1982年9月21日

 ヨゼフ 里脇 浅次郎 枢機卿 閣下
スティファノ 浜尾 文郎  司 教 閣下
日本カトリック中央協議会諸司教 閣下

ヨゼフ・マリ・ジャック神父(M. E. P)

= 口での御聖体拝領に関する弁論 =

 私の司教、浜尾文郎閣下のお求めにより、「Memoriale Domini」教書が禁じる “手” による聖体拝領についての私の立場を申し述べさせていただきます。

 以下に述べるところは、ごく単純なものとなりましょう。何故なら、私の立場は、普遍的教会の立場と全く同じものにほかなりませんから。

 即ち、Ⅰ.教皇パウロ六世の立場

    Ⅱ.教皇ヨハネ・パウロ二世の立場

    Ⅲ.使徒的伝承の立場

 と同じということです。

Ⅰ.私の立場は、教皇パウロ六世の立場であります。

 最初、私自身は “口” での御聖体拝領に心を惹かれながらも、手での拝領を強く推される日本司教協議会の動向にならいました。

 そして、1974年までは、別に私にとって問題はなかったのです。

 この年、私は休暇でフランスに帰国し、この慣習、“手” での御聖体拝領が、母国でも広く行き渡っているのを見ました。

 しかし、イギリス、イタリア、そして聖地イスラエルに旅行した際、“手” での御聖体拝領が、とくにローマとエルサレムで厳しく禁じられているのを見て、少なからず驚きました。

 ローマの聖ペトロ大聖堂では、ミサをたてようとする、全ての外国からの司祭に、御聖体を信者の “手” に授けることは固く禁じられ

“口の中に与えねばならぬ”

 ということを(ラウド・スピーカー)で注意していました。

 イスラエルの聖地では、あらゆる香部屋に同じ断乎たる命令が見られました。

 これらのことは、私をいささか動揺させました。

 私は、教皇文書や伝承などを調べはじめました。そして、幾つかの発見をしました。それらを少し、お伝えさせて頂きたく思います。

 まず、「Memoriale Domini」教書を再読してみて、特に明らかになった点がありました。この読み直しによって、私の考えと最初の立場、つまり日本司教協議会の推された、“手” での御聖体拝領する方法の再検討を迫られた次第であります。

 御承知のとおり、この「Memoriale Domini」教書はパウロ六世の特別な委嘱と、典礼聖省によって作成されたもので、

          ベンノ・ガット 枢機卿 典礼聖省長官

          アンニバレ・ブニーニ 秘書官

 の二つの署名があります。(カトリック文献1544号669〜671ページ参照)

 はじめ、一読した際、気付かなかった事が、今、明らかになりました。“虚偽の父(悪魔)” が狡猾に、よき麦畑に毒麦を蒔いていたのであります。

 このドキュメントはまず、

 『今日、多くの重要な変革が、聖体祭儀に取り入れられた。それは、現代人の精神的要求に、よりよく応える為であり、………』

 と述べ、更に、

 『ある場合には、パンと葡萄酒の二形色による拝領の慣例がたてられ………』、『これらの刷新の要素により、聖餐の表徴と、キリストの委託の忠実な実行は、更に、明らかに生き生きとしたものとなり………』

 『しかし、同時にここ数年来、聖体秘蹟の拝領によって表される聖餐執行への、より完全な参与の志向が、諸所に聖餐のパンを信者の “手” に置き、各人が自身で “口” に運ぶという古い慣例に戻る要望を生ぜしめた。』

 その上、

 『ある地域、ある宗教集団においては、このやり方は、聖座がまだ求められた許可を与えぬにも関わらず、すでに実行されている。……』

 とさえ、書かれています。

 1969年5月28日の時点において、事態はこのようにヴァチカンの有力者によってみられていたのであります。(パウロ六世によってとは、あえて言いません。ここに、その確実さも、明らかな意思も、見分けられませんから。)

以上のことを説明的に要約してみますと、

 ・刷新は素晴らしく増大しつづけていた。(?)

 ・「聖餐の表徴」は、より明白に、より生き生きとなってきた(!?)

 ・そして、この「より完全(?)な参与が、自ずと(!) “手” での拝領の望み(???……)を、生ぜしめた。」

 ・ “手” での拝領は、その許可を願い出た幾つかのコミュニティーによって、未許可の内に、すでに実行されはじめた……。

 (この重大な不従順を、パウロ六世は、当然、容認されなかったであろうが、「Memoriale Domini」教書の中の、どこにも、それに対する非難、譴責も見当たらず、不満や遺憾の意さえも表明されていない………。

 その表現の仕方では、この密かな不従順は、今後の成り行きと、やがて来る筈の許可をあてにしての、単なる、ごく自然な先走りとなっている。………

 こういう様なことは、今日、常に見られるところの「権威」自体が、自らの権威を打ち壊すやり方である。

 パウロ六世は、当然、許容されぬはずである。)

 ・とにかく、この文書の最初の部分を読む限りでは、“手” による聖体拝領は、変化の過程から見て、我々が享受する「刷新」の必然的な成果ということになる。

 以上が、「Memoriale Domini」教書の最初の部分を注意深く読めば、明らかに現れてくる諸点であります。真のキリスト信者は、そこに自分達の至高の教皇を認めることに、困難を感じるでしょう。

次いで、突然、パウロ六世の力強く

強烈な個性が

立ち現れてきます。

急に文書は “調子” と、“文体”と、“内容” と、“思想” をさえ変えます。

まるで、筆者が変わったかのように………。

突如として、“真のパウロ六世” が、その考えを表明するのです。

 急に、断固たる権威をもって、また、明確な理由をもって彼は、いわば、最初の部分全てに、反駁するのです。そして、

 『聖体拝領者の舌の上に、聖体を載せるのは、聖祭の執行者自身であることが望ましいと確定し、更に、現行の規定には、何も変更されるべきでない。』と、明言しています。

そして、教皇パウロ六世は、次のような重みのある衝撃的な理由を挙げています。

 ①『聖体を “口” に授けるこの方式の背景には、多くの世紀に及ぶ伝統の支えがある……。』

 ②『これは、信者等の聖なるユーカリスチアに対する尊敬を表すものである。……』

 ③『これは、この秘蹟にあずかる者の、個人的品位(人格尊厳)を、いささかも損なうものではない……。』

 ④『これは、神にして、人なる全キリストが、

 独自の方式で、常住的に、実体的に、全く存在したもう聖体』

 に対する、涜聖のあらゆる危険を、より有効に遠ざけることを得しめる……。

 ⑤『これは、普遍的教会の諸司教の意向に合致するものである。……。』

 おそらく、『少数の司教会議と何人かの司教が、個人名義』で、手による聖体拝領の許可を、願ったのでしょう。教皇は、問題の重大性に鑑み、ラテン教会の全ての司教に、意見を求めました。

