主がいとわれるもの
『ものみの塔』は、いかにして心霊術聖書に頼ったのか。
司祭 ミッチ・パクワ
『ものみの塔 聖書冊子協会』の擁護者は、この協会の名前こそ、その信仰において、聖書の役割を強調するものだと指摘する。一方、多くのカトリック信者らは、エホバの証人たちが近所を家庭訪問して勧誘することに対して、防御的な立場をとってきている。なぜなら、カトリック信者たちは、これらのエホバの証人たちのほうが、自分たちよりもはるかに聖書に精通していると感じているからである。
もちろん、ものみの塔聖書冊子協会は、そのことを認めている。そこには、「過去70年以上もの間、王国へのエホバ神の到来という栄光に輝く希望を宣言することともに、エホバの証人は世界中に広がり、罪の告発と審判の真正なる洪水を巻き起こしてきました。何億部にも及ぶ無料郵便物や、核心をついた聖書にもとづく出版物をとおして、エホバの証人たちは、黙示録17章、18章にて弾劾された神殿娼婦、大バビロンの世界における最強の力として、キリストの王国を提示してきたのです。」(「ものみの塔」誌、1998年4月1日、24頁)と書かれている。
自らの主張こそ真理であると確信するものみの塔は、宣言する。「真のキリスト者集会の外に出たとき、一体、どんな組織がその代役を果たせるのでしょうか? そこにはただ、サタンによる策略的な”野獣”と、偽りの信仰に支配されたサタンのバビロニア帝国があるのみです。」(「ものみの塔」誌、1979年3月1日、24頁)
このような主張を前に、カトリック信者は三つの選択肢を与えられる。
ひとつは、ものみの塔が語るところの真理を受け入れて、エホバの証人の仲間入りをすること。
もうひとつは、確信はないものの、どうやって反論すれば良いのか分からないために混乱させられること。
そして最後が、相手側の主張を論駁して誤りを正し、カトリック信仰の正しさを証明することである。
ものみの塔聖書冊子協会とカトリック教会の最も重要な相違点は、あの重要な、イエス・キリストの質問に対する返事の中に見い出すことができる。「あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」(新共同訳 マタイ16:15) カトリック教会は、教会を建てる岩となったペトロとともに、「あなたはメシア、生ける神の子です」(新共同訳 マタイ16:16)と宣言しつづける。一方、ものみの塔は、Ⅰ テサロニケ4:16の箇所をもって、その回答とする。「合図の号令がかかり、大天使の声が聞こえて、神のラッパが鳴り響くと、主御自身が天から降(くだ)って来られます。」(新共同訳)
ものみの塔によるⅠ テサロニケ4:16の解釈では、イエスは大天使の声を持っていると言う。なぜならば、ミカエルだけがその名前をあげて聖書に記述された大天使であるため(ユダの手紙9)、ものみの塔の協会員たちは、イエスが大天使ミカエルに違いないと結論づけ、それゆえ、イエスは神の創造物であると主張するのである。これは、シモン・ペテロの答えと比べると抽象的であるものの、ものみの塔を納得させるには十分なのである。
もちろん、エホバの証人たちは、自分たちのこの主張を聖書の他の箇所からも強化しなければならない。最も重要視されているのが、ヨハネ1:1の、「初めに言(ことば)があった。言は神と共にあった。言は神 であった。」(新共同訳)である。この最後の一節が、ものみの塔の一般的な翻訳では、「言葉は神であった。」(新世界訳)となっている。
(訳者註: キリスト教の聖書では、ヨハネ1:1は、「In the beginning was the Word, the Word was
with God and the Word was God.」となる。この「言は神と共にあった」、「言は神であった」に使われている God
という単語は、キリスト教徒が信じる三位一体の神を意味しており、唯一神であるために、必ず大文字で始まる。一方、ものみの塔の聖書では、最後の「言葉は神であった」の部分には、God
ではなく、不定冠詞のついた a god
という語が使われている。これは、不特定多数の神々のうちの一人を意味しており、唯一神の主は意味しなくなる。大文字・小文字の区別がなく、冠詞もない日本語で書くと同じになってしまうので、日本のエホバの証人たちは、線が引かれた「神」と、線が引かれていない「神」を用いて、自分達の聖書の中で使い分けている。)
ものみの塔は好んで、自分達の主張を、さまざまな学者たちの論説によって支持させようとする。その中の一人に、かつてカトリック司祭として叙階されたヨハネス・グレーベルの存在がある。グレーベル独自の訳によるドイツ語の新約聖書は、1937年、「最も古い写本にもとづく翻訳と解釈」新版の新約聖書として、さらに英語に翻訳された。ものみの塔の協会員たちは、還俗司祭のこの翻訳が、キリストの王国はその真実を知りながら、その世界にとどまろうとする愚かな人々にはそれを隠しており、グレーベルのように頭の良いカトリック教徒が真理を学んだとなれば、その者は、悪魔に支配された組織、神殿娼婦や大バビロンの世界を去らなければならない、という主張を確証してくれるものと信じて疑わないのである。
