六章 自然にかなった家族計画・自然の道・神の道

*教皇ヨハネ・パウロⅡ 世は自然にかなった家族計画の教育を使徒職と見なします
*家族計画を実行している夫婦の体験
*司祭と一般信徒のどちらがリードするか
*荻野久作博士が自然にかなった家族計画の基礎を発見した前後の事情

自然にかなった家族計画と教会

『ファミリアーリス・コンソルチオ』の中で、教皇ヨハネ・パウロⅡ 世は『フマネ・ヴィテ』の論理を一歩進められます。そこで、教皇は「結婚しているすべての人々と結婚を考えている若い人々は、受胎可能期間の身体のリズムについて、知識を与えられなければならない」とはっきり宣言なさいます。既婚者、医師、看護婦、専門家が、彼らを「分かりやすく、当を得た、適切な指導と教育をする必要があり・・・それは自制の教育にまで及ばなければなりません。したがって、純潔の徳と、それに関する教育を、絶えず続けていくことが必要です」(『ファミリアーリス・コンソルチオ』三三)。

それ以外も、教皇は、自然にかなった家族計画の使徒職に関心を持つよう、わたしたちを励ましておられ、たとえば、司教たちも、自然にかなった家族計画の使徒職について積極的な態度をとるよう、聖職者、修道者、信徒リーダーたちもそれに協力するよう、提唱しておられます。

自然にかなった家族計画について指導する夫婦たちの活動は、私的なものではありません。真にキリスト教的な責任ある態度で、親として生きていくことを望む人々が、自分たちの産児計画を実行できるように、彼らは司牧者と協力して、確信を与え、実際的な助力を提供します。それは教会の司牧的責任の一部です(『ファミリアーリス・コンソルチオ』三三参照)。そうであれば、自然にかなった方法の推進と指導は、司教に協力し、彼に指示と助力を仰ぐ司祭、修道者、専門家、既婚者の協力を要する、真に司牧的な事業です(自然にかなった家族計画の国際大会にあてた教話、一九八四年六月九日)。

自然にかなった家族計画の使徒職の遠大・強力な攻勢への招きは、教会の中で、比較的新しいものではありますが、時宜を得た、大きな挑戦です。わたしが神学校で倫理神学を勉強したころ・・・五〇年前・・・ある神学者たちの意見は、もし、夫婦が自然にかなった家族計画を実践したければ、聴罪司祭の「許可」が必要であると教えていたものです。聴罪司祭がいろいろ検討して、この夫婦の動機は十分であるかどうかを決定する、というものでした。すべての夫婦がこのシステムを学ぶことを提唱することによって、教皇は夫婦が自分たちで納得のいく、そして責任ある決定をするようにと言っておられます。もちろん、司祭との相談は賢明な、そして寛大な決定をする際の助けになるかもしれません。

使徒職としての自然にかなった家族計画への、この新しい積極的な取り組み方は、大胆なものでもあります。ある司教、司祭たちはそういうことに触れるのに、ためらいを見せますし、それどころか、そういうことを軽視したりさえします。自然にかなった家族計画を推進しょうとする司祭、修道者たちは、現代でさえも厳しい取り扱いをうけ、共同体から追放されたりさえします。

この挑戦は、実に大規模なものです。その対象は、現在、子どもを生める年齢層にある、八億五〇〇〇万〜八億八〇〇〇万組つまり一七億人の男女と、すでに結婚前の発達時期に達している一〇億人の若い人たちです。

しかし、これは決して不可能な事業ではありません。過去一〇年に、五〇〇〇万組の夫婦が自然にかなった家族計画を習得したであろうという推定は、わたしの意見では、控えめなものです。ある特定の地域で十分な数の住民がこの方法を習得すれば、それはその地方の語り草になり、将来の世代にとって一つの生き方としてしっかり根を下ろしていくことでしょう。洞察力のある司牧者たちは、すでに、自然にかなった家族計画を実行する強固な小教区を作り上げています。一例を挙げるならば、アメリカ合衆国、南ダコタ州コルマンにある聖ペトロ小教区のバイアス・マーディアン神父は、過去二〇年以上の期間にわたって、結婚準備講座の一部に自然にかなった家族計画を組み入れてきました。彼は、半数以上の夫婦が「それを受け入れただけでなく、今日も、それを生きていると言える自信がある」と語っています(Our Sunday Visitor 一九九一年三月三一日)。

