フマネ・ヴィテ』

適正な産児調節に関する回勅

教皇パウロ六世

一九六八年七月二十五日

『フマネ・ヴィテ』研究会 成相明人訳

Nihil obstat. Kagoshimae, die 13 maii 2000

Rev. Vianney T. Kohira, censor librorum, Kagoshima

Imprimatur, Kagoshimae, die 19 maii 2000

†Paulus S. Itonaga

Episcopus, Kagoshima

目次

第一部 問題の新しい側面と教導職の権限

第二部 教義上の原則

第三部 司牧上の指針

脚注

『フマネ・ヴィテ』

適正な産児調節に関する回勅

聖座と平和の中に一致している尊敬する教父、大司教、司教様方、すべての地方教会の教区長の皆さん、司祭と信徒の皆さん、及びすべての善意の人々、尊敬する兄弟と子供である皆さんにご挨拶と祝福を送ります。

生命の伝達

・神は人間の生命を伝達するという極めて重要な使命を夫婦にお与えになりました。この使命を果たすに当たって、夫婦は自由にかつ熟慮しつつ創造主である神に仕えます。この奉仕には時として少なからぬ困難と苦しみが伴うとしても、それは常に大きな喜びの源であります。

この使命の遂行は、結婚している人々の良心に常に、ある種の難問を提示してきています。それだけでなく、昨今、社会の進歩はそれと共にいくつかの新しい問題をもたらしています。人間の生命と幸福に密接にかかわる事柄であるだけに、教会はこれらの問題を無視することができません。

第一部  問題の新しい側面と教導職の権限

・現代社会に起きている数々の変化はまことに重要です。まず急激な人口増加が挙げられます。多くの人たちは、地球が提供できる生命維持に必要な資源より地上の人口増加率の方が急速に上昇するのではないかと考えて、心配しています。この不均衡は多くの家庭と発展途上国にとってさらに大きな困難の原因になり得ます。政府関係者たちは非常に苛酷な方法でこの危険に対処する誘惑に駆られるかもしれません。それだけではありません。現代の労働と住宅環境、子供たちを養い、育て、教育するため必要になった多額の費用のために、大家族を適切に養うことはしばしば困難になっています。

また、わたしたちが女性の人格と社会における役割を、これまでと違った視点から見るようになっていることにも注意しなければなりません。実に、夫婦愛の価値とこの愛に照らされる性行為の意味の理解に変化が生じていることにも、留意する必要があります。

最後にそしてなかんずく、人が自然の力を支配し、その合理的組織化に非常なる成功を収め、その支配力を生活の隅々、つまり肉体と精神の力、社会生活、生命伝達をつかさどる掟にまで及ぼそうとしていることにわたしたちは留意しなければなりません。

・このような情勢の下にあって人々は、以前であれば考え及ばなかった以下のような疑問を持つようになります。

現在のような生活条件の下でも夫婦のきずなと忠実のために夫婦の性行為は重要であるので、現在まで守られてきた道徳的規範を再考慮する方がいいのではなかろうか。

もしこれらの規範が多大な犠牲、時として英雄的犠牲を払うことなくして守られないのであれば、再考慮はことさらにふさわしいのではなかろうか。

ある人たちは、いわゆる「全体性の原理」をこの問題に適応させることが可能ではなかろうかと問います。

受胎能力を減じるためには理性の使用を正当化するこの原理を使用することも可能ではなかろうか。

意図的に不妊をもたらす行為は家族のサイズを制限するために許される賢明な方法にならないだろうか、つまり、産児という目的は一回一回の性行為よりも、結婚生活全体に関連していると考える方が明らかに正しいのではなかろうか。

現代人が責任感をより深く感じていることを考慮に入れると、生命伝達の使命を身体の生物学的リズムでなく、彼らの理性と意志に任せる方が正しくなかろうか。

教導職の権限

・確かにこの種の問題は、教会教導職が結婚に関する道徳的教義、つまり自然法に根ざし、神の啓示に照らされてさらに豊かにされた教えの諸原則を、新しくかつさらに深く考察することを要求します。

いやしくも信徒であれば、教会教導職が自然道徳法を有能に解釈できることをだれも否定してはなりません。なぜならわたしの前任者たちがしばしば宣言したように、1イエス・キリストがその神的権威をペトロとほかの弟子たちに分け与え、すべての国々にご自分の掟を教えるために彼らを派遣なさったとき、2主は彼らを福音の掟だけでなく自然法も含む全道徳法の守護者・解釈者として任命なさったからです。自然法も神の意志を宣言していますから、自然法に忠実であること、従順であることは、永遠の救いのために欠かすことができません。3

それだけでなく、教会は常にこの掟を忠実に守ってきました。最近、教会は以前に増して結婚の性質、結婚の権利の道徳的使用、配偶者たちの義務について総合的教義を発表してきています。4

人口・家庭・産児調節研究委員会の討議

・わたしはこの点に関する自分の責務を意識しつつ、尊敬する先任者教皇ヨハネ二十三世が一九六三年三月に設立された委員会を承認、拡大しました。多数の関連分野専門家に加えて、委員会には結婚している人たちも参加しました。委員会は結婚生活、特に家族の規模を制御する合法的手段に関する意見、考え方について考察するはずでした。答えを待ち望んでいる世界中の信徒に正しい回答を提供することができるように、委員会は教導職に期限までに結論を報告することになっていました。

わたしの依頼で、かつ自発的に提供された専門家の意見と研究、司教職にある兄弟たちの意見と忠告も、この複雑な問題にかかわるすべての側面を徹底的に考察することを可能にしてくれました。皆さん全員に感謝します。

教導職の回答

・しかし、わたしは委員会の結論自体に、確信に満ちた決定的重みを感じ取ることができませんでした。また、これほどに重要な問題を自分で考察して決定しなければならないわたしの義務を、彼らの判断に従属させていいとは思えませんでした。なぜこうする必要があったかについて理由はいくつかあります。まず、どのような道徳的規範が提案されるべきかについて委員会には一致がありませんでした。さらに重要であったのは、委員会が問題に答えるに当たって、結婚生活に関して何が道徳的であるかについては教導職が常に確信をもって教えてきたこととは異なる、ある種の方法と規範が使用されていたことです。