ものみの塔がグレーベルの文献を引き合いに出した例は、相当な数に及ぶ。「元カトリック司祭もよく似た考察をしている: 初めに言葉があり、言葉は神
(God) と共におり、言葉は神 (a god) であった。」
ここの脚注には、1937年のグレーベル訳による新約聖書に記された註釈が引用され、「金の十字架(訳者註: カトリックの伝統)がその表紙に刻印されて」いたことが記されている。(「ものみの塔」誌、1962年9月15日、554頁。同じような言及は、1962年発行の冊子「ヨハネによる−ことば:それは誰ですか?(5頁)」、そして、1969年発行の「聖書理解の助け」(1669頁)にも見ることができる。) 奇妙な自慢をしたものである。なぜならば、現在のものみの塔は、イエスは十字架上で死んだのではなく、火刑による拷問で亡くなったと主張しているからである。
ヨハネ1:1に加えて、ものみの塔は、重要な鍵となるマタイ27:51−53の解釈についても、グレーベルの助けを借りようとした。「そのとき、神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂け、地震が起こり、岩が避け、墓が開いて、眠りについていた多くの聖なる者たちの体が生き返った。そして、イエスの復活の後、墓から出て来て、聖なる都に入り、多くの人々に現れた。」(新共同訳)
ものみの塔は、イエス・キリストが肉体的によみがえったことを否定しており、もちろん、イエスの死に際して、死者たちが生き返ったことも否定している。グレーベルはこの部分を、以下のように訳している。「地面が揺れて、岩は粉々に砕けた。墓が開いたため、そこに埋められていた多くの死体が、垂直に空中へ放り投げられた。このとき、墓のほうからは、多くの人々がこの場所を通って都へ帰っていくのが見えた。」
ものみの塔は、しばしば、この部分を満足げに引用してきた。ある記事では、グレーベルの翻訳にならい、エクアドルやコロンビアの地震がそれを証明しているとして、肉体の復活を否定しているのである。(「聖書理解の助け」1969年、1134頁) 別のものみの塔の文献によると、聖書には、肉体が生き返ったとは書かれておらず、ただ単に、肉体が起こされたり、墓の外に放り出されたと書かれているだけだ、と説明している。この説明がギリシャ語の原文と矛盾しないものであることを証明するため、やはりグレーベルの翻訳が引用されている。(「ものみの塔」誌、1975年10月15日−640) あるときは、ものみの塔は、グアテマラで起きた地震では本当に墓が開いてしまったことを理由に、グレーベルの翻訳の正しさが証明されたと言い張っているのである。(「ものみの塔」誌、1976年4月15日、231頁)
ものみの塔が、自分たちの聖書翻訳を支持させるため、グレーベルの存在を権威者として頻繁に利用してきたことに対して、カトリックが特に言及するのは十分な理由がある。それは、ものみの塔が、初めてグレーベルを引き合いに出したときから数えて、それより少なくとも6年前の1956年以来、彼らは、グレーベルの翻訳が心霊主義に基づいたものであるという重大な事実に気がついていたということである。このことは、心霊主義を否定してきたものみの塔−聖書を信じる者であるならば、誰でも心霊主義を否定するわけだが−でも認識されるところとなった。
まずはじめに、ものみの塔は、グレーベルのⅠ ヨハネ4:1−3の翻訳を引き合いに出した。「愛する者たち、どの霊も信じるのではなく、それらが神から出たものであるかどうかを確かめなさい。なぜならば、多くの偽の霊が奈落の底から現れて、世界に出て行き、人間の身体をつかって語っているのです。その霊が神からのものであるかどうかは、こうやって調べなさい。イエス・キリストが地上に一人の男として出現したと告白するならば、その霊は神から出たものです。イエスが受肉した主であるという信仰を破壊しようとたくらむ霊は、どれも神から出たものではありません。それは、キリストの敵によって送られた霊です。このような霊が来るということを、あなたがたは告げられていましたが、それらはすでに、この世に現れています。」
我々は、このいささか奇妙な翻訳を、RSVのような一般的な翻訳聖書と比較する必要がある。「愛する者たち、どの霊も信じるのではなく、神から出た霊かどうかを確かめなさい。偽預言者が大勢世に出て来ているからです。イエス・キリストが肉となって来られたということを公に言い表す霊は、すべて神から出たものです。このことによって、あなたがたは神の霊が分かります。イエスのことを公に言い表さない霊はすべて、神から出ていません。これは、反キリストの霊です。かねてあなたがたは、その霊がやって来ると聞いていましたが、今や既に世に来ています。」(新共同訳)
キリスト教徒たちがグレーベルの自由奔放な聖書の翻訳に対して抱くであろう問題点は置いておくとして、ものみの塔が言い出したことは、我々を唖然とさせる。「還俗司祭のグレーベルが信じている心霊が彼の翻訳を助けたことは、非常に明らかである。」(「ものみの塔」誌、1956年2月15日、111頁) 言い換えれば、ものみの塔は、1956年にはすでに、ヨハネス・グレーベルが心霊術師であって、聖書の翻訳に心霊術を使っていたことに気がついていたのである。にも関わらず、彼らは、ヨハネ1:1、そして、マタイ27:51−53の二ヶ所の翻訳と解釈を引用している。