この点に関して、ポーランドはカトリックの世界の中では、何歩か前進しているようです。一九五〇年代初期に、小数区立の相談所の連合体が形作られ始めました。そして、一九六一年、カロル・ヴォイチィワ司教は、二五〇人の家庭生活指導者を召集して、全国大会を開きました。大会が認識したのは、自然にかなった方法が、公的機関において政府主導で教えられていないので、独自に全国的に組織された教会立のセンターの必要がある、ということでした。全国組織は、その直後、誕生しました。一九六七年ヴォイティワ枢機卿は、クラカウにワンダ・ポルタウスカ博士を責任者として、家庭生活研究所を設立しました。新司祭、医師、相談員たちが、特に週末を利用して、そこでの講習会に参加しました。ヴォイティワ枢機卿自身も、少なくとも職員たちを励まし、彼らにコーヒーを給仕して回るために、しばしば姿を現したということです。

一九七〇年までにポーランドの司教団は、教会での結婚式を申し込むすべての男女が、結婚準備講座に出席することを挙式のための必修条件にしました。ポーランドでの標準的結婚準備講座の中で、自然にかなった家族計画は大きな意味を持つお定まりのコースとなりました。ついでながら、一九八〇年代の初めに行われた世界受胎能力調査は、ポーランドの一五〜四四歳の既婚女性の三一%が、自然にかなった方法を採用していることを指摘しました。この調査委員会はポーランドで当時開催されたNFPオリンピックで、金賞を授与しました(Population Reports 一九八五年九・一〇月)。

教皇パウロⅥ 世は、以下の記念すべき教話の中で、自然にかなった家族計画を実行する家庭の規律から夫婦が受ける諸利点を、預言的に指摘しておられます。

結婚した人々の純潔にふさわしいこの規律は、夫婦の愛にとって害があるどころか、それにもっと高い人間的価値を与えます。それはたゆまない努力を要求します。しかし、その実り多い影響の結果、夫婦は霊的な諸価値で豊かにされ、それぞれが人格的に十分な成長を遂げます。このような規律は、家庭生活に落ちつきと平和という実りをもたらし、他のいろいろな問題の解決も容易にしてくれます。それは配偶者に対する思いやりの心を育て、双方の中から本物の愛の敵である利己主義を追放し、彼らの責任感を深めてくれます。この手段に従えば、両親たちは、子どもたちの教育に有用であるだけでなく、決定的に深い影響を及ぼすことができます(『フマネ・ヴィテ』二一、『ファミリアーリス・コンソルチオ』三三)。

自然にかなった家族計画体験者の証言

ある体験者はわたしに「人工避妊から定期的禁欲に切り替えたとき、まるで、わたしたちの結婚生活という暖炉の煙突に詰まっていたすすが、いきなり取り除かれたような気がしたものです」と、打ち明けてくれました。別の主婦は「夫がわたしたちを抱くとき、以前のようにわたしを見つめてくれるようになった」と言っています。このような証言は数多くあります。ノナ・アギラールは一六四組の夫婦に面談して、典型的な反応として、次のような答えを得ました。対象になったほとんどの夫婦は、人工避妊をしていて、後に、自然にかなった家族計画に切り替えた人たちです。

わたしはいままでいろんなピルを試しましたわ。そして結果は吐き気、偏頭痛、いらだち、不満だったのよ。そして自分が、主人から利用されるだけのおもちゃ、彼の性欲を満たすための一つのものでしかなかった・・・という感じがしていたのよね。わたしたちにはいい思い出がなかったし、結婚だって楽しくなかったわよ。それでもNFPに切り替えたとき、わたしたち二人も、結婚も突然よくなったの。以前のいろんな問題も、全部わたしたちの産児制限と関係があったんだわ、きっと(アギラール、二〇一ページ)。

アギラールは、妻が夫をNFPに挑戟してみると、夫は妻以上に乗り気になって、妻を驚かせたり、喜ばせたりした多くのケースを報告しています。

多くの人たちが、自然にかなった家族計画に切り替えると、自分自身をもっと尊敬できるようになり、同時に、お互いに対する尊敬心が増すのを感じると、わたしに打ち明けてくれます。一人の女性は「彼がわたしのピルをごみ箱に捨ててしまって、NFPの最初の講義にわたしを連れて行ってくれるまで、どんなに彼がわたしを愛しているか気がついていなかったの」と打ち明けてくれました。もう一人は「うちの人は二週間はおろか、二日も禁欲できないと思ってたのに、我慢できるのね。多分わたしが彼を見損なっていたんだわ」と言っています。

