いささか旧聞に属しますが、1994年10月23日のカトリック新聞に、カイロで開催された国連人口会議に出席した横浜教区のある女性が、第三世界の人口を制限するために、人工避妊が許されるべきであるという趣旨の論文を発表しました。回勅『フマネ・ヴィテ』、回勅『生命の福音』、カトリック教会のカテキズムのどこを読んでも、そのような教えを発見することはできません。なお、カトリック新聞社での編集会議では、約半数の記者たちが上記の記事掲載に反対であったと理解しています。神に感謝。しかし、残りの半分の記者たちは、カトリック教会から給料を受け取りながら、教会の教えでない個人の意見を、教会の教えと偽って普及していることにならないでしょうか。以下の私信は、そのような考えがどれほど間違っているか示すために、本人の許可を得て、ここに発表するものです。アフリカで実際何が起こっているかを理解しましょう。
家族計画と倫理
家庭と女性と子供に平和を
シスター・ウルスラ・ビルギッタ・シュネル
(タンザニア・ウダンダ聖べネディクト病院勤務)
『フマネ・ヴィテ』研究会 成相明人
1994年医療関連法第十回世界大会での報告
エルサレム・1994年8月8日〜9月1日
家庭は、どのような社会にとっても基本的構成単位であり、愛で永遠に結ばれているのがその本来の姿です。この単位は、結婚によって夫婦・両親になった一組の男女から成り立っています。結婚に基づくこの家庭こそ、創造以来神が望んでおられることに他なりません。「神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された」(創世記1·27)親の仕事の一つは、自分たちの創造主に協力して、次の世代に生命を受け渡すということです。このようにして、彼らは神と共に創造する者になります。社会の中のこのもっとも小さな単位が、愛、調和の中に健康に生きていけるために、その新しい構成メンバーの誕生を正しく計画する必要があります。この小さな単位の全ての構成員の尊厳が、身体的、心理的に大事にされる家族計画の方法を、倫理は要求します。
家族計画を主張する複数の団体は、種々の避妊剤や避妊器具を提供して「安全な母性」を推進しています。例を挙げると、経口と皮下注射によるホルモン系の人工避妊薬があります。わたしの調査によると、これらの人工避妊薬を使用した77人の中40から50人(65%)の女性は病気になりました。何人かの女性は下腹の疼痛に苦しめられました。他の女性たちは不規則かつ大量の出血、避妊ピル服用中止後の無月経、背痛、心臓疾患、めまい、吐き気、その他に悩まされました。一人の女性はゆううつ症にかかり、家族全体が苦しみました。主人は、そんな妻に嫌気がさし、近所の女性と浮気を始めました。
さらにもう一人の女性は、出産直後から避妊ピルを服用し始め、主人と赤ちゃんに対して敵対感情を持ち始めました。彼女は、ピルの服用を止めたので、やっと回復しました。また、ある女性は、避妊ピル服用を停止した後も妊娠しないので、毎日、主人と喧嘩をして、彼から殴られていました。主人は、もう一人赤ちゃんが欲しかったのです。デポ・プロペラのためにひどい出血が止まらない母親たちもいました。彼女たちには輸血以外に治療法がありませんでした。彼女たちの組織の中から、この薬品を取り除くことができなかったからです。このエイズ全盛の時代に、輸血を受けなければならないのは悲劇です。
第三世界のほとんどの女性は、貧血に悩まされています。しかし、人口抑制団体はそんなことにはお構いなしです。ですから彼女たちのために、貧血状態を悪化させる不正出血の原因になるノープラントを処方します。これらの避妊剤のほとんどは、新しい生命の発生を阻止するのではなく、その初期に、着床を阻止するのです。
避妊リングにしても、妊娠を阻止するのでなく、新しい生命を殺します。それは欧米の多くの女性たちの腹膜炎、不妊症、子宮外妊娠の原因でした。しかし、それは、第三世界で広く「無害・安全な方法」として女性たちに、無料で、勧められているのです。さらにひどいことに、このリングを装着するのは医者ではなく、看護婦とか助産婦、そして解剖学とか衛生学などの知識に乏しい伝統的な出産時の付添人などであるということです。その実施の場所といえば、衛生状態の保証などまったくなく、抗生物質なども手に入りにくいか、まったく始めからあるわけもないような保健所の一室です。わたしは、まだ子供を生んでいない若い母親に会いました。彼女は流産の後、6ヶ月間は妊娠しないようにということで、避妊リングを装着されてしまいました。彼女はわたしの診察室に腹膜炎の治療に来ました。5人子供のいる別の女性は、リング装着後、出血が止まりませんでした。診療所で、彼女は、まだリングに慣れていないからという理由でリングを外すことを拒否され、追い返されてしまいました。彼女の出血は続き、最後には貧血で倒れてしまったのです。別の病院でリングは取ってもらったものの、彼女の高熱と痛みは続きました。2回の掻爬と2回の手術の後、小水癌・膣フィステルに苦しみ始めた彼女は、わたしたちの病院にやってきました。この母親は15ヶ月も病気に苦しみ、危うく生命を失うところでした。ドイツでは6人の女性たちが、リングを装着した後下腹部の痛みを感じ始めました。彼らの医師がリングの除去を拒否したので、この6人は、互いに協力してリングを取り外したという記録があります。