 三つの質問が彼等に差し出されました。

 質問と答えは、明瞭です。

 1.『貴下は、伝統的な方式のほかに、“手” による拝領の儀礼を同様に許可して欲しいとの願望を、聞き入れるべきであると考えますか?』

‐ Placet(ハイ)                 567

‐ Nonplacet(イイエ)            1233

‐ Placet juxta modum(条件付でハイ) 315

‐ 無効回答                        20

 2.『貴下は、この新しい方式が、まず、幾つかの小さなコミュニティーにおいて、地域の司教の許可のもとに、実験されることを好ましいと思いますか。

‐ Placet                     751

‐ Nonplacet                 1215

‐ 無効回答                        70

 3.『貴下は、教理的なよき準備の後なら、信者らは、この新しい方式を喜んで受け入れるであろうと思いますか。』

‐ Placet                     835

‐ Nonplacet                 1185

‐ 無効回答                       128

 『これらの回答は』と、パウロ六世は続けて述べられます。

 『司教達の大多数が、つまり、

 ‐ 現行の規則は、何ら、変更されるべきでない。

 ‐ もし、それを変更すれば、これらの司教と多くの信徒らの感情と、精神的感受性を害する

 であろう。

 と、考えることを示している。』

 ⑥『……それ故に、問題の重大性と、援用した論拠の価値に基づき、教皇は、聖体を信徒らに分かつ伝統的方式を変えるべきであるとは考えない。』

 そして、次の威厳ある結論で、締めくくっています。

 ⑦ 故に、聖座は、司教等司祭等信徒等に対し、依然として実効ある現行方式を、入念に尊重すること。即ち、

 ‐ カトリック司教団の大多数による判断

 ‐ 聖なる典礼において、現在行われる形式

 ‐ さらに、聖会の全体的利益

 考慮に入れ、新たに確認される、この現行方式を入念に尊重することを強く要望するものである。

 この結論は、断言的であります。 

 これは、多くの世紀を経た使徒的伝承を証明し、確認し、教皇の至上の権威をもって、同文書の始めの部分が、容認する如く見えるところを、拒否するものです

 しかも、いかなる曖昧さも、いかなる違背も、いかなる逃げ道の可能性も残さぬものです。

 ローマが言葉を下し、問題は解決したのであります。

 878年のルアン公会議以来、再び、あらたに “手” による聖体拝領は、教皇パウロ六世の聖座の権威をもって、

厳 か に 禁 じ ら れ た の で す 。

ところで、「Memoriale Domini」教書は、この結論をもって終わるはずであるのに、最後に数行の取り急ぎの “再伸” のような保遺がついています。

『IN CAUDA VENENUV』
直訳:尻尾に毒

これが “悪” の介入でした。つまり、良き麦畑の中への、毒麦の種蒔です。

 確かに、不思議なことに、また、最初と同じく調子が変わり、文体が変わり、内容もまた変わり、そして、恐らく筆者も変わるのです。

 もはや、パウロ六世の思想で無い思想、教皇の “手” でない “手” です。

 ☆ 力強く確認されたことが、今度は破棄され、

 ☆ 断乎として拒否されたことが、今度は受容され、

 ☆ パウロ六世の明確な『ハイはハイ、イイエはイイエ』の後に、小さな加筆。

 この『悪魔から来た残余』が、パウロ六世の「Memoriale Domini」教書に入れ込まれ、かくしてこの文書は、真実と誤謬とのまったくの戦いの場となったのです。

 “ハイ”“イイエ” は共に存在して入り乱れ、真正と虚偽の二人の張り合う教皇の、対立する思考があるかのようです。

 こうして、“悪なる者” の陰険な介入により、この教書は、彼が望むところのもの、即ち、分裂の道具となったのであります。

 一方では、その核心において、口中に受ける伝統的聖体拝領を明確に保持します。

 “聖会の共通利益” と、“教皇” と、“司教の大多数” と、“論拠の価値” から要請される唯一の典礼式として。

 他方では、実際において、その宣言したところと反対のことを……。

 “聖会の共通利益” と、“教皇” と、“司教の大多数” と、“論拠の価値” とに反することを、許容するのです。

 以上が、「Memoriale Domini」教書を、聖霊の光のもとに注意深く真面目に再読すれば、全ての善意の霊魂に明らかに現れるところであります。

 ・ この「Memoriale Domini」教書の内的矛盾

 ・ その内在的な “自己破壊的” 性格

 ・ そして、そこから現れ出る奇妙な現象は、

 = “サタンの爪のはたらき” にほかならないこと、

 = イエズスとマリアの “踵への彼の咬みつき”、

 = ヴァチカンにおける “虚偽の父(悪魔)” の存在と、教皇文書を変質させ、その真理の言葉を封じようとする “その側近” による、教皇への裏切りとのしるし等。

 尊敬する日本の枢機卿、ならびに、諸司教閣下に、私は、このパウロ六世の教書を、一読あるいは再読されることを切望するものであります。この公式な日本語訳を、私は不幸にして見たことがありません。

 教皇が語っているのに、人は、それに耳を開かず、その声を押し殺しているのです。

 『今は、ある人々が、我らに仄めかすように、(=教皇パウロ六世御自身に)語ることが、真に時宜を得たことか、必要であるかと考えるよりも、むしろ、我らの言葉に耳を傾けさせる手段を講ずべき時である。』と、彼は、全世界の司教等の前で、叫んでいたのです。

 重ねて申しますが、この教皇の悲愴な言葉の中に、全ては明らかに見られます。

 パウロ六世は、肉体的、精神的な種々の圧迫の的となり、もはや、自由に統治することは不可能なのです。

 彼は、不従順な、造反的な、異端的な、共産主義的な、フリー・メイソン的な、枢機卿・大司教・司教・司祭等に取り囲まれ、彼らは、教皇の言うことでなく、自分達のしたいことを行うのです。