これが、わたしたち自身の・・・そして配偶者たちの中の、最良の性格を引き出す手助けになることは、自然にかなった家族計画の最大の貢献の一つかもしれません(同書二二二ページ)。

しかし、よくあることですが、深く傷ついた結婚の配偶者たちは、結婚自体がある程度の調和に達していない限り、自然にかなった家族計画に同意しないでしょう。また、たとえ同意したとしても、その実施は失敗に終わるだろう、ということもつけ加えねばなりません。それでも、全体的にみると、自然にかなった家族計画を実践する夫婦はめったに離婚などしないし、人工妊娠中絶が極端に少ないことは確かです。長期にわたって自然にかなった家族計画の指導者をしている人なら、だれでもこのことを認めます。配下のどの修道院でも、少なくとも一人の修道女が、自然にかなった家族計画の指導ができる配慮をしているマザー・テレサも同意見です。

ユダヤ教の伝統的な定期的禁欲

おそらく、定期的禁欲という恐ろしい犠牲をしなければならない信徒の夫婦のことを思って、わたしの同僚の司祭たちの心は痛みがちではなかろうかと思います。しかし、ラビ・ノーマン・ラムはユダヤの伝統の中で、家庭の清めの定期的禁欲が、結婚を強め、浄化し、高め、高貴にするために、どれほど大事であるかを次のように語ってくれます。

結婚と、それに関連する色々な問題は、全タルムード文学のかなりの部分を占めています・・・結婚の性的側面は、特別な重要性を持ち、タルムードはニッダーと呼ばれる一つの論文をそのためにさいています。

ユダヤの法は、夫に妻が生理中に、一般的に言って五〜七日の間、妻に近づくことを禁止しています。そして、その後もさらに、「七日間の清めの日」といわれる期間、すべての身体的接触の禁止が延長されます。・・・この期間、夫と妻はお互いに尊敬と愛情をもって、しかし、どのような身体的な愛の表現無しに暮らすことが期待されます・・・この一二〜一四日(個人によって異なる)の終わりに、(ニッダーと呼ばれる)生理を終わった女性は、ミクヴァーといわれるたらいの水に身を浸して、特別な祈りを唱え、神のおきてでわたしたちを清めてくださる神、そして(テヴィラーと呼ばれる)水浴に関するおきてを与えてくださった神を賛美します・・・。

ミクヴァーは道徳と性を和解させ、夫婦を、清さと繊細さ、過去の内的な戦いの遺物であるとがと恥に汚されない愛のうちにお互いを近づける、手段になります。

どんなに上手に、説得力に満ちて説かれる性の哲学であっても、それは、家庭の清めの遵守ほど心理的に有意義で、人々を納得させるものではありません・・・。

結婚が成功するために、結婚の初期に強かった夫と妻の相互に対する魅力は、保たれ、いや、高められなければなりません。そして、家庭の清めによって課される禁欲こそ、お互いに対する魅力と渇きを新鮮に、若々しく保ちます。タルムードは、タハラト・ハーミシュパハ(家庭の清め)の心理的副産物を、次のように説明します。

夫が「妻を」知りすぎると、彼女を我慢できなくなります。それで、トラーは七日の間、つまり、彼女の生理が終わった後、ニッダーであると考えられるように教えました。そうすれば、彼女は清めの日が終わったとき、あたかも結婚の日のように、彼女の夫にとって愛らしくなります(ニッダー三一b)。

夫婦が無制限に接近することは、過剰に欲望を満足させることになります。そして、結果的に飽き、退屈、けん怠感をもたらすこの知りすぎは、結婚生活における不調和の主要な直接的原因になります。その反面、夫婦がトラーの性についての規律に従い、この禁欲期間を遵守すれば、過度の充足と慣れの醜い化け物は追い払われます。そして、初期の愛の新鮮な熱意がいつまでも留まる、というわけです(ラム、三二〜三五・五六〜五七ページ)。