わたしは送られてきた報告を注意深く検討し、念を入れてこの件について考察しました。そしてたゆまず祈った後、キリストが与えて下さった権能によって、これらの重要な問題にわたし自身直接答えることがふさわしいと信じます。

第二部  教義上の原則

人間の全体像

・人間の生命に関するほかの問題と同様、産児に関する問題を生物学、心理学、人口学、社会学などの視点からばらばらに取り上げるだけでは不十分です。むしろ、それは人間全体と人間が召されている使命を視野に入れて、考察されねばなりません。なぜなら、この使命は自然的で地上的な存在だけでなく、超自然的で永遠の存在にかかわっているからです。

産児数を制限する人工的方法を推進する者の多くは、その理由として夫婦愛の要求とか自分たちの責任産児の義務を挙げます。ですから結婚生活に関するこれら二つの重要な要素を正確に定義し、説明する必要があります。わたしがそうするに当たってひたすら念頭に置いているのは、この点に関して最近第二バチカン公会議が最高の権威をもって発布した現代世界憲章の教えです。

夫婦愛

・まことに夫婦愛の起源が最高の源泉つまり神にあることを認めるときに、その本当の性格と高貴さが明らかになります。なぜなら神こそ「天においても地においてもすべての父性がその名を受け」「愛である」父であるからです。

ですから、結婚が偶然または自然の力から盲目的に生じたと考えるのは間違っています。そうではなく、創造主である神が賢明にまた摂理的に、人間をとおして自らの愛の計画を実現するために結婚制度を確立なさいました。ですから、人間に特有な相互の与え合いをとおして、夫婦は人格の交わりを求めるのです。神と共に新しい生命を産み、教育する責務を神と共有するために、夫婦はこの交わりをとおして共々完徳に進みます。

それだけでなく、洗礼を受けた人にとって、結婚はキリストとその教会との一致を示す恵みの秘跡的印であるほどの尊厳を備えています。

夫婦愛の特徴

・これらの事柄が適切に照らされるとき、わたしたちは夫婦愛に特有な印と要請をはっきり知ることができます。これらを正確に理解することは非常に大切です。

まず、夫婦愛は人間の愛ですから感覚と精神の愛です。その理由のために、それは本能とか好みの産物であるだけでなく、第一義的には自由意志の行為を含みます。この自由意志の行為をとおして、夫婦は自分たちの愛が毎日の喜びと悲しみをとおして永続するだけでなく、いや増すことを誓うのです。それ故に、彼らが心と魂から一致すること、相互に協力して人間的完成を目指すことは特に重要です。

次に、夫婦愛は互いにすべてを与え合います。つまりそれは非常に特別な人格的友情であり、夫婦は自分を不当に留保することなく、また自己中心的な利益をおもんばかることなく、互いにすべてを寛大に分かち合います。配偶者を心から愛するのであれば、夫は妻(妻は夫を)を自分が受けることのためにでなく、彼女(彼)自身のために愛します。しかも心から喜んでそうします。同時に、彼(彼女)は自分自身を妻に与え尽くすことによって愛する妻(夫)を豊かにします。

それだけではなく、夫婦の愛は死が二人を分かつときまで忠実かつ排他的です。実にこれが、婚姻によって自由に、意識して結ばれる花婿と花嫁が結婚の日に深く感じることです。忠実であることが時として困難であっても、それが可能であり、常に気高く、大事であることを否定する者はいないでしょう。これまでに多くの夫婦が示してきた模範は忠実が結婚の本質そのものにふさわしいだけでなく、親密で永続的幸福は、ちょうど泉から水が湧き出るように忠実に起因することさえ証明しています。

そして最後に、夫婦愛の特徴は実りをもたらすということです。この愛を全体として考察すれば、それは夫婦の交わりだけに限られず、そのかなたにまでおよび、新しい生命を生み出すことを求めるものです。「結婚と夫婦愛はそれらの性質自体からして子供を産み、育てることを目指します。子供は明らかに両親自身の幸せに大きく貢献する結婚の最高の贈り物です」。

責任産児

10・以上の理由から、夫婦愛は配偶者が自分たちに託された責任産児の使命を完全に意識していることを要求します。現代社会が責任産児を要請するのは正しいことですが、これは正しく理解されなければなりません。従って、わたしたちは産児にまつわる正当で、相互に関連する種々の次元をここで考察しなければなりません。

もしわたしたちがまず生物学的過程を考察するなら、責任産児が意味するのはこれらの過程に関連のある責任を知り、大切にするということです。理性は人間に属する生殖力に関する法則を発見しています。

それ故に、もしわたしたちが魂に備わる生来の衝動と傾向に目を向けるなら、責任産児は魂に備わるこれらの衝動と傾向を、理性と意志が支配する必要を明らかに示しています。

もし、さらに肉体的、経済的、心理的、社会的条件にまで目を向けるなら、賢明に考察し、寛大に多子家庭を選択する人々は責任産児の義務を果たしています。また重大な理由があって、道徳上の掟を大切にしながらも一定期間もしくは期限を定めることなく、もう一人の子供を妊娠しない選択をする両親にも、責任感があると考えられます。

ここでわたしが言っている責任産児には、神の定めに根差す客観的道徳秩序に基づくというもう一つの非常に重大な内在的理由があります。そして正しい良心だけがこの秩序の真の解釈者であり得ます。この理由のために、夫婦が何を優先させるか決定するに当たって、責任産児の使命は彼らが神、自分自身、家庭、人間社会に対する責任を認めることを要請します。