 それなのに、誰が、教皇の叫びと絶望的な呼びかけを理解したでしょうか?……

 何故なら、明白な事実が、そこにあります。

 ‐ このような悲劇的な矛盾

 ‐ 同一 “教書” の中の、この “自壊作用” が反対に、“手” による拝領の新しい方式のみを紹介し奨励するために、司教会議と、世界の言論出版によって、そこに残され、あるいは、そこに隠されているのは、どういうことでしょうか?……

 教皇が断乎として、教皇としての至高の権威をもって禁じた以上、それは、まさに教皇の望まぬことであるのに。

 事は明白であります。

 またもや、“闇の霊” が、この沈黙の大いなる陰謀のうちに、たしかに働いたのであります。悪魔の壊乱の、この知恵とこの力は、恐るべきものです。

 言いかえれば、一見取るに足らぬ彼の小さな補遣によって、教書の最終目的は、覆され、それが、

 ‐ 保存することを望んだものは拒否され

 ‐ 却下することを望んだものは受容されました。

 そしてこれは、常に効力をもつ現行法と、聖座によって結局は、尊敬さるべき教皇への不従順であります。

 まことに、最大の欺瞞であります。まるで、パウロ六世教皇が、次のように言われたかの様です。

 『あなた方が最初に不従順の功績をたてたその点を、続行することを聖座は、あなた方に許します。』

 私が、客観的に見ている以上のことを、何卒、諸師御自身にて、お確かめ頂きたいのです。そうすれば、私が、何も誇張しておらぬことを、御理解いただけるでしょう。

 かくて、以後、上より下に至るまで、教皇の大いなる権威に対する(あるいは、むしろ、更に途方も無いことに)その自称権威をもってしての、権威によって批准された確率的不従順となったのであります。

 まさに、聖会にとって、暗黒の時です。

 『サタンの毒気が、神殿に侵入した』と、パウロ六世御自身、叫ばれるでしょう。

 我々は、ここに、法規と聖職者の風紀の落ち込んだ壊乱と、無政府状態と、そして、パウロ六世を苦悩と殉教に導くほど、ヴァチカンにおいて、彼のおかれた、堪え難い環境との確証を見るのです。

 ‐ イエズス・キリストの代理者の側に、何人かのユダが存在しなかったと、誰が言えるでしょうか。

 ‐ 今日、誰が不忠実と裏切りの被害者であった教皇の、それゆえに忍んだ苦しみの大きさを、よく測りうるでしょうか?

 彼は、キリストの如く、使徒らの一人に裏切られ、他の者に否認され、そして、全ての者から見捨てられて、主の御苦難を経験したのであります。

 教皇はキリストと、遺棄・悲痛・倦怠・ゲッセマニの深い暗黒……を、倶にしました。

 しかし、彼を理解し、慰めようと努めた者はごく僅かでした。

 これこそ、ラ・サレットでのメラニー、ファチマでのヤシンタの予言の実現ではないでしょうか?

 次に、日本の司教協議会が、御聖体を信者らの手に授ける事について得た “許可” のことに移ります。浜尾司教様が、私に、日本の資料をお示し下さったことに感謝しております。

 私は、直ちに日本の文書が、1969年6月6日附で、フランス司教協議会の議長にのみ宛てられた “典礼聖省” からの “書簡” の逐語訳にほかならぬことをみて、ショックを受けました。

 この書簡は、“各司教に、その慎重さと、良心に従って”(司教協議会全体に対してではありません。)信者の “手” に、御聖体を授けることを許したものです。

 これが先ず、私の気付いたことであります。日本は、つまり、一年前にフランスで与えられた “許可の本文” を、そのまま、我が為に、利用したにすぎないのです。

 とすれば、本来、この “書簡” は、日本の司教協議会に宛てられたものではありません。何故なら、フランスの司教協議会によって、差し出された要請によって、その会長に与えられた返答に他ならないのですから。

 ついでながら、三つの奇妙な小事実をしるしておきます。

 ① この、ごく個人的な返答である “書簡” が(…私は、次の情報をお伝えできます…)二つの署名を有していること?

 ② この、“書簡” は、原文に更に付け加える、つまり、勝手に「Memoriale Domini」教書に全然ない次の新しい規定をでっちあげて提供する:

  『もっと簡単(!)なやり方(!)も取り入れることが出来る。それは、拝領者が自分で、聖器から直接に、ホスチアを摘むことである。』

 ③ この協議会が、問題の許可を得ようとする司牧的理由の表明が、全然公表されたことがなく、フランスの民衆は、当時も今も、瞞着されたままでいること………

 そこで、日本のこれらの文書は、まず、フランスの文書であるのですから、御考察を容易にするために、それらを念の為区分してみますと、

 ‐ 第一は、1969年5月29日附の、前述したごとく、最も重要な「Memoriale Domini」教書です。

 ‐ 第二は、1969年6月6日附の典礼聖省から、フランス司教協議会の会長への “書簡” です。

 ‐ 第三の文書は、1969年6月17日から19日にパリにおいて開かれた、フランス司教の常任会議によって、その集会の終わりに発表された “覚書”(ノート)です。

 また、ついでに御注意を促したいのは、これらの文書の価値の漸次低下することです。

 すなわち、“教書” から、“書簡” へ移り、“書簡” から “覚書” へ。

 しかしながら、“覚書” と “書簡” とは、肝心の “教書” 自体よりも、もっと重みをもち、尊重されるようであります。

 1969年6月29日「Memoriale Domini」教書の公表から、ちょうど1か月後、全フランスにおいて、“手” での聖体拝領の機能は働き始めました。

 フランスは、信者たちに、“手” で拝領する新しい慣習を押しつけた世界で最初の国となりました。

 “聖会の長女” としては、悲しいレコード(記録)であります。

 これらの三文書を検討すれば、思慮深い人々には、支離滅裂・不正確・矛盾・ごまかし等の(煩わしいので、この位でとどめますが)相次ぐ連続が見えてきます。

 このような認識は、各国の司教協議会によって得られた、聖座よりのあらゆる認可の、目下の法的価値を貶めることに赴きかねません。

 教会と司教への従順という美名のもとに、聖会において “虚偽” は、立て続けに居座っている。

 更に、誤魔化しに精通している悪魔は、自分が服従しない替りに、彼らの牧者に対する従順を利用して、信者を騙している。

 果物の中の虫食い

 ニワトリ小屋に、キツネは安心して眠っている。オオカミは “神の監督者” をものともせず、それより、彼らの無言の承諾を得て、羊小屋の中に、自由自在に行き交っている。サタンの最大の背信!………