家庭の健康管理

ピルの宣伝文句は「さあ、これで妻は妊娠することなく、いつでも性交が可能なる」といったものでした。しかし、そんなことは、実際に、結婚を癒すどころか、破壊してしまうかもしれません。ピルが発売された直後から、わたしたちは離婚の爆発的増加を目の当たりにするようになりました。ピル元年の一九六〇年アメリカ合衆国の離婚数は、三九三、○○○件でしたが、一九七五年、その数は一、〇三六、○○○件に上昇しました。それ以来、アメリカ合衆国では毎年、一、○○○、○○○件以上の離婚があるようになりました。最近の離婚率は六〇%を越えていますし、初婚の夫婦が離婚に到る率も四〇%になります。離婚家庭の子どもたちは、あらしのような父母の結婚生活、そして最終的な離婚が、彼らに加えがちな心の傷を、他のだれよりも知り尽くしています。失敗感と苦々しさも、離婚した本人たちを一生つけ回します。離婚した両親が生活の喜びを失い、子どもたちは破壊された家庭、もしくは、温かみのない家庭で空虚さと寂しさを感じます。そういうとき、教会離れの現象も起こりがちです(第四回特別枢機卿会議でのアンヘル・スキヤ・ゴイコエチェア枢機卿の報告を参照。英語版週刊オッセルバトーレ・ロマーノ、一九九一年四月一五日)。

自然にかなった家族計画のイニシアティヴは司祭たちからか?それとも借徒たちからか?

『ファミリアーリス・コンソルチオ』三三で教皇は、医師、専門家、信徒の夫婦たちに、受胎期のリズムに関する知識を、すべての人々に知らせるよう願っておられます。ところが、『ファミリアーリス・コンソルチオ』三四で、教皇は、司祭たちに自分たちの役割を果たすように、とも言われます。教える教会は、後で司祭たちがもっと効果的に自分たちの役割を果たすことができるように、まずは保健指導員とか他の信徒たちが信徒を教育することを望んでいるのでしょうか。それでは、ここで、現代の小教区の実際の状態を考えてみましょう。

目の前の座席に座っている、子供を産める年代にある小教区民のうちの何人かは、いや、その大多数はおそらく人工避妊は許されている、と思っているでしょう。それどころか、世界の人口過剰を防止するために人工避妊が必要である、という思いこみさえあります。大部分は現在も人工避妊をしているか、過去にそうしたか、将来そうしなければならない、と信じているかもしれません。司祭の前に座っている年とった夫婦たちのの大部分は、不妊手術を受けているかもしれません。また、おおかたの夫婦は、疑うこともなく、自然にかなった家族計画が信頼性に欠けるとか、不必要であるとか思いこんでいます。そんなことは英雄的で、難解であるとか、普通の信徒にはまったく要求されていないなどと、あたかも福音を信じるように、信じているかもしれません。ですから司祭が、何の準備もなく説教台から、いきなり、大声で人工避妊を非難するのは、逆効果かもしれません。「彼は叫ばず、呼ばわらず、声をちまたに響かせない。傷ついた葦を折ることなく、暗くなってゆく灯心を消すことなく、裁きを導き出して、確かなものにする」(イザヤ四二・二〜三、マタイ一二・一九〜二〇)とイザヤはキリストを描写しました。そのキリストの例から切り出した方がいいのかもしれません。イザヤの最後の言葉「裁きを導き出して、確かなものにする」に、特に注意しましょう。人工避妊の悪についての正しい裁きは、下手な非難によって、説教師が聴衆を敵に回して、信用を失う前になされねばなりません。

例外もあります。司牧者、黙想指導者たちの中には、説教台から、聖霊の力に頼って、彼らの群を神のおきてへの従順に連れ戻すことができる人たちもいます。また聴罪司祭も、一人ひとりの罪人を償いと回心に導くことができます。しかし、一般的にいえば、現代、人工避妊の病は共同体全体に広がっており、共同体全体を対象にする治療が必要でしょう。

それにもまして、司祭や司教たち自身の側にも問題があります。彼らは、全員一致して人工避妊の悪について確信しているでしょうか。一人の大司教様は、わたしに、自然にかなった家族計画に関する統計を送ってくれるように依頼なさいました。わたしは、さっそく、ピル使用者たちと、自然にかなった家族計画を実施している夫婦たちの比較に関する統計を送りましたが、彼を納得させることができませんでした。おそらく、自分の教区の何人かのカトリック医師たちが納得しようとしなかったのでしょう。別の司教様は、わたしに次のような返事を送ってくださいました。「神学者たちはまだこの点で確信していません。ですから・・・」人工避妊をする群の病は、おそらく、人工避妊の悪を信じようとしない牧者たちの病を反映しているのでしょう。「ラッパがはっきりした音を出さなければ、だれが戦いの準備をするでしょうか」(一コリント一四・八)。

