カトリック新聞の記事に異議あり
ウィーンのシェンボルン大司教の発言は
果たして正しく引用されたか?
カトリック新聞の姿勢を問う |
『フマネ・ヴィテ』研究会 成相明人
(ヴァチカンの道20号に掲載)
『カトリック教会のカテキズム』草稿作成に中心的役割を果たしたオーストリアの首都ウィーンのクリストフ・シェンボルン大司教の発言として「エイズ予防の目的でコンドーム使用が倫理的に許される」という記事が4月2日カトプレスが記者会見の内容として報じたものを、1996年4月21日のカトリック新聞は転載しています。これは4月中頃わたしが米国で聞いた話とまったく違っています。同大司教の発言としてそこで聞いたのは、胸のすくようなものでした。「人を殺すのは大きな悪であり、人の腕を切断するのはそれよりは確かに小さな悪でしょう。だからといって人の腕を切断していいものでしょうか? 自分の配偶者をエイズに感染させるのは大きな悪です。そしてそれを防止するためコンドームを使用するのはより小さな悪でしょう。それでも悪は悪です。つまりそのような場合でもコンドーム使用は許されないということです」。
帰日後、カトリック新聞を読んでびっくりしました。まったく逆の内容を報道しているではありませんか。カトリック新聞はこういう重大なことであれば、日本教会の名誉のためにも、真偽を確かめる義務がありました。世界は小さくなったのです。不正確な、偽りの情報で信者を思いのままに操作できる時代は、とっくの昔に過ぎ去ったのです。そこで挙げられている他の司教たちや司教団はいざ知らず、シェンボルン大司教に関しては、とんでもない誤報です。当研究会が受け取ったシェンボルン大司教ご自身からのファックスによると「日本のカトリック新聞に何が書かれているか教えて下さって、感謝します。残念なことに、エイズ感染予防のコンドーム使用についての発言は、間違って解釈されているようです。1996年3月31日、テレビで放映された記者会見においてエイズ予防を目的とするコンドーム使用の件でわたしが質問に答えたのは確かです。実に、そこでわたしが話したのはより小さな悪についてカトリック教会が教える古典的な原則でした。わたしはそれ以上のこともそれ以下のことも言っていません」。
カトリック新聞で言及されたオランダ司教協議会に関しては、他の11司教協議会と共に、回勅『フマネ・ヴィテ』に反対意見を表明する公式声明文を発表するなどして、少なくとも生命問題に関する反教導職、反教皇の立場はすでに明らかになっています。ですから彼らに関しては、今回の報道にたとえ間違いがなかったとしても、それほど驚くことはありません。カトリック新聞もこのような解説を加えて下さるべきでした。オーストリアの司教協議会だけは、後に自分たちの声明を撤回しています。ちなみに反教皇色を打ち出した残りの10カ国は次の通り。カナダ、インドネシア(オランダの強い影響のため)、ベルギー、西ドイツ、英国、スイス、スカンジナビア諸国。日本司教協議会のあのうやむやな立場はすでに公になってはいますが、これについては、また別の折りに解説しましょう。
以下に全文を引用するアメリカのカトリック・ニュース・エイジェンシー、CWNインターネット(責任者フイリップ・ローラー)4月3日のE Mail通信は、カトリック新聞と正反対の報道をしています。「コンドーム使用はより小さな悪、しかしそれでも悪は悪」という見出しのもとに、シェンボルン大司教が、エイズ予防のためであってもコンドーム使用を断罪したことを報じています。「カトリックの教えは悪い行為をすることを決して許しません。より『小さな』悪でも悪です。人間が道徳的に行動したければ他の道を選択しなければなりません」誤解を招きやすい発言は往々にしてそれを聞く人が考えたいように解釈されるものです。今回それが如実に証明されました。