 フリーメイソンや、共産主義に近い “闇の力” が、神とその遣わされたイエズス・キリストと、その代理者たる教皇とに対する同じ悪魔的憎悪のうちに、その努力を結集して、教会の馴致《飼い馴らし》(これは事実完了ずみ)と、教皇の奴隷化(これは進行中)とによって、キリスト教界を解体させようとしています。

 しかし、パウロ六世は屈服しませんでした。彼は、ただヴァチカンで囚人となったのです。そして、ヨハネ・パウロ二世も、屈服しないでしょう。更に、ヴァチカンでの囚人とならぬよう、彼は、自由に語ることのできる全世界の諸所を、歩き巡るのです。

 今度は、信者の手に御聖体を授けることに与えられた “許可” の合法性,適法性の問題に、移りたいと思います。

 まず、言わなければならないことは、“小さな補遺” によって、“手” での拝領に開かれた門は、非常に明白に限定されていたものだということです。

 本文を引用してみますと、『しかし、すでに(伝統的な慣習と)異なる方式 ‐ “手” に御聖体をおくこと‐ が、取り入れられている所では、聖座は、司教協議会を援助するために……』と、あります。

 ところで、1969年5月29日の時点において、“手” による聖体拝領の方式が、フランス全土にまだ、取り入れられていなかったことは公然と知られ、争う余地のない事実であります。故に、『異なる方式がすでに取り入れられている所……』という条項は、フランスにとっては、有効となりません。この方式は、取り入れられていたのではなく、単に、押し付けられたのであります。そして、ここからして、“手” での聖体拝領の “許可” は、結局全フランスにとって、違法といえるのです。更に、日本で得られた信者の “手” に御聖体を授ける “許可” について申せば、違法の許可であり、即ち、非合法にほかなりません。何故なら、この許可はパウロ六世と称される名目で、ただ、この方式がすでに取り入れられている所のためにのみ(それも、躊躇いがちに)与えられたものだからです。ところが、「Memoriale Domini」教書(その目的は、前述の如く、多くの世紀を経た、伝統的な “口” での聖体拝領方式の保持に、もっぱら絞られていた)が、世に出た時に “手” での聖体拝領方式は、日本のいかなる教会でも、行われていませんでした。とすれば、“手” での拝領の実施は、取り入れられたものではなく、日本でもやはり、非合法的に、全ての神の民に、押し付けられたものであります。それに、もし、この “許可” が、合法的に得られたものとしても(それは、本文に忠実によるなら不可能です。)、全ての地域司教団の第一の義務は、普遍的教会と、パウロ六世の明らかな、厳然たる勧告(司教の大多数は、現行の規則は “何ら変更されるべきでない” と考える。もし、それを変更すれば、これらの多くの司教と、多くの信徒らの精神的感受性を損ねるであろう)とに、従順に同調することでありましょう。確かに、聖別されぬ “手” にもって、聖なるホスチアに触れるというような考えは、どんなキリスト信者にも、浮かび得ぬものでした。

 そこで、重大な疑問が生じてきます。何故、ある協議会の司教達が、教皇の意に反して、“手” に御聖体を授けることを許すような違反に、飛びつくために、真っ先に規範を遠ざける者となったのか?

 次に、全く強引に、詐欺的ながら、この “許可” が、ともかく獲得されて、何故、これまで稀な例外(例えば、迫害時の如き)でしかなかったことを、教会の中に何としても広め、(しばしば従順の名のもとに)規準化しようとするこれほどの、熱烈な欲望が見られるのか?……当然、起こるべきことは、“例外” とか、“許可” とか、“違反” などが、常時大目に見られ、繰り返されるうちに、終いには “規準” に摩り替わるほどに、精神に定着してしまうということです。

 こうして、“異常” は “正常” となるのです。こういう様な、強力な押し付けによって、信仰とモラルは混乱させられ、メチャクチャにされるのです。何故なら、“違反” 特に、非合法と誤魔化しによる違反を受容することは、同時に、そこから生じてくる種々の過剰とあらゆる涜聖をも受容することにもなります。

 恐縮ながら、有りのままを見た上であえて申しますので、間違っていたら前もってお詫び申し上げます。

 悪巧みにたけた悪魔は、“神の民” に対する牧者、頭、有力者の目を煙にまいてしまうのです。

 公に、第二ヴァチカン公会議の革新と教皇の全ての教えを実行する宣言を公然と彼らにたたせながら、実際にはいろいろな策略と巧妙なやり方で、遂に真の歪曲に到達するのです。

 “手” での聖体拝領の “許可” は、他の多くの例の中での一例に過ぎません。この許可は、聖座の丁寧なポジティブな考慮によるものと思わせて、あくまでも誤魔化しと不従順によるものです。

 何とゾッとするペテン!……

 無論、権威ある責任者は、これをしきりに隠しておくのです。これは、“聖会のセンス” をもつことではなく、また、教皇の心と合致しることでもないのです。

 諸司教閣下、ごく慎重に申し述べますが、「Memoriale Domini」教書の “小さな補遺” は、“典礼聖省” の秘書官、即ち、アンニバレ・ブニーニ司教 ‐その霊魂の安らかならんことを!‐ の作ではないかと私は大いに恐れるものであります。

 日本の規範となった “書簡” については、何の疑う余地もありません。彼自身によって書かれているのですから。

 ところで、私が入手したある参考資料によれば、アンニバレ・ブニーニ司教は、フリーメイソンでした。

 このことで、彼が突然イランの教皇大使に任命された事実の説明が、おそらくつくことでしょう。

Ⅱ.私の立場は、ヨハネ・パウロ二世の立場であります。

 ヨハネ・パウロ二世が、“手” に受ける聖体拝領を望まれぬことは、明らかであります。

 歴訪されたヨーロッパ、アメリカ、オセアニア、アフリカ、アジアの全ての国において、彼が信者の “口” に御聖体を与えられるのが、目撃されました。

 フランスの前大統領の妻ディスカール・デスタン夫人は、教皇のフランス訪問の際、大いに話題の種となりました。彼女は、御聖体をどうしても “手” に授けられるよう両手を差し出して進み出たのですが、教皇は他の者と同様に、彼女の “口” に授けられたのでした。

