序言

「生命問題に関するカトリックの教え」というタイトルの本書を、わたしは、大変、気に入っています。ここには、確かに、本物のカトリックの教えがあります。そして一〇〇%生命を大事にする著者の姿勢が見えてきます。優れた神学者であるジンマーマン神父は、教導職への反対者たちには容赦ない反撃を加える反面、神学生、結婚した人たち、罪人たちには、限りなく優しい心の持ち主であることがうかがわれます。神父様には九人、わたしには一六人の兄弟姉妹がいます。四〇年前、ワシントン・カトリック大学を卒業したわたしたちは、それ以来、いろいろな仕事を共同で手がけてきました。

神学生、司祭、生命を大事にしたい人たちは、ここに簡潔にまとめられている事柄を知る必要があります。ここに述べられた教えは、決して一時的なものではありません。すべてのカトリックの夫婦は、自信をもって生きるために、本書を座右の書としていただきたいものです。

本書は、必要と思われる教皇文書の羅列に終わるものではなく、最新の科学情報と著者の司牧者としての知恵に満ちています。時として、ジンマーマン神父は恐ろしくなるほど攻撃的な面を見せます。一例を挙げると「人口過剰の神話」は、彼の徹底的な批判の対象になり、あたかもとどめを刺されたかのような感がします(四章)。おまけに、サディック夫人には、教皇様の言葉を引用して、子供の数に関しては、国連でなく、両親に決定権があると、断固とした判決を言い渡しています。

つまり、教皇様はすべての親たちに、サディック夫人と、両親の権利を強奪しようとしている諸政府の反・人口政策を、人間であるが故に犯す誤りとして、全面的に無視するように勧告しているのです(一七四ページから)。

待ちに待った本書の出版を、わたしは心から歓迎します。このような本は、現代、非常に珍しいのです。本書を読み終えるとき、生命問題に関する読者の知識は、ほぼ完全なものになります。

また、今まで曖昧であった自分の考えを確認すること、教導職に対する反対者への反論に備えることも可能になります。神学生、司祭、司教、結婚の準備をしている人たち、結婚している人たち、生命を大事にする運動にたずさわるすべての人たちに、わたしは心の底から喜んで、本書をお薦めします。

Human Life International 会長
カトリック司祭 ポール・マルクス OSB

導入

教導職の指導への忠実

教皇ヨハネ・パウロ二世は、いくつかの神学校での信じにくい状態、すなわち、「教会の伝統的な対応の仕方と調和しないある種の神学的立場…」について、世界の司教たちの注意を喚起なさいました。この問題は「神学校や大学の神学部の中にさえ見いだされるということです…」。

教皇は「教会とキリスト信者の信仰生活にとっても、また社会生活そのものにとっても、もっとも重要な問題」について解決を求めておられます(『真理の輝き』四)。

著者は、この副読本が各地の神学校でも、現在採用している倫理神学の教科書と併用されることを願っています。本書は教皇の特別な関心事になっている問題について、教導職の指導を忠実に提示することをねらいとしています。

HLI(Human Life Internathonal…世界最大のプロ・ライフ運動・組織)の創立者で、いまはその会長、ベネディクト会会員ポール・マルクス神父は、神学生たちが、「恥ずかしげもなく『フマネ・ヴィテ』を受け入れることを拒む…反乱神学者たちの犠牲になっている」ことを、教育の現場で知るに至りました(HLI Special Report No.89 一九九二年四月)。師は、これらの反乱分子が、教会内で重要な地位を占め、どれほど影響力を持っているかを知り尽くしています。これは教会にとってゆゆしき問題です。

バチカン勤務のある高位聖職者が、諸神学校で広範囲に広がっているこの疫病を残念がっているのを、わたしは耳にしたことがあります。彼によると、レデンプトール会会員ベルナルド・ヘーリング神父は、かつて、神学生に『フマネ・ヴィテ』に反する考え方を教えていました。そしていま、かなりの数になる彼の当時の弟子たちが、各地で倫理神学の教授になっています。彼らがその堅塁である各地の神学校で反『フマネ・ヴィテ』のウィルスをまき散らしている、と彼は言うのです。