外科手術による人工避妊は女性たちに強制されています。しかし、先進国と異なり、第三世界において衛生状態は保証されていません。ある女性たちは手術の後、下腹部の(pelvic)膿瘍で苦しみ、また他の女性たちは腹膜炎にかかって死亡します。
家族計画の中でももっとも残酷な人工妊娠中絶は、1866年エルンスト・へッケルが唱えたいわゆる「生物発生学の基本法」に基づいています。その主張するところは、人間の発達は短縮された形態で系統発生を繰り返すというものです。つまり、発生したばかりの人間の種は、まず、ヒレ、エラ、尾などを備えた魚の段階を経て発達するグニャグニャの細胞組織にしか過ぎず、おそらく3ヶ月たった段階で、初めて人間の段階に達するというものです。こういう考え方は、確かな観察に基づいたものではなく、当時、微少解剖学が技術的に未発達であったために可能であった学説に過ぎません。胎児学者エーリッヒ・プレッシュミットは、「生物発生学の基本法」を生物学のもっともひどい間違いの一つと位置づけています。彼は「連続的分断による再構成」と呼ぶ新技術で、単細胞の人間胚芽が、すでに1個の個体であり、他の種の受精卵とは、その遺伝子の資質から見ても異なるものであることを証明しています。若い人間の胚芽は人間の胚芽として発達するのであって、後になってから、おそらく偶発的に人間が発生してくるようなものではないのです。人間としての特長は、受胎のその日から存存します。ですから、この若い人間の胚芽を殺すこと、またどの段階であっても、そしてどのような方法であっても、この胚芽を使用した実験をすることは許されません。避妊リング、ホルモンによる人工避妊、不妊ワクチン、掻爬、吸引機、子宮除去、その他どのような方法であっても、人工妊娠中絶、月経の調節、月経を人工的に引き起こすRU486は犯罪です。
人工妊娠中絶は、胎児を殺すだけではなく、母親の体も心も傷つけます。「人工妊娠中絶後遺症」と呼ばれる重い精神障害に苦しむ女性の力になろうとする中絶医がいるわけありません。彼らが口にするのは「生殖に関する健康」ですが、「生殖に関する病気」こそ彼らが主張しているものに他なりません。
これら種々の方法によって、女性は、男性が欲するとき男性を喜ばせるモノとして、常時、男性にとって入手可能になります。このようにして、女性の尊厳は奪われてしまいます。女性は、感情を持たない機械として取り扱われます。女性たちに子供を産んで欲しければ、スイッチが入れるというわけです。子供がもう必要でなくなれば、薬品とか、器具とか、手術によってスイッチを切るのです。彼女たちが望まれない子供を生んだときには、その子が殺されてしまいます。これは、女性にとって大きな苦しみでなくて何でしょうか。別居とか離婚が増えるのは当然です。人工避妊薬は「安全な母性」を推進すると主張する人たちがいます。「安全な母性」でなく「安全なうそ」こそ本当に近いのです。なぜかと言えば、夫たちは自分たちには何ら危険なしに妻たちを使用することができるのに、妻たちは、苦しまなければならないからです。安全な母性は夫が利己主義を捨てて妻を愛し、彼女を一人の人間、自分のパートナーとして専敬するときにのみ可能になります。
時代は変わり、科学は進歩しました。女性は、もうこんな危険な方法に頼る必要はありません。現代、女性たちは、自分たちが妊娠可能であるかどうか、妊娠可能の徴候である粘液を、毎晩、観察すればいいのです。自然に基づいた家族計画(NFP)のいろいろな方法、特に、排卵法(ビリングス・メソッド)は、これを可能にしてくれました。盲人も含めて、どんな女性でも、排卵後の3日間を含んだ妊娠可能期間の徴候である外陰部のあのスべスべした感触を知ることができます。妊娠するか、それとも次の妊娠までしばらく待つかは、夫婦がいくつかの規則を守りさえすれば決定できます。ただし、そのためには夫婦のしっかりした決心が必要です。自然に基づいたこの家族計画は、相互の尊敬と新しい生命に対する尊敬、夫婦の忠実、家庭内の平和と調和を深めます。この方法に頼る夫婦の愛は深まり、夫婦の人格的成長を促します。家族計画の責任は両者によって分担されます。この方法は、家族成員の安全と健康を保証します。この方法は健康を害することがありません。この方法をみんなで推進しましょう。
