第二バチカン公会議と信教の自由
マイケル・デイヴィース
工事中
序文
信教の自由に関する第二バチカン公会議宣言Dignitatis humanaeについては、おそらく典礼憲章に次いで、もっとも数多くの論文が出されていることであろう。拙著Pope John's Council(教皇ヨハネ二十三世の公会議)で、公会議で実権を握っていたのは司教たちと言うよりペリティといわれる専門家たちであった、とするアイルランドはコークアンドロスの故ルーセー司教の観察がどれほど正しかったか、を証明する文書を掲載してある。R・M・ヴィルトゲン神父著The Rhine Flows into the Tiber(ライン川がティベル川に流れ込む)はその客観性で知られる古典的著書であるが、一人の専門家がドイツの司教団を説得できれば、全公会議に自分の考えを押しつけることができたと記している。本書では、一人の専門家が米国の司教団を説得できれば、全公会議に自分の考えを押しつけることができたことが示されている。問題の専門家はイエズス会のジョン・コートニー・マレー神父である。彼の長上は教会と国家の関係について書くことを禁止しており、公会議の第一会期にはその正統性についてローマが疑っていたために、専門家としての招聘を受けていなかった。
マレー神父の目的は簡単で、一貫していた。彼が望んでいたのは教会と国家関係に関するカトリック教会の伝統的教義を、アメリカ合衆国憲法に基づいた新しい体系で置き換えたかったのである。しかも彼は自分自身で夢にも思わなかったほどの成功を収めた。1967年、彼は満足げに「この宣言と米国合衆国憲法に明記されている信教の自由に関する権利の目的もしくは内容は、同一である」。マレーは信教の自由に関する草案がしばしば「米国製の草案」と呼ばれたことを記している。そして草案は「米国司教団の一貫した堅固な支持があったために、またかれらが頻繁に介入してくれたこともその本質的部分と用語を決定するに当たって役に立った」。彼は本当であればこれらの介入の中でももっとも決定的な箇所、つまり、自分が書いた草案を自分で賞賛している部分に関しては、自分に責任があったと書いてもおかしくなかった。ある米国人高位聖職者の言葉を引用しよう。「声は確かに米国司教団の声ではあるが、そこにある思想はマレー神父のものだ」。
1992年7月20日発行のザ・カトリック・ヴァージニアンには、「リッチモンド・アメリカニズムと信教の自由の発祥地」という、米国カトリック史学会会長G・P・フォガティ神父の記事が掲載されている。フォガティ神父は自分がアメリカニズムにも信教の自由にも賛成である、と明白に書いている。さらに、「教皇レオ十三世の回勅『テステム・ベネヴォレンツィエ』が、信教の自由に関する米国カトリック教会の賞賛に影を落としているのが残念である」と付け加えている。引き続いて、彼はマレー神父が第二バチカン公会議中に果たした決定的役割を果たしたことを認めている。実はわたしも「決定的役割」という言葉を使っているのだが、彼の場合は同じ言葉でさらに無遠慮にマレー神父を褒めちぎっている。
米国のイエズス会士ジョン・コートニー・マレー神父は1940年になって、やっとその問題を提起したものだ。米国司教団と同じく彼も非難されたが、運良く彼は第二バチカン公会議の専門家として参加することになり、信教の自由に関する宣言の草案作成に協力できることになった。これで、以前は米国カトリック教会の間違いであるとされていたことが全カトリック教会の教義になった。リッチモンドのアメリカニズムがついに勝利を収めたのである(強調は筆者)。
本書には、ジ・アメリカン・エクレジアスティカル・レビュー編集長であったモンシニョール・フェントンの学識に裏打ちされた、勇敢な防御の試みも記録してある。本書は彼に献呈されており、あの時代の人々からまったく時代遅れと思われた立場を保ち続けた彼の誠実さ、勇気への賛辞である。本書が提起する疑問は『信教の自由』が、モンシニョール・フェントン、オッタヴィアーニ枢機卿、モンシニョール・ジョージ・W・シー、フランシス・J・コンネル神父が、ジ・アメリカン・エクレジアスティカル・レビュー誌上で主張した公会議前の諸教皇の教えと両立するか否かということである。このような矛盾があるなどという疑念を持つだけでもおおそれたことであると主張する向きもあるかもしれない。しかし、教理省長官ラッツィンガー枢機卿自身が、これはカトリック信者として許されると明言しておられる。1983年7月20日、枢機卿はマルセル・ルフェーブル大司教に宛てた手紙に、こう書いておられる。
公会議文書の権威には種々の段階がある。その中のあるものについての批判は、教導職に対する従順の規則に従っている限り、禁止されているわけではない。ある種の箇所に関しては明確化とか説明を求める希望を表明することが許されている。しかし、公会議文書の中でも、教導職に関わっている文書が教導職と聖伝と両立しないと主張することは許されていない。それらがどのようにして両立するのか個人的に理解できない場合、聖座に質問することは許可されている。
著者は上述のガイドラインに沿って本書を書いたつもりであり、出版前に教導職の判断を仰いだ。本書中に著者がいささかなりとも教師ぶった書き方をしたのであれば、許して欲しい。わたしはこれら二つの立場がどうすれば両立できるか理解できないことを残念に思う。21章で明らかにするように、伝統的な教えと公会議の教えを両立させる困難はわたし個人だけのものではない。現代カトリック神学界の全分野にある種々の意見は同じ疑問を分かつものである。ラッツィンガー枢機卿でさえも1966年に書かれた著作でその疑問について書いておられる。
この後は省略
マイケル・デイヴィース
1992年8月4日、証聖者聖ドミニコの祝日
導入
ポール・H・ハレット
わたしは15年以上前から個人的に、また著書を通じて著者とつき合いがある。マイケル・デイヴィース氏は驚くべき勤勉さと能力の持ち主である。1976年と1983年の間に、彼が出版したのはCranmer's Godly Order, 一時非難されてばかりだったが、最近見直されてきたあの大司教についてApologia Pro Marcel Lefebvre, Pope John's Council, Pope Paul's New Mass, The Order of Melchisedech, 司祭職についてPartisans of Error, 近代主義とニューマンに関して Against the Liberals、その他パンフレットが9冊。これらは彼が若い頃、教職と子育ての傍ら物にしたものである。今日(1992年)これらの著書は当時と変わらず役に立ち、不安を覚えるほどに予言的である。