 浜尾司教様は、私にドイツにおける一つの違反について話されました。それが本当であったとしても、私は他の人々同様、教皇の決定に働きかけたであろう圧力について知りたいと思います。……

 結局、これは一つの違反にすぎず、かえって規範を確証するものであります。

 ともかく、昨年の日本訪問の折ヨハネ・パウロ二世は、誰の “手” にも御聖体を授けられませんでした。私は、東京のスタディアムで、彼の共同ミサにあずかりました。……

 私は、彼の一挙一動を敬意をもって観察出来るに充分な近さに居りました。御聖体拝領の時、信者たちは教皇の前に進み、殆ど全員が両手を差し出していました。

 ヨハネ・パウロ二世教皇は、悠揚せまらず、聖なるホスチアを目の高さに捧げ持ったまま、各人が “口” を開けるのを待って、丁寧にその舌の上に授けられました。

 教皇は、自身の手本によって、言葉によるよりも更に多くの語られたのであります。

 それに、彼は手本と同様に、言葉でも彼に倣うよう促しています。

 1980年1月24日附の、『聖体の祭儀と神秘に関して、聖会の全ての司教への書簡』(枢機卿御自身訳されたもの)の中で、教皇は最後に、『ヴァチカン第二公会議の規定の部分的、一方的、誤った適用について……』、また、『この御聖体の大いなる秘蹟に向けられる尊崇と教義の解釈の点で惹き起こした躓きと不快感』について、教皇自身と司教職にある全ての敬愛する兄弟の名において許しを求める必要を感じ、そして、次のように結んでいます。

 『私は、主イエズス・キリストに今後、この聖なる秘蹟を扱う我らの方式において、何らかの形で、我らの信徒らの愛と尊敬の意識を弱め、惑わせる如きことが、避けられるよう祈るものであります。』

 勿論、御聖体を “手” で受けることによって、全ての信者が聖なる秘蹟に対する愛と尊敬の念を失うことはありません。

 しかし、最も熱心な者が、他の信者らの尊敬を欠く、涜聖的行為を目撃する時、苦痛を感ぜずにいられるでしょうか?

 まして、司祭達なら、このような事柄に手ひどく心を痛めつけられ、しかも、この苦悩をその司教にあえて打ち明けられずにいる者もあるわけです。それも無理のないことです。

 訳があって……仲間はずれの恐れ、罷免の恐れ、解雇の通告の恐れ、あるいは、好ましからざる人物とされる単なる恐れが彼らを引き止めるわけです。

 残念です!

 二重の残念!何故なら、二重の損害になります。時たまその損害は、そういう様な憐れな司祭を失望と自殺の深い淵までおとし入れるのです……

 ほんの一例として、友人の宣教師がある日、私に洩らした言葉を引用しましょう。

 『僕は、藤枝で君の助任として働きたいのだが、毎日御聖体を “手” に授けて、自分の良心を曲げることを、せめて、もうさせられないですむのならね……』

 気の毒な同僚よ!……

 その間、おそらく彼の司教は、安心して毎晩眠っているでしょう。他にも彼のように、やはり、人知れず心の中におかれた “剣” のような、苦しい問題を抱えて悩む者たちがいるのです。

 『良心に、暴力をかけることは、ある意味で人殺しをするよりも大きな大罪である。』(ヨハネ・パウロ二世 アンジェラス 1982年1月10日)

 再び、ヨハネ・パウロ二世教皇の全世界の司教に宛てられた “書簡” から、また一節を引用させていただきます。

 『聖会における、信心の秘蹟、一致のしるし、愛の絆に他ならない聖体が、現在我らの間で建設的な集束の中心点(事実、本質的に教会自身の一致の中心点であるのに)とならず、どうして分裂のポイントとなり、思考と行為の不一致の根源を形作るようになるのでしょうか?

 我々は皆同様、我らの贖い主に恩を蒙る者であります。

 我々は皆ともに、主が教会に約束され、教会に働き給う愛と真理の霊に耳を傾けるべきであります。

 この真理とこの愛と十字架に釘付けられ給うたキリストとその御母との御名において、私は諸氏に、あらゆる対立とあらゆる分裂を放棄することを求め、切に願います。

 我らの贖いの報償であり、同時にこの大いなる救霊の使命の為に、皆一致しましょう。

 各人が自己流のやり方で “聖霊を悲しませる” ことのないように。

 この一致が、…堅忍をもって続けられるよう私は、我ら一同に替って跪き、聖会の母にして聖霊の浄配なるマリアのおん取次ぎにより、聖霊の御光を願い求めます……』

 アメリカ合衆国の司教団が先に与えた、“手” での聖体拝領の “許可” を撤回したのは、この教皇の願望に応えるためでしょうか?

 この禁止が、それ以前になされていたのなら、想うに涜聖の事実が、認められたからでしょう。

 日本は最終的に、手での聖体拝領を撤回するためには、その “許可” によって励まされる侮辱と涜聖の増殖を待つほうがお好みでしょうか?

 病気を時間をかけて治すよりも、早めに予防する方がずっとましである。

 愛は、何よりも先んずる。

 愛は、一番大事をとる。

 愛は、いつもより善いものを選ぶ。

 愛は、愛する者の詳細な望みに服従することにさえ、決して倦怠を覚えない。

Ⅲ.私の立場は、伝統と使徒伝承の立場であります。

 エルサレムの聖チリロの文は、初代教会の “手” による聖体拝領のために、しばしば引き合いに出されます。

 それは、非常に美しいものなので、すでに、御承知と思いますが、ここに記さずにいられません。

 聖チリロは、348年の復活祭後の8日間に、新信者らに向けて、こう書いています。

 『故に、(御聖体拝領のため)進み出る時は、両の “手” の平を突き出したり、あるいは指を開くことをせず、むしろ左の “手” をもって、この王たる御者を受け奉る右手に対して玉座をつくれ。

 しかして、その掌の窪みに “アーメン” と唱えつつ、キリストの御体を受けよ。

 しかして、汝の眼を聖なる御体との接触により、入念に聖め、ついで、そをいささかも、失うことなきよう心して拝領せよ。

 何となれば、もし、汝がその微細の小片をだに紛失するを許さば、そは、汝、自らの四肢の一つを失うに等しいからである。

 試みに思え。

 もし、汝が人より金の一小片を与えられなば、そのいささかも失いて、損を受くまじと心を配り最大の配慮をもって、そを保つのではなかろうか?