しかし、医師、専門家、経験を積んだ夫婦は、言葉と行動で、聖職者と信徒の両方を納得させるには、有利な立場にあります。常に牧者の指導を仰ぎながら、彼らが受胎期のリズムと純潔の必要性の知識を普及させることに成功すれば、司祭たちは新たな確信で、もっと容易に、もっと効果的に説教台と告解室の中で働けるようになります。彼らが自分たちの務めをできるかぎり果たせば、世界的なこの動きの一八〇度方向転換も可能でしょう。彼らは、人工避妊から、自然にかなった家族計画へと人々を誘導できるでしょう。それでは、自分たちも深く確信できるために、いま、科学的な、自然にかなった家族計画の基礎を、そもそもの始まりにまで立ち返って復習しましょう。

一九二三年荻野久作博士その発見を発表する

Hokuetsu Medical Journal の一九二三年二月号誌上で、新潟大学病院の荻野久作博士は、生理周期のどの日が排卵日に当たるのか、という画期的な研究論文を発表しました。その記事から、わたしたちは、博士が優れた観察家、仕事に関しては情熱家であったことを、うかがい知ることができます。手術の前に、博士は患者たちに、彼女たちの生理が規則的か、不規則かを聞き、生理が規則的な患者だけを追跡調査しました。そして、彼女たちに、次の生理をどの日に予想しているか聞き、その日付をカルテに書き込んだ上で、手術に取りかかりました。博士は、まず卵巣と排卵後卵巣内にできる内分泌組織(corpus luteum)を観察しました。また可能であれば、子宮内膜(endometrium)の状態を観察して、排卵がすでに起こっていたかどうかを推定しました。

六五の症例が集まったとき、博士は表上にデータを図式化してみました。一回目は生理の第一日を出発点にしてそれらの症例を並べてみました。そして、排卵予想日、最後に予想された生理周期の最終日を記入しました。排卵日は表のあちこちに散らばってしまいました。

博士はやり直して、図の右側に生理予想日を置いてみました。排卵の予想日と生理周期の第一日日をそこから逆算してみると、突如、すべてが規則正しくそろいました。生理前一六〜一二日を二本の線で、その前後の期間から分けると排卵日がそこに収まったのです。博士はその記事にこう書いています。「前回生理第一日から予想された次回生理日の一七日前までに卵胞は、第二と第一〇のケースを除くと、すべて排卵していませんでした(ケースの数二一、例外二)」

博士は一六〜一二日に排卵が終わったケースと、そうでないケースがあることに気づきました。「予想された生理日の一六〜一二日前に、ある卵胞は排卵を終わっており、他はまだ終わっていませんでした(ケースの数一三)」

予想された生理の二日前以降は、六五人全員に排卵がありました。「一一日目から予想された生理の初日までに、わたしはすべてのケースで、黄体(corpus luteum)が増殖した状態にあるのを観察しました(ケースの数三一)」

そして博士は、自然にかなった家族計画の基礎になる結論に達したのです。「以上の所見に従って、排卵の時期は予想される生理前の一六〜一二日に当たる五日間であると結論されます。この期間は、生理の期間が二三〜四五日のすべてのケースで同じでした」

二つの例外について、博士は次のように説明しています。「残念ながら、黄体と子宮内膜(endometrium)の組織を観察できなかったので、その二例については、組織学的研究に基づいて説明することができません。しかし、これらのケースでは、次の生理が、普通、予想されるよりも数日早めに来ることが推定されます。わたしは、六五ケースのうちの二ケースなら、予期される生理の性格からしても許容できると思います」(原文からの翻訳は荻野博士のご子息、故荻野博博士による。私信)。

一九二三年に初めて発表されたこの理論は、今日でも立派に通用します。一九二四年に、博士は既存の六五ケースに、さらに五三のケースを追加して、自分の理論を確認しました(Japan Gynecological Journal,vol.19,No.6、一九二四年)。彼は、この学術誌で発表された動物の研究から、性交後、精子は子宮腔内で三日間生存できること、四〜八日生存するものは例外的なケースであることを追加発表しました。そして、文献に発表された動物の研究から、博士は、もし、卵子が受精しなかったら、排卵後一二〜二四時間以内に死んでしまうと推定しました。「卵子が何日間とか何週間もの間、受精可能な状態に留まらないことは確かです」博士は次のようにまとめています。