過去数年に見ることになった、おびただしい信仰の脱落者の存在で察せられる、カトリック教への信頼の喪失は、大方、教皇パウロ六世の治下で始まった典礼の根本的変革によって生じた不安が引き金になっていると信じる。それについては彼に多くの著書がある。もちろん、教義面での腐敗も見逃していない。それも不適切な典礼変革によって容易にされたと彼は論じている。しかし、第二バチカン公会議と『信教の自由に関する宣言』は、現代カトリック教会内で起こった正統信仰への攻撃に関するものであろう。
わたしは、何か賛成できない点を見いだすであろうと思いながら350ページある本書を読み進んだのであるが、著者の論理にすきはなかった。イエズス会の故ジョン・コートニー・マレー神父と第二バチカン公会議における彼の協力者たちが、教会を今後長期間にわたって落ち着かない状態に止め置くことになった、とする彼の主張には十分に裏付けがあると信じる。
著者は決して大声を上げて非難しているわけではない。彼は忍耐強く、また公平に反対者たちの言い分を調べ上げ、同じ精神でもって反駁する。彼の文章は透明であり、常に適切な言葉が選択されており、すべての思想は分かりやすい正確さでもって深められている。著者が論理と論証に長けていることは間違いない。もし読者が著者の誤りに気づくことがあるとしても、わたしの目には留まらなかった。実に、本書を注意深く読むことは論理学と教導職の権威についての学習になる。著者が繰り返して書いているように、カトリック教会は、誤謬を犯す個人に寛容ではあるが、決してそういう人間に神の真実を根本から転覆させることは許さない。
堕落した人間による超自然的啓示の受容は、彼が自由であれば、いや、多少研究をしたとしても保証されるものではない。真理を知り、それをさらに深めるために、自由は必須前提条件であるに過ぎない。神が人間を照らし、進歩させるために与えられた基本的な贈り物は自由が目指すはずの目的を見えなくさせる衒学になってしまう傾向があり、偽りの神々の礼拝に導きかねない。第二バチカン公会議以来「自由」がこのように一方的でさえあると思われるほど強調されると、その結果がどうなるかを著者は特に本書245ページで、他に類を見ないほど見事に描き尽くしている。それを引用すると、特に第二バチカン公会議以降のカトリック諸国に関して「1978年教皇パウロ六世が、その死去直前に、お膝元のローマに中絶クリニックが開設されたと聞いて、落涙なさったとき、この公会議が現代世界の諸々の野望を浄化するであろう、というその幻想はついに打ち砕かれることになった」。
米国では、公生活においてかつて宗教が果たした役割を回復しようとする試みはもろくも敗退した。1992年7月24日、合衆国最高裁は5対4の多数決で公立学校の卒業式で神に祈るという米国の歴史的習慣を廃止することを命じたものである。この決定の皮肉は多数決によるこの判決を書いたのがカトリック信者のアントニー・ケネディーであったということである。反対した4人の判事のスポークスマンもカトリックのアントニン・スカリアであった。悪いニュースはこれだけに留まらなかった。その5日後、ペンシルバニア州法に関して、ある種の中絶は容認されるとしても、中絶を希望する女性を「不当に」妨害することは許されないと、最高裁は5対4で決定したものだ。その際も中絶容認判決に激しく反対したカトリックのスカリア判事を押さえ込んだ多数派の判決文を書いたのは、前述のカトリック信者ケネディー判事だった。
本書の出版はタイムリーであったと言えよう。
若くして改宗したマイケル・デイヴィース氏は、カトリックの教えを徹底的に大事にしている。つまり、彼は伝統と教導職に忠実であるということである。カトリック信者が大多数を占める国家は国教をカトリックとするべきである、という現代余り人気がなくても、明白で決定的事実に関してもたじろぐことがない。しかし同時に、「個人の良心は尊敬されねばならない…カトリックの国家がカトリックの信仰を望まぬものに強制することができる、と主張してはならない」とする教会の教えもきちんと引用する(原文43ページ)。
ここで、著者は — 理由があれば容認できる — カトリックの国家による宗教的誤謬に対する寛容と、誤謬を広める権利を区別しているが、これは大切である。彼の説明によると、悪に権利がないのと同様、宗教的誤謬には、それを主張する者たちがどれほど誠実であったとしても、権利が存在しない。しかし、これはカトリック信者が、間違っていても誠実な良心を尊敬してはならないということを意味するものではない。「このように、御聖体にキリストが実在するという教えが誤りであり、御聖体を礼拝する者は偶像を崇拝すると確信しているプロテスタントが、カトリック信者の友人を喜ばせるために、例えばミサに参加すれば、彼は実際に罪を犯すことになる」(原文50ページ)。
しかし、これは個人の良心の中だけで人を束縛する個人的義務である、と著者は警告している。反面、「人種偏見を持つ者はこの邪悪な理論を誠実に信じ続けることができるが、英国では公衆の面前で人種偏見を宣伝すれば当然処罰される」と警告する(原文51ページ)。これは米国各地でも同様であろう。
著者は明白かつ正確な定義を好む。重要な用語に関して、著者は詳しく、正確な描写を惜しまない。彼の文体は水晶のように澄み切っている。彼は自分の敵、特に、著者の批判対象の主要部分、第二バチカン公会議の文書『信教の自由に関する宣言』の実質的生みの親、前述の故ジョン・コートニー・マレー神父に対しては、驚くほど公平である。この宣言は同公会議の主要文書ではないし、従って、その中にあるすべての文章が必ずしも不可謬であるわけではない。
人間の自由に関してはどの教皇より多く書いた教皇レオ十三世は、同名の回勅に、国家が悪に対して寛容であればあるほど、それは完全であることから遠ざかる、と書かれた。現代、この観察は他の時代にまして真実である。
教皇レオ十三世の同時代人、英国が生んだ偉大なカトリック著者、ジョン・ヘンリー・ニューマン枢機卿は、本書で引用されるあの不吉な随筆を残している。枢機卿は思想の完全な自由が行き着く先の異様さに触れている。「もし人の良心が国王殺し、幼児殺害、自由恋愛を許すとすればいったいどうなるというのであろうか」。
