オーストラリア訪問記
『フマネ・ヴィテ』研究会メーリングリストに流したものと同一
成相明人
生命尊重運動 — プロライフ — の講師として、1月末、オーストラリアのパースに行く機会を得ました。何しろ、生まれて初めての訪問でしたから、興味津々でした。以下はメーリング・リストのメンバーに送ったものです。
無事オーストラリアはパースから帰ってきました。鹿児島市と姉妹都市の関係にあるパースはウェスターン・オーストラリアにあります。日本の南極探検隊が立ち寄るフリー・マントルも20キロぐらいの所にあります。W.A.が州名の略字ですが、それはWait awhileウェイト・ア・フォワイルつまり「ちょっと待って」のことだと教えてもらいましたが、ノンビリしたお国柄です。シンガポール経由で行きましたが、10時間ぐらいかかります。時差は一時間日本の方が進んでいます。
レイモンド・デ・スーザ氏による個人的招待でしたが、ヒッキー大司教様とか30人ほどの若手司祭たちを対象にもお話しできました。一般対象にも話しましたが、一時間のラジオ出演もあり、充実した訪問でした。エンデルレ書店からジンマーマン神父様の「生命問題に関するカトリックの教え」が出ていますが、その英語版も持っていきました。大司教様にも献呈したところ、すでに初版を読んでおられました。部数に限りがあったので、多くの人にはウェブサイトを紹介しておきました。更新もしなかったのに、留守中にカウンターが日に500の割で上がっていましたが、おそらくそのせいでしょう。
ピルの危険について…おそらく、疑似妊娠状態を人工的に作り出す避妊ピルの副作用でしょうか、異様にに乳房が発達した、明らかに結婚も妊娠もしていない女性が目に付きました。それに加えて、以下の話しをある司祭から聞かされました。おばあさんに当たる方は19人の子供を生んだそうです。日曜日には100人分のサンドウィッチを準備して待っていると、子供や孫達が来て、全部食べてしまう…ですから、この司祭には従兄弟も200人以上いたのでしょう。その中で20人ほどの従姉妹達から司祭であった彼は会う毎にピルのことで攻撃されました。「ピルって便利よ」とか「ピルの副作用なんて信じないわよ」そして、彼はため息をついてその従姉妹達が既に一人残らず死んでしまったと教えてくれました。彼女たちのお母さんに当たる母親達は全員80歳以上でまだ元気だというのに…
時差ぼけこそないもののいささか疲れました。左足付け根が痛くなったのは恐らくエコノミー・クラス症候群と言われるものでしょう。次回からは気をつけなくてはいけませんね。皆さんも長時間の飛行の際には気をつけましょう。
オーストラリアのお金もドルとセントでした。ただし、オーストラリア・ドルは米ドルの丁度半分ぐらい。物価 — 中国料理とコカコーラでランチは9ドル。床屋で散髪は10ドル。15連の長いロザリオ10ドル。9つ位あります。先着順に進呈します。欲しい人は教えてね。返信用封筒を送って下さる方に最優先的に上げてしまいましょう。
床屋には北海道から来た女の子が働いていました。ワーキング・ヴィザで就労していたのでしょう。その隣で私の髪を刈ってくれたのがイタリア系の男性理髪師でした。わたしが日本人と分かると、その女の子を指して、この子は日本人だから彼女と結婚したらどうだ…ローマンかラーしているからカトリック司祭と分かるはずなのに…しかも彼はカトリックの国イタリアから来ています。後で、この話をデ・スーザさんにしたところ、聖なるもの、カトリック教会、神様を侮辱するのはイタリア人とフランス系カナダ人…最良のものが腐敗すると最悪になるとはこういうことだ…とカンカンに腹立てていました。カナダ人たちは事あるごとにCalice! Sacrifice! つまり、御ミサに使うカリス、いけにえ…を口にするのだそうです。ラテン語で言えばCorruptio optimi pessima! 悲しいことです。