この理由のために、新しい人間の生命を生み出す使命に関して、あたかも夫婦には自分たちの行為をまったく気ままに決定することが許されているかのように、主観的、恣意的に自分たちにとって何が正しいかを決定するのは正しくありません。その反対に、彼らは結婚と性行為に属する性質自体から、また教会の伝統的教えの内容にから知ることのできる創造主である神の計画に、自分たちの行為の方を合わせなければなりません。10

自然と婚姻行為の目的への尊敬

11・夫婦を親密にかつ純潔の中に結び、新しい生命を伝達する婚姻行為は先ほどの公会議でも繰り返されたように「良いものであり、人間的尊厳にふさわしい」ものです。11もし夫婦が自分たちの責任でないのに自分たちが不妊であることを知っていたとしても、彼らの婚姻行為は合法的であり続け、夫婦のきずなを表し、強め続けます。実に、経験からも分かるように、新しい生命は個々の婚姻行為ごとに生じるわけではありません。神は自然に産児の間隔が開くように、賢明に自然の法則と受胎可能期をお定めになっています。しかし、その伝統的教えをとおして自然法を解釈する教会は、結婚している人々が自然法に基づいた教えに従わなければならず、また個々の婚姻行為はそれ自体において生命の産出に向けられていることが必要であることを思い起こさせます。12

不可分の二側面

12・教会教導職がしばしば説明している教えですが、(婚姻行為にある)きずなをはぐくむ側面と生殖にかかわる側面は不可分の関係にあり、両側面とも婚姻行為に内在します。神がお定めになったこの関係を人が恣意的に断ち切ることは許されません。

ですから、その親密な性質のために、夫と妻を最も強いきずなで結ぶ婚姻行為は彼らの男女としての性質そのものに書き込まれた法則に従って、新しい生命を生み出すことも可能にします。そしてもしきずなをはぐくみ、生殖にかかわるこれら本質的側面が保たれるなら、婚姻行為は人が正にそのために召されている真の相互愛と自分たちが親になる最高の使命に忠実な行為になります。わたしが思うに、現代人は特にこの教えが理性にかなっていることを理解できるはずです。

神の計画への忠実

13・人々は、配偶者の健康とか正当な要求を考慮しないで強制する婚姻行為が真の愛の行いでなく、このような行いが配偶者に当然期待される道徳的秩序に反することを知っています。ですから一貫して、もしさらに深く考察すれば、人々は生命を生み出す能力を傷つける相互愛の行為は必然的に、婚姻のきずなの性質をお定めになった神の計画にも、人間生命を創造なさった方の意志にも反することを認めるべきです。それは生命を生み出すこの能力が、万物の創造主である神によりその特別な掟に従って計画されたからです。

ですから、(夫婦愛という)神のたまものを使用する際に、部分的にであってもこのたまものの意味と目的を打ち消す者はだれでも男女それぞれの性質、また最も親密な関係に反抗します。この理由のために、彼は神の計画とその聖なる意志に挑戦することになります。他方、夫婦愛のたまものを生殖の法則にのっとって享受するとき、人は生命の源の主が自分でなく、むしろ自分が創造主に発する計画に仕える者であることを認めます。

実に人は、一般的に考えても、自分自身の体を無制限に支配するわけではありません。ですから、彼は明らかに自分の生殖能力も無制限に支配しているわけではありません。なぜなら、生殖の能力はその性質自体からして人間生命の産出に向けられており、神ご自身が人間生命の源であるからです。実に、わたしの先任者ヨハネ二十三世が言われたように「人間の生命はすべての人々から聖であると認められなければならず、それは正にその初めの瞬間から神による創造の行為を必要とします」。13

道徳的に許されない産児制限法

14・このように、これらの人間的そして結婚に関するキリスト教教義の原則に基づいて、わたしは、すでに始まっている生殖過程への直接的介入が、合法的産児制限法とされることは全面的に否定されねばならないことを、再度、強調しなければなりません。特に、直接的妊娠中絶はそれが健康の理由のために行われるのであっても、断固として排除されねばなりません。14

それだけではなく、教会教導職がしばしば教えてきたように、男女を問わず直接的不妊手術も同じく断罪されねばなりません。15

同様に、生殖を妨げようと試みるすべての行為は、ある目的を達成する手段としてであっても、それ自体が目的として選択されたものであっても否定されねばなりません。これは性行為に先立つ行為、性行為に伴う行為、性行為の自然的結果に向けられる行為を含みます。16

また、より小さな悪を選択するという主張の下に、婚姻行為から故意にそれに伴う受胎能力を取り去る行為を正当化することもできません。「受胎能力を排除したこれらの行為が、過去と未来の受胎可能行為と共に構成する全体として考えられた結果、受胎可能な婚姻行為と一つで同じ道徳的善を分かつものである」という主張も有効ではありません。確かに、それがより小さな悪であり、より大きな悪を避けるためとか、より大きな善を確保するためにそれを選択するとき、時として道徳的悪を容認することは許されます。17しかし、どれほど重大な理由があっても、善をもたらすために悪を行うことは決して許されません。18つまり、人がその性質自体から道徳秩序に反する行為を意識的に選択することは決して許されません。なぜなら、このような行為は正に上記の理由のために人間にふさわしくないからです。それは、もしだれかが個人、家族、社会のためにある善を確保し、推進しようとする意図の下に行動したとしても、同じく許されません。ですから「意図的に受胎能力を喪失して、結果的に本質的に間違っている婚姻行為が結婚生活全体の受胎可能な行為と併せて考えられることで正当化される」と考えるのは重大な誤謬です。

道徳的に許容される治療手段

15・それだけでありません。教会は、ある治療が生殖能力を害することになっても、病気の治療に必要な医学的手段の使用であれば許可しています。このような治療は生殖能力の減退が予見されていたとしても、また不妊がどのような理由があったとしても直接的に意図されたものでない限り許されます。19