どれほど予知能力があったとしても、ニューマン枢機卿は自分がどれほど正確に将来を予言していたか理解できていたはずはない。国王殺しとか政治家暗殺こそまだ合法化されてはいないものの、幼児殺害は中絶という形態で、不可侵の権利という地位に祭り上げられている。そのいい例は、クリントンを大統領候補に選出することになった1992年民主党の党大会であった。この大会はライバル共和党の一女性に、彼女が「中絶権」を主張する民主党指名候補を支持しているという理由で、5分間の演説を許可したものだ。一方、中絶に反対していた高名な民主党党員、ペンシルバニア州知事のウィリアム・ケーシー氏には大会で中絶に反対して演説することは許可されなかった。自由恋愛に関しては、将来それが禁止される見通しがあるどころか、米国ではそれが定着してしまい、その権利が保護されていると言ってもいいほどである。
著者は、カトリックの伝統的教義が「さて、人生と社会の目的は神である」とする、天使的博士の引用に基づく基本原理を、聖トマスが以下のように要約する、と書いている。「故に、国家は『世俗的』である権利を有しない。それは国家としてイエズス・キリストが王であることを認め、賞賛しなければならない。そして、その法律と神の掟の間に矛盾が存在しないようにしなければならない」(原文63ページ以降)。
わたしは、信教の自由に関する正しい概念、誤った概念について著者が述べることを、何ページにもわたって解説できるであろう。特に、著者が、もちろんいい点もあるが、1965年、第二バチカン公会議によって認可されて以来、カトリック信者を混乱させ続けたいくつかの問題多い主張を含む、第二バチカン公会議の(不可謬ではない)『信教の自由に関する宣言』の弱点と混乱を指摘している章については、わたし自身も延々と解説したいほどである。しかし、ここまで読み進んだ読者であれば、「第二バチカン公会議と信教の自由」つまり本書自体を読み、研究したくなることであろう。現代焦眉の問題を研究する際、わたしは本書以上に報いてくれる類書に思い当たらない。
ボール・H・ハレット
ボール・H・ハレット(文学)博士は、米国きってのカトリック言論人として広く尊敬されている。カトリック・ジャーナリズムにおける氏の経歴は50年を越え、そのほとんどの期間、あの伝説的編集長モンシニョール・マシュー・スミスが世界最大の発行部数を誇るカトリック新聞に育て上げた、ナショナル・カトリック・レジスターに籍を置いた。レジスターとモンシニョール・スミスについては、ハレット氏の自叙伝Witness to Permanence(イグナチウス・プレス、1987年)に詳しい。レジスターの共同編集人としてだけでなく、同紙の書評執筆者、質問欄の回答者も勤めた。カトリック・ジャーナリストとしていくつもの賞を受けたハレット氏には4冊の著書があり、その他多数の古典的神学書をラテン語から英語に翻訳している。
1章 歴史的対決
1965年11月18日、イエズス会のジョン・コートニー・マレー神父には二つの祝い事があった。一つは教皇パウロ六世から、他の何人かの神学者も交えて、聖ベトロ大聖堂で共祝ミサに参加するようにとの招待。もう一つはシャンパンを抜いてのパーティであった。1
ジ・アメリカン・エクレジアスティカル・レビュー、1964年1月号には、その編集長を25年も勤めたモンシニョール・ジョセフ・クリフォード・フェントンが、「健康上の理由で」辞任したことを伝えていた。これら二つの出来事は無関係でない。
モンシニョール・フェントンとマレー神父は十年にもわたる長期間、時には極めて激しい議論を交わしてきた間柄であった。1965年11月18日のシャンパン・パーティーはマレー神父の全面的勝利を祝うものだった。1955年の時点で彼の長上が禁止していた理論は、後数週間で(1965年12月7日)、第二バチカン公会議の公式教義として発布されることになっていた。昨日までの異端が今日の正統になったのだ。
モンシニョール・フェントンもマレー神父も、公会議には専門家(periti)として招かれていた。1963年11月11日、二人は劇的、運命的な対決をした。ベア枢機卿の教会一致事務局が準備していた信教の自由に関する草案は、『エキュメニズムに関する教令』の第5章になるはずであった。何人かの公会議神学委員が、その草案は諸教皇の信教の自由に関する伝統的教えに明らかに反しており、公会議の議題から外されているという理由で採用することを望まなかった。「信教の自由に関する問題の歴史でおそらく最も重要な集まり」があったのは1963年11月11日のことであった。2何人かの専門家も交えて、全委員がその問題を討議するために集まった。マレー神父がその会議を以下のように報告している。
オッタヴィアーニがまずラーナーを、次に一人か二人を、(後に枢機卿になった)ライト司教がわたしの名を再度呼び、招待への同意のざわめきの中で、オッタヴィーニに面と向かって自説を述べることができた。モンシニョール・フェントンは専門家のテープルの端の方に見えていた。最終投票は18対5で*味方の快勝に終わった。会議は4時半から7時まで続いた。始めから終わりまでそれは緊迫したものであった。(その週のうちにヒルトンホテルで勝利を祝うパーティーをしたものだ。)3
この決定的投票で、マレー神父の究極的勝利と、モンシニョール・フェントンの敗北が確定的になった。モンシニョール・フェントンは一貫して、また断固として信仰の自由に関する伝統的カトリック教義を擁護してきた。この会議で自由主義者たちが勝利を納めた結果、彼が擁護できないとして非難してきた意見がほぼ確かに公会議によって採用されることになった。道徳的、知的にモンシニョール・フェントンほど優れた司祭であれば、今更降伏して、マレー神父の説を正統的カトリック教義として認めるだろうとはだれも期待できなかった。この集まりの数週間後、彼はジ・アメリカン・エクレジアスティカル・レビュー編集長の座を降りた。
*『信教の自由に関する宣言』の草案を、公会議に提出することに反対した神学委員会の5人のメンバーは、オッタヴィアーニ枢機卿、ブラウニー枢機卿、マニラのサントス枢機卿、フィレンツェのフロリット枢機卿、教皇庁のバレンテ大司教であった。4
参考文献
1 TIC, p.100.
2 ibid., p.82.
3 ibid.
4 ibid., 110, note 44.