New Norciaはパースから136㌔北にあります。1846年、ベネディクト会士たちによって創立された修道院があります。ベネディクト会と関わりのあるイタリアの地名にニューをくっつけてニュー・ノーシアと呼ばれるようになりました。広大な土地というか町全体がベネディクト会の所有地です。修道士達は現在、17人で、1920年以来そこにいるスペイン人の司祭や修道士達も3人いました。17人と言えばたくさんいるようですが、あの広大な施設にこれだけの人数では、しかも若い人たちが少なければ、悲しくなります。収入は主に観光客が頼り。わたしとロー神父は修道院の客ということで、プラシド修道院長のテーブルでお昼を頂きました。2月2日まではまだクリスマスの季節で、沈黙しないで食事します。食堂内の写真撮影は許されませんでした。
一時は男の子達の大学とか女子のための高校、原住民つまりアボリジニーのための孤児院をマリスト会のブラザーやスペイン人のベネディクティーンが担当していましたが、今はこれらの壮大な建物があるだけで、何の活動もありません。それぞれの建物の中には壮麗な聖堂があり、黙想会のときなどには活用されます。全体的に「何という淋しいところだろう」というのが私の印象です。博物館もあり、中にはいろいろな聖人の遺物がありました。アッと驚いたのは小さなピクセルに入った、何と「マリア様」の聖遺物…えっ、マリア様は被昇天なさったのでは?と驚きましたが、それはマリア様の髪の毛の端っこなのだそうです。写真に撮ってきましたよ。
孤児院は本当は孤児院というより、貧しいアボリジニーたちが女の子を預ける場所でした。そこで教育を受け、シスターになった子たちもいます。何年か前は同窓会もしました。政府の方針でアボリジニーは自分の子供をそこに預けることを禁止されたと聞きました。アボリジニーは現在オーストラリア総人口の1%ぐらいです。この人達から子供を取り上げて白人達の家で養子として育てる…ということなどもあり、彼らの本来の文化は途絶えて、現在は、生活保護に頼って生きている人たちが多いそうです。生きる目的を失った人たちはアル中、犯罪者になったりします。アフリカの黒人とは確かに見てくれが違いますが、それでも色は黒いです。白人と結婚することはまれだそうですが、帰りの飛行機に黒白の夫婦が一組、窓際に座っていました。窓から見える外を眺めようとしてそちらに目をやると、この二人が必ずきっとこちらを睨み返してきました。まるで、「私たちのどこが悪いのよ?」と言わんばかりに…恐らく、両方の親兄弟の反対を押し切って結婚した人たちなのでしょう。
オーストラリアは今でこそ多民族国家ですが、基本的には英国系です。さて、英国は食べ物が今ひとつというお国柄。オーストラリアの名物がフィッシュ・アンド・チップス。これは白身の魚とか烏賊に衣をつけて油で揚げたものにフライド・ポテトを山のようにあしらったものです。フリーマントルの港にあるチチェレッロという店に連れて行ってくれました。「どうだ、旨いだろう」と聞かれたら、礼儀正しい私のことですから、「旨い」としか答えようがないわけですが、内心「日本にはもっとおいしいものがあるぞ…」
もう一つの名物がパイ…これはミートパイのことでした。アップルパイの中身が牛の挽肉で、ケチャップなどをぶっかけて食べます。飲み物はコカコーラ。このときも同じ返事をしておきました。大きなスーパーの地上階にある広場のようなレストランで壁に沿っていろいろな店があり、すし屋までありましたが、それは横目で睨んだだけ…
肥満型男性女性が町には溢れています。食生活には改善の余地あり…ただし、この10日間同居したマイケル・ロー神父の食生活を見ていると、朝のミサが10時でも、水以外に昼までは殆ど何も食べないのには感心しました。食欲をここまでコントロールできたら、見事です。