 さらば、まして、金よりも、宝石よりも貴きものは、その一小片だも失わざらんよう、更に、大いなる配慮をもって、守らぬことがあろうか?』

 まことに美しい文です。

 エルサレムの聖チリロは、なんという信仰と尊敬を抱いていたことか!……

 ところで、まさに、ここが痛いところなのです。

 失礼ながら、今日、この様な無限の尊敬と愛のデリカシーをもって、聖なるホスチアに触れる司祭や司教が存在するでしょうか?!……

 尤も、決められた短い時間に、ミサ聖祭を終ろうと急ぐ慌ただしい典礼に、このようなことは困難なのかもしれませんが。

 一つ確かな事実は、これほどの感嘆すべき敬虔な “手” による聖体拝領は、キリスト教界に広まったのち、消滅してしまったことであります。

 これは、878年のルアンの公会議において、次の如く厳粛に、決定的に廃止されました。

 『男女を問わず、いかなる平信者にも御聖体は “手” に与えられることなく、口中にのみ与えられるべきである。』

 この絶対的な禁止は、ただ、聖別された “手” のみが、主イエズスの聖なる御体にあえて触れえることを示しています。

 以来、聖なるホスチアに触れることは、聖職者にのみ付与された特権と再びなっていました。最近、ヨハネ・パウロ二世が、喚起された如く。

 それはつまり、“手” による拝領の方式を廃止すべき重大な理由が、速やかに、不可避的に生じ、馴れ親しみと、尊敬の不足と、真の教義の変質と、あらゆる涜聖との危険が、すでに見られたからであります。

 その様なわけで、舌の上の拝領という使徒伝来の最初の慣習に新たに立ち戻り、これが一般化して、諸世紀を通じての御聖体拝領の唯一の方式となったのであります。878年のルアン公会議から、1969年5月29日まで、即ち、1100年ほどの間。

 これは、カトリック教会によって認められた唯一の拝領方式でした。

 トレントの公会議は、『当然、かつ、正当に使徒的伝統に由来するものと見なされるべきである。』と、率直に明言しています。

 過去の諸世紀において、また、過去の諸会議において与えられ、認められ、“定義” は、抹殺されたり、変更さるべきではありますまい。

 それらは、明確にされ、豊富にされ、そして、実践さるべきものであります。

 殊更に、聖会の呼吸ともいえる典礼の分野において。

 初代教会への復帰が、盛んに言われるのはどういう意味でしょうか?

 第一の、真の初代教会とは、それは、主イエズス・キリストであり、それは、その聖なる御母マリアであり、それは、十二使徒らであります。

 これが、使徒的伝統であり、これが、トレント公会議の口中の聖体拝領をそこに遡らせているのです。

 古代の、あるいは、更に近世の美術作品や絵画は、イエズスが使徒らの “口” に御聖体を授けているところや、マリアが聖ヨハネの前に跪いて、やはり、“口” に御聖体を受けているところを表していますが、これらは、この最初の使徒的伝統に発想と影響を受けているものです。

 以上をみれば、“手” での拝領を正当化するために、初代教会を準拠とするのは誤りであると申せます。

 そして、それ以降に設けられたこの慣習は、神のお考えにも、御意志にも、最後の晩餐でイエズス・キリストがなされた方式にも反し、また、最初の教会において、十二使徒が行ったやり方にも、まったく反していると言えるのであります。

“口” での御聖体拝領の復権のためのこの弁論を閉じる前に、今や日本全国での日常的となった “手” での拝領の実行が必然的に惹き起こした種々の結果と異様な事実について、一言付け加えさせて頂きます。

 確信をもって言えることは、このような、神聖なるものとの “手” による馴れ親しみは、人間の弱さからしても、次第に習慣的となる平凡さからしても、必然的に恐るべき涜聖へと導くということです。それは、また、あらゆる種類の冒涜と涜聖との教会の歴史上かつて見られなかったほどの氾濫の源となっています。

 子供たちが御聖体を “手” に授かる時、まるで、お菓子か、ボンボンか、彼らの言う “白いセンベイ”……、のように受けるのは珍しい事ではありません。

 彼らは、常に御聖体を “口” に運ぶとは限らず、素早く群集の中に姿を消し、心の動くままに、“それ” をしばらく取っておき、“それ” をオモチャにし、“それ” を友達に(信者でない者にさえ)分け与えたりします。ある子らは、“それ” を500円とか1000円とかで、腹黒い大人らに売ることさえします。つまり、彼らは “それ” を何とでもしているのです。

 日曜日のミサ聖祭の後、司祭たちは “聖別されたホスチア” を、腰掛けの上に、地上に踏みにじられ、ゴミ箱の中にさえ見出します。

 親たちは “聖別されたホスチア” を、子供らの、ポケットの中、ハンドバッグの中、祈りの本の間に見出します。

 信者の母親たちは、時たま、しつこくねだる子供たちと聖なるホスチアを分かち合います。

 “聖別されたホスチア” を封書に入れて、病人に送る人もいます。意向は善いものとしても、そのやり方は、この上なく不敬なものです。

 “書簡” は、“手” で御聖体を受ける許可と同時に “口” で御聖体を受ける伝統的な習慣を保ちたい信者の自由を強調しております。

 聖体拝領の新しい( “手” で)やり方は、伝統的な(“口” で)慣習を排斥するほど強制してはいけない。

 各信者に、舌の上で、御聖体を受ける可能性を与えるのは、特に大切なのです。新しい儀式が、信者の御聖体に対する霊的感覚を困難たらしめる原因になってはいけない……。また、信徒同志の分裂の種ともなってはいけないのであります。が、実際はどうでしょうか?この条件が守られることは、非常に困難な状態にあるのです。“書簡” は、“手” で御聖体を拝領する行為は義務付けられることのない様に、ということを強い調子で述べています。