「読者からの質問」(1983年4月1日、31頁)の中で、ものみの塔は、この質問に、こう答えている。
「近年、「ものみの塔」誌で、元カトリック司祭、ヨハネス・グレーベルの翻訳が使われなくなったのはなぜですか。」
これに対し、回答は、まずこの質問に同意するところから始めている。
「この翻訳はマタイ27章52節と53節およびヨハネ1章1節に関する「新世界訳」および他の権威ある聖書翻訳の訳文を支持するために時折用いられていました。しかし、ヨハネス・グレーベル訳の「新約聖書」の1980年版の序文に示唆されているとおり、この翻訳者は難しいくだりをどのように訳すべきかをはっきりさせるため、「神の霊界」に頼りました。」
そして、ものみの塔は、同じ序文の中で、グレーベルの妻が、「神の霊界の媒介として、しばしば神の使者からグレーベル牧師に正しい答えを伝える器となった」ことを説明している。この絶縁宣言には、「「ものみの塔」誌は、心霊術とそのように緊密な関係を持つ翻訳を利用するのはふさわしくないと見ています。(申命記18:10ー12)」と付け加えられている。だがむしろ、それは、「『新世界訳』の中の前述の聖句の翻訳の基盤をなしている、古典に関する学識は確かなものであり」、「その理由でグレーベルの翻訳をよりどころにしなければならない理由はありません。」と、その正当性を主張し、最後は、「ですから、グレーベルの「新約聖書」を用いなくなったことにより失われたものは何一つありません。
」と、奇妙な結びで終わっているのである。
ものみの塔の信憑性は損なわれていない。しかし、本題はその信憑性ではない。創立者チャールズ・テーゼ・ラッセルが、自著『The
Finished Mystery
(直訳:終わった神秘)』の中に誤りがあったことを認めたとき、ものみの塔の協会は、次のように語った。「ラッセルの本にいくつかの誤りがあったとしても、それは大したことではありません。聖書ですら、いくつかの誤りがあるではないですか。誤解あるいは誤用は、誤りによるものです。そこに、教義の誤りがあったという意味ではありません。」(「ものみの塔」誌、1920年4月1日)
しかし、誤解や誤用を放棄する宣言をしたところで、それは、ものみの塔という協会がグレーベルを利用したことに通用するはずはない。なぜならば、聖書の翻訳に心霊術師を用いるなどということ自体が罪だからである。ここで、ものみの塔が1980年4月1日に出した絶縁宣言の中で引用した申命記を読んでみる必要がある。
「あなたが、あなたの神、主(筆者註: ヘブライ語:エホバ)の与えられる土地に入ったならば、その国々のいとうべき習慣を見習ってはならない。あなたの間に、自分の息子、娘に火の中を通らせる者、占い師、卜者(ぼくしゃ)、易者、呪術師、呪文を唱える者、口寄せ、霊媒、死者に伺いを立てる者などがいてはならない。これらのことを行う者をすべて、主(筆者註: ヘブライ語:エホバ)はいとわれる。これらのいとうべき行いのゆえに、あなたの神、主(筆者註: ヘブライ語:エホバ)は彼らをあなたの前から追い払われるであろう。」(新共同訳 申命記 18:9−12)
私は上記の引用で申命記の9節も含めた。それは、この節が、国々のいとうべき習慣には霊媒や交霊術を含まれることを教えており、これこそ、グレーベルが行っていたことだからである。このようないむべき行為を行う者は、すなわち、エホバの神にいとわれる者となるのである。この判断は、ものみの塔の協会にも当てはめられなければならない。なぜならば、聖書翻訳の権威者としてヨハネス・グレーベルを引き合いに出したのは、ものみの塔が自らの配布物の中で、グレーベルが心霊術を行っていることを認めた時期よりも、何年も後のことだったからである。
「ものみの塔」誌から、別の項も引用しておくと良いだろう:
「ときどき、集会のメンバーの誰かが、冊子には誤りがあるため、こうした誤りのある冊子を人々に手渡していくことは、自らの良心が許さない、と言って、家庭訪問による冊子の配布を拒否することがあります。もちろんこれは、敵がこちらの心を惑わせて、主に忠誠を尽くさない理由を編み出させる手段のひとつなのです。誰もが分かっているように、聖書には数々の誤った記載がありますが、人間の手によって書かれたもので完璧なものなど、未だかつて、ひとつもありません。それでも、わたしたちが主に仕えようと最大限の努力をする限り、主は、わたしたちのこうした弱さをも補ってくださいます。」(1928年4月15日、126頁)
これは、ものみの塔の協会が、心霊術に頼った聖書翻訳を意欲的に受け入れていたことや、イエス・キリストの神性と死後の肉体の復活を否定するための権威として心霊術師を推奨していたことの証拠である。敵の手に陥らないまでも、ものみの塔の協会員に誤りのある冊子を配布させることを拒ませているのは、正しく育まれた良心以上の何ものでもない。彼ら自身の霊魂のため、そして、他の霊魂に、ものみの塔の過ちを広げないために、エホバの証人たちが本当に実践しなければならないのは、まさしく、このような神に対する忠誠心なのである。エホバの証人たちの、霊魂の救い対する破滅的行動や忌まわしさに打ち勝つことこそ、真理のためである。そしてこの救霊こそ、真の福音であるイエス・キリストのみ、与えることのできるのである。