不妊期間利用の道徳性

16・それにもかかわらず、昨今、ある人たちは結婚の道徳について教会の教えに反対しています。彼らは自然の非合理的力を制限し、それを人間の利益になる目的を達成するために転換するのは人間理性の権利であり、機能であると主張します。さて、ある人たちは現代、多くの場合、人工産児制限の使用が合理的ではないのだろうかと思うかもしれません。例えば、そうすればよりたやすく達成できるかもしれない家庭の平和と調和とか、すでに生まれている子供たちの教育のためにもっと貯金ができるかもしれないのでは、といった場合です。この質問には明白に答えなければなりません。教会はもちろん理性的被造物である人間を神と密接に結びつける理性の使用をだれにもまして賞賛し、奨励します。しかし、教会はこれが神によって確立された物事の秩序に従ってなされなければならない、と主張します。

確かに、間隔を置いた妊娠を必要とする重大な理由がいろいろあるかもしれません。それらは配偶者の身体的、心理的状態もしくはそれ以外の要因に基づくものであり得ます。そのような場合、教会は配偶者が生殖器官に備わっている自然のリズムの観察によって受胎可能期を計算し、婚姻行為を不妊期間に限ることが許されると教えます。夫婦は右記の道徳的教えに反しないで家族のサイズを計画することができます。20

 教会は、夫婦が不妊期間を利用することは道徳的に許される、また一見夫婦にそうする重大な理由があったとしても直接的避妊行為はすべて道徳的に間違っている、と教えますが、これは決して気まぐれではありません。これら二つの状況は本質的に異なっています。第一の場合、夫婦は自然が備えた機能を合法的に利用します。第二の場合、夫婦は生殖秩序がそれ自体に自然に備わるプロセスに従うのを妨げます。

どちらの夫婦も、それなりの理由があって互いに妊娠を避けようと固く決心していることは明らかです。そして、両方の夫婦が妊娠しないように手段を講じていることも否定できません。それにもかかわらず、初めのケースにおいてだけ、正当な理由のために妊娠が望ましくなければ、夫婦に受胎可能期には性行為を控える力があることを認めなければなりません。そして妊娠する機が熟していなければ、互いの愛を表現するため、そして彼らが約束した忠実を維持するために性行為を利用します。そうするとき、彼らはまことにそして完全に正しい愛のあかしをしていることに間違いありません。

産児制限の人工的方法使用に伴う重大な諸結果

17・責任感のある人たちなら、避妊に起因する諸結果と避妊使用を正当化する言い訳を考察するとき、避妊に関する教会の教えがどれほど真理であるか直ちに理解するでしょう。彼らはまず、多くの人たちにとって、不倫行為もしくは道徳規律の漸次的衰えを導入する行為を正当化することが、どれほど容易であるか、を考察すべきです。人間の弱さを理解するため、また特に誘惑に弱い若い人たちは、道徳法を順守するために励ましが必要であることを納得するために、それほどの人生体験は必要ありません。彼らがこの法を犯しやすくするのは間違いです。また、習慣的に避妊する夫が妻への尊敬を失うおそれもあります。夫は妻の心理的、身体的均衡を無視し、妻を自分の欲望に従属させるための道具として使用するようになるかもしれません。その結果、夫はもはや妻を配慮と愛をもって遇すべき伴侶として見なくなるのです。

また、もう一つ注意深く考えていただきたいのは、道徳法を無視する為政者が危険な権力を手にするであろうということです。国家の最高権力者たちが国全体にかかわるある種の問題を解決しようとして、家庭の困難を解決しようとする夫婦にとって解決(人工避妊)が道徳的に許されると決定するとき、だれがこれに反対できるでしょうか。公権が自分の確信に従って最も効果的であると信じる避妊法を選択し、それが必要であると判断したときに、国民にそれを強制するのをだれが止めることができるでしょうか。そして明らかに個人、家庭、社会が経験するかもしれない、神法の一部でもある困難を避けようとする国民は、夫婦の最も排他的で親密な使命に干渉する権限を、公権の意志に手渡してしまうことになるでしょう。

ですからわたしたちは、もし生命を生み出す使命を人間の気ままな決定に任せることを望まないのであれば、自分自身の体とその自然な機能に及ぼすことのできる人間の権力には一定の制限があり、それらが侵されてならないことを認める必要があります。それが個人であっても公権であっても、それらの制限を侵すことは許されません。なぜなら、これらの制限は、前述の原則とわたしの先任者ピオ十二世が説明なさったいわゆる全体性の原理の正しい理解に従って、人間の身体全体とその自然な機能に対する尊敬に起因しているからです。21

真正の人間的価値を保証するのは教会

18・おそらく、すべての人がこのような教えを簡単に受け入れることはできないであろう、と予言することができます。何しろ、教会の教えに反する批判的意見は現代マスコミによって広く宣伝されていますから。ですから、教会がその創立者「キリスト」と同じように「逆らいの印」22になってもそれほど驚くべきことではありません。しかし、それは教会が自然法と福音の法を含む道徳法全体を断固として、しかも謙遜に説き続ける自らの義務を放棄してもいい理由にはなりません。

これら二つの法のどちらも教会が作ったものではありませんから、教会にはそれらを変更することが許されません。教会はそれらの法の守り手、解説者であり得るだけです。ですから、教会が道徳的に許されないことを許されると宣言することは決して正しいことではありません。不道徳的なことはその性質からして常に人間の真の善に反しているからです。

結婚に関する道徳法全体を守ることは、人間が育ててきた本物の文明発達に寄与することであると教会は心得ています。教会は、人間が余りにも技術に頼り過ぎて人間としての義務を放棄することのないよう人々を励まします。教会はこのように夫婦の尊厳を保護します。神である救い主の模範に忠実な教会は人々に助けの手を差し伸べ、彼らが地上で巡礼の旅にある間も「すべての人々の父である生きた神の生命をその子供として分け与え」15ようと努め、人々に対する真剣で寛大な愛を示します。23

