段階を示します。
1.先ずは絶対的沈黙。家族計画について完全な沈黙を守ります。家族計画に関しては政策が皆無であるか、強い公的な反対があるのかも知れません。
2.(例えば、家族計画連盟)などの民間団体の影響のもとで、人工避妊による家族計画が始まります。
3.先ずは既婚者を対象に、厚生省のプログラムの中に人工避妊がでてきます。この段階ではまだ、家族計画政策はないかもしれません。
4.慣行として、人工避妊が未婚者たちにも提供されるようになります。家族計画クリニックで既婚か未婚かが問われません。公的な政策としてはまだこの展開には反対であり得ます。
5.人工避妊は例えば、高校レベル以上の女子に提供されます。この段階に入ってもまだ公的な政策はなく、非合法であり得ます。
6.十代の妊娠に関するプロパガンダが始まり、その防止のために学校での家族計画教育の必要性を語り始めます。
7.国連人口活動基金による「人口に関する助言の必要性の査定」、つまり、その国の人口の必要度の調査、がなされるかもしれません。1977年と1984年の間に、国連人口活動基金は、84回にもわたるこのような研究を行っています。アフリカでの調査がこのうち33回を占めます。1985年にはさらに四回の調査がこの大陸で行われまし(Population・国連人口活動基金ニュース・レター、1985年7月による)。
これらの調査は「いくつかの発展途上国での人口に関する助言の必要性に応じる意図でなされる総合的演習」の一環として企画されます(国連人口活動基金、必要性に関するリポートNo.63、iiiページ)。そしてこれらには、それが、調査にあたった「専門家」の意見に過ぎない、という断り書きが付けられます。しかし、国連人口活動基金は執拗に、諸政府がそれらに従うように仕向けます。政府がその調査の出版を許可した、というだけの理由で、それが政策とほぼ同等の扱いを受けたという例も聞き及んでいます。ザンビアとケニヤ両国についての調査は、人口についての教育が必要であると結論しています。各国の必要と彼らに対する勧告が大体同じものに落ちつくのではないかと、興味を持って見守っているところです。人口/家庭生活に関する教育はどこででも必要であるということになるのでしょうか。人口に関する教育プログラムがそこで始められたという理由で、少なくとも、ウガンダとタンザニアではそうでした。1985年11月ユネスコは以上の4ヶ国で人口に関する教育の担当者をナイロビに集めて、3週間にわたる集中講座を開催しました。その間、いくつかの新しい人口教育プログラムが政府と国連の支持する諸機関によって承認されました。
ユネスコ・ハンドブック:人口教育のための教師の訓練
このユネスコ・ハンドブックは国連人口活動基金が主唱する人口教育の基礎になるものです。その意見は「あくまでも、著者の私見であって……必ずしもユネスコの公的見解ではない」(2ページ)と断っていますが、ユネスコと国連人口活動基金はそれに基づいて行動するのです。
ハンドブックの特徴は次のようなものです。
1.倫理的相対主義−「(社会の)これらの必要が時の経過とともに変化し、人類のグループごとに異なるので、性に関連する価値観のシステムも社会グループごとに異なる」(10ページ)。学生は、婚前セックスが祖父祖母の時代に彼らが住んでいた村では悪であったが、彼にとって現代彼が住んでいる町では必ずしも悪ではない、と結論してもよいのです。
2.価値観に捕らわれないアプローチ−「人口教育は『価値観に捕らわれない』アプローチをとるべきである。自分たちの立場を決定するのは、学ぶものの責任である」(8ページ)。聖パウロが「淫行を行うものとそれに類するものは神の国に入らないであろう」と言ったとき、彼にはしっかりした価値観がありました。
3.価値観の明確化−「(これは)社会と国家を一つに結ぶ基礎的な核心の価値観への意識的な忠誠心を強め(あるいは覚醒し)、学習者の中に将来の選択と決定するに当たっての諸価値観を検討する心構えを発達させることを狙いとする」(ユネスコ・ハンドブック、53ページ)。真の人間的発達の要件に基づいた道徳的諸価値観を内面化することを意味するのであれば、これに反対することはほとんどできません。しかし、ハンドブックは「価値観は人々の心の中にあるので……(そして)それ自体としてまたそれ自体のためには存在せず、個人が持つ特定の価値判断と主張に反映される」(53ページ)と述べているので、価値観の明確化ということは、学習者が、倫理的相対主義の雰囲気の中で受け入れた価値観に捕らわれない情報に基づく決定をすることによって、彼らの行動の道徳性について態度を決めることを意味し得るのです。「淫行はあなたには悪いかもしれないけれど、わたしが責任を持ち、コンドームを使用する限り、わたしにはよいことである」。これは、客観的な道徳法の考えからは遠く隔たっています。価値の明確化を提示するハンドブックの意図はまったく不明瞭です。そこでは「諸価値への忠誠心を強めること」が語られますが、その狙いはむしろ、諸価値を確認し、内面化することより、変化させてしまうことにあるようです。「一つの考え方を検討させることは変革の過程の一部分である」(54ページ)と、そこには述べられています。