ミッチ・パクワ神父は、allas 大学の教授。
最新著書、「父よ、くじけたわたしをお赦しください: カトリック信者でいるための苦難における霊的成長」
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Answers, Inc.
翻訳および転載許可済
An Abomination To The Lord
How The Watchtower Relied On A Spiritualist Bible Translation
By
Fr. Mitch Pacwa
Defenders of the Watchtower Bible and Tract Society point out that the very
name of the organization highlights the role of the Bible in its beliefs. Many
Catholics take a defensive position regarding the Jehovah's Witnesses who
canvass their neighborhood, because they assume that these Witnesses know the
Bible far better than they.
Of course, the Watchtower Bible and Tract
Society agrees. It has written: "Over the last seven decades, in conjunction
with proclaiming the glorious hope of Jehovah's incoming Kingdom, Jehovah's
Witnesses have spread around the world a veritable flood of denunciation and
judgment. In hundreds of millions of frank, hard-hitting Bible-based
publications, they have exposed Christendom as the most powerful force in the
religious whore, 'Babylon the Great,' denounced in Revelation chapters 17 and
18" (The Watchtower, April 1, 1988, 24).
So convinced is the Watchtower of the truth of its claims it proclaims,
"Outside the true Christian congregation, what alternative organization is
there? Only Satan's organization consisting of his political 'wild beast' and
his Babylonian world empire of false religion" (The Watchtower, March 1, 1979,
24).
In the face of such claims, a Catholic has three choices: Accept the truth of the Watchtower's statements and join the Jehovah's Witnesses, remain unconvinced but confused by not knowing how to answer them, or refute the claims and demonstrate the truth of the Catholic faith.
The most important difference between the Watchtower Bible and Tract
Society and the Catholic Church is seen in answer to the great question of Jesus
Christ: "Who do you say that I am?" (Matt. 16: 15). The Catholic Church continues
to proclaim with Peter, the rock on which the Church was built, "You are the
Christ, the Son of the living God" (Matt. 16: 16). The Watchtower refers to 1
Thessalonians 4: 16 for its answer: "The Lord himself will descend with a
command, an archangel's voice, a trumpet blast."