『フマネ・ヴィテ』の核心にかかわる問題について、神学生たちをだまし、惑わせていると思われる教科書は、ドイツ人神学博士カール・ペシュケ神父の手によるChristian Ethics 第Ⅱ 巻です。それは、全体的に見ると、神学校にとって、とても役に立つ教科書ではあります。しかし、人工妊娠中絶と人工避妊に関する肝心の箇所で、この本は『フマネ・ヴィテ』の反対者たち、それも心底からの反対者たち…にあまりにも盲従しており、以前からの、はっきりした教導職の教えに関して、極めて不十分です。世界中で使用されている二八、○○○部にも及ぶこの教科書は、ある種の直接的人工妊娠中絶と人工避妊が、本質的に悪であることに疑問を投げかけます。その中に見られるヘーリング神父の浅さは、まるで道徳的チェルノブイリというところでしょう。もしこういうことを見逃せば、この毒性のある放射能による被害はますます大きくなる一方です。

ラッツインガー枢機卿の登場は一九九二年のことですが、その翌年、この教科書は改訂されました。その裏には、同枢機卿とペシュケ神父の友好的な面談があった、と理解しています。それでも、家庭の道徳に密接に関係する点ではまだ不足しており、しかも誤解を招くので、教導職の教えと完全に調和したものになっている、とは言えません。この新版の教科書は、相変わらず、数多くの神学校で倫理神学の教室を混乱させ続けています。本書末尾の補遺にある同書の間違いと不正確さのリストを見てください。本書は、わたしたちの目の前にある大きな危険について警告を発する緊急信号です。

一九九三年夏、わたしは当時のHLI専務、一九九四年の復活節以来会長である聖ベネディクト会会員マシュー・ハビガー神父と一緒に、ケニアとタンザニアにあるいくつかの大きな神学校で、講義しました。そこで、わたしたちは生命問題に関する教導職の教えと科学の発見を、明確に教えてくれるよう要請されました。講義の間、彼らは、わたしたちの忍耐を試しているのではないかと思われるほど、矢継ぎ早の質問で、わたしたちを責め立てたものです。願ってもない機会とばかり、彼らは『フマネ・ヴィテ』に関して、自分たちが聞いたり、読んだりしたすべての困難点について説明を聞きたがりました。彼らは、自分たちの頭の中にある、数多くの困難点を解決しなければなりませんでした。ある神学校ではペシュケの教科書を使っていましたが、彼らの教授は、その関連部分についての危険性については、すでに警告してくれていました。
ジープに乗ってタンザニア経由の帰途、わたしたちは広くて、何もない空間を延々と眺め続けたものです。人口過剰の話などは、まるで冗談であるかのような感がしました。うれしかったのは、悠然と歩いている象、背の高いキリン、草をはむヌーとシマウマたちすべてが、国立自然公園の大自然の豊かさの中で、悠然と生きている様を見ることができたことです。ダル・エス・サラームからナイロビへの帰りの空路、あの比類ないキリマンジャロの雪におおわれた峰が雲の中から、そびえ立っているのが、左側の機窓から見えました。その眺めを楽しみながら、わたしたち二人は、過去数日の体験について語り合いました。だれかが教科書を書いて、回勅『フマネ・ヴィテ』が触れている大事な諸問題と関連事項について、神学生たちに、最新情報を提供しなければならないという点で、わたしたち二人は一致しました。が、さて、だれが書くかという点は、未解決でした…少なくともわたしにとっては。

しかし、ハビガー神父は、初めから、わたしが筆者になると決めていたようです。米国に帰り着いたとき、マルクス神父は、わたしにすぐその教科書を書き始めるよう依頼したものです。彼は「神学生が、人工避妊と人工妊娠中絶に関して知りたいことをすべて含む教科書」という注文を付けました。日本にある自分の任地に帰り着くと、わたしは、さっそくコンピューターの前に腰を下ろして、書き始めました…主が助けてくださるように祈りながら。
神学理論は、関連分野からの助言を必要とします。二人のカトリック信者の医学博士が、神学生が実生活へのオリエンテーションのために必要な事柄について、いい本を書いてくれています。