2章 ジョン・コートニー・マレー — 自由主義の英雄
米国のカトリック・テレグラフ、その他いくつかの新聞は1978年6月9日、全米カトリック・ニュース・サービスが提供した、ジョン・コートニー・マレーの歴史に残る人物紹介を掲載したものだ。その紹介記事はマレー神父を(聖人ではないとしても)自由主義の英雄に祭り上げている。彼は「わたしたちの誇りであり、わたしたちは感謝を忘れてはならない」。続いてこう述べている。
1945年、デトロイトのムーニー枢機卿は、教会・国家関係に関するカトリックの立場を研究するよう彼に要請した。その結果発表された彼の研究は伝統主義者たちに猜疑心を起こさせた。彼らはジ・アメリカン・エクレジアスティカル・レビューで、時としては辛辣な批判を展開した。彼らの立場が当時は主流であった。
このように、ジ・アメリカン・エクレジアスティカル・レビュー誌上のマレー神父批判が公会議以前では主流であったことを自由主義者たちでさえ認めていることが分かる。この立場は以下の章で諸教皇を引用して説明しよう。特に、編集長で後には第二バチカン公会議の顧問学者になったモンシニョール・クリフォード・フェントン、同じく公会議の顧問学者になったレデンプトール会のフランシス・J・コンネル神父、モンシニョール・ジョージ・W・シーを頻繁に引用することになる。モンシニョール・フェントンと緊密な協力関係にあり、マレー神父の反対者であったオッタヴィアーニ枢機卿もしばしば参照する。ドナルド・E・ペロット神父SSSによる学問的ではあるが追従的なマレー神父研究書は1975年に発表されている。1 ペロット神父も、教会と国家関係については、オッタヴィアーニ—・コンネル—フェントンの立場が「公会議までは合衆国でも、全世界でも主流の『正統的』考え方であった」ことを認めている。2 この「正統的」考え方は1940年、ニューヨークで出版されたジョン・A・ライアンとフランシス・J・ボーランドによるCatholic Principles of Politics (政治のカトリック的原則)に、かなり詳細にわたって記述されている。これは、1922年、モンシニョール・ライアンがその他二人の司祭と共同で執筆したThe State and the Church(教会と国家)の再版に近い。この件に関しては、モンシニョール・ライアンによるこれらの著書が米国では標準的教科書として受け止められていた。内容的には標準的な神学の教科書に書かれてあった諸教皇の教えを総合したものであった。1950年9月号のアメリカン・エクレジアスティカル・レビューに、モンシニョール・シーは、この教えが「…カトリック教会とカトリック国家の関係に関しては真正で、永久に有効、不変なカトリックの教えであり、その関係はそれ自体としてカトリック社会にある教会と国家の性質からして、このような関係から外れることは、便宜的に譲歩することがあったとしても、原則的には同意するに値しない」と述べている。3
モンシニョール・シーが強調していたのは、当時(1950年)彼が主張していた教えが「一般的に最新の神学の教科書、教会法などにも書かれていた」という事実であった。4何度かは記事の中でこの件に関して権威ある神学の教科書にある参照箇所の包括的リストを挙げている。4 実に、モンシニョール・シーが「諸教皇によって承認されたカトリック哲学者、神学者、古典的で、確かな教え」と呼んでいる参考文献に関して、モンシニョールの記事に何かを付け加えることは困難であろう。5
マレー神父は何度か、自分が攻撃している立場が教会内では「主流の意見」であることを公に認めている。公会議文書「信教の自由に関する宣言」に関して、ケーニッヒ枢機卿に宛てた未出版の書簡で、彼は1965年まではこれが当時の状態であったことを認めている。6
参考文献
1D.E. Pelotte, John Courtney Murray: Theologian in Conflict (Paulist Press, New York, 1975).
2TIC, p. 81.
3AER, vol. 123, 1950, p. 161.
4Ibid.
5Ibid., p. 165.
6TIC, p. 136, note 5.
3章 真の自由と偽りの自由
自由に関して最も重要な文書は、教皇レオ十三世が1888年に書かれた回勅『リベルタス・フマナ=Libertas humana』である。特に記載がない限り、本章中にあるレオ十三世の引用はこの回勅からのものである。
教皇レオ十三世の教えを検討する前に、自由という言葉の持つ種々の意味について明確な概念が必要である。その基本的意味は束縛されることなく行動できる能力である。このような束縛は物理的、心理的、道徳的なものであり得る。特定の行動をする自由があるためには、このような道徳的禁止を含むこれら三つの束縛があってはならない。故に、道徳的にある行為をする自由が存在することは、その行為をする権利があることと同一である。だから、道徳的自由とと道徳的権利の概念は同意義であると考えられる。中絶は自然法で禁止されているので、女性には本当の意味で中絶する権利がないし、英米等で法律がそれを許していても、これから産まれようとする赤ちゃんを殺害することが道徳的に自由であるわけはない。道徳的自由をさらに詳細に調べる前に、まずは他の二つの自由について検討することにしよう。
物理的自由は、希望する行動を実行することが何らかの外的束縛によって妨げられることである。刑期を終えていない囚人が海辺でバカンスを楽しみたいが、そんなことは刑務所側が許してくれるわけがない。物理的束縛なしに選択する能力は人間にも動物にも共通である。例えば、犬は、飼い主が家の外に出してくれさえすれば、骨を庭の中のどこにでも穴を掘って隠すことができる。
心理的自由は自由意志といった方がよく通じるかもしれない。それは道徳的選択をする能力に関するものである。故に、この能力は天使と人間だけに限られる。自由意志もしくは心理的自由を所有する者は自分の行為の主であり、従って自分の行為には責任を持たなければならない。動物に物理的自由はあっても、心理的自由はない。小鳥の夫婦にはどの木に巣を作るか選択する物理的がある。しかし、彼らには巣を作って、子供を育てるかどうか選択する能力を与える自由意志はない。
自由意志という能力の所有は、その能力が正しく使用されるという保証ではない。教皇レオ十三世のこの点に関する教えは後に紹介する。銀行員には銀行から金を盗む物理的自由があるかもしれない。その選択を可能にする自由意志の能力である心理的自由もあるだろうが、決してないのがその行為を実行する道徳的自由であり、道徳的権利である。