カトリック新聞は2月25日フランスの司教協議会がエイズ感染予防のためにコンドームを使用することを容認したと報道しています。それに関しては、The Catholic World Reportの3月号に明快な解説が掲載されています。「司教協議会のどの声明を、イエス・キリストご自身の口から聞くことができるのでしょうか。司教たちは互いに矛盾したことを発表するかもしれません。しかし、全能の神の中に矛盾はありません」コンドーム使用を容認するかのような声明文に対比させて、同誌は聖書の言葉を引用します。「右の目があなたをつまずかせるなら、えぐり出して捨ててしまいなさい。体の一部がなくなっても、全身が地獄に投げ込まれない方がましである」(マタイ5· 29)。また、同司教協議会の名の下に出されたこの声明には、フランスの全司教ではなく、社会問題委員会のアルベール・ルエ司教の署名しかないことも報道しています。つまり、フランスの全司教は、必ずしも同じ立場に立っていないということを意味します。こういう事情をカトリック新聞は報道したでしょうか。なお、この記事は、すでに当研究会で翻訳して、会員に頒布中です。タイトルは「間違ったメッセージ」。
1996年5月28日CWNのE Mailニュースによると、ボリビア司教協議会は、人工妊娠中絶合法化を狙う政府の方針に勇敢に反対しています。その声明文の中で、タラッサス大司教は、性病とか望まない妊娠を避けるためにコンドーム使用を勧める政府のキャンペーンに関して「政府は、国際的団体からの強い圧力に負けて、テレビでこの種の広告を垂れ流している」と、厳しく批判しています。カトリック新聞では、こういうニュースも掲載するのでしょうか。カトリック新聞が、教会内に混乱をもたらし、自分たちと同じ価値観を持つように信徒を誘導したいのであれば、この種のニュースは必ず無視されるはずです。皆さん、カトリック新聞を厳しく監視し続けましょう。
以前から、カトリック新聞が、生命問題になると、世間一般の新聞と同じような論調になっていることが気になっていました。一昨年10月23日、カイロ国連人口会議に出席した横浜教区の芳賀芳子という女性が書いた大きな記事の中にも、発展途上国に限っては人工避妊を容認すべきであるとありましたが、カトリックの教えのどこにもないこんな意見は掲載すべきではありませんでした。記事を書いた本人にも抗議しましたが、彼女は自信満々で相手にしてくれませんでした。同社の女性記者にも抗議したところ「編集会議で半数の記者は掲載に反対したんですよ」との返事でした。ということはカトリック新聞社の残りの半分は異端的考えの持ち主であることを意味します。
1995年のご復活の週わたしはHuman Life Internationalのモントリオール国際会議に出席しました。そこでニューヨーク大司教区のウイリアム・スミス師から聞いた言葉が思い出されてなりません。「メディアは決して中立ではありません。中立であるかのように見せかけて、必ず自分の主張をするのがメディアというものです」今回の記事も、その最後にこれらの司教や司教協議会は、もし報じられていることが真であっても、彼らはすべて間違っている、カトリック教会の教えのどこを探しても、そのような教えはないと解説をしなければならないところでしたが、カトリック新聞自身がそういう考えの持ち主の集団であればそれは無い物ねだりであったというべきでしょう。カトリック新聞であれば、自分たちの意見ではなく本物のカトリックの教えだけを伝えて欲しいものです。
HIVとコンドーム — フィリピンの実体 — もお粗末でした。週刊誌とか厚生省並みのコンドーム奨励としか思えない思想が展開されています。筆者は自分がコンドーム容認派だからこのような記事しか書けないのでしょう。彼に世間の常識はあっても本物の神学はまったくありません。アロラ教授がこう言った、カリタス・マニラのタントコ局長がこう言ったと書いて、結局は「自分もそう思います、カトリック教会もそう教え始めなければなりません」と言いたいのでしょう。「司教たちの固い頭をいかに変えていくかが大問題」などと書いてありましたが、大問題はこういう発言をする人間、こういうことを引用し、掲載する方にあります。アロラ教授については、教会の教えと個人の見解が異なるとき、個人の見解を優先させるのは、彼の信仰に問題があり、間違いであるとだけ言っておきましょう。モンシニョール・タントコには以前会ったこともあるので、本人が本当にそう言ったかを確かめる必要があると思っていましたが、アメリカで会ったフィリピン人司祭の話を聞いて真相が判明しました。局長はスウェーデンのカリタスから多額の寄付をもらって以来、コンドーム容認に走ったということで周りから軽蔑され、悪口を言われています。カトリック新聞は、こういうことも含めて報道するとき、初めて客観的になります。別の例になりますが、セブにあるサンカルロス大学のウィルヘルム・フリーガー神父も、以前は教会の立場を熱心に擁護する人口学者であったのに、アメリカのある財団(おそらくロックフェラー財団)からの寄付を受け取って以来、人口制限論者になった例などもあります。神とマンモンの両方に仕えることはできません。カトリック新聞も「だれかがそう言った」式の神学でなく、聖書には何が書いてあるか、教会の教えは何であるか、教皇文書はどう教えているか、を大事にして信徒を指導して欲しいものです。同誌は今のところ、信者に混乱をもたらしているだけです。このように読者を侮る同誌の態度をいつまでも読者が我慢すると思ったら大きな間違いです。