パース教区のマイケル・ロー神父について書きましょう。年齢はわたしのちょうど半分33歳です。ブース出身。自分の出身教会も見せてくれました。父母を幼くして亡くし、祖母育てられたそうです。若いから当然トレント公会議のミサなど見たこともありませんでした。でも、マイケル・デイヴィース氏の著作を読み始め、神学校在学中に近くの大学でラテン語を学び、聖伝ミサだけ唱える司祭になりました。さすが、叙階のミサだけは新しいミサで共祝したのですが、それ以来一度の例外もなく聖伝のミサを捧げ続けています。ヒッキー大司教様も彼の信念には負けて、パース市内の伝統ミサ愛好者のためのチャプレンに任命しました。
この他、レデンプトール会のアウグスティン・カミンス(確か86歳)神父も伝統の聖伝ミサに固執したとして会から身分剥奪まではないとしても、放逐されて現在パースに居住して、政府の年金で生活しています。その他聖ピオ十世会の司祭たちも二三人いるようです。タスマニア教区のある司祭も聖伝のミサを捧げていましたが、別の教区の司教に任命されました。
これらの司祭の許に聖伝ミサを求めてくる信者はかなりいます。マイケル・ロー神父が日曜日に昔カテドラルであった小さな聖堂でミサを捧げると、そこは一杯になります。そのうちに正規の司祭館がある教会の主任司祭に彼が任命されることを信者達は熱望しています。
彼から死者のためのミサ40回を依頼されました。連続ではありませんが、このような依頼を受けて考えてしまいました。ミサはミサでも聖伝のミサを死者のために依頼する遺族の気持ちは分かります。一つ一つのミサの価値は無限であっても、神様がもっと喜んで受け入れられるのは聖伝のミサであるという信徒の確信に触れて、私の信仰も強められます。クラス・メート平田寛神父の葬儀ミサに与りました。自分が死んだら、葬儀では聖伝のミサを捧げて欲しい…と思いました。遺言状にはそう書いておきましょう。
教皇様が望まれるように御聖体を跪いて舌の上に受けたい信者達はたくさんいるのです。そして、そういう信徒は司祭から迫害を受けます。侍者をしていて御聖体を拒否されて泣いた男の子達、どうしても舌で受けるのならそうしなさい…とばかり床の上に司祭が御聖体を投げ、信者がそれでも手で拾おうとせず床にはいつくばって舌で頂いたこともありました。新しいミサにはどうも御聖体を大切にしないようにさせるものがあります。日本でもこの種の話しには事欠きません。聖伝のミサに対する理解と尊敬が深まるよう願っています。ただし、あくまでもラテン語とか伝統にこだわっているのではなく、新しいミサの中にあるプロテスタント的なもの、不純なもの、曖昧なもの、フリーメーソンが関わったとされるその生い立ちに対する抵抗です。これが行き過ぎると新しいミサは無効であるなどと言い出します。パースでもこのような人たちのことを聞きました。カトリック教会の堕落と混乱と不振は事実です。この原因は第二バチカン公会議と新しいミサにあります。
Kangarooの略語はRooで、これは辞書にあります。Roobarというのは車の前部につけるバーつまり横棒です。これがないと夜間走行の際にはカンガルーが飛び込んでくることがあるそうです。友人の神父も一度は衝突されたことがあると言っていました。日本でパジェロの旧型などにつけてあることがありますが、あれより遙かに大きく頑丈です。パース市内でも郊外に行くと庭先などに出てくることがあります。シェンシュタットのシスターたちがやっている黙想の家周辺にある広大な敷地には20頭ほどが住み着いています。
コアラは東部の方が原産で、動物園に行かないとW.A.では見られません。抱いて自分のカメラで写真を撮ってもらうと確か600円ほどかかります。30センチほどのとかげも駐車場などで見かけました。日本なら動物園で見かけそうな大きなインコかオウムのような鳥も群れて飛んでいます。