ジ・オックスフォード・コンパニオン・トゥ・ローには、権利という語について「よく悪用され、使用されすぎる言葉」であると書いてある。『信教の自由に関する宣言』のテキストにもこの用語はしばしば登場する。しかし、この語が何を意味するかについては、一度といえども明確な定義をしようとしていない。ランドムハウロ・カレッジ・ディクショナリーはそれを「法的、慣例的、道徳的に正当な要求もしくは資格」と定義している。要求が正当でなければその要求をする権利は存在しないのだから、「正当な」という言葉は非常に重要である。教皇レオ十三世の回勅に明白に主張されているカトリックの教えによれば、神に由来する永遠法もしくは自然法に反する事柄を、人間は正当に要求することができない。
上述のように、カトリックの教えによれば権利と道徳的自由という言葉は同意語であると考えられる。権利とは特定の行為を正当にすることを可能にするために人に備わる道徳的能力である。「正当に」という言葉が意味するのは、その目的が道徳的に許されるものである限りにおいて、わたしたちは権利について語ることができるということである。これこそが、教皇レオ十三世が真の自由に関するその教えの出発点にしている原理である。善と真理を選択する権利つまり道徳的自由だけが存在できる。悪と偽りを選択する権利はだれにもあるわけがない。「なぜなら — 前述したように、また何度でも繰り返さなければならないが — 権利とは道徳的能力だからであり、自然が真理にも偽りにも、正義にも不正にも見境亡くそれを与えていると考えるのは愚かなことである。」真の権利の目的はいかなる道徳的禁止からも自由であり、客観的に善でなければならない。
道徳的権利と法的権利は区別される必要がある。これら二者はしばしば同一ではある。銀行員には道徳的にも法的にも盗む権利がなかったが、まだ生まれていない自分の赤ちゃんを殺害するという心得違いをした女性には、中絶をする権利が道徳的にはなくても法的にはあったのです。このケースで、法的権利は真の権利ではありませんでした。道徳的禁止がある限り真の権利はあり得ないからです。
権利について語るとき、その三つの側面は区別されねばなりません。家を所有する権利を考察することによって、これが明らかになるであろう。まず、権利の主体、つまりその権利を享受する人間である所有者がいる。次に、権利の諸条件があり、これらは彼が持つ家に対する所有権を尊敬して、他の人たちが守らねばならない、つまり、彼が正当にそれを所有することを妨げない義務を含む。最後に、主体がなし、所有し、主張する権利、行為、所有、資格の目的 — この場合なら家 — がある。
対応する義務がない権利があり得ないことは明白である。もしわたしが手紙を置くって何かを注文したら、注文を受けた人はそれをわたしに送る義務が生じる。もしわたしが何かを購入して、それが気に入ったのであれば、わたしには代金を送る義務が生じる。修道会の長上とか軍隊の上官であれば目下から服従を要求する権利が生じるが、彼にも自分の権威を理に適って、また、所定の目的のためにその権利を行使する義務がある。
良心の自由
教皇レオ十三世は、すべての人が権利として持っていると現代社会が思いこんでいるある種のいわゆる自由があると警告している。「自由主義者たちが熱心に提唱、宣言する」自由のことである。自由主義の本質は、個々の人間に自分を律する規範を自分で決める権利があるという点にある。何が正しく、何が間違っているかを自分で裁定する権利があるというのである。自分以外の権威に従う必要を認めようとしないのである。自由主義的に考えれば、良心の自由とは、個人が宗教と道徳に関しても、自分の欲するままに考え、信じ、口頭で、マス・メディア、その他の手段によって他人も自分と同じく考えるよう影響を及ぼす自由のことである。人にはどんな宗教を選択する自由もあり、また宗教を選択しない自由もある。そして自由主義者たちは、これが生まれながらにしての権利であると主張する。1900年頃出版されたヌーヴォー・ラルース・イリュストレ1は、良心の自由とは「公権に煩わされず自分がいいと思う宗教的教義を選択する個人の権利」であると定義している。1900年11月1日に発行された回勅『タメットシ・フトゥラ・プロスピチエンティブス』で、教皇レオ十三世は「人々は人間の権利が何であるかをいやになるほど聞かされている。しかし、神の権利にも人々は耳を貸さなければならない」と述べておられる。
本書を読む際に心に留めていただきたい一つの重要な区別がある。これは法的観点から考察された宗教の自由と神学的観点から考察される宗教の自由の違いである。法的観点から考察すれば、それは外的に公的場所で表現される宗教的信条に適応されるべき法的強制力の根拠とその範囲です。神学的観点、つまり神が人間に啓示したその性質と神の意志に基づいて考察すれば、誤謬を信じ、宣伝し、公的に誤謬を宣伝することを妨げられない生来の権利など存在しないのは疑いない。本章で紹介される教皇レオ十三世の教えが明白にするように、人には神の意志とその命令に従う自由だけが存在する。マレー神父も『信教の自由に関する宣言』も誤謬を選択する生来の権利があると仄めかしいるわけではない。マレー神父は自分の『信教の自由に関する宣言』の翻訳にある註でこの自由主義的立場を排斥してはいる。彼は人には偽りを信じたり、悪をなしたりする権利があると主張するのは「道徳的ナンセンス」であると説明する。さらには「誤謬も悪も権利の対象にはなり得ない。真理と善だけが権利の対象となり得る」と続けている。2
本章では、神学的観点から考察される良心の自由について、教皇が教えたことを検討するが、本書全体としてそれを考察するのは法的観点からである。マレー神父もしくは『信教の自由に関する宣言』が自由主義的立場を採用した、もしくはそれに近づいたのではないか、と示唆されている箇所で、わたしが実際に主張しているのは、ただ外的場における宗教的信条の表現に適用される法的強制の根拠とその範囲についてであり、決してマレー神父が、人には間違っていることを信じ、行う生来の権利があり得るとするのをナンセンスな自由主義的主張である、と正しく断言していることを非難するものではない。
重要な区別
法的観点から信条の自由の門団を考察する際に、以下の区別が常に念頭に置かれなければならない。第一の区別は内的場と外的場との区別である。内的場は人が私的に行う事柄に関し、外的場は人が公に行う事柄を指す。次に区別されねばならないのは、自分の良心に反して行動するよう強制されないこと、つまり強制からの自由と、良心に従って行動することを妨げられない自由である。伝統的なカトリックの教えは宗教的事柄に関しては、