わたしが恐れるのは、こういう報道姿勢が日本カトリック教会の公式見解に移行するための布石になるよう一部の人間が企んでいるのではないかということです。回勅『フマネ・ヴィテ』に対する日本司教協議会の声明などを読むと、私の言うことが危惧でないことがお分かりになると思います。あの声明で日本カトリック教会は質量ともに下降線をたどるようになりました。ペトロの後継者である教皇様は不可謬ですが、どの国の司教協議会にも不可謬権はありません。詳しいことを知りたい方は『フマネ・ヴィテ』研究会が会員に頒布している諸資料をお読みください。1996年7月にエンデルレ書店から出版された「生命問題に関するカトリックの教え」(著者アントニー・ジンマーマン)にもこの点に関して詳しい説明があります。
昨年六月のことですが、その後亡くなられたアロイジオ・デルコル神父様にお目にかかる機会がありました。そのとき聞いた神父様の言葉を思い出します。「カトリック新聞は異端の新聞です。わたしは信者に購読しないように勧めています。わたし自身は、敵を知るため、必要に迫られて同誌を購読していますが…」カトリック新聞にデルコル神父の追悼記事が大きく掲載されたのは皮肉でした。まともな記事に混じっている今回のような記事は、信者を、知らず知らずの中に洗脳してしまう危険があります。すでに何人かの信者との会話でそれが確かめられました。それとも、もう、その段階が終わって、信者もこのような記事を読みたがっているのでしょうか。
アメリカでも、あまりにリベラルな教区新聞に業を煮やして、自分で新聞を発行し始めた人がいます。確か、サン・ディエゴのその新聞は、教区新聞より発行部数が多くなったと聞いています。学校も同じで、公立ならぬカトリック教会が経営する学校の性教育に我慢ができなくて、ホーム・スクールを始めた両親たちが数多くいます。だれか「新カトリック新聞」を作ってくれる人はいないものでしょうか。それともカトリック新聞自体が、教皇派と反教皇派もしくは見せかけの教皇派(現在の姿)の二つに分裂して、互いに競争しますか。読者には選択の自由が与えられてしかるべきです。100%教皇様に忠実なカトリック新聞と、立場が紛らわしいカトリック新聞の二通りがあって競争すればいいのです。現在の状態の許で、選択の自由がないのが一番いけません。カトリック新聞編集陣は日本カトリック司教団の委託を受けてカトリック新聞を発行するのですから、この委託に忠実でないときは、当然、譴責を受けてしかるべきです。免職になってもおかしくない連中も数多くいるのはいままでの記事とか編集を見ても間違いのないことです。この点に関しては正式見解を公にして下さい。
最後になりますが、この記事をシェンボルン大司教の名誉回復のために修正などすることなくカトリック新聞に掲載することを要求します。不掲載の場合は他に発表の方法を探します。
参考のために、コンドームの材料になるラテックス製造会社の内部に属するC· M· ロランド氏の報告とB· J· イーガン氏の投書を以下にご紹介しましょう。医学的立場からもエイズ感染予防にコンドーム使用を勧めたり、認めたりすることの愚かさが一目瞭然です。この他ラウル・アレッサンドリ博士等によるアメリカ・カトリック医師会の機関誌Linacre Quarterly, Vol. 61, No.3, August 1994の記事「コンドームと十代のHIVについての医学的評価」とかステッフェン・ジェニュイス博士の「危険なセックス」の要約( 両方とも『フマネ・ヴィテ』研究会訳)を読めば、コンドーム使用が盛んになればなるほど、エイズその他の性病が蔓延する理由がはっきり分かります。カトリック新聞もこういう良心的な学者に耳を傾け、厚生省とか世間の週刊誌並のエイズ研究班(班長は鹿児島教区の小川靖忠神父)の研究成果を披露することなどお止めになったらいかがでしょうか?