 御聖体拝領の仕方についての信者の “いわゆる自由” は、理論上に於て存在していても、実際にはその自由は殆ど、禁止、廃止、隠減されていると言えるのであります。

 二つの例をここに挙げましょう。

 1.多数の教会に於て、司祭・修道者・カテキスタなどは、これまでにも増して、求道者や初聖体の子供たちに “手” で御聖体を拝領する方法しか教えておりません。

 ここでは、もう、選択は当然不可能になりましょう。何故なら、教皇によってしきりに要求されている普遍的カトリック教会の伝統的なもう一つの方法を知らせていないからです。

 2.種々の修道院でも同じです。

 この “有名ないわゆる自由” というのは、一方的な自由だけであって、実際、殆どの修道会においては、教皇や司教よりも “法” を定めるのは院長です。

 僅かな例外を除いて、“手” で御聖体を拝領することは、“会” の守るべき規則かのようになっております。この方法は、強制されているといえましょう。外面的には、それに完全に承諾し、一致しているように見えますが、その心の内は不賛成なのです。

 勿論、誰もそれを口にすることは出来ません。従順の御名によって、また、悪い意味での順応主義の御名によって、その霊的感覚は完全に踏み砕かれているのです。

 コミュニティーの中、たった一人で真っ向から修練長に、あるいは、院長にぶつかる若い “ノビス” をここに想像することが出来得ようか?……。あえてそうすれば、教皇に従う為、院長に背いたという重大な罪の為、早速荷物をまとめて世間に戻るようにという命令が、おそらく下されるでしょう。

 どうぞ修道院への訪問の際に、また、誓願のお祝いの時や、“ジュビレ” などの時に、ちょっと注意すれば、その “いわゆる自由” は結局、理論上にあっても、現実においてはとても不可能な事だと気付かれることでしょう。

 一方的な自由、つまり、“手” での御聖体拝領をすることしか勧めない大責任者は、この小さな主の花嫁の良心のドラマを、即ち、心の一番奥底の痛み、良心の隅々までのこの強制的圧迫について、決して知ることは出来ないでしょう。

 カトリック系のある学校で、食事の時、一人の児童は自分のパンにジャムをぬっていましたが……突然、ポケットから “聖なるホスチア” を取り出し、そのパンの上にのせて、更にジャムをぬりながら『こうしたら、ずっとおいしいよ』と言いました。

 これは、小教区の一司祭から私の聞いた実話です。

 拝領の受け皿をやめたこと、又は、それを使えぬことから “手” に御聖体を配る際、聖なるホスチアを二重に “手” で扱うために当然起こることは、聖片と尊い御血の滴も下に落とされたり、こぼされたりすることが、日本のあらゆる小教区と修道会で起こっています。

 まして、聖なるホスチアの “小さな小片さえも失われぬよう” 注意して受ける人はごく僅かです。仁慈にして、いとも甘美なる我らの救い主なる主イエズスは、その愛の秘蹟において、千度も万度も数え切れない程、足蹴にされ、言われなく侮辱されているのです。

 御聖体の第一の責任者である、彼の司教ら司祭らの無頓着、無関心、不注意の故に、更に、その “許可” を以って……

 どれほどの冒涜が、とくに主の日に、更に一層、その御復活の祝日になされていることでしょう!……

 それが、ただ一度だけであっても、一つの聖別されたホスチアになされる冒涜を避けるため、信者の “手” に授ける聖体拝領は、直ちに至る所で永久に廃棄されるべきである。

 何故なら、地上のいかなる犯罪も “御聖体” への冒涜に、比較されうるものではないからです。また、神に反して直接に犯された、憎むべき犯罪であるからです。

 もし、一司祭、一司教、まして一司教団が、その小教区、その教区、その国に(手での御聖体拝領)の実行を許容したために、どのような恐るべき責任を負うことになるかを知ったならば、たちどころに “手” に与え、受けられる聖体拝領は、もうどこにも見られなくなるでしょう。

 諸司教閣下、私はこのことを慎んで、しかし、確信を以って、また、御聖体に真に在りしホスチアの、極小片にひそみ給うイエズスへの心からなる信仰と愛の念をもって、あえて申し述べさせて頂きます。

私は、かの嫌悪、吐棄すべき “黒ミサ” や、反宗教的冒涜については、触れませんでした。これは、堪えられない酷さを秘めています。しかし、こうした全ては、“手” による聖体拝領によって、容易にされ、また、授けられるのであります。

 これら “サタンのミサ” における御聖体に対する大罪は、計り知れないものがあります。

 一つの黒ミサの中で犯される多くの罪の中のたった一つだけでも、主イエズス・キリストとその聖なる御母、無原罪のマリアの虐殺者たちは皆、その為す所を知っているからです。最も清く、最も聖なる二人の存在、イエズスとマリアに対するこの犯罪は、言いようのない大罪であり、一つ一つの “黒いミサ” のうちに罪は重ねられていく……、サタンの残忍さのこれまでにない種々の思いつきと、最も悪魔的な底知れぬ邪悪の数々と、聖なるユーカリスチアと無原罪の御母に対する憎悪の手の込んだ巧妙さ、等々を見出すにつれ、抑え様のない恐ろしさと嫌悪が深まるのであります。

 これら全ては、我々を驚きに唖然たらしめ、天をも地をも当惑させ、恥じ入らせます。

 これは、現代の最も恐るべき悲劇であります。

 これは、憎むべき冒涜中の冒涜であります。

 それなのに何故、このような好機を地獄に与えるのでしょうか?……

 何故、あの “サタンのミサ” に倣うのでしょうか?……

 そこには、特に御聖体に対する軽蔑と涜聖のしるしとして、立ったままと、そして、“手” で聖体拝領するのは、常となっているのです。

 サタンの最も大なる罪は、もはや跪くことを知らないことです。

 神には、決して勝てない。

 神の代理者なる教皇にも決して勝てない。

 謙遜に対しても、真理に対しても、決して勝てない。

 神と謙遜と真理とは、全く一つです。

 枢機卿閣下、諸司教閣下、諸師によって、我々のいとも愛すべき甘美なるイエズスは、その愛の秘蹟において、何千、何万度も売られ、愚弄され、踏みにじられ、十字に架けられ、また、多くの霊魂のうちに死んでいくのです。