1 個人的に自分の良心に反して行動することをだれも強制されてはならない。
2 公的にも自分の良心に反して行動することをだれも強制されてはならない。
3 個人的に自分の良心に従って行動することを妨げられてはならない。
4 公的には自分の良心に従って行動する権利は制限され得る。
カトリシズムと自由主義はこれら四つの点で一致するが、外的に公的場で私的信条の表現を制限する基準について異なる。以下の章で説明するように、カトリシズムは制限する際の基準として共通善を認めるが、自由主義はそれを制限する基準が共通善だけであるとする。フランス革命における「人間の権利権限」では、自由とは他人に損害を加えないことであればそれをする権利にある、とする。
読者の中には「高度するよう強制される」と「行動することを妨げられる」の区別がいくらかの混乱を招くと思われるかもしれない。簡単な例を挙げると分かりやすくなるかもしれない。私的にであれ、公的にであれ、プロテスタントに実体変化への信仰を強制的に宣言させることと、カトリックの国で公にこの教えを攻撃することを許可する、この二つには明らかな相違がある。
本書を通じて念頭に置いて欲しい四つのキー・ワードは、
1 私的に行動するよう強制される。
2 公的に行動するよう強制される。
3 私的に公とどうすることを妨げられる。
4 公的に行動することを妨げられる。
真の自由とは何か
現代社会から当然のこととされているいわゆる自由に関して、教皇レオ十三世は「多くの人たちはこのことに関して、これら人工的に作り出されたものでしかない現代的自由が現代最高の栄光であり、それなしには完全な政府は考えられない、またそれが市民生活の基盤そのものである、とする自分たちの意見に頑固にしがみついている」と書いておられる。教皇レオ十三世が1888年にこれらの言葉を書かれて以来、教皇が断罪された誤謬が自由主義に牛耳られている西欧社会の考え方になり、ほとんどのカトリック信者でさえもそれが当然と思っているのは、誠に残念なことである。神から与えられた特権である自由意志は、わたしたちが望むままに行使するのでなく、神が望まれるままに行使すべき賜なのである。「わたしの思うままにでなく、御旨が行われますように」。
自由意志の正しい行使に関しては、聖トマスも以下を書いている。
神は人間を人間自身の手に委任なさっている。しかし、それは彼が望みのままに何でもしていいということではなく、非理性的動物と異なり、彼は自分がなすべきことを自然の必要に迫られてするのでなく、自分の理性から生じる自由意志に基づいて行動する。3
同じく、教皇レオ十三世も以下のように教えられる。
他の動物は、本能のみに頼って善を求め、悪を避けることによって、自分たちの感覚に動かされるが、人間にはその生活におけるすべての行為において自分を導く理性がある。
教皇は理性がある存在、すなわち天使と人間だけが自由を行使することができることを示されている。その定義によると「多くのものから一つのものを選択する能力がある者は、自分の行動の主人であるから、自由はある目的に適した手段を選択する能力」である。
教皇は「選択の自由は意志の特性よりも、それに選択する能力がある限りにおいて意志そのものである」と説明される。
意志は常に善であり有益なものを選択する。意志の行為、つまり選択は理性による判断に基づく。判断は「理性の行為であり、意志の行為ではない」。わたしたちはしばしば判断が正しい行動であると告げているのにそれを実行する意志の力に欠けている。
自由が合法的に行使されるのは、人間が神の意志に自分の意志を合致させるときだけである。人には、たとえ物理的、心理的にそうできたとしても、自分の創造主の思いに自分の思いを優先させる道徳的権利がない。教皇パウロ六世は回勅『フマネ・ヴィテ』で本物のカトリックの立場を説明された。
ここでわたしが言っている責任産児には、神の定めに根差す客観的道徳秩序に基づくというもう一つの非常に重大な内在的理由があります。そして正しい良心だけがこの秩序の真の解釈者であり得ます。この理由のために、夫婦が何を優先させるか決定するに当たって、責任産児の使命は彼らが神、自分自身、家庭、人間社会に対する責任を認めることを要請します。
この理由のために、新しい人間の生命を生み出す使命に関して、あたかも夫婦には自分たちの行為をまったく気ままに決定することが許されているかのように、主観的、恣意的に自分たちにとって何が正しいかを決定するのは正しくありません。その反対に、彼らは結婚と性行為に属する性質自体から、また教会の伝統的教えの内容にから知ることのできる創造主である神の計画に、自分たちの行為の方を合わせなければなりません。10
しかし、自由主義の言語では、人が物理的、心理的に何かを自由にできるのであれば、共通善に背かない限り、それをする権利があることになる。教皇レオ十三世は「自然によってそれができるのなら、掟から免除されている、という考えより愚かしいことは言うことも、考えることもできない」と教えておられる。
自然法
だれしもが従う義務がある第一義的な法は、わたしたち人間の心に神から人間性の一部として植え込まれている自然の掟、永遠法つまり自然法である。この自然法は、教皇によると「どの人間の心にも書かれ、刻み込まれている。それはわたしたちの理性に他ならず、わたしたちに善を命じ、悪を禁じる…自然法は理性的被造物に埋め込まれて、彼らを正しい行動、正しい目的に傾かせる永遠法である。それは神、全世界の創造者で統治者の永遠の理性に他ならない」。
個人にあてはまることであれば市民社会にもあてはまする。国家にあって施政権を備えている者はその権威を、民主主義の場合であれば自分を選んでくれた民からでなく、神から受けるのである。たとえ国民の過半数がそれを望んだとしても、立法者たちは自然法に反する法律を制定する権利はない。わたしたちの主がポンシオ・ビラトに指摘したように、教会、国家、家庭にあるすべての権威は神に由来する。教皇レオ十三世は「過半数に主権があり、すべての権利と義務が過半数にある、とする説」を断罪しておられる。それ故に、民主主義という言葉によって、施政者たちが一部の人たちもしくは全国民の投票によって選挙されるという条件のもとでなら、教会は民主主義を受け入れる。教会は施政者たちが神から委託を受けた者としてでなく、選挙民の委託のみによって選ばれ、従って過半数の望みに基づいた法律を制定する、とする民主主義は断罪する。教皇は「民主死毛木的体制を選択すること自体は間違いではない。ただし、権力の起源に関してはカトリック教会の教えが尊重されなければならない」と言っておられる。どのような状況にあったとしても、政府には、神の永遠法に明らかに反する、中絶のような忌まわしいことを認可する権利は存在しない。この点に関する教皇の教えは極めて明白である。それによると、警部が自然法に反する法律を制定すれば、国民は従わない義務があるのである。