第三部  司牧上の指針

母であり教師である教会

19・もし、結婚に関する神の掟を守るよう人々に勧めると同時に、家族のサイズを調節する道徳的に許される方法を示すのでなければ、わたしはすべての国々の母であり教師である教会の思いと心配を十分に示したとは言えないでしょう。とにかく、家庭と国家に厳しい条件を突きつけられているのが現代です。しかし教会は神であるその救い主がなさったようにしか行動できません。教会は人類の弱点を知っています。教会は罪人に同情し、彼らの罪を赦します。しかし、教会はその元々の真理に復活させられ、神の霊に導かれた人間の生活にふさわしい掟を教えることしかできません。24

神の掟を守ることができる可能性

20・適切な間隔を置く妊娠に関する教会の教えは神の掟そのものの表れです。この教えを守ることは不可能ではないにしても困難である、と多くの人々がきっと感じるでしょう。それは正にそのとおりで、高貴さと有用さで際だつすべての良いことにならって、この掟を遵守する個人、家庭、社会は強い動機と少なからぬ努力を必要とします。実に、この掟は神の豊かな恵みなしに守ることはできません。そして正にこの恵みが人間の良い道徳的選択の基盤であり、この恵みから人間は力を受けるのです。それだけではありません。この問題を完全に考え抜く人たちは、神の教えを守るための努力が人間の尊厳を高め、人間社会に利益をもたらすことを理解するでしょう。

自己制御

21・道徳的な家族計画は、夫婦が生活と家庭にとって何が真の善であるかを見分け、大事にすること、さらには自分自身と性欲を完全に制御することを要求します。自然の衝動を制御するために、夫婦は自分たちの理性と自由意志の使用による克己を学ぶ必要があります。そうするとき初めて、結婚している男女にふさわしい愛の表現はそのあるべき姿を取るでしょう。自己制御は定期的禁欲を実践する人たちにとっては特に必要です。

実に、夫婦の純潔を一段と輝かせるこの種の規律は愛にとって障害にはなり得ません。それどころか、規律はさらに深い人間的意義を愛に吹き込みます。(このような抑制が)たとえ絶え間ない努力を要求するものではあっても、それは夫婦の徳を高め、彼らを数々の霊的善で満たします。さらに、この徳は家庭に安定と平和の実りをもたらし、その他の種類の問題解決にも役立ちます。それは夫婦の相互に対する優しさと配慮を助長します。それは夫婦が真の愛と正反対である過度の自己愛と戦うときの力になります。それは彼らに自分たちの責任をさらに強く自覚させます。そして最後になりますが、それは子供の教育に当たる両親に確かで効果的権威を与えます。子供たちが成長するにつれて、彼らは人間にとって真の善とは何であるかを正しく理解し、自分たちの精神と感覚にある能力を穏やかに、ふさわしく行使することができるようになるでしょう。

純潔を育てる雰囲気の形成

22・わたしはこの機会に、共通善にかかわることが権利と義務である教育者とそのほかの人たちに忠告の言葉を贈りたいと思います。彼らは、道徳的秩序の規範が保たれ、真の自由が放縦を抑え込むために、純潔を育てる雰囲気を作り出す必要があります。

それ故に、文明の進歩にかかわり、最も重要な人間的善の保護を望むすべての人々は声を一つにして、現代社会にあって下品な文芸とか堕落した演劇とか映画のように人間にある下位の欲望を刺激し、堕落した道徳を助長する種々の娯楽を断罪するべきです。公的な場で権威筋が何を許可するかに当たって、芸術とか学問の必要に訴えるとか、25「表現の自由」という理屈に訴えるなどして、この種の堕落を弁護するなどもってのほかです。

公的権威筋への呼びかけ

23・そしてわたしは、共通善に関して最も責任があり、善良な道徳を保持できる立場にある国家の為政者たちにも呼びかけなければなりません。あなたたち自身の国民に備わる立派な道徳を腐敗させてはなりません。自然法と神法に反する行為を、国家の基本的単位である家庭に導入するために法律を利用してはなりません。その理由は、公的権威にとって人口増加の問題を解決するためにそれ以外の手段を見つけ、使用することが明らかに可能であり、義務であるからです。つまり、あなたたちは家庭を保護する法律を作成し、道徳法と国民の真の自由を保護するよう人々を賢明に教育するべきです。

実に、国家の指導者たちにとって、特に発展途上国で、人口過剰がどれほど深刻な問題であるかわたしも承知しています。回勅「ポプロールム・プログレッシオ」を発布したときわたしはこれらのもっともな懸念を念頭に置いていました。しかし、ここでわたしは前任者教皇ヨハネ二十三世の言葉を繰り返します。「これらの問題解決に当たっては人間の尊厳に反するような方法とか手段を使用しないことが肝要です。(為政者は)どの面から見ても人間自身も人間の生命も物質的現実でしかないとする人々の考え方を排斥するに当たって、決して躊躇してはなりません。わたしはこの問題が個人と社会両方を尊重し、人々に役立つ産物を生産する経済的・社会的進歩によってのみ解決されるべきであると信じます」。26まことに、政策の貧困、社会正義に対する関心不足、利己的な富の独占、また最後にすべての人とその家族がよりよい生活水準を達成する手段である労働とか、仕事に関する不注意な怠慢の結果であるように思われることを、こともあろうに神の摂理のせいにしてしまうことは、重大な不正であると言わなければなりません。27確かに、いくつかの国の政府はすでにこれらの問題に関してかなりの努力をしています。しかし、すべての政府にはこのような努力をする必要があります。偉大な人類家庭に属する全メンバーはさらに相互扶助の熱意を持たねばなりません。わたしには国際援助団体がかかわることができる機会はほとんど無限にあるように思えます。

科学者たちへの呼びかけ

24・「結婚と家庭を助けるために多くのことができ、また共同の努力をとおして人間生殖を道徳的に秩序づける条件を明確化するよう試みて、良心の平和に寄与することのできる」科学者たちをもわたしは激励します。28ピオ十二世も要請なさっていたことですが、医学が自然の周期を観察することによって、道徳的な産児調節の十分に分かりやすい基礎を確立することが望まれます。29このようにして、科学者、特にカトリック科学者であると誇り高く自認する科学者たちは、教会が教えているように「生命伝達に関する神法と真の夫婦愛をはぐくむ(科学的)法則の間には何らの矛盾も存在しない」ことをその仕事をとおして明らかにすることができるでしょう。30