 我、糾弾す!……

 そう、糾弾いたします……

 無限の尊敬と愛情と服従の念をもって、あえて、そう致します。

 それは、諸師の皆様が神の恐るべき裁判によって、糾弾されぬように……

 何故なら、これほどの厭うべき罪は、最早、人間的尺度を遥かに越えたものであります。

 これは、汲み尽くせぬ償いを要する邪悪の神秘であります。

 ファチマの天使が三人の子らに、三回目に現れた時、彼は一つのカリスと一つのホスチアを持ち、そのホスチアからは血の滴がカリスの中に滴っていました。

 ホスチアとカリスを空中にとどめたまま、天使は平伏し、三人の子もそれに倣いました。

 それから天使は、彼らに次の祈りを教えました。

 『いとも聖なる三位、御父、御子、聖霊よ、我、御身を深く崇め、御身に全世界の聖櫃に在す、イエズス・キリストのいと尊き御体、御血、御霊魂、御神性を御自ら受け給う。侮辱と、涜聖と、無関心の償いとして、捧げ奉る。

 しかして、その至聖なる御心とマリアの汚れなき御心の限りなき功徳によりて、憐れなる罪人の改心を願い奉る。』

 天使は立ち上がると、再びホスチアを取り、ルチアに拝領させ、カリスの中の御血を二人の小さい方の子らに分け与えつつ、それぞれに言いました。

 『忘恩の者らより、恐るべき陵辱と棄損を受け給うイエズス・キリストの御体と御血を頂きなさい。彼らの罪を償い、あなた方の神様をお慰めしなさい。』

 ファチマのメッセージの全ては、この祈りに含まれております。

 今年、1982年5月13日、ヨハネ・パウロ二世教皇は、個人としての巡礼に於て、また、汚れなきマリアの御心への全世界の公式な奉献によって、それを強固なさることを望まれたわけです。

 私は、ここでとどめる事にします。

 我々にとっても、最早為すべきことは、償いと我らの神を慰め奉ることのみです。

 諸司教閣下、かくも傍若無人に行われる、あまたの涜聖を目にし、この御聖体の大いなる秘蹟が、ますます軽んぜられることを見て、この苦悩する哀れな一司教の悲痛な叫びをお聴きください。

 何故なら、御聖体に対する真の崇敬によってのみ、他の所と同じく、日本でも聖会がたてられるのであります。

 この大いなる信仰の神秘の完全な参与は、どんな国の、どんな国家的な、全ての伝統をも無限に超越しております。仏教的、神道的、中国的、インド的、或いは、西洋的などの伝統を御聖体なしに、また、小さきホスチアに実在的に現存しておられるイエズス様の “真理と霊のまことの礼拝者”(ヨハネ4/24)なしに聖会はありえません。

 私は、我が天性の控え目の性質と、また、それによるぎこちなさの為に、これまでに経験した種々の失敗にも拘らず、諸師に対して、真実と信頼をもって、自己の有りのままの気持ちをここに表しました。

 私が、幾らいたらない者でありましても、諸師と同じく、私も “イエズスの司祭” であるのですから。

 また、私が意図することなく、何かお心を傷つけ、お気に触る点がありましたら、お赦し下さい。

 私はここで、特に我が教区の司教であられる浜尾文郎閣下に対し、私の聖職者としての良心にかかる重大問題を、日本司教協議会の前に申し述べるようお勧め下さったその御配慮と御親切に心より御礼を申し上げます。

 イエズス・キリストの代理者なる、聖なる教皇の命令に従うことによって、私の尊敬する司教様のお望みに抵抗を感じなければならないことは、私に生まれて初めて、死する程の憂いを覚えさせます。

 聖会に忠実であろうとするために、その同じ教会から、これ程の苦しみを受けることは決して想像出来ることではありませんでした。

 この時代人々は、今までにない暴力と拷問の苦しみの時代に生きています。

 しかも、聖なる教会までが、自分の子供らを拷問する時代にまでなっています。このことについて、私は多くの例を出すことが出来ます……。

 とにかく、どんなことであっても、自分よりも遥かに愛するこの聖会に、いつも服従いたします。

 正しさをもって、教会に勝つよりも、むしろ、間違ってもその教会に従って一緒に損する方が信仰においてましだと思っております。

 しかし、それと同時に、白状しますと自分の良心に背きながら、“手” で御聖体を授けることによって、イエズス・キリストの尊い御体を汚すよりも、即座に死ぬほうが私にとって、ましであると告白いたします。

 何故なら、私の司祭としての良心には、このことは全ての不敬に戸を開くことであって、それは、信仰と愛と特に謙遜の欠けた処から生じてくる甚だしい涜聖だからです。

以上、書いたこと全てを、日本の司教協議会の正しさと叡智に委ねます。

 私に間違いがあれば、直ちにそれら全てを訂正する覚悟であります。

 私が、これを書いたのは、あくまでも司牧的配慮であり、また、司祭団の一員として、私の属している日本のローカル教会が、国粋主義的思考から開放されて、いつも大きく開いたままで、教皇の心と完全な一致の状態にとどまり、そして、今後、教皇を通して、普遍的教会とも一致することを切に望みます。従って、私の属する横浜教区のステファノ浜尾文郎司教閣下に対し、同様の宣言をいたすものであります。

私は、“聖会の御母” にして、その “汚れなき御心” に捧げられた、日本の元后であられる至聖なるマリアに、諸卿とその全ての司祭らの為に、満ち溢れる聖霊の賜を得しめ給い、もって、この “日出る国” と、ひいてはアジア全土に司牧的な、新たな聖霊降臨を来たらしめ給うよう、祈るものであります。何故なら、アジアの未来は日本にある。

 日本の教会は、極く少数でありながら、すでに全アジアに影響を及ぼしている。これは、疑う余地のない事実であります。御祭壇の上の、聖なる秘蹟において、イエズスは、マリアの母なる汚れなき苦しみの御心により、全ての天使により、全ての聖人により、煉獄の全ての霊魂により、また、全ての神の子らの心により、讃えられんことを!とこしえに!

 哀れな罪人なる我に、御祝福願いつつ………

 枢機卿閣下、ならびに、諸司教閣下に尊敬の念をこめて、イエズスとマリアの聖なる御心のうちに………。

ヨゼフ・マリ・ジャック神父

〒420 静岡市西草深町1−24
パリ外国宣教会
静岡地区本部