個々の人間にとってだけでなく、人々が集まれば成立する共同体とか社会においても、神の永遠法が人間の自由の基準と規則であることは明らかである。故に、人間社会の真の自由は各人がその望むことをして、混迷と混乱の挙げ句、政府を転覆させることではなく、市民法に従って、すべての人々がより容易に永遠法の定めに従うことができるようになることにある…人間が作った法律の強制力は、それが永遠法の適用であり、すべての法の原則においても同じであるように、永遠法に含まれていないものは何であろうと認めることができないところから来る…理性もしくは永遠法もしくは神の実定法に反する法が施行されるとき、その法を順守することは罪である。それは、人間に従順であっても神に不従順になるからである。
意志も過ち得る
理性と意志の能力は完全ではなく、教皇レオ十三世は「よく見られるように、理性が何か良からぬではあっても、善の様相を持つように見えることを提案し、意志がそれに同意することはあり得る」と言われる。これは非常に大切な区別である。人間は、自分に責任がある場合とない場合があったとても、過ちを犯し得る。理性が間違いを犯して、意志を道連れにして誤った選択をさせた場合、それが選択したのは、たとえそれに善の様相があったとしても、単なる幻想を選択したに過ぎない。悪の選択は自由意志が存在する証明ではあるが、それは能力を正しく使用したことではない。それは腐敗であり、乱用である。
道徳的、宗教的な事柄に関して、自分の決定が永遠という目的を左右することを念頭において、人はできる限り理性の能力を正しく行使する義務がある。教皇レオ十三世は次のようにそれを説明なさる。
人間の最終目的についには到達することができるように、理性は意志に何を求め、何を避けるべきかを処方する。そして、そのためにすべての行動がなされるべきである。理性のこの定めは法と呼ばれる。故に、人間の自由意志、もしくはわたしたちの道徳的行為が理性にかなっていることの道徳的必要性が、法の必要性の根底に存在する。
真の自由は神の法への従順である
人が神の法に従って自分の自由を行使するとき、彼は厳密な正義に従って神に帰すべき敬意を創造主に捧げ、救われるための唯一の道を歩んでいる。人はそうするとき自分の尊厳を放棄しているのではなく、正にそれを主張している。悪を選択するとき、人は自分のもっとも貴い所有物を乱用し、汚している。詩編119は人間自由の正しい行使について見事に歌い上げている。
いかに幸いなことでしょう。
まったき道を踏み、主の律法に歩む人は。
いかにさいわいなことでしょう。
主の定めを守り、心を尽くしてそれを尋ね求める人は。
彼らは決して不正を行わず、
主の道を歩みます。
恩寵の必要性
助けを受けないで人間理性が自力で、自由を行使して救いに至ることが決してできないことは、言うまでもない。そう主張すれば、ペラジアニズムの異端になる。神の恩寵の助けがあってこそ、人は神の法に従って自分の自由を行使して、救われることができる。原罪の結果、人間理性が恩寵の助けなしで人を救いに導く可能性は皆無になった。教皇ピオ九世はその教話『シングラーリ・クアダム』で以下のように警告している。
人間理性を間違うことのない教師とし、その指導に従いさえすれば間違いないとする理性の信奉者たちは、人祖の罪を通じてどれほど深く、ひどい傷を人間の性質が被っているかを間違いなく忘れているに違いない。暗黒は心を曇らし、意志は悪に傾きやすくなっている…理性の光が暗くされているので、そしてアダムのすべての子孫に伝わっている原罪の故に、本来の正義と潔白の状態から人類は悲惨にも転がり落ちているのに、理性が自力で真理に到達できる、とだれが考えることができるのであろうか。もし、人が滑って、このように大きな危険と弱さの中に落ち込まないことを希望するのであれば、救いのために神からの宗教と神からの恩寵が必要であることを否定するであろうか?
教皇レオ十三世も、理性と意志を正しく使用する助けとして恩寵の役割を強調している。
これらの中で第一にそして最も優れているのは神の恩寵の力である。それによって心は照らされ、意志は健全に力づけられ、常に道徳的善の追求に動かされる。こきようにして、わたしたちにある生来の自由の使用は直ちにその困難と危険を減じることになる。
強制からの自由
正しい意味での良心の自由を推進するために、教皇レオ十三世は国家は「すべての人が、それぞれの選択に従って、神を礼拝する、もしくはしないことができる」ことを保証すべきでなく、その反対に「国民の一人一人が神の意志に従うこと、義務を意識し、行かなく障害からも自由であり、神の名に従うことができるようにするべきである。実にこれこそが真の自由、神の子供たちにふさわしい自由であり、それは人間の尊厳を保持し、すべての暴力と不正よりも強い。それは教会が常に望み続け、もっとも貴重であるとする自由である」。
もし、人間には誤謬を選択する権利があるとするのであれば、良心の自由は人間に生来の権利ではない。しかし、人には誤謬を選択する生来の権利などないにもかかわらず、私的にも公的にも、真理を強制されない権利がある。教皇レオ十三世はその回勅『インモルターレ・デイ』で以下のように教えておられる。
聖アウグスティヌスが賢明にも「人は自分の自由意志で持ってでなければ信じることができない」と教えているように、だれであってもその意志に反してカトリックの信仰を受け入れるよう強制されることがあってはならない、ことを常に真剣に受け止めている。
実践面でこの原則の出現は、諸教皇がユダヤ人たちに示した寛容と保護に如実に示されている。この原則が教会史の中ではしばしば無視されてきたことは正直に認められなければならないが、個人にカトリックの信仰を強制的に受容させる試みがあったとすれば、それはカトリックの教えに反してなされていたものである。
参考文献 e
1 Nouveau Larousse Illustre, dictionnaire
encyclopedique, publie sous la direction
de Claude Auge, vol. III (undated, circa
1900).
