回勅『フマネ・ヴィテ』は愛への挑戦  — ジャネット・E・スミス

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夫婦は神と共に創造者

 避妊は神に向かって「ノー」と言うことです。つまり、避妊する男女は性の肉体的快楽は望んでも、神にご自分の創造の業をさせることを拒むのです。

 わたしたちは、新しい人間を生み出せることがどれほどすばらしいことであるか忘れています。神は夫婦の愛を通じてこの世に新しい人間のいのちを生み出す選択をなさいました。全世界はわたしたちのために、そしてわたしたちと似た全ての人たちのために創造されました。神はご自分が創造なさった世界を新しい人間とも分かつことを望み、男女の愛を通じて新しい魂をこの世にもたらされます。神は世界を愛の業として創造なさいました。新しいいのちをこの世にもたらすことがもう一つの愛の業の産物であることは理にかなっています。男女が協力して子供を設けるとき、もはや決して存在を失うことのない何者かが新しく存在するようになるので、それは宇宙を変えてしまうほどの出来事です。一つ一つの魂は不死であり、永遠のいのちに召されています。

 そして、新しいいのちが存在するようになるとき、神だけが不死の魂を創造できるのですから、神は新たに創造の業を繰り返されます。性行為の際に、夫婦は神にその創造の業を行う機会を提供します。回勅『フマネ・ヴィテ』の冒頭にあるように、神は配偶者にいのちを伝達する使命をお与えになります。避妊は神に向かって「ノー」と言うことです。つまり、避妊する男女は性の肉体的快楽は望んでも、神にご自分の創造の業をさせることを拒むのです。

『フマネ・ヴィテ』研究会 成相明人訳