回勅『フマネ・ヴィテ』は愛への挑戦 — ジャネット・E・スミス
教会による結婚とセックスのより深い理解
教会による避妊の断罪は何世紀もの間挑戦を受けることがありませんでした。現代、この断罪の理由を説明しながら、教会は結婚と意味、性行為の意味を更に深く理解するようになっています。
教会が避妊を断罪するのはそれに悪影響が付随するからではありません。そうではなく、教会は避妊が本質的に邪悪な行為であるので、悪い影響が伴うと教えます。教会は、それが人間の性行為に属する目的と本質に反し、それ故に人格の尊厳に反するので、避妊が悪であると教えます。
過去何十年かの経験は教会の教えがいかに英知に溢れるものであるかをひたすら証明するのに役立ちました。しかし、わたしたちは教会の教えを実践的レベルでより深く理解できただけでなく、理論的理解も進歩を見せています。挑戦を受けるまで、教会はなぜ特定の教えを教えるのかその理由を十分に理解していないことが多いのです。
教会による避妊の断罪は何世紀もの間挑戦を受けることがありませんでした。現代、この断罪の理由を説明しながら、教会は結婚と性行為の意味を更に深く理解するようになっています。再度教皇ヨハネ・パウロ二世を引用しますが、教皇は性行為が完全な自己贈与を意味し、避妊がこの自己贈与の意味を減じると主張なさったお陰で、わたしたちは避妊がどれほど悪いことであるか更に深く理解することができるようになっています。
『フマネ・ヴィテ』研究会 成相明人訳