女性の受胎可能期間は、排卵期と排卵前の三日間です。排卵前の四〜八日間の受胎は例外的であり、この期間以前に受胎することはありません。排卵後一日経ってしまうと受胎はもうあり得ません。

一九三〇年、荻野博士はその発見をドイツで SONDERDRUCK AUS DEM ZENTRALBLATT FUR GYNAKOLOGIE,1930(ライプツイッヒ)に発表しました。それ以来、彼の理論は世界の医学文献中に引用されるようになります。その論文の中で、博士は自然にかなった家族計画のための荻野理論を説明しました。

一、受胎可能期は一般的には、生理予想日の一九〜一二日前の八日間です(つまり、受胎可能である五日+その前の三日)。

二、生理予想日前の二四〜二〇日の間、受胎は例外的です。

三、生理予想日前の一一〜一日の間、受胎は不可能です(四八七ページ、著者訳)。

この論文を読んで、ヘルマン・クナウス教授は荻野博士に手紙を送り、祝意を伝えました。クナウス博士自身も、異なったルートから同様の結論に達し、一九二九年七月一二日、荻野博士の最初の発表の六年後、MUNCHENER MEDIZIENISCHE WOCHENSCHRIFT に、それを発表していたからです。荻野博士はその手紙を大事にしていたそうです。その中でクナウス博士は、日本での詳細な研究の結果、夫婦が、自然の仕組みによる生理周期中の受胎可能と受胎不可能期間を識別して、妻の妊娠の選択が可能になったと、荻野博士に感謝しました。

今日わたしたちは、排卵がホルモンの周期的分泌によって、周期中に一回だけ起きることを知っています。(もし、複数回の排卵があるとすれば、それは二四時間以内に起きます。)排卵は、普通、生理予想日の一六〜一二日前にあります。その後も、多くのことが分かってきました。つまり、低いレベルの体温パターンが続いた後、排卵に伴って体温がわずかばかり上昇し、高温の状態が続き、最後に、生理の始まりを知らせる低温のパターンに入ること、などです。体温の変化は、受胎可能期間と不可能期間を識別する徴侯になっています。

大勢の女性が容易に感じとり、観察できる、子宮頚部粘膜が分泌する粘液(おりもの)も、排卵に伴う徴侯です。この方法によっても、受胎期間とそうでない期間を識別できます。頚部の状態自体もさらにもう一つの徴侯であり、ある人たちはそれを識別できるようになれます。この方法は、時差、不規則な勤務時間、ストレスなどを伴うスチュワーデスに人気があります。多くの女性たちが、頼りになる適当な徴侯を選択することで完全に満足しています。他の女性たちは複数の徴侯を組み合わせて、受胎可能日をもっと正確に把握します。そうすれば、さらに大きな確実性、おそらくは、さらに短い禁欲期間を知ることができます。

ともかく、電子機器を使用するにしても、簡単な観察に頼るにしても、信頼できる自然にかなった家族計画が、真剣に希望する人にとっては可能になりました。難しいケースなら特別な助言、用心、ピタミン、食事療法、もっと規則正しい生活様式、治療、長期にわたる禁欲が必要であるかもしれません。時として、授乳期の母親は・・・徴候が不確かで、禁欲期間が何週間にもなる場合・・・家庭のために一番良いこと、つまり、受胎可能・不可能期間の、徴侯を伴う周期を再確立する必要があります。そのため、子どもの乳離れを夫と相談した方がいいでしょう。

世界のすべての夫婦にとって、生理周期中には受胎可能の期間と、受胎不可能な期間があります。カトリック医師、薬剤師、看護婦、保健指導員たちは、教皇の熱烈な祝福を受けて、希望するすべての夫婦がその印を見分けることができるよう助力するであろう、と確信しています。その後で、司牧者たちも、説教台から大声で、信者たちに「皆さん、純潔でありなさい」と、説教できるようになります。子どもたちに、決して生やさしくなどない純潔の模範を示す信仰心の強い夫婦たちこそ、エイズ禍を跳ね返して生き延び、教会と人類を、エイズなど克服してしまった新しい未来に導くことができる人たちです。アーメン。