ゴム化学に従事する一科学者の発言
エイズに関するニュージャージー州知事が任命した審議会は、最近、州内の公立学校で、コンドームを配布するよう答申しました。
もし、彼らの意図が、エイズ伝染の予防であれば、この審議会の答申は、とんでもないお門違いでしょう。人工避妊のためにコンドームを使用してさえ失敗率が高いというのに、この致死的疫病を予防するために なぜコンドームなのでしょうか。
エイズ・ウィルスは、精子の450分の1のサイズしかありません。ですから、コンドームの効果は、人工的に避妊するときよりかなり低いと言えます。ラテックス・ゴムには、本来、エイズ・ウィルスより少なくとも50倍の大きさの穴がある、ことはよく知られた事実です。「本来」ということは、そのような穴があることは避けられない、ということです。それは、この材料をどんなに念を入れて製造、製品化しても、また、どれほど取り扱いに気をつけても、そのようにしか作れない、ということです。だから、このような穴はコンドーム、手袋、その他すべてのラテックス・ゴム製品に見られます。
ゴム化学とその技術の専門家、この分野の研究者、米国化学協会新聞の編集者として、わたしは、コンドームを使用すれば、HIV保持者と安全なセックスができるという考えは、愚かしい限りです。この目的のためのコンドーム使用推進は、危険であり、最大限の無責任としか言えません。
C.M.Roland
Editor, Rubber Chemistry and Technology, Washington D.C.(Camden Courier Post, January 26, 1993)
HIVをコンドームで防止できるわけがない
拝啓、
エイズに関する最近の新聞記事についてですが、ウィルスを媒体にして伝染する疾病は、医学・科学的な悪夢です。両者には、ウィルスが生物から生物に、種から種に伝染するのをくい止める手段がありません。
科学的に作り出されたラテックスという物質は、現在、ウィルスをコントロールする防壁として推奨されています。ラテックスは科学的に処理されたゴムであり、適切に製造、貯蔵、使用されると、それは細菌に対しては、確かに効果的な障壁となります。しかし、ラテックスは簡単に劣化し、紫外線の影響を受けやすく、アレルギーの原因になりやすく、50ミクロン以下の微生物を通過させてしまいます。
以上の要素のために、自己防衛として手袋、マスク、フィルター、その他に頼る医師や看護婦たちにとっては、重大な結果をもたらしかねません。
悲しいことに、研究のために費やされる巨額な金額にもかかわらず、ラテックスとその関連製品は、今のところ、単細胞の微生物の通過を止めることはできません。
HIVを押さえ込むラテックスの能力についての研究が、1993年、「社会科学と医学」に掲載されました。
ラテックス製の防壁、つまり、コンドームを使用するHIV保持者と彼らの非感染パートナーに関して入手可能な研究がすべて分析されました。結果:最高の失敗率51%、最低の失敗率18%、平均の失敗率は31%でした。これとは別のWHOの研究は40%の失敗率を報告しています。
簡単に言えばHIVは、人から人に伝染するのです。安全な防壁など存在しません。
敬具
B.J. Egan, B. Sc.,
Ballintra, Co. Donegal.
(The Irish Family January 1995)
カトリック新聞が引用した1996年4月21日、ウィーン発のCNS (Catholic News Service)は、一貫してリベラルな立場をとることで知られています。以下はCWN(Catholic World News)の引用と翻訳。
Vatican Update April 3, 1996
EWTN News
CONDOM USE AS LESSER EVIL BUT STILL AN EVIL
VIENNA (CWN) Archbishop Christoph Schoenborn of Vierma told an Austrian television audience (sic) conceded that someone suffering from AIDS might use a condom as a " 1esser evil," but he quickly cautioned , " no one could affirm that the use of a condom is the ideal in sexual relations." Speaking on a weekly television program at the conclusion of a meeting of the Austrian bishops, he Vienna prelate made this comment in answer to a question about AIDS. " It should be evident," he said, " that no one can put a parbner in danger. " In that regard, he said, " there are situations in which classic Catholic doctrine might look upon the use of a condom as the lesser evil... However, Archbishop Schoenbom quickly added that no one should make the mistake of confusing the lesser evil with an ideal." In Catholic moral teaching, it is never permissible to choose an evil action. The " lesser evil" is still an evil, and a moral actor must choose another route.
コンドーム使用はより小さな悪−しかし、それでも悪は悪
ウィーン(CWN)——ウィーンのクリストフ・シェンボルン大司教はオーストリアのテレビ視聴者に、だれかがエイズにかかっている場合、「より小さな悪としてコンドームを使用するかもしれない」ことを認めたが、すぐに「性交に際してコンドーム使用が理想的であると認めることはできないであろう」と警告した。オーストリア司教協議会の終了に当たって、テレビの定期番組に出演したウィーンの高位聖職者は、エイズに関する質問に対して次のようにコメントした。「だれでも自分の配偶者を危険にさらすことはできない。従来のカトリックの教えが、コンドーム使用をより小さな悪と見なす場合が、あるかもしれない」しかし、シェンボルン大司教は、ただちに次のようなコメントを付け加えている。何人といえども「より小さな悪と理想とを混同する」過ちを犯してはならない。カトリックの道徳によれば「より小さな悪」は、やはり悪であり、人が道徳的に行動したければ、他の方法に頼らなければならない。
以上は公開質問状です。カトリック新聞紙上に掲載した上で、同誌紙面でのお返事をいただきたいと思います。もし、私の言っていることにいささかでも間違いがあれば、喜んで訂正に応じます。決して無視することないよう謹んでお願いいたします。1996年6月19日
垂水市にて
『フマネ・ヴィテ』研究会 成相明人