According to Watchtower understandings of 1Thessalonians 4: 16, Jesus has the voice of an archangel, and, since Michael is the only archangel mentioned by name in the Bible (Jude 9), members of the Watchtower conclude Jesus must be Michael the Archangel and therefore a creature. This is a little less direct than Simon Peter's answer, but it satisfies the Watchtower.
Of course, Jehovah's Witnesses must support their claim with other passages, one of the most important being John 1: 1: "In the beginning was the Word, the Word was with God and the Word was God." The standard Watchtower translation of this last phrase reads, "The word was a god."
The Watchtower is fond of backing up its claim with support from a variety of scholars, one of whom Johannes Greber, was an ordained Catholic priest. Greber's German translation of the New Testament was translated into English in 1937 as The New Testament ? A New 'Translation and Explanation Based on the Oldest Manuscripts. No doubt the Watchtower believes that having an ex-Catholic priest corroborate its translation lends credence to its claim that Christendom knows the truth and hides it from the dupes who remain within it. Clearly, once a Catholic as clever as Greber learns the truth, he must leave Satan's organization, the religious whore, Babylon the great.
There are numerous examples of Watchtower appeals to Greber's work. "Similar is the reading by a former Catholic priest: In the beginning was the Word and the Word was with God, and the word was a god. This was with God in the beginning." A footnote here cites Greber's New Testament translation and notes the 1937 "front cover of this edition being stamped with a golden cross" (The Watchtower, September 15, 1962, 554: the same quotation appears in The Word: Who is He According to John, 1962 ed., 5; and Aid to Bible Understanding 1969 ed., 1669). This is an odd boast given the present Watchtower claim that Jesus did not die on a cross but on a torture stake.
In addition to John 1: 1, the Watchtower has consulted Greber to clarify its key interpretation of Matthew 27: 51-53: "And behold, the curtain of the temple was torn in two, from top to bottom; and the earth shook, and the rocks were split; the tombs also were opened, and many bodies of the saints who had fallen asleep were raised, and coming out of the tombs after his resurrection they went into the holy city and appeared to many" (RSV translation).
The Watchtower denies the physical resurrection of the body of Jesus
Christ, and, of course, the resurrection of the dead at the time of Jesus'
death. Greber translates the text. "The earth quaked and the rocks were
shattered. Tombs were laid open and many bodies of those buried there were
tossed upright. In this posture they projected from the graves and were seen by
many who passed by the place on their way back to the city."
The
Watchtower cites this passage approvingly a few times. One article cites
earthquakes in Ecuador and Colombia as evidence, along with Greber's
translation, for the denial of the resurrection of those bodies (Aid to Bible
Understanding, 1969 ed., 1134). Another Watchtower passage says that the Bible
does not say that the bodies came to life but merely that they were raised up or
thrown out of their graves. To prove that this interpretation does no damage to
the Greek text, it cites Greber's translation (The Watchtower, October 15, 1975,
640). Once The Watchtower claimed that the accuracy of Greber's translation was
proved by an earthquake in Guatemala that opened some graves (The Watchtower,
April 15, 1976, 231).
There is good reason for a Catholic to make special
note of the Watchtower's frequent use of Greber as an authority to back up its
Scripture translations. Since 1956, at least six years before the Watchtower
first quoted Greber, it knew an important fact about his translation: It was
based on spiritualism. This recognition occurred in a Watchtower discussion that
condemned spiritualism, as any believer in the Bible must.
First, The
Watchtower referred to Greber's translation of 1 John 4: 1-3: "My dear friends,
do not believe every spirit, but test the spirits to learn whether they come
from God. For many false spirits have emerged from the abyss and gone out into
the world and are speaking through human mediums. This is how you can find out
whether a spirit comes from God: every spirit who confesses that Jesus Christ
appeared on earth as a man comes from God. While every spirit who seeks to
destroy belief in Jesus as our Lord incarnated, does not come from God, but is
sent by the adversary of Christ. You have been told that such spirits would
come, and they are already appearing in the world."
One needs to contrast this rather odd translation with a standard
translation, like the RSV: "Beloved, do not believe every spirit, but test the
spirits to see whether they are of God: for many false prophets have gone out
into the world. By this you know the Spirit of God: every spirit, which
confesses that Jesus Christ has come in the flesh is of God, and every spirit,
which does not confess Jesus is not of God. This is the spirit of antichrist,
of which you heard that it was coming, and now it is in the world
already."
