回勅『フマネ・ヴィテ』は愛への挑戦  — ジャネット・E・スミス

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いのちの贈り物

 セックスは赤ちゃんと男女のきずなを生み出すためにあります。もし赤ちゃんもきずなもいらないのであれば、性行為はあるべきではありません。現代人には赤ちゃんを神からの贈り物としてでなく、重荷として受け止める傾向があります。受胎能力はまるで気を付けて治療しなければならない病気のようです。

 教会は、赤ちゃんと男女のきずなを生み出す人間の性行為にある両側面を侵害する避妊行為を断罪します。避妊は性行為から本質的に重大な意味を減じてしまいます。避妊行為は新しい生命を創造し、男女間に強い感情的きずなを作り出す可能性を秘める行為ですが、同時にその可能性を減じる行為でもあります。

 セックスは赤ちゃんときずなを生み出すためにあります。もし赤ちゃんもきずなもいらないのであれば、性行為はあるべきではありません。現代人には赤ちゃんを神からの贈り物としてでなく、重荷として受け止める傾向があります。受胎能力はまるで気を付けて治療しなければならない病気のようです。現代人はしばしば「妊娠のおそれ」を口にしますが、変な話だと思いませんか?

 貧困、核兵器による大量殺傷、独裁制のおそれなら理解できますが、なぜ妊娠をおそれなければならないのでしょうか? また「偶然に妊娠した」という言い方も耳にします。しかし、それでは妊娠がまるで交通事故のようなひどい事故のようではないでしょうか? しかしもし性行為の結果妊娠したのであれば、それが意味するのは何かとんでもないことが起こったのでなく、性行為に正常な結果が伴ったということです。現代人は、もし赤ちゃんを産む準備ができていないのであれば、性行為の準備もできていないという基本的真理を見失っています。性行為、男女間の愛、赤ちゃんを産むことは十分な理由があって、互いに本質的に関係していることを見失っています。現代人は性的関係を余りにも軽く考え、異性との性行為が決して責任を意味するわけではありません。赤ちゃんは性行為に侵入してくる歓迎されざる客でしかないと思っています。

 教会はこのような態度に反対し、性行為と産児が密接に結ばれており、性行為は重大な責任を伴い、子供たちはその責任の本質的部分であり、責任も子供たちもすばらしい贈り物であると主張します。

『フマネ・ヴィテ』研究会 成相明人訳