回勅『フマネ・ヴィテ』は愛への挑戦  — ジャネット・E・スミス

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回勅『フマネ・ヴィテ』が出会った反対

 回勅『フマネ・ヴィテ』への公然たる反対は、教会史の流れの中でまるで分岐点のようでした。この現象はそれまでの間見えないところで煮えたぎっていたものが結晶化したか、それ以後に来るはずであったもろもろの反論のカタリストであったかのどちらかでしょう。

 一九六八年七月、回勅『フマネ・ヴィテ』が発表されたときは、まるで爆弾が落ちてきたかのような騒ぎになったものです。もちろん回勅への強い支持はありましたが、これ程の反論を呼び起こした回勅はかつてあった試しがありませんでした。反対の先鋒は主にチャールス・カラン神父とベルナルド・ヘーリング神父でした。

 それは教会史に残る歴史的、決定的瞬間であったとさえ言えます。反対がまるで流行のようにさえなりました。回勅『フマネ・ヴィテ』以前にこのような現象は見られませんでした。どのような問題に関してであっても、反対意見の神学者たちがこれほど公然と教導職の指導に反抗したことはかつてありませんでした。回勅『フマネ・ヴィテ』への公然たる反対は教会史の流れの中でまるで分岐点のようでした。この現象はそれまでの間見えないところで煮えたぎっていたものが結晶化したか、それ以後に来るはずであったもろもろの反論のカタリストであったかのどちらかでしょう。すぐに、神学者だけでなく後には一般信徒までもが避妊についてだけでなく、同性愛、自慰行為、婚外セックス、離婚、その他多くの問題に関して反対を表明し始めました。

 カトリック信徒の反対、彼らの間における広範囲な避妊の実施にもかかわらず、教会は避妊を重大な道徳的悪として常に繰り返してきています。教皇ヨハネ・パウロ二世は避妊への反対をその教皇職の基礎に据え、この点に関して多くの文書を書き、事あるごとに発言しておられます。

『フマネ・ヴィテ』研究会 成相明人訳