4.善悪の基準としての生活の質に訴えること(ハンドブック、54ページ)−もしあなたが人間的発達が良いものであると信じるなら、ある程度の生活の質が人間活動の目的の一つであることを、あなたは当然認めます。しかし現代ある人たちは生活の質が生命自体よりも(または少なくとも他人の生命よりも)大事であると考えます。彼らはこの理屈で、人工妊娠中絶、安楽死、障害を持って生まれた新生児に対する控えめな治療(つまり、彼らが死んでしまうように、食物と水分を与えないこと)を正当化するのです。もしわたしたちの若い人たちが、生活の質を善悪の最終的基準にしてしまうように教育される危険があるとすれば、これを座視していいものでしょうか。
みんなが心配すべきこと
このハンドブックがあなたに関係ないと思ってはいけません。「(これが)世界中に頒布されて、その目的の一つ、すべての国の教師の研修レベルでの人口(つまり、性)教育プログラムの推進と採用、が実現することが望まれる」(6ページ)のです。教師の研修がすんだあとは、学校でそれが教え始められる、ということです。その狙いは全人類を再教育して、古くからの欲望に他ならない新しい道徳、を採用させることなのです。ですからあなたたちの国、あなたたちの学校、あなたたちの子どもが狙われているのです。
ではどうすればよいか
わたしが望んでいるように、あなたたちが警戒し始めているのであれば、自分たちはどうすればよいのだろうと、思っていることでしょう。わたしたちが一生懸命育ててきた作物の実りがあのセメント工場によって滅ぼされるのを防ぐにはどうすればいいのでしょうか。
1.まず、あなたの国で、人口/性教育がどの過程にまで進んでいるか、各国の国連人口活動基金事務局と国際家族計画連盟のメンバー(米国ではPlannedParenthood、メキシコではPro Fam、ドイツではPro Familia、その他)が若い人たちのために何を計画しているか、を見極めることを勧めます。
2.次に、若い人たちの教育というわたしたちのレベルだけでなく、政策レベルでも、行動を起こすことです。もし、新しい道徳がメキシコ会議で浮上したとすれば、それは信奉者たちが政府を動かしたからです。経験は、諸政府が国際家族計画連盟/国連人口活動基金の線で動いてきていることを示します。なぜそういうことになるかといえば、それが彼らに提案された唯一のものであり、彼らには、その意味することが理解できなかったからです。少しでも情報を提供すれば、彼らは別の見方ができるかもしれません。各国の教会は、信徒を通じて、政策を決定する人たちに接近できる位置を確保するために、善意のすべての人々の支持を確保しなければなりません。人口/性に関する運動をモニターし、それに対する対策を立てることのできる機関であるバチカンの家庭のための教皇庁委員会はこのような動きを激励し、調整することができます。今わたしたちが行動を始めたら、1994年の国連人口会議の結果はもっとわたしたちに受け入れやすいものになるでしょうし、そうしなければ、さらに悪いものになり果てることでしょう。
3.この大陸の両親たちがあなたたちの最大の味方です。彼らは有権者、つまり、政府が最終的にはもっとも気にする人たちでもあります。彼らの子どもたちのために準備されていることについて警告するために、秘密裏になされていることを明るみに引き出すことです。
4.同時に、わたしたちも、人口増加と若い人たちの性と関連する問題について研究し、提案されている種々の解決策の結果を現実的な方法で評価する必要があります。人口と発展はどのような相互関係にあるのでしょう。わたしたちには赤ちゃんが生まれすぎているのでしょうか。または、兵隊が多すぎるのでしょうか。十代の妊娠の問題はどの程度なのでしょうか。その原因と対策は何か。経験から、若い人たちにふんだんに人工避妊薬を提供することが事態を悪化させるだけであることを証明できるでしょうか。あなたの小教区、要理クラス、教会立公立を問わず、学校で、この問題に関して何がなされているでしょうか。わたしたちにはどんな対抗策、積極的な取り組み方があるのでしょうか。事実なしにただ理論的、否定的、検閲官的な態度でこれらの諸問題に当たっても味方に付けたい人たちの賛同を得ることはできないでしょう。多分、アフリカの(そしてよその)教会はこれらの問題に指針を与える人口研究所を設立する必要があるのでしょう。
5.特に、わたしたちは人口問題と性についての青年の教育に関して積極的な解決とプログラムを、提供しなければなりません。そして初めて、わたしたちに同意する人たちと力を合わせて政府と国際機関に影響力を行使するために、効果的に働けることを期待できるのです。それが全部簡単であるとか、一日で達成されるなどと思う人はいないでしょう。しかし、もし神がわたしたちとともにいらっしゃるなら、誰がわたしたちに立ち向かうことができるでしょうか。わたしたちの運動のスローガンとして、カール・マルクスの言葉を借りることにしましょう。「世界の両親たちよ、団結せよ。あなたの子どもたちの他に失うものは何もない」。
Original title: Their Plans for Your Children, Subtitle: Education of Youth in Sexuality; Author Richard Cremins, S.J.