Leaving aside the problems other Christians may have with Greber's free interpretation of this biblical text, what The Watchtower says next is stunning: "Very plainly the spirits in which ex-priest Greber believes helped him in his translation" (The Watchtower, February l5, 1956, 111). In other words, the Watchtower acknowledges in 1956 that Johannes Greber was a spiritualist and that he used spiritualism to translate the Bible! Nevertheless, it cites two texts translation and interpretation of John 1: 1 and Matthew 27: 51-53.
In its "Questions From Readers" section (April 1, 1983, 31), The Watchtower addressed this question: "Why, in recent years, has The Watchtower not made use of the translation by the former Catholic priest, Johannes Greber?" The response begins by admitting: "This translation was used occasionally in support of renderings of Matthew 27: 52-3 and John 1: 1, as given in the New World Translation and other authoritative Bible versions. But as indicated in a foreword to the 1980 edition of the New Testament by Johannes Greber, this translator relied on 'God's Spirit World' to clarify for him how he should translate difficult passages."
The Watchtower then quoted the same foreword to show that Greber's wife, "a medium of God's Spiritworld[sic], was often instrumental in conveying the correct answers from God's Messengers to Pastor Greber." It added the disclaimer "The Watchtower has deemed it improper to make use of a translation that has such a close rapport with spiritism (Deut. 18: 10-12)." Rather, it proclaimed the soundness of the "scholarship that forms the basis of the above-cited texts in the New World Translation" and maintained it "does not depend at all on Greber's translation for authority." Then an odd conclusion: "Nothing is lost, therefore, by ceasing to use his (Greber's] translation."
Nothing except The Watchtower's credibility. But credibility seems to be not much of an issue. When admitting that the founder, Pastor Charles Taze Russell, made mistakes in his book The Finished Mystery, the organization said, "That it [Russell's book] contains some mistakes is freely admitted. Even the Bible contains some. By mistake we mean a misunderstanding or misapplication. It does not contain any erroneous doctrines"
(The Watchtower, April 1, 1920).
However, this disclaimer about misunderstanding or misapplication cannot refer to the Watchtower organization’s use of Greber, because the use of a spiritualist to translate the Bible is a serious sin. One need only examine the Deuteronomy text cited in The Watchtower disclaimer of April 1, 1980:
"When you come into the land which the Lord [Hebrew: Yahweh] your God gives you, you shall not learn to follow the abominable practices of those nations. There shall not be found among you any one who burns his son or his daughter as an offering, any one who practices divination, a soothsayer, or an augur, or a sorcerer, or a charmer, or a medium, or a wizard, or a necromancer. For whoever does these things is an abomination to the Lord [Hebrew: Yahweh]; and because of these abominable practices the Lord [Hebrew: Yahweh] your God is driving them out before you" (Deut. 18: 9-12).
I include verse nine in the quotation because it highlights the teaching that these abominations of the nations include mediums and spiritualism, such as Greber practiced. Anyone who performs these abominations becomes an abomination to the Lord Jehovah. This judgment must necessarily apply to the Watchtower organization, since it referred to Johannes Greber as Bible translation authority years after it published an acknowledgment that Greber practiced spiritualism.
Another quotation from The Watchtower may be relevant here:
"Sometimes a member of a class will refuse to engage in the canvassing
for the books because there are some mistakes in the books, and says his
conscience will not permit him to put books in which there are mistakes into the
hands of the people. Of course this is another method that the enemy adopts to
confuse the minds and furnish an excuse for not being faithful to the Lord. As
every one knows, there are mistakes in the Bible and there never has been a book
written yet that is perfect that has been written by any human hand. The Lord
will take care of our infirmities if we use our best endeavors to serve him"
(April 15, 1928, 126).
The evidence shows the willingness of the Watchtower organization to participate in a spiritualist interpretation of the Bible and to recommend a spiritualist as an authority to deny the divinity of Jesus Christ and the physical resurrection from the dead. Far from being in the clutches of the enemy, those Watchtower members who refuse to distribute erroneous literature may be suffering from nothing more than a well-formed conscience. In fact, that is precisely this type of faithfulness to the Lord all Jehovah's Witnesses need to exercise, for the good of their own souls and for the prevention of the spread of Watchtower errors to other souls. It will be the love of the truth for its own sake that will win over the Witness from spiritual ruin and abomination to the salvation, which only the real Jesus Christ of the full gospel can offer.
Fr. Mitch Pacwa is a professor at the University of allas. His most recent book is Father, Forgive Me for I Am Frustrated: Growing in Your Faith Even When It sn't Easy Being Catholic.
c 2000 Catholic Answers, Inc.
Translated with permission: Humanae Vitae
Research Institute