「十代のための家族計画サービス」について一言。これは矛盾そのものです。十代の人たちには計画する家族があるのでしょうか。ですから、これは「十代の乱交を推進するサービス」とでも呼ばれるべきものです。わたしたちの若い人たちは、自分たちの家族を持つ前から、すでに、これらの人工的手段によって傷つけられてしまいます。人口制限派の政治家たちは、若い人たちに「おまえたちには自分のコントロールができない」というとき、彼らを軽蔑していることになるのです。動物にとって、それは本当かもしれません。しかし、人間は動物とは違います。「性の健康を推進する」という口実で、彼らはコンドームを無料で配布しますが、それは、乱交を奨励するようなものではありませんか。このような政策は、HIV感染とか不妊症の原因である淋病から彼らを守ることにはなりません。彼らのしていることは「性病の推進」以外の何物でもありません。若い人たちには良心があります。それは「善を創造する審判所ではなく、道徳の普遍的、客観的規範に基づいて形成されなくてはなりません」(回勅『真理の輝き』)。それは「神が人間に語りかける聖なる場所」であり、善悪についての真理をあかしします。若い人たちには善悪の区別をするための知性があり、真の善を選択し、それを実行する能力があります。このように行動するとき、彼らは、初めて、自分たちの持つ尊厳に相応しくなります。若い人たちには純潔についてもっと話しましょう。これは、金のかかる化学物質を要しません。純潔はもっとも安上がりで、もっとも安全な方法ではありませんか。同時に、それは、自分たちの尊厳を尊び、自分たちを一人の人格として成長させてくれます。
国際倫理ガイドラインは、患者の告知に基づく同意について言及しています。つまり、医師は、患者に薬品の効果と副作用について教えなければならないということです。患者がそれに同意するとき、初めて、彼女に何らかの危険があったとしても、つまり、その薬品が彼女の健康を害し、胎児を殺すことになったとしても、わたしは彼女に特定の薬品を処方できるのです。医師にとって、これは正しいことなのです。なぜかと言えば、患者は通告を受け、同意しているからです。しかし、こんなガイドラインは、告訴のとき医師を守るだけの堕落した倫理の一種でしかありません。これは、決して、患者を障害から守るものではありませんし、患者の赤ちやんを死から守るものでもありません。
真の倫理であれば、価値観とか、善悪と取り組むものです。生命、死は価値観です。最高の善は、わたしたちが創造主から受けた生命です。殺人、民族の虐殺、人工妊娠中絶、安楽死、自殺など生命自体に反することは、それ自体において悪である行為に他ならず、決して善ではあり得ません。人工避妊剤(器具)は、しばしば母親の生命を奪い、彼女の体と心の健康を害するので、健康と生命自体に反します。次の妊娠までに期間を置きたいという良い意図は、その悪を減じることはできます。しかし、そのような行為の内部にある性質を変化させることができません。ですから、その悪を取り去ることができないのです。人を殺すこと、不妊手術とか不妊ワクチンを使用して健康を害し、体を傷つけることは、それ自体において悪い行為だからです。これらはすべて、神に似せて創造された人間の善に根本的に反しています。わたしが患者に告知をしようがしまいが、患者がそれに同意をしようがしまいが、事態が変わるわけではありません。人工避妊薬(器具)を処方すること、人工妊娠中絶とか安楽死を執行することは、その人の人間性を冒すので、悪い行為であり続けます。
ですから、人類に仕えるためにわたしたちの生涯を捧げ、受胎の瞬間から死に到るまで人間の生命に最大の尊敬を払う、また、脅迫を受けることがあっても、わたしたちの医学的知識を、人間の掟に背いて使用しないという、わたしたちの誓いに忠実でありましょう。
結論として、わたしは、医療関連法第十回世界大会に、以下の事項について、挑戦したいと思います。1)わたしたち医師にヒポクラテスの誓いに忠実であり続けるよう励まし、医業の尊厳を取り戻す。2)自然に基づいた家族計画(NFP)の普及にもっと努力する。3)以下の法律制定に尽力する。a)胎児と女性を実験の対象にしない。b)女性の健康と胎児の生命を傷つける家族計画を禁止する。c)「若い人たちの性的堕落を助長するようなサービス」を禁止する。
これらが実現するとき、初めて社会の基本的細胞が、平和と調和の中に生きることができるようになります。どの国であっても、家庭という、このもっとも小さな社会の単位が平和であるとき、この地上に平和がもたらされるのです。