2 Abott, p. 678.
3 ST. II, II, Q. 104, art. I,ad. I.
4章 国家
人間は社会的存在である。だから、人間は単に孤立した個人、また孤立した社会的集団としてでなく、他の複数の個人もしくは社会的集団と関わり、協力しないと生きていけない。そこから、教育、法律、秩序のように種々の事柄のために必要な種々の社会構造が確立されることになる。カトリック教会の伝統的教義によれば、国家は共通善を目的とする人間のもっとも包含的な組織体であった。アリストテレスによれば、秩序ある生活のために必要で自然な傾向としては、ギリシアの都市国家が最高の形態であった。この概念は聖トマスによって採用され、発展し、ついにはカトリック教義に取り込まれることになる。現代の偉大な教皇たちは最高の政治構造共同体を「国家」と呼んでいる。
人間存在の究極的目的は天国における永遠の幸福である。地上での生活の間、その目的は二重である。一つは永遠の幸福を達成する資格を獲得することであり、もう一つは第一の目的と矛盾することのない現世的幸福の達成である。
国家の目標は人間の現世的幸福である。そのさしあたっての目的は、外的な法的秩序の維持、国民と子孫が繁栄するために、人間的発展の手段を可能な限り豊かに供給することである。
国家は権威者と国民という二つの主要素から成立する。権威は治める者たちの手中にある。教皇レオ十三世は回勅『インモルターレ・デイ』に以下のように書いておられる(なお、本章で教皇レオ十三世が引用されるときは他の記載がない限り、この回勅からの引用である)。
だれかが上に立って、熱心に皆を共通善に向かって励まさない限り、どのような社会も成立しない。どのような文明社会にも統治する権威は必須であり、この権威の源は、社会自体にもまして、自然の中に、従って自然の著者である神ご自身の中にある。そこからして、すべての公的権力の起源は神である。なぜなら、世界最高の主は神だけだからである。例外なく、すべてのものは神のもとにあり、神に仕えなければならない。治める権威を持つものは、権威の唯一の源、至高の統治者である神からそれを受けるのである。「神に由来しない権威はない」(ロマ13・1)。すべての権威が神に由来する事実、またすべて統治者は神の委任を受けるという事実は、国家に関するカトリック教義においては公理のようなものである。統治者が権威を神から委託されるのであれば、どのような政府であっても神の掟に反する法律を作ることは許されない。すべての権威が神に由来する事実が受け入れられさえすれば、カトリック教会は個々の政府がどのような形態をとることもやぶさかではない。
統治権は必ずしも政府の特殊な形態に結びついているわけではない。国民の福祉を大事にするものでありさえすればどのような形態でも構わない。しかし、政府の形態がどのようなものであっても、統治者は世界の究極的統治者が神であることを常に心得て、神を自分たちの眼前に置き、政府の運営に置いては自分たちの模範と掟としなければならない。
3章で説明したように、民主主義の意味するものが普通選挙権で政府が選ばれることであれば、教会はことさら反対することはない。教会が反対するのは、権威が民にあり、統治者は民の代理としてそれを行使する、とする民主主義である。教皇レオ十三世は以下のように教えている。
このような公理に基づいている社会にあって、政府が意味するものは民の意志であり、民は、自分自身のみの権威の下にあるわけだから、結局は民が統治者ということになる。それでも、ある者たちを選んで、それらの者たちに統治を任せるのであるが、彼らに行使するのを任せるのは統治権というよりも、民の名において統治する実務ということになる。
あたかも神は存在しないかのように、あたかも神は人間社会に興味を示さないかのように、あたかも個々の人間もしくは社会関係で結ばれた者としての人間が、神に対して何も負い目がないかのように、さらに、あたかも神ご自身に由来しない起源と権威を持つ政府が存在できるかのように、神の権威は沈黙の中に無視される。このように、国家は自分自身が主人であり、統治者である烏合の衆に成り下がってしまう。
以下に明らかにするように、カトリックの考え方は国家が現世的幸福だけに関わり、教会が永遠の幸福に関わる、というものではない。国家は国民の共通善に関わらなければならない。これは人間の究極目的、その永遠の運命に関わってくる。故に、国家は教会と共同して、人間がその究極的目的を達成し、その邪魔になることは禁止して、国民を助けるように努めなければならない。
1945年、マレー神父は国家を「統治する機関を備えた組織的社会」つまり、包含的政治社会と定義したが、これはまったく正しい。1個人には道徳的性質があり、道徳的能力があるように、政府にとってもこれは同じである。諸教皇はこれをカトリック教会の教えに従って神を礼拝し、認めなければならない団体的人格として説明してきている。21945年、マレー神父が言ったように、自然法は国家にも「神をその創始者として認め、神が望まれる方法で礼拝し、その掟に政府の公的生活と行為を従属させることを」要求する。3
モンシニョール・ライアンは以下のように伝統的教義を説明している。
もし真の宗教がただ一つだけあるとすれば、そしてそれを信じることが、生きる上で、個人にとっても、国家にとっても最重要であれば、公的にその宗教を表明し、保護し、推進すること、さらにそれを直接的に攻撃することを禁止するのは、国家にとってもっとも明白で、基本的な義務の一つになる。なぜなら、生活のすべての面で人間の福祉を保護、推進するのは政府の仕事だからである。4
1945年、マレー神父は以上とまったく同じ考え方をしており、以下を書いている。国家は「法的手段によって神への信仰と道徳的水準への忠実さを損なう傾向のある考え方を制限し、その外面的行動を禁止する権利がある…」。5
後に示すように、国家は個人と同様に王たるキリストの統治の下にあるので、上述の義務を有する。理想的状況は教会と国家の連合である。モンシニョール・ライアンはこの理想を以下のように説明している。
国家はカトリックの宗教を国教として公的に認めるべきである。その上で、国会の開催初日、政府建造物の工事開始、その他のようなある種の国家行事には教会による祝福と儀式的参加を要請し、教会の主な祝祭日には政府代表の派遣すべきである。また政府は教会の法律を尊重、賛同し、教会の権利、教会に属する者たちの宗教的またその他の権利を保護するべきである。6
モンシニョール・シーが挙げた、伝統的考え方を擁護するカトリック神学者たちのリストはすでに触れたとおりである。1950年7月号AERの記事で、モンシニョール・シーは彼らの教えを要約し、特にこの立場は国民のほぼ全部カトリック信者である国家に対して適用されるものであることを強調している。「ここで言っている国家とはカトリック信者で成り立つ国家のことである」。かなりの著者がカトリック国家のこのような状態に関して「テーゼ」であるとする。カトリック信者が少数派である場合、まったくことなる状況になり、これは「アンチテーゼ」であるとされる。モンシニョール・シーはこれを以下のように説明している。
この問題に関して哲学者や神学者が言っていることを述べ尽くすはできない。以下に簡単な要約。カトリックの基本的教理によれば人間は個人としてだけでなく、社会としても神を礼拝しなければならない。この社会的礼拝の義務に関して著者たちは国家でさえも国家としては、単に「社会」としてでなく、政治的に組織された共同体、市民社会として宗教、真の宗教を表明し、神が望まれる方法で礼拝し、自然法に拘束される義務がある。もちろん、国家は義務の主体であり、その法人を構成する物理的人格の仲介によってではあるがそれを果たすことができる、法人として理解されている。具体的に言えば、権威ある地位についている人たちの公的行為を通じて、国家は宗教を信じ、実践し、神を礼拝することができる。その宗教的義務を果たすために、国家は神を間接的に、名目上、行政的にのみに礼拝するだけでなく、直接的にかつ公式に礼拝しなければならない。つまり、例えば神法に反することをしない、また宗教的動機から、偽証、公的な冒涜、公的宗教と道徳に反す区出版を禁じる法律によって、公の宗教を助長するだけでなく、狭義の意味でのいわゆる礼拝行為、感謝、嘆願、その他に公的に参加するということである。