二人の著者・医師たちは優れた方たちで、両者ともに多子家庭の主です。そして、結婚した人々を相手に、長年、医療活動を続けてきました。

まずは、その一人、パトリック・ダン博士のThe Doctor and Christian Marriage, Alba House, Society of St.Paul,2187,Victory Blvd,Staten Island,New York10314です(邦訳・愛と性と結婚生活・サンパウロ社)。産婦人科医のダン博士は、一五、○○○人の赤ちゃんを取り上げています。ピルについては、現場での経験が豊富で、既婚者と、これから結婚しょうとする人たちが知らねばならないことは何でも知っている、と言っても言い過ぎではありません。

博士の長男は、最近、ニュージーランド・オークランド司教に任命されました。彼は、その広範な経験に基づいて、どんなに難しい問題でも適切に、正しく処置することができます。ヘーリング神父が披露し、ベシュケ神父が繰り返した不正確な医学的データに基づいて調合された偽・神学を、博士はこの本の中で実に専門家らしく提示し、通常の医療慣行と正しい道徳原理にのっとって見事に解決します。

推薦したいもう一方の本は、ロバート・ジャクソン博士のHuman Ecology,A Physician`s Advice for Human Life, St.Bede`s Publications,P.O.Box 545, North Main St.Peters・ham. Massachusetts 01366-0545 です。母乳での育て方、NFP(Natural Family Plannig・自然に基づいた家族計画)、常識に基づく家庭生活について、人々に忠告を与えるために知らなくてはならないことが、やさしい言葉で、一つ残らず書かれています。五〇年の診療生活の経験を積んだこの二人は、限りなく完ぺきに近い英知をわたしたちに披露してくれます。

著者は、ベネディクト会会員、マシュー・ハビガー、ポール・マルクス両神父の多大な助けと励ましに感謝します。また日本語版の出版に関しては、鹿児島教区『フマネ・ゲィテ』研究会・成相明人神父の速くて、正確な翻訳に大いに頼りました。本書の改訂英語版も、本書とほぼ同時に、同研究会から出版されました。タイトルは(Catholic Teachings on Pro Life Issues です。

主がわたしたちと読者を祝福してくださいますように。

反対

教導職への反対とは、いったい何を意味するのでしょうか。神学生が教導職の指導に反対したり、批判的であったりするのは、純粋に個人的な事柄に属するのでしょうか。彼らは、将来の牧者、聴罪司祭として、信徒が新しい生命を生かすか、殺すかの決定をするにあたって、決定的な指導をすることになります。ですから、神学生時代から教導職に批判的であったり、反対したりすることは、将来、司祭になったときにも不忠実であることを意味するのかもしれません。

ドミニコ会のバジル・コル神父はこう書いています。「教導職の通常の指導に、熟慮の上で同意しないことは、信仰に反する罪であり得ます」(The Rosary-Light and Life 一九九三年九・一〇月)。心の中の不同意より悪いのは、たとえば『フマネ・ヴィテ』の中にあるような、教導職によってすでに確立している真理を、公然と非難する行為です。真理に対する不同意を、教室の中でひそやかに募らせたり、マスメディアを利用してこれ見よがしに誇示したりするとき、牧者はその使命に不忠実になります。彼は自分を窮地に追い込み、自分のユダの立場にますます固執することになります。『真理の輝き』はこのような声高い反対を、厳しく叱責しています。

報道機関を利用して念入りに演出される抗議や論争の形での反対運動は、教会共同体に対抗するものであり、また、神の民が位階的に構成されていることをわきまえていないことによるものです。教会の牧者の教えに対する反対は、キリスト信者の自由や、霊のたまものの多様性の合法的表現とはみなされません。このような事態が発生するとき、教会の牧者はカトリックの教義を、その純粋さと完全さを保ったまま受け取る信者の権利が、常に尊重されなければならないことを主張して、その使徒的使命にそって行動する義務があります(一一三、強調は原文から)。

以上のページで、わたしは純粋な教えを受ける信者の権利を、わたしたちが大事にし、わたしたち自身も教会の教導職に忠実であるよう提案します。