回勅『フマネ・ヴィテ』は愛への挑戦  — ジャネット・E・スミス

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なぜカトリック教会は人工避妊を断罪するか?

 人工避妊が本質的に悪であると教えるとき、教会はカトリック信者に懲戒を含む法律を押しつけているのではなく、自然と福音が教えていることを伝えているだけです。

 教会は夫婦に性の快楽を禁止したいからではなく、彼らが結婚の幸福を見いだし、幸せな家庭を築くことを望むからです。そういうこと無しに、個人また社会の幸福は非常に危うくされるからです。以下に回勅『フマネ・ヴィテ』(十八)を引用します。

…教会がその創設者と同じように逆らいの印になってもそれは驚くべきことではありません。しかしそれは、教会が自然法と福音の法を含む道徳法全体をかたくなにしかも謙遜に説き続けるという、自分に託された義務を放棄していい理由にはなりません。

 

これら二つの法のどちらも教会が作り出したものではありませんから、教会はそれらを変更することができません。教会はそれらの法の守り手、解説者であり得るだけです。ですから、教会が道徳的に許されないことを許されると宣言することは決して正しいことではありません。

 

不道徳的なことはその性質からして常に人間の真の善に反しているからです。結婚に関する道徳法全体を守ることは、人間が育ててきた本物の文明発達に寄与することであると教会は心得ています。

 

 人工避妊が本質的に悪であると教えるとき、教会はカトリック信者に懲罰を含む法律を押しつけているのではなく、自然と福音が教えていることを単に伝えているだけです。これほどひどい目にあったわたしたちは、自然の掟に反抗してまでセックスにふけったり、自然と神の掟に反することは、わたしたち個人また社会に手ひどい損害をもたらすことを理解してもよさそうなものです。

『フマネ・ヴィテ』研究会 成相明人訳