キリスト信者夫婦への呼びかけ

25・さて、次は特に、結婚した状態でご自分に仕えることを神が望んでおられるわたしの息子と娘たちに呼びかけたいと思います。神法の不可侵の諸条件を教える教会も救いを宣言し、秘跡をとおして恵みの源泉を開け放つからです。人が愛徳と真の自由でもってその創造主かつ救い主の神的計画にこたえ、キリストのくびきを軽いと感じる新しい被造物になるのは正にこれらの手段によります。31

ですから、あなたたちは謙遜に教会の指導に従い、キリスト教徒に固有の召命が洗礼によって始まり、婚姻の秘跡によってさらに明確化され、強められたことを思い起こして欲しいものです。なぜなら、夫婦は忠実に自分たちの義務を果たせるように、またその召命に完全にこたえ、堂々とこの世にキリスト者としてのあかしをすることができるように、婚姻の秘跡によって強められ、いわば聖別されるからです。32主は、まさに結婚している人たちに自分たちの相互愛と寛大な奉仕を、人間生命の創始者である神の愛と密接に結びつける掟の聖性と甘美さを人々に示す使命を託されます。

ほかの人たちにとってもそうですが、あなたたちキリスト教の夫婦にとってももちろん「命に至る門は狭く、道は厳しい」のですから、あなたたちが遭遇するかもしれない困難、時としては大きな困難をわたしが無視しているわけではありません。33しかし「この世の有様は過ぎ去る」34ことを知りつつ「慎み深く、正しく、信心深くこの世で生活」35するよう勇敢に努力する限り、あなたたちの道はこの命の希望によって真昼のように照らされるでしょう。

 ですから、わたしはあなたたちが信仰と希望に強められて、自分たちに課された労苦を快く担うことを希望します。「希望は失望に終ることはありません。なぜなら、わたしたちに賜わっている聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからです」。36神の助けを願って常に祈りなさい。特に、御聖体の永遠の泉から恵みと愛を受けなさい。もし、罪を犯すことがあったとしても、失望せず、謙遜にそしていつでも和解の秘跡が豊かにもたらす神の慈悲に頼りなさい。正にこの道を通ってあなたたちは結婚生活における完徳に向かって進むことができるのです。使徒パウロはこれを次のような言葉で説いています。「夫たる者はキリストが教会を愛したように妻を愛しなさい。…夫も自分の妻を自分の体のように愛さねばなりません。自分の妻を愛する者は自分自身を愛するのです。自分自身を憎んだ者は、いまだかつて、一人もいません。かえって、キリストが教会になさったようにして、自分を育て養うのが常です。…それは、キリストと教会とをさしています。いずれにしても、あなたがたはそれぞれ自分の妻を自分自身のように愛しなさい。妻もまた夫を敬いなさい」。37

夫婦の使徒職

26・さらに、熱心な信徒が神法を重んじるときには大きな実りを期待することができます。これらの中でことさら際だつ実りは、ほかの夫婦と自分たちの経験を分かち合うことから生じます。このようにして、一般信徒のすでに豊かな召命に新しくまた特に価値ある使徒職、互いに仕え合う使徒職が付け加わることになります。つまり、夫婦はほかの夫婦の案内者になることによって彼らを導く使徒職を果たすのです。キリスト信者のあらゆる使徒職の中でもこの種の使徒職は昨今最も時宜を得ているように思えます。38

医師と医療関連の仕事に従事する人たちへの呼びかけ  

27・自分たちの使命を果たすに当たって、何らかの人間的利益を最優先させるのではなく、キリスト信者としての召命と両立することを大事にする医師、医療関連の仕事に従事する人たちに、わたしはここで最大の敬意を表します。ですから、常に信仰と正しい理性に合致する解決だけを求めなさい。それだけでなく、この困難な分野で必要な知識を身につけることが自分たちに与えられた特別な使命であると思うよう勧めます。そうすれば、あなたたちは相談に訪れる夫婦に適切な忠告を与え、正しい道を示すことができるようになります。夫婦はあなたたちからそのような指示を期待する権利があります。

司祭たちへの呼びかけ

28・個人と家庭の忠告者であり霊的指導者である愛する息子たちよ。完全な信頼をもって、わたしは司祭であるあなたたちに呼びかけます。結婚に関する教会の教えを余すところ無くはっきりと教えるのは司祭たち、特に倫理神学者である司祭たちの偉大なまた明白な使命です。奉仕職を果たすに当たって、あなたたちは教会の教導職に対して内面的、外面的にも真摯な従順を示して模範にならねばなりません。なぜなら、実に、ある教えを説明するためのいろいろな理由のためだけでなく、公会議の教父たちが真理を教える際に、特に導いて下さる聖霊の光という理由のために、あなたたちは右記の従順を示す義務があることを承知しているはずだからです。39さらに、倫理的また教義的事柄においてあなたたち全員が教会の教導職に従って一致して教えることが、魂の平安とキリスト信者の一致を守るためにどれほど重要であるかを忘れてはなりません。従って、偉大な使徒パウロの熱心な言葉を借りてわたしは心の底からあなたたちに呼びかけます。「さて兄弟たちよ。わたしたちの主イエス・キリストの名によって、あなたがたに勧めます。みな語ることを一つにして、互いの間に紛争がないようにし、同じ心、同じ思いになって、堅く結び合っていて欲しいのです」。40

29・救いをもたらすキリストの教えを重んじ、それを曲げてこの世に妥協することを断固として拒むのは魂の救いに役立つ際だった愛の行為です。しかし同時に寛容と愛徳も忘れてはなりません。救い主ご自身が人間と語らい、交わられた際もこの真理の模範を示されました。この世を裁くためでなく、救うために来られた主は罪に対しては厳しくても、罪人に対しては忍耐強く、慈悲に満ちておられました。41 ですから、困難に直面している夫婦が司祭であるあなたたちの言葉と心に救い主の声と愛の写しを見いだすことを希望します。

