避妊がもたらしたもの
医学博士 アンヘリータ・アギーレ

『フマネ・ヴィテ』研究会 成相明人訳

わたしたちは、どうして避妊メンタリティーを受け入れるようになってしまったのでしょうか? 以下にそのずるく、組織的で、よく練られた導入の過程を提示しましょう。

第一段階・セックスがキンゼーの主張にのっとって、抑制不可能、かつ抑制されてならない快楽の手段として推進されました。それから、禁欲が徳ではなく「自己表現」にとっては障害であるとされるようになりました。こうして邪淫、姦淫、同性愛、その他一連の性に関する罪が現代世界に広まりました。

第二段階・この段階で結婚にあるきずなの側面と生殖の側面を分離しました。夫婦の交わりが生殖につながらなくてもよく、ひたすらに快楽の目的のためであってもいいのだと説かれました。ここから避妊薬使用が当然視されるようになります。女性がもはや先のことを考えようとしない無責任な男性から使用され、捨てられることも可能になりました。不幸なことに、フェミニスト団体を含む多くの女性たちはフリー・セックス、避妊、なかんずく妊娠中絶に対する態度の変化に対しては責任があります。

第三段階・結婚行為を婚姻の秘蹟から分離し、フリー・セックスを奨励しました。これがさらに性的放縦、姦淫、同性愛、その他を拡散させることになります。

第四段階・子供たちが不必要で、性的放縦の偶然の副産物に成り下がりました。そこから、よくあることですが、避妊が失敗すれば中絶をしたり、子供が産まれる前であろうが後であろうが子供を殺す決断を女性はいとも簡単にするようになりました。

今日、子殺しの一形態である妊娠中絶は、選択肢の一つとして座を占めるようになりました。よく耳にするのは「妊娠中絶よりも人工避妊を」というスローガンです。どの国でも積極的に避妊を導入すれば、人々の避妊メンタリティーが中絶メンタリティーに移行するなどだれも考え及びませんでした。妊娠中絶の合法化は避妊の高い失敗率の効率的補完手段として正当化されています。

あの悪名高い一九七三年一月二十二日の合衆国最高裁ロー対ウェイド判決以来、二千五百万以上の幼い生命が闇に葬られています。現在、米国では毎年百五十万人の赤ちゃんが中絶されると推定されます。これは二十一秒ごとに一人の赤ちゃんが中絶されることになります。全世界での妊娠中絶は毎年約四千万件になります。これらの妊娠中絶は実際に請求があれば妊娠のどの段階であっても実施されます。それだけではありません。妊娠中絶が合法化された国では安楽死の合法化もそれほど先の話ではありません。死の文化のサイクルはこのように完結します。

避妊メンタリティーは、なぜ母親、父親、祖父母が自分たちの赤ちゃんを殺したがるかの説明になります。夫婦行為にある生殖の側面が忘れ去られると、子供は事故、性的放縦の副産物になります。子供たちはもはや基本的人権を備えた人格であると考えられなくなり、ちょうど車とか住宅のように捨ててもかまわない物になります。子供たちが物のように取り扱われるのであれば、彼らの保護者とか両親は子供たちの感情とか福祉などは一考もせず、好きなように処分できます。子供たちが「神からの賜物」であるとか「神の似姿に造られた」ことなどは都合が悪いので、すぐに忘れ去られてしまいます。