愛する息子たちよ。ですから満幅の信頼をもって真理を説き、教導職が教える際に導く神である聖霊が信徒たちの心を照らし、彼らが同意することを確信しつつ、彼らが同意するよう勧めなさい。夫婦には祈りの絶対的必要性を教えなさい。彼らが定期的に強い信仰の中に御聖体と和解の秘跡にあずかり、弱さのために決して勇気を失うことのないようあなたたちが適切に指導することを望みます。

司教たちへの呼びかけ

30・さて、この回勅を終えるに当たって、わたしは尊敬と愛をもって司教職の使命を共にする兄弟であるあなたたちのことを考えています。あなたたちと密接に結ばれてわたしは神の民の霊的善に配慮します。わたしはあなたたちの聖務を助ける司祭たちや全信徒を共に指導して下さるよう、あなたたちに切に願います。結婚している人たちの生活がその本来の人間的かつキリスト教的完全さにさらに近づくため、完全な熱意をもって、手遅れにならないうちに、結婚を安全に守り、聖なるものとして保つよう努力していただきたいのです。実に、これをあなたたちに託された使命の中で最大の責任、また現在あなたたちに期待されている最大の責務として受け止めていただきたいのです。よくご承知のように、あなたたちの使命は経済、社会、文化的事柄を含む人間的活動のすべての分野において司牧的奉仕のある種の調整を必要とします。もしこれら三分野全部で同時に進歩が見られるなら、両親や子供たちの家庭生活はさらにしのぎやすくなるだけでなく、それはより易しく、幸せなものになるでしょう。神がこの世界のためになさった計画が忠実に実行されれば、社会における人々の連帯性はもっと兄弟愛に満ち、真の平和により深く根ざすようになるでしょう。

最後の呼びかけ

31・尊敬する兄弟の皆さん、最愛の息子たち、すべての善意の男女に、このすばらしい教育事業と愛における進歩に着手するようわたしは今呼びかけます。教会の揺るぎない教えに頼りつつ、ペトロの後継者としてわたしは兄弟である司教の皆さんと共に忠実にそれを守り、解釈します。これは世界と教会の善に関係しているので、実に偉大な事業です。至高の神によって人間性に刻み込まれた掟を守らない限り、人間が心から願う真の幸福に到達することはだれにもできません。幸福になるために人間は賢明に、かつ愛をもってこれらの掟を大事にしなければなりません。故に、この大事な仕事の上に、またあなたたちすべて、特に結婚している人たちの上に、わたしはいとも聖にして、慈悲深い神の豊かな超自然の恵みをこいねがいます。これら豊かな恵みのしるしとして使徒的祝福を皆さんに送ります。

ローマの聖ペトロ大聖堂の傍らにて

教皇在位六年目に当たる一九六八年七月二十五日、聖ヤコブの祝日に

教皇パウロ六世

脚注

1 教皇ピオ九世、回勅『クイ・プルリブス』一八四六年十一月九日、Pii IX P.M. Acta I、9-10・教皇聖ピオ十世、回勅『シングラーリ・クアダム』一九一二年九月二十四日、AAS 4(一九一二年)658・教皇ピオ十一世、回勅『カスティ・コンヌビイ』、一九三〇年十二月三十一日、AAS 22 (一九三〇年)、579-81・教皇ピオ十二世「カトリック世界の司教たちへの教話」、一九五四年十一月二日、AAS 46 (一九五四年)671-72・教皇ヨハネ二十三世、回勅『マーテル・エト・マジストラ』、一九六一年五月十五日、AAS 53 (一九六一年)457。

2 マタイ二十八・十八〜十九参照。

3 マタイ七・二十一参照。

4 トレント公会議カテキスムス・ロマヌス、第二部八章・教皇レオ十三世、回勅『アルカヌム』、一八八〇年二月十九日、Acta Leonis XIII, II(一八八〇年)26-29・教皇ピオ十一世、回勅『ディヴィニ・イリウス・マジストリ』、一九二九年十二月三十一日、AAS 22(一九三〇年)、58-61・教皇ピオ十一世、回勅『カスティ・コンヌビイ』、AAS 22(一九三〇年)545-46・教皇ピオ十二世「聖ルカ・イタリア医学・生物学協会への教話」、一九四四年十一月十二日、Discorsi e Radiomessaggi di S.S. Pio XII 6, 191-92・教皇ピオ十二世「イタリア・カトリック助産婦連合への教話」、一九五一年十月二十九日、AAS 43(一九五一年)835-54・教皇ピオ十二世「家庭の保護と大家族連盟の集会での教話」、一九五一年十一月二十八日、AAS 43 (一九五一年)857-59・教皇ピオ十二世「第七回国際血液学大会での教話」、一九五八年九月十二日、AAS 50(一九五八年)734-35・教皇ヨハネ二十三世、回勅『マーテル・エト・マジストラ』、AAS 53 (一九六一年)446-47・第二バチカン公会議、現代世界憲章、一九六五年十二月七日、47-52、AAS 58 (一九六六年)1067-74・一九一七年発行の教会法、1067, 1068, 1076の 1-2 参照。

5 教皇パウロ六世「枢機卿団への教話」、一九六四年六月二十三日、AAS 56(一九六四年)588・教皇パウロ六世「人口、家庭、産児調節研究のための委員会への教話」、一九六五年三月二十七日、AAS 57 (一九六五年)388・教皇パウロ六世「イタリア産婦人科学会全国大会での教話」、一九六六年十月二十九日、AAS 58 (一九六六年)1168。

6 エフェソ三・十五。

7 Ⅰ ヨハネ四・八参照

8 第二バチカン公会議、現代世界憲章五十、AAS 58(1966) 1070-72。

9 聖トマス神学大全、Ⅰ −Ⅱ 、q九十四、a2参照。

10 第二バチカン公会議、現代世界憲章五十〜五十一、AAS 58(一九六六年)1070-73参照。

11 同書、四十九、AAS 58(一九六六年)1070参照。

12 教皇ピオ十一世、回勅『カスティ・コンヌビイ』、AAS 22 (一九三〇年)560・教皇ピオ十二世「イタリア・カトリック助産婦連合での教話」、AAS 43(一九五一年)843参照。

13 教皇ヨハネ二十三世、回勅『マーテル・エト・マジストラ』、AAS 53 (一九六一年)447。

14 トレント公会議カテキスムス・ロマヌス、第二部八章・教皇ピオ十一世、回勅『カスティ・コンヌビイ』、AAS 22(一九三〇年)562-64・教皇ピオ十二世「聖ルカ・イタリア医学・生物学協会への教話」、一九四四年十一月十二日、Discorsi e Radiomessaggi di S.S. Pio XII 6, 191-92・教皇ピオ十二世「イタリア・カトリック助産婦連合での教話」、AAS 43(一九五一年)842-43・教皇ピオ十二世「家庭の保護と大家族連盟の集会での教話」、AAS 43 (一九五一年)857-59・教皇ヨハネ二十三世、回勅『パーチェム・イン・テリス』、一九六三年四月十一日、AAS 55 (一九六三年)259-60・第二バチカン公会議現代世界憲章、50、AAS 58 (一九六六年)1072。

15 教皇ピオ十一世、回勅『カスティ・コンヌビイ』、AAS 22 (一九三〇年)565・教皇ピオ十二世、聖省勅令、一九四〇年二月二十二日、AAS 32 (一九四〇年)73・教皇ピオ十二世「イタリア・カトリック助産婦連合での教話」、AAS 43(一九五一年)843-44・教皇ピオ十二世「第七回国際血液学大会での教話」、AAS 50(一九五八年)734-35参照。

16 トレント公会議カテキスムス・ロマヌス、第二部八章・教皇ピオ十一世、回勅『カスティ・コンヌビイ』、AAS 22(一九三〇年)559-61・教皇ピオ十二世「イタリア・カトリック助産婦連合での教話」、AAS 43(一九五一年)843・教皇ピオ十二世「第七回国際血液学大会での教話」、AAS 50(一九五八年)734-35・教皇ヨハネ二十三世、回勅『マーテル・エト・マジストラ』、AAS 53 (一九六一年)447参照。

17 教皇ピオ十二世「第五回イタリア・カトリック法律学者大会での教話」、一九五三年十二月六日、 AAS 45(一九五三年)798-99参照。

18 ローマ三・八参照。

19 教皇ピオ十二世「イタリア泌尿器学科医協会全国大会での教話」、一九五三年十月八日、AAS 45 (一九五三年)674-75・教皇ピオ十二世「第七回国際血液学大会での教話」、AAS 50(一九五八年)734-35参照。

20 教皇ピオ十二世「イタリア・カトリック助産婦連合での教話」、AAS 43(一九五一年)846。

21 教皇ピオ十二世「イタリア泌尿器学科医協会全国大会での教話」、AAS 45 (一九五三年)674-75・教皇ピオ十二世「角膜提供者・盲人協会指導者とメンバーへの教話」、一九五六年五月十四日、AAS 48 (一九五六年)461-62参照。

22 ルカ二・三十四。

23 教皇パウロ六世、回勅『ポプロールム・プログレッシオ』、一九六七年三月二十六日、21、AAS 59 (一九六七年)268。

24 ローマ八参照。

25 第二バチカン公会議、広報機関に関する教令、一九六三年十二月四日、6-7、AAS 56(一九六四年)147参照。

26 教皇ヨハネ二十三世、回勅『マーテル・エト・マジストラ』、AAS 53(一九六一年)447。

27 教皇パウロ六世、回勅『ポプロールム・プログレッシオ』、一九六七年三月二十六日、21、AAS 59 (一九六七年)281-84。

28 第二バチカン公会議、現代世界憲章、52、AAS 58 (一九六六年)1074。

29 教皇ピオ十二世「家庭の保護と大家族連盟の集会での教話」、AAS 43 (一九五一年)859。

30 第二バチカン公会議、現代世界憲章五十一、 AAS 58(一九六六年) 1072。

31 マタイ十一・三十参照。

32 第二バチカン公会議、現代世界憲章四十八、AAS 58(一九六六年)1067-69・教会憲章三十五、AAS 57 (一九六五年)40-41参照。

33 マタイ七・十四、ヘブライ十二・十一参照。

34 Ⅰ コリント七・三十一参照。

35 ティト二・十二参照。

36 ローマ五・五。

37 エフェソ五・二十五、二十八〜二十九、三十二〜三十三。

38 第二バチカン公会議、教会憲章、(一九六四年十一月二十一日)、35、41、AAS 57 (一九六五年)40-45・現代世界憲章、48-49、AAS 58 (一九六六年)1067-70・信徒使徒職に関する教令、一九六五年十一月十八日、11、AAS 58 (一九六六年)847-49参照。

39  教会憲章二十五、AAS 57 (一九六五年)29-31参照。

40  Ⅰ コリント一・十。

41  ヨハネ三・十七参照。

訳者から

 サンパウロ(元中央出版社)版の回勅『フマネ・ヴィテ』が絶版になり、再版の予定もないということなので、あえて本訳を世に問うことにしました。従来の訳と異なるいくつかの点は、訳出の際に、米国のジャネット・E・スミス博士がラテン語のテキストから翻訳して、Why Humanae Vitae Was Right: A Reader (Ignatius Press)の補遺に掲載した英語版を使用したためです。そのほか、できるだけ分かりやすくするために工夫してみました。なお、原著の脚注には学問的に詳しいものがありますが、本訳でもすべて掲載してあります。研究者には、本書で省略した研究者向きのさらに詳しい脚注がある原著を